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琥珀色の隠れ家――放課後の王子様たちは、背景な私を逃さない  作者: 寝不足魔王


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第二十七話:マウンドの孤影と、旋律の拘束

 学園を包む空気は、もはや五月の爽やかさなど微塵も感じさせないほど、粘りつくような湿り気を帯びていた。

 登校中、廊下ですれ違う女子生徒たちの視線が、刃物のような鋭さを持って私の背中に突き刺さる。昨日、一ノ瀬くんや如月くんに呼び出された光景は、瞬く間に「背景」であったはずの私の存在を、学園中の「敵」へと変質させていた。

(……怖い。誰も見ていないはずの場所で、どうしてあんなに……)

 私は逃げるように図書室へ向かおうとしたが、その行く手を阻むように、一人の少年が立ちはだかった。


「おい、佐倉! ちょっと来い!」

 昼休み。中庭でお弁当を食べようと場所を探していた私の腕を、土埃の匂いを纏った橘駆くんが強引に掴んだ。

「た、橘くん!? 急にどうしたの……みんな見てるよ!」

「関係ねーよ。誠司さんの店じゃ、あいつらがウジャウジャいてろくに話せねーだろ」

 駆くんは周囲の野球部員や、彼を追いかけるマネージャーたちの驚愕の視線を一蹴するように、私をバックネット裏の資材置き場の影へと連れ込んだ。

 高く積まれた防球ネットの網越しに、初夏の強い陽光が格子状の影を彼の顔に落とす。

「……いいか、よく聞け。来月の夏季大会予選、一回戦から絶対に見に来いよ。……あいつ——三浦に誘われても無視しろ。俺の球だけ、特等席で見てろって言っただろ」

「橘くん……。でも、私が行ったら、もっと大変なことに……」

「大変なことってなんだよ。俺が投げるんだ。お前はそれを見てりゃいいんだよ。……いいな、約束だぞ!」

 駆くんの言葉は、真っ直ぐで、あまりに不器用な「特別」の押し付けだった。マウンドでエースとして君臨する彼にとって、自分の投球を見せることは最大の信頼の証なのかもしれない。けれど、その強引な指名が、今の私をどれほど窮地に追い込んでいるか、彼には想像もついていないようだった。


 駆くんから逃げるようにして校舎に戻った放課後。

 今度は、音楽室から響く激しいピアノの音が、私の足を無理やり止めさせた。

 一音一音が、悲鳴のような、あるいは慟哭のような鋭さを持って廊下に溢れ出している。

 私がその扉の前を通り過ぎようとした、その瞬間。

 パァン、と乾いた音を立てて演奏が止まり、重い扉が勢いよく開いた。

「……入って。君の歩くリズムが、今の僕には必要だ」

 千ヶ崎響くんが、額に薄っすらと汗を浮かべ、乱れた髪のままそこに立っていた。

「千ヶ崎くん……。私、もう帰らなきゃいけないから……」

「……聴こえたんだ。廊下を通る、君の迷っている足音が。……楽譜の通りに弾けば弾くほど、音が死んでいく。……頼む、陽葵。君がそこにいてくれないと、僕の旋律は完成しない」

 響くんは、私の返事を聞く前に、ピアノの椅子に私を座らせるようにして背後に立った。

 完璧な「正解」を求められる天才ピアニスト。彼にとって、不完全な私の存在は、もはや音楽の一部として欠かせない「拘束具」のようになっていた。

 彼の指が再び鍵盤を叩く。激しく、重苦しい旋律が、狭い音楽室の中に渦巻く。

(息が、できない……)

 彼の「特別」という名の期待が、私の喉を締め上げる。


 ようやく音楽室を抜け出した時、私は階段の下で、三浦翔太くんの姿を見かけた。

「あ、三浦先輩! 文化祭の出し物、これどっちがいいと思います?」

 下級生の女子生徒数人が、三浦くんを囲んで楽しそうにパンフレットを広げている。

「んー、こっちの方が派手でウケるんじゃね? ま、お前らが楽しい方が一番だけどな」

 三浦くんは、いつものようにチャラいノリで笑い、誰にでも見せる「日常の余裕」で彼女たちの相談に乗っていた。

 彼が他の子に与える、責任のない、けれど確かな「普通」の温かさ。

 それに比べて、王子たちが私に強いる、逃げ場のない「特別」という名の重圧。

 三浦くんが女子生徒たちの頭を軽く叩いて笑いながら去っていく姿を、私は遠くから、ただ羨望の眼差しで見つめるしかなかった。


 ……けれど。

 橘くんとのバックネット裏での密談。

 響くんの音楽室への、二人きりの入室。

 それらはすべて、学園の影に潜む「監視者」たちの網に、完全にかかっていた。

「……一ノ瀬様、如月様だけじゃない。橘様や千ヶ崎様まで、あの女の毒牙にかかっているの……?」

「……背景の分際で、調子に乗るのも大概にしろ」

 廊下の曲がり角。階段の踊り場。

 死角から漏れ聞こえる、憎悪に満ちた低い囁き声。

 ファンクラブの包囲網は、今や学園の空気そのものを変質させていた。

 下駄箱に向かう私の背中に、何十人もの、冷たく、執拗な視線が突き刺さる。

 もう、どこにも逃げ場はない。

 「背景」であったはずの私の日常は、今、音を立てて完全に崩壊した。

 校門の向こうに広がる空は、嵐の予兆のように、どす黒く濁り始めていた。


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