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ブラックドッグのいる日常  作者: 水木あおい


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14/26

クロとシャンプー

「……ね、クロ」

 休日の昼下がり、声をかけた私をじっと見つめるクロ。

 私も目を合わせて言葉を続ける。

「やってみたい事があるんだけど、いいかな」

 クロが私の言葉を理解しているのか、未だに分かっていない。クロの方も、たまに甘えたような声を出す事はあるけれど、強く吠えたり唸ったりしないのだ。

 基本的に、私が一方的にスキンシップするか、クロが散歩に行きたそうな素振りを見せた時に散歩する事が、私達のコミュニケーションだった。

 半年間も。

 これはどうなのだろうと思いつつ……クロのおでこや頬や首筋や耳や腹や背中や前足やふとももの毛がふさふさなのが悪い。

 そして私は今の素直な気持ちを言葉にした。

「シャンプーしてみたいんだけどどう?」

 大型犬にシャンプー!

 それは憧れであり、同時に高い頂。まずそもそも大型犬自体のハードルが高い上に、大人しくシャンプーさせてくれない子だった場合、苦行を通り越して高難易度ミッションだ。

 受け入れてくれても、嫌そうな素振りを見せるなら、単に必要な行為に留まる。

 実際クロがシャンプーが苦手な可能性もあるが、一度として私に攻撃的な対応を見せた事のない、この黒犬さん相手になら、試してみる価値はある。

「わふっ」

 クロの吠え声を、もしかしたら初めて聞いた。

「……いいって事?」

 頷くように頭を下げるクロ。そしてまた私をじっと見つめる。

 焦げ茶の瞳。

 表情が読めない。

 人間の瞳ではない。

 人間のような表情筋もない。

 ――この子は、違ういきもの。

 私は、クロの言いたい事が、分からない。

 多分こうだろう、と解釈する事しかできない。

 それでも、きっと、今はそれで正しい。




挿絵(By みてみん)




「かゆい所はございませんか~」

 自分も全裸になってクロを洗う。大人しく洗われていたクロがこちらを向いた。

「……あ、ごめん。言ってみたかっただけだから」

 洗い場全部にクロがみっちり詰まっていて、私は空の浴槽に立っている。一通り毛にシャンプーを行き渡らせ、ついでに自分もささっと洗う。女子としてあるまじきバスタイムのような気はするのだが、犬を前にした私は飼い主であり、自分の事は後回しだ。

 犬を人間用シャンプーで洗うのは賛否両論だったりするが、多分この子なら大丈夫だろう。

 シャンプーを丁寧にぬるま湯で洗い流すのが楽しくて仕方ない。

 濡れた毛は、いつもとは違う動きで手に絡みついてくる。シャンプーで、少しごわついてぬめった毛をシャワーでほぐしながら指ですいていく。

 この巨体なので、思い描いていた『大型犬にシャンプー』のイメージとはかなり違っているのだが、むしろそれがいい。

 重労働と言えば重労働なのだが、大型犬どころか犬を飼った事もない私にとってあまりの新感覚で脳が溶けそう。

 クロからシャンプーをしっかりと洗い流し、自分も改めてささっと洗い流す。

「クロ。プルプルできる?」

 クロが頷いたのを確認して、念のため浴槽に体育座りで隠れる。

「いいよ~」

 声を掛けると同時に、クロが全身をたわめ、ねじり、そして解放するのが分かった。

 びちびちびちびち!

 一瞬、窓ガラスを心配するほどの凄い勢いで水が飛んでくる。そーっと浴槽から顔を出すと、大分さっぱりした様子のクロ。

 しかし、まだまだ水分が残っているので、洗い場で丁寧に毛から水を絞り出す。

 先に出て、ひとまずキャミソールと短パンの軽装になった所で、クロに念を押した。

「今日は、『消えないで』ね」

 このために準備しておいた複数のバスタオルを順番に交換し、水気をできる限り拭き取ったら、さて本番だ。

 自分の濡れ髪にとりあえずのドライヤー乾燥をしながら、クロに目線を合わせて言い聞かせる。

「これ、怖くないからね。気持ちいいからね」

 なるべく笑ってみせる。

 正直な所、今回のシャンプーとドライヤーは、私の自己満足だ。

 けれど、クロが嫌がる事をしたいわけではないし、できるなら、気持ちよくなって欲しいとも思う。

 今日のこのために買ったブラシと併用しつつ、さすがに三万円超えの犬用ドライヤーを買う勇気はなく、人間用のドライヤーで乾かしていく。毛を逆立たせた所に風を送り込み、温風と冷風を切り替えてひたすら乾燥させていく地味な作業だ。

 なのに、私の心をドライヤーの温風よりも温かく満たすのは、果てしない幸福感なのだ。

 大型犬との――いや、クロとの、コミュニケーション。

 単純なサイズだけで言えば、一噛みで私など食い殺せるだろう存在が、私にこの距離と行為を、許してくれている。

「目、閉じて? ……大丈夫だからね」

 優しくぽんぽんと首筋を叩きながら、クロが目を閉じたのを確認して、特に絡み合った頬と首元の毛を乾かしていく。クロは特に嫌がる素振りを見せていないが、この子が『犬』の範疇なら、顔に風が当てられる今の状況はストレスのはずだ。

 なるべく素早く、しかしきっちりと乾燥させる事を心がける。

「はい、終わり! お疲れ様、クロ」

 ぽん、と背中を叩く。

 ふわっ……。

 いつもと、違う感覚がてのひらに残った。

 シャンプーとドライヤーとブラッシングでふわっふわの毛皮。いつものクロも、ふわふわでふさふさで、キング・オブ・もふもふだが、それを越えて、歴史に残るもふもふ度合い。

 さらに、このもふもふはワシが仕上げた、とでも言うべき圧倒的自分の仕事への満足感。

 日々のルーチンワークでは絶対に得られない充実感に、今すぐトリマーへの転職を考えてしまうほどの幸せだったが、私はクロを洗うのが好きなんであって、よその犬をこうしたいわけじゃないのだとも思う。

「先に行ってて。私もう一回シャワー浴びるから」

 もう一度背中を優しく叩いて促すと、素直にいつものくつろぎスペースへ向かうクロ。

 ……トリマーさんが扱うのが、こんなに素直に言う事を聞く犬ばかりなわけないしな。

 汗だくになった体をぬるめのシャワーでガーッと洗っていると、心地良い疲労感と達成感が胸に満ちていく。

 ああ楽しかった!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 〉歴史に残るもふもふ つまりは、レジェンドオブもふもふ…! [気になる点] このサイズのクロが、浴室の扉、通れたの…? 割りと広めって言ってたからいけたのかな? 微妙に幻覚説が残る不安…
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