第九十九話 帰るべき場所
時は来た。
もうすっかり起き上がれるし身体も動く。
桜とミカゲもやってきた。
後は出来る事をするだけだ。
「…で、何すんの?」
「ちょっとした実験だ。 手出しはするなよ?実験の意味が薄くなる」
「また知的好奇心ってやつ? 好奇心は猫も殺すって昔の子は言ってたぞー?」
桜と彦乃を二人だけで桜の部屋へ残し、コマンドとミカゲは部屋を出ていた。
すぐ隣にある、この部屋を観察できる空間から彦乃たちを観察している。
刑事モノでよく見る、取調室とそれを覗くための小部屋と言えば分かり易いだろうか。
「……」
「…?」
この部屋、隣からの音はあまり伝わってこないので実はあまり話している内容はあまり分からなかったりする。
まぁ、今の所は彦乃も桜も何かを話しているような事はないようだが。
互いに様子を見ていると言った感じだろう。
「…ねぇ、何話してたの? あの子と」
「何、とは?」
「どうせアンタの事だから、好奇心に揺られて実験しようって思ったんでしょう?」
「…否定はしない」
実際そんな所なのだから、コマンドが否定なんて出来る筈もない。
それを分かっていて聞いてきているのだ、ミカゲは。
長く行動を共にしているミカゲならではなのだろうか、この理解し合っている感は。
「にしても、エグい事するよね」
「何がだ?」
「サクラの記憶領域に居たあの子のポジションをそのまま私に挿げ替えたんでしょ?」
桜の記憶の中にある彦乃のイメージ。
それをそっくりそのままミカゲへと上書きしたのだ、コマンドは。
しかも今は、それを修復できるかの実験までやっていると来た。
好奇心とは言っていたが、その実は好奇心と呼ぶにはあまりに残酷な物だろう。
「私は別にいいけどさ? あの子、妙にベッタベタくっついてくるから気持ち悪いし」
「彦乃…彼女との生活が、サクラをそうさせたんだろうな」
「殺し損なってたし、甘さを育ててるだけじゃないの?」
「そうとも限らん というより、俺はその甘さの部分に興味が湧いたんだ」
モニターの先を指差す。
映し出される桜の部屋では、すっかり猫のようにじゃれる桜の姿があった。
「うにゃぁー… すんごいきもちぃー」
「よーしよしよし」
ベッドに寝転がり、座る彦乃に膝枕をして貰っていた桜はすっかり寛いでいた。
尻尾があったら気持ち良さそうにゆらゆらと揺れていたのではなかろうか。
「桜ちゃん…ホントに覚えてないの…?」
「覚えてない! けどこのナデナデの感じはミカゲみたいで気持ちいい!」
本当ならそれは、コマンドが書き換えてしまった偽の記憶。
だけどそれを桜は知っている訳もなく、ただ心地良くて気持ちいい撫で方だとしか思わないだろう。
懐く人には懐き、嫌う人は嫌う。
桜のこういった人間の好き嫌いはそのままらしい。
「それは本当にミカゲちゃんだった? 私じゃなかった?」
「ミカゲだよー? そうそうそうやってきもちよーくしてくれて…」
「…けど、最近なんだか厳しくなった?」
「んー… かもしれなーい…」
二人の会話を聞いていて、一番騒ぎ散らしていたのは彦乃でも桜でもなく隣室に居るミカゲだった。
「ちょっと! どこまで話したのよあの子に?!」
「実験に必要な事は八割程度話した」
「それって人格とか記憶の上書きについても話したって事?!」
「ああ、問題の無い範囲でな」
「問題アリアリのアリだわっ!」
きーっと怒るミカゲだったが、コマンドにとっては彼女の怒る理由はきっと問題足り得ないのだろう。
人格の上書きをした事は話したし、彦乃のポジションにミカゲを上書きした記憶に作り替えた事も話した。
