第11話:挨拶の儀(迅と杏)
(おお……! 通じ合っている、完璧に私と杏の魂が共鳴しているぞ……! 持つべきものは、やはり平和を愛する理解者だな!!)
私が脳内で杏の忠誠に感謝し、杏が感動の涙を拭った――まさにその瞬間。
パタン、と可憐な音を立てて、自室の扉が開け放たれた。
「おはよー、しぃちゃん。私の天使!」
現れたのは、国家最高峰の暗殺一家の長であり、現・国内最強の暗殺者――すなわち、さっき打倒を誓ったばかりの標的の本尊、東雲本家当主、東雲摩耶 ——私の母君。
——なのだが、今日もいつものごとくフリフリのレースをこれでもかとあしらったピンクのドレスを翻し、ほんわかとした極上の親バカの境地全開、まさに聖母の構え(仕様)である。
(ひっ……! う、噂をすれば本尊の登場……ッ!?)
我が母、マヤ。
彼女は周囲の人々を癒す柔らかい印象の持主で常に慈愛あふれる聖母の皮を被っているが、ひとたび『事(暗殺・戦闘)』が起きれば、その微笑みのまま瞬き一つの間に標的の命を刈り取る、文字通りこの国の裏社会の頂点に立つバケモノである。
私がモチモチの身体を硬直させたコンマ0・1秒後、隣の杏の空気が一変した。
さっきまでガチの忠臣の炎を燃やして涙を流していたはずの侍女が、何食わぬ顔でスッと完璧な一礼の姿勢に戻り、「マヤ様、お早うございます」と一寸の乱れもないプロの平穏を装っている。
(す、すごい……! さすが平和を愛する健全な私の右腕。あの絶対強者の前でこれほど平然と牙を隠せるとは、なんて優秀な人材なんだ……!)
私がそんな杏を同志として心強く思っているとも露知らず、母上はふわりと微笑みながら、私のモチモチの頬を優しく撫でた。
「今日から3歳ね、しぃちゃん。これからお出かけする機会も増えるでしょうから、かあさま、しぃちゃんに最高のお供を用意したのよ」
母上がふんわりとした空気のまま、パチン、と美しく指を鳴らした。
その瞬間、天井の梁の影から、音もなく一人の男が滑り落ちるように着地した。
――黒装束を纏った、鋭い目つきの青年。
彼は無駄のないしなやかな動作で片膝を突き、深く頭を垂れる。
「東雲分家筆頭、迅にございます。マヤ様のご命令により、本日よりシノお嬢様の護衛(お供)を拝命いたしました。この命に代えてもお嬢様をお守りいたします」
流れるような完璧な一礼。声のトーン、平伏の角度、どれをとっても一流の隠密のそれだ。
だが、迅が「分家筆頭」と名乗った、まさにその瞬間――
――フッ、と室内の灯りが揺らいだ、ような気がした。
平伏している迅の背後の影が、ぐにゃりと立ち上がる。
次の瞬間には、さっきまで私の隣で甲斐甲斐しく私の足をほぐしてくれていたはずの杏が、音もなく迅の背後に現れ、その首筋(脳幹)へ的確にクナイの切っ先を突きつけていた。
「――迅。いつからあなたが、お嬢様の前で『分家筆頭』を名乗るほど偉くなったのかしら?」
氷のようなまなざしの杏から発せられたのは、カナメが一度も聞いたことのない冷え切った声。
突きつけられたクナイからは、1ミリの手ブレもなく本物の「純度100%の殺意」が立ち上っている。
(ひ、ひぎぃぃぃぃぃぃーーーーーーッッッ!!!!!)
私の脳内で、本日最大級の絶交と絶叫の嵐が吹き荒れた。
ちょっと待ってくれ。杏!? お前、平和を愛する白く優しい私の理解者じゃなかったのか!?
挨拶してきた新入りの男の背後をコンマ1秒で取って、ガチの暗殺武器を突きつけるなんて、お前、どこからどう見てもバキバキの真っ黒な殺し屋(隠密)じゃねえかァァァ!!!
「……っ、杏、さん……ッ!?」
完全に死角を奪われ、首筋に冷たい鉄の感触を味わっている迅の顔から、みるみる血の気が引いていく。
最新鋭の隠密であるはずの彼が、屈辱と恐怖でピキピキと歯茎を鳴らして震えていた。
「お嬢様が生まれた瞬間からお側でお仕えし、先ほど『一撃必殺(※大誤解)』の崇高なお覚悟を最初に共有させていただいたのは、この私。東雲の次期当主たるシノお嬢様の『第一の腹心』が誰であるか……、その身の程を弁えなさい、新入り」
(共有してない!! そんな物騒な同盟、私は1ミリも結んだ覚えはないぞ杏ーーー!!!)
部屋の空気が絶対零度まで凍りつき、いつ血飛沫が舞ってもおかしくないその瞬間。
パチパチパチ、とフリフリドレスを纏った母上が、のほほんと上品に手を叩いた。
「あらあら、二人とも仲良しねぇ。ふふふ、じゃれ合いはその辺にして。さ、次はしぃちゃんのご挨拶よ」
(じゃ、じゃれ合いぃぃぃぃーーーーーーっっっ!?!?)
これのどこがじゃれ合いですか母上ーーーっ! 完全に今コンマ数ミリ刃が食い込んだら迅くんの命が消し飛ぶガチの闇の殺し合い(ブラック労働)ですよーーーっ!!!
だが、さすがは国内最強の暗殺者。彼女にとって、部下たちの命がけの主導権争いなど、子犬の甘噛み程度にしか見えないらしい。恐ろしや東雲マヤ。
母上の聖母の微笑みに促され、杏は「失礼いたしました」とスッ……と何事もなかったかのようにクナイを袖に隠し、完璧な侍女の顔に戻る。
解放された迅は、首筋を抑えながら、未だに恐怖とプライドでガタガタと震えていた。
(――頼むから誰か教えてくれ。この超絶真っ黒な暗殺家業(ブラック大企業)のどこをどう開墾すれば、私の目指す『ホワイトな癒やし系執事』の未来へ辿り着けるんだぁあああーーーッ!?)




