第8話:母上の品格(15センチヒール)
(くっ……! 待て、まだだ! 先ほど床に転がった『禁忌の弾丸』が示した、東雲家を揺るがす社会的危機の『卦』は、名門貴族の令息のケガだけで本当に全て相殺されたのか……!? 否、筆頭執事カナメの直感が、まだ牙を剥く本震の残響を捉えている……!)
宙吊りにされ、ぐらんぐらんと目を回しながら連行されつつも、カナメはモチモチの短い手を腰のポシェットへ突っ込む。そして中から『七曜石(※おはじき)』をジャラリと掴み出し、床へチャリン、チャリン……と厳かに投げ落とした。(※脳内では)
(((ちょ、この子、何か投げつけたわよ!この状態で、まだ何か仕出かす気!?)))
(見えろ、未来の確定診断……ッ! この七曜石の配置こそが、次なる災厄の――はっ!? ば、馬鹿な……ッ!? 凶兆が消えていないどころか、床の模様と重なり、さらに巨大な『破壊の質量』がこの部屋の入り口に超高速で接近していることを示しているだと……ッ!?)
カナメが脳内でその圧倒的な大凶の卦に戦慄した、まさにその刹那。
子供部屋の重厚な扉が、バァアアアンッ!!!! と勢いよく左右に撥ね開けられた。
「しぃちゃん!!!!」
連絡を受けたカナメの母が、フリフリドレスを翻し、我が子の危機に血相を変えて飛び込んできたのだ。
大広間に勢いよく踏み込んできた母上。
その母上の履いている高級な15センチヒールの真下に、先ほど私の口から射出され、涎で濡れて床 を転がっていた、あの『超特大ジャンボ大玉飴』が――――。
――ツルッ。
(あ、終わった――※脳内:社会的爆発が来る……ッ!)
カナメが東雲家の名誉の終焉を覚悟した、その瞬間。
完璧な摩擦係数の演算のもと、母上が飴玉の上で均衡を保つ。(――な……っ!? )
そのまま身体が一瞬フワリと宙に浮く――と、そこからの――。
フワリ、くるんっ、……トッ。
母上は、高級ドレスのフリルを美しく円の軌道で翻すと、一流の武芸者のような圧倒的な体幹と空中バランスを発揮。ヒールの先で飴玉の回転を絶妙にいなし、何事もなかったかのように気高く美しく着地してみせたのだ。
髪飾りひとつ乱れていない、完璧なる東雲家の格。
(なっ、なんと!? 天の理(物理法則)が命じた『大凶の転倒未来』を、その圧倒的な東雲家の血統でねじ伏せ、未来の因果律を書き換えただと……ッ!? さすがは母上、私が唯一認めた東雲家の絶対君主……!)
カナメが宙吊りのまま、母上の気高き超絶技巧に心からのスタンディングオベーション(脳内)を贈った、まさにその直後。
スッと美しい姿勢を戻した母上は、カナメの投げたおはじきを優雅に拾い、宙吊りでドレスをオレンジ色に染め上げ(※ジュースです)、おでこから血を流している我が子の姿を見て、すべてを察したように優しく、そして盛大にため息をついた。
「しぃちゃん、お漏らししちゃったの? ジュースの飲みすぎには気を付けてって、あれほど言ったのに。ついこないだもお水の飲みすぎで失敗したばかりだったでしょ!」
(※脳内:――ぎ、ぎにゃああああああああーーーーっ!!! 母上ェエエエエーーーーーーっ!!!)
しんと静まり返る大広間全体に、母上の美しきソプラノボイスは、エコーがかかって響き渡る。
国家最高機密に指定されていたはずの「おねしょ事件」という、東雲家筆頭執事としての尊厳を根底から消滅させる不祥事が、大観衆のもと、そしてマブダチ(4歳児の漢たち)の目の前でいとも容易く完全暴露された瞬間であった。
(こ、これであったのか!真の東雲家の名誉を揺るがす社会的危機は……(絶望))
取り囲んでいた4歳児の漢たちの視線が、一瞬にして「感動から同情の眼差し」へと変わっていく。
(……おい、ちび。お前、常習犯だったんだな……)
(昨日まで2歳だったんだ、おねしょくらい……あるよな……。強く生きろよ、マブダチ……っ)
あまりの不名誉な上書きに、カナメの筆頭執事としての魂が限界突破で叫びをあげる!
「あ、あれは、よる、ねてて、ふか、こう、りょ……。(※脳内:あれは夜の睡眠時の出来事であり、不可抗力だったのです!! 決して私の管理責任では――!!)」
「あらあら、しぃちゃん焦っちゃって。言い訳を並べても、母様はごまかされないわよ」
母はそう言ってカナメに目配せ(ウインク)する。
必死の強弁も空しく、大人たちには「やらかしてパニックっている3歳児」としか認識されない。
おでこのたんこぶから血を流したまま「ふかこうりょく! ぶくーっ!」とお餅の頬を限界まで膨らませて空中でぐらぐらジタバタするカナメは、そのまま「不可抗力おねしょ幼女(※ジュースです)」として、周囲に認知されたまま無慈悲に子供部屋の奥へと隔離されていくのであった。
そんな撤収されていくカナメの背中に向かって、4歳児の漢たちは涙を流しながら熱い拳を突き出していた。
「ちびーーーっ!! 頑張れよーーーっ!!」
「パンツ穿き替えて、失敗しないカッコいい漢になって戻ってこいよぉおおお!!」
(だから、パンツではなくジュースだと言っているだろぉおおーーー!! 先輩方ーーーっ!!)
遠ざかる景色の中、カナメはふたたび、男の友情のありがた迷惑な大声に、脳内で激しく血の涙を流すのであった。