その上で「これを壊してみて欲しい」と提示したのだから。
「大丈夫だ、それらは問題足り得ない」
「なんでよ!」
「見てみろ 攻略法は一つじゃないと言う事だな」
モニターの先で何が起こっていたかと言えば。
「すんすん…… ぺろぺろ…」
「んぅっ… ねえ、何か思い出さない? というか思い出して?」
「そう言われても… あむっ…」
「ひゃんっ!?」
ベッドで一緒に寝転がる二人。
桜は彦乃の首筋に顔を這わせたかと思えば匂いを嗅ぎ、舐めたり甘噛みしてみたり。
調べたりしているのだろうが、やり方が何とも言えない事になっていた。
まぁ、こんな状況になった事があるからこそ、彦乃はこのやりかたで思い出させようとしている訳だが。
「あむあむ…… おいひぃ… なつかしい味…」
「もっとやってもいいんだよ?」
「んー… それじゃ、一つお願いしたいかも」
なんとも言えないようなもどかしい表情を浮かべる桜は、頭の中でもやもやしているようだった。
身体はモジモジしているし、視界は右へ左へ行ったり来たり。
彼女の言うお願いというのが何なのか、彦乃にはしっかり分かっている。
後は掴んだチャンスを引き寄せるだけだ。
「…ちょっと待ってて?」
「あぅ…彦乃ぉ… アレ…? 彦乃って…?」
「思い出させてあげるからね?桜ちゃん…」
ベッドから立ち上がった彦乃は名残惜しそうにしている桜の言葉にチャンスを見出す。
これは、もしかすると思い出しかけているのかもしれない。
彦乃はまだ桜へ名前を告げても居なかったのに、彼女は小さくではあっても彦乃の名を口にした。
これは行ける。
確信が彦乃の中に芽生え始めた。
「行くよ、アルタイル」
「あ! あの時の格好!」
まずはスターライトの姿へと変身してみせる。
だがこれで終わりではない。
「ギャラクシーモードで行くよ」
装備の各部がスライド展開し、大量のルミナスが零れるように溢れ出していく。
ベッドや机などが一瞬歪んだような気がしたが、すぐに元の姿へ戻る。
きっとコマンドが動きを止めてくれたのだろう。
「さ、行くよ? 桜ちゃん」
「…いいの? 食べちゃうよ?」
「食べていいよ」
ベッドに座っていた桜の手を掴み立たせた彦乃は、そのまま桜に顔を近づけていく。
何をすればいいのか、それで理解した桜は躊躇っていたが、それを彦乃は遮った。
この状態なら、いくら吸われたって大丈夫な自信がある。
試した事は無かったが、これが一番分かり易かった。
「うぅ… け、けど…」
「はぁい、時間切れ」
「んぅ!?」
桜と初めて出会った時は、いきなり桜が彦乃の唇を奪ってきた。
だが今回は、逆に彦乃が桜の唇を奪う。
「……」
彦乃のルミナスを奪い、取り込んでいく毎に桜の中にあった何かが力を取り戻していく。
その何かは、今まで自分を支配していた意識をそのままブチ破る。
「ぷはぁ… …彦乃…ひこのぉぉ!!」
「…おかえり、桜ちゃん」
元の人格と記憶を持った桜が、ここに帰ってきた。
彦乃は取り戻したのだ、桜をその手に。
「うっそぉ?! なんで吸引して人格戻っちゃうワケ?!」
「理由はこれから検証する。 サンプルも採取したしな」
「ちょっと楽天的過ぎなんじゃないの? この研究バカ!」
「彼女のエナジー…今はルミナスと言うんだったか? それに何らかの作用があるのか…? 面白くなりそうだ」
そう言うコマンドの表情は、好奇心に駆られにやけた表情になっていた。
「どうすんのよ! 取り戻されちゃったじゃない」
「大丈夫、彼女は約束は守るタイプだろうからな」
