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琥珀色の隠れ家――放課後の王子様たちは、背景な私を逃さない  作者: 寝不足魔王


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第三十三話【前編】:臨界突破の「背景」と、ジョーカーの正論

 放課後の校舎を包む空気は、まるで嵐の前の静寂のように重く、粘りついていた。西日に照らされた長い廊下は、窓枠の影を巨大な檻の格子のように床へと映し出している。

 終礼のチャイムが鳴り響くと同時に、私は逃げるように自分のカバンを掴んだ。一秒でも早く、この「透明な処刑場」と化した一年C組の教室から抜け出したかった。昨日から続く無視や私物の隠匿。一ノ瀬くんが机を白くなるまで握りしめているのも、如月くんがフードを深く被って動けないでいるのも、今の私には直視する勇気がない。

(……早く。早く『琥珀』に帰らなきゃ。あそこに行けば、誠司さんの珈琲がある。志乃さんのレシピがある。そこだけが、私の本当の聖域なんだから……)

 そう自分に言い聞かせ、足早に扉へ向かおうとした時。

「佐倉さん。ちょっと待ちなさいよ」

 呼び止めたのは、クラスの図書委員長を務める女子生徒だった。彼女の胸元には、聖華守護騎士団の末端メンバーであることを示す、あの不気味な盾の紋章が刻まれたブローチが、夕陽を反射して鈍く光っている。

「旧校舎の資料準備室に、一ノ瀬様が昨日貸し出していた特別資料が置き忘れているわ。貴女、今日の図書委員の当番でしょう? 今すぐ回収してきてちょうだい」

「えっ……でも、一ノ瀬くんは今、そこに……」

「いいから行きなさい。これは『背景』の貴女にしかできない、光栄なお仕事ですわよ」

 彼女の背後に控える数人の女子生徒たちが、クスクスと口元を隠して笑う。


 それは、断ることの許されない明白な「命令」だ。


 ここで拒絶すれば、彼女たちはさらなる口実を作って私を追い詰めるだろう。私は小さく頷き、人気のない旧校舎へと続く渡り廊下へと、重い足を引きずり出した。


 一方その頃、昇降口付近のベンチでは、三浦翔太が数人の女子生徒に囲まれていた。

「三浦くん、ちょっと相談に乗ってほしいことがあって……。放課後、時間あるかな?」

 一年生の別のクラスの女子生徒たちが、神妙な面持ちで三浦の袖を引く。三浦はいつものようにチャラい笑みを浮かべ、彼女たちの「悩み相談」という名のおせっかいを、さらりと引き受けていた。

「おー、いーよ。俺、おせっかいだからさ。……で、何? 進路? それとも恋の悩み?」

 三浦は彼女たちの話に耳を傾けつつも、その**鋭い観察眼**を休めることはなかった。彼は、他の女の子を助けている最中でも、周囲の僅かな「不自然」を決して見逃さない。

(……おかしいな)

 彼は、談笑する女子たちの隙間から、遠くに見える旧校舎の渡り廊下を一瞬だけ捉えた。そこを一人、肩をすくめて歩いていく陽葵の小さく頼りない背中。

(……あいつ、なんでこんな時間に一人であんなとこ行くんだ? あの先には、今は使われてない資料室くらいしかないはずだろ)

 三浦の脳裏に、この数日間、陽葵に向けられていた騎士団の刺々しい視線がフラッシュバックする。組織的な無視、下駄箱の毒、そして今の「一人の誘導」。

 彼は目の前の女子生徒たちの言葉に相槌を打ちながらも、その瞳からチャラい光を完全に消した。

「……悪い。その話、後でじっくり聞くわ。……友達が、もっとマズい相談事抱えてそうなんだわ」

「えっ、三浦くん!? どこ行くの?」

 驚く彼女たちを背に、三浦は迷いのない足取りで旧校舎へと走り出した。

 彼にとって、これは日常的なおせっかいの一環に過ぎない。ただ、目の前で「今、最悪な状況に陥っているであろうクラスメイト」の気配を察知し、放っておけないという、彼なりのフラットな性質が身体を動かしていた。


 その頃、学園の至宝である四人の王子たちもまた、異様な空気を感じ取っていた。

 如月奏は、校門前で待ち構えるファンたちの不自然な「壁」に阻まれ、身動きが取れなくなっていた。いつもならもっと無秩序なはずのファンたちが、今日はまるで何かを隠すように、組織的に彼の進路を塞いでいる。

(……陽葵は? 彼女はどこへ行った?)

 奏はサングラスの奥で視線を走らせ、自分を隔離しようとする騎士団の「悪意ある統制」に、内面で激しい苛立ちを募らせる。

 一ノ瀬蓮もまた、図書室へ向かう途中で、自分の貸出資料が旧校舎にあるという不自然な噂を耳にしていた。

「……不合理だ。僕の資料はすべて手元にある。……まさか、彼女が」

 一ノ瀬は、自分の「立場」や、三浦に忠告されたがゆえの「沈黙」が、逆に陽葵を誰の目も届かない死角へと追いやってしまった可能性を悟り、冷たい汗を流しながら旧校舎へと向かう。

 橘駆も、千ヶ崎響も。彼らはそれぞれの場所で、自分たちが陽葵を慮って「自重」した結果、彼女が一人で闇の中に取り残されたという残酷な事実に気づき始めていた。自分たちが輝けば輝くほど、彼女に落ちる影が深くなる。その矛盾に、彼らは初めて「王子様」としての無力さを噛み締めていた。


 私は、誰もいない旧校舎の廊下を一歩ずつ進んでいた。

 古い床板が、ギィ……と悲鳴のような音を立てて軋む。

 窓から差し込む夕闇は、既に琥珀色を通り越し、紫がかった不気味な色彩を帯び始めていた。

(……怖い。……でも、行かなきゃ。行かないと、きっともっと酷いことが起きる)

 私は、カバンの中に入っている一冊のノートを、胸元で強く抱きしめた。志乃さんとの報告ノート。これだけは、絶対に誰にも渡したくない。

 突き当たりにある、資料準備室の重厚な木製の扉。

 そこから漏れ聞こえる、冷ややかな静寂。

 私は、自分の震える右手を左手で押さえ、ゆっくりと、その扉に手をかけた。

 その先に、自分の想像を遥かに超える、絶望と怒りの時間が待ち構えていることも知らずに。

 私の心臓の鼓動だけが、静まり返った旧校舎の中で、警鐘のように激しく鳴り響いていた。


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