「はぁ? どういう事よ!?」
「まぁモニターを見ながらあの二人を見送ってやろうじゃないか」
最早コマンドの興味は、仕事で仕方なく動いていた桜の回収ではなく、その桜の意思を取り戻させた彦乃へと向けられていた。
彼女は一体どういう存在なのか。
彼女は一体どういう力を持っているのか。
彼女は一体どういう成長を遂げていくのか。
コマンドの興味は、そういった物へと姿を変えて行ったのだ。
「彦乃…彦乃…ごめん、彦乃ぉ…」
「いいよ、許してあげる。 一緒に帰ろう、桜ちゃん?」
二人でぎゅっと抱き合い、桜は何度も謝っていた。
人格を取り戻したとは言っても、自分が何をしてきたのかを忘れたという訳ではない。
彦乃を貫いた時の事を覚えても居るし、自分が自分で無かった間の事もしっかり覚えている。
だけど、その上で彦乃は桜を許すし迎え入れた。
「……うぁぁぁぁん!!」
「よしよし… 帰ろうか、私達の家に」
ついに取り戻した。
後はここを飛び出して家へ帰ればいいだけだ。
「何よ、あっさり取り返してくれちゃって」
「約束だからな、サクラは連れて行ってくれ」
「っ! ふーっ!」
隣の部屋から覗いていた二人がこっちの部屋へやってきた。
桜はなんだか過度に警戒している気もするが、されてきた事を考えれば当然かもしれない。
けれど、彦乃はあまり警戒してはいなかった。
「……やりましたよ」
「ああ、見させてもらった まだまだ研究が必要そうだ」
「それでも、桜ちゃんは渡しませんけどね」
彦乃とコマンドの間に、静かな火花が散ったような気さえする視線がぶつかっていた。
そこへミカゲが割り込もうとしてきた頃にはすっかり火花を散らすような空気は消え去っていたが。
「お前、飛べるんだろう? なら自分で帰れるな?」
「勿論。 牛頭」
彦乃が一度呼べば、牛頭は彦乃の目の前に姿を現してくれる。
後はいつでも飛べるだろう。
「出口はアレだ」
「え、あれ窓じゃ…」
桜の部屋にある、二階用の窓が差される。
確かに人が通るには十分な大きさがある窓ではあるが、その外はいつもと同じ景色が、とまで来て彦乃の言葉は止まる。
そういえば、ここは桜の部屋のようで桜の部屋ではないではないか。
「そういう事ですか」
「あそこから出れば、後は超高高度からゆっくり帰るといい。 安心しろ、後ろから撃ったりなんて真似はしない」
コマンドのその言葉は信用してもいい。
彦乃は自信を持ってそう思う事が出来た。
「ではな。 またいずれ会おう」
「はい、またいずれ…」
「サクラも達者でな。 ヒコノと仲良くしろよ?」
「……」
こうして彦乃は、二人に見送られながら窓の外へと飛び出して行った。
一瞬振り返った時に見えたのは、とてつもなく巨大な空飛ぶ鉄塊だったように思える。
とは言っても、すぐにどこかへ姿を消してしまった訳だが。
「それじゃ、帰ろうか」
「うん……お腹空いたー」
「はいはい、何食べたい?」
「えっとねー…」
こうして、彦乃は桜を取り戻した日常へと帰って行く。
地上近くまで降りてきて初めて分かったが、どうやら今は夜明け頃だったらしい。
「…さて、研究に戻らねば」
「今度は何をするつもりなのよ?」
「ヒコノに興味が出てきたのでな」
「うわキモ…」
彦乃たちを見送った後、コマンド達はすぐに次の作業へと移る。
それが何なのかは分からない。
彼がどんな研究を行おうとしているのかも、その研究がどんなものを生み出すのかも。
きっとこの物語とはなんら関係がないだろう。
今は彦乃が桜を取り戻した。
その事実があればそれで十分なのだから。
続く




