第三十三話 干渉
ここは一体どこだろう?
私は誰だろう?
そして、目の前の光景は何だろう?
「………」
小さな少女が、私の足元に倒れていた。
大量の血を流しながら、それでも必死に手を伸ばして誰かを呼ぼうともがく。
自分の血に塗れたその手で、呼ぶのは両親だ。
「お……とぉ…さ……お…かぁ…」
幼いから言葉が拙いのか、出血でまともに喋れないのか、私には分からない。
ただ、彼女の呼ぶ両親というのが、既に手を伸ばす先にある瓦礫の中で息絶えているのだという事だけは何故か理解できた。
「いた……いよぉ…」
痛いのは当たり前だ。
ガラスの破片が、少女の足や腕にいくつも刺さって痛々しい。
大量の出血も主にそこからのようで、見ている間にもドクドクと血が流れ出てきているのが、まるで自分の身のように感じられる。
「………」
少女が黙り込んでしまうのと同時に、ある変化が起きた。
視界が歪んで、まるでブラックホールにでも吸い込まれるかのような感覚に襲われる。
実際にブラックホールに吸い込まれるような感覚など誰も味わった事が無い訳だから仮に「掃除機に吸い込まれるゴミの気分」とでも言っておこうか。
「……いやだよ…」
少女のその一言を最後に、景色は暗転した。
彼女が目を閉じるのと同時に、周囲は闇に覆われる。
かと思えば、次の瞬間には見覚えのない場所で見覚えのない何かを見つめている自分がいた。
「あの子…?」
「うん…可哀そうだよね…」
同年代らしき少年少女が話を聞かれたくないからかひそひそと話している声が聞こえる。
極力小さな声で話しているんだろうが丸聞こえだ。
「……」
「彦乃ちゃん、どうしたの?」
「あ……織姫ちゃん…」
彦乃と織姫、確かにこの二人はそう呼び合った。
同姓同名の子供たちなのか、それとも私の知る彦乃と織姫なのか。
そう思っていると、視界が歪む。
またどこかへ移るのかとも思ったが、どうやら違う。
「大丈夫? 顔真っ青だよ?」
「ううん、大丈夫…」
「大丈夫な人はそんな顔でそんな事言ったりしません! ほら、保健室行くよ?」
織姫の小さな手が、目の前に差し出されて、それを自分で手を取る。
いや、自分の意思など関係ない。
まるで一人称で進行する映画を見ているかのようだ。
物語の主人公の視点になってストーリーが進行していくような感覚だ。
きっとこの手は彦乃の手なのだろう。
「全くもう……辛かったら誰かを頼っていいんだよ? 特に私!いつでもうぇるかむなんだから!」
「うぇ、うぇるかむ…?」
「おいでって事だよ!」
織姫が彦乃をギュッと抱きしめる。
その身体は、陽の光を浴びているのかと思える程心地よくて、それでいて温かい。
「……」
「……」
「……二人して廊下で何しとんねん…」
抱き合っている二人を、呆れたような声で話しかけてくる者が居た。
聞き慣れた関西弁、子供故の高く澄んだ声音。
間違いない。
「操ちゃん…」
「……」
視線の先に居たのは、幼い姿ではあるが操そのものだった。
今も昔も変わらず元気さが目に見えて分かる程に溢れ出るその姿は健在だ。
まぁ、今は目の前で抱き合っている友人たちの将来を心配しているが。
「ほれ、保健室行くんやろ? 先生も心配そうにこっち見とるで?」
「あっ…」
確かに、見てみれば保健室を担当している若い女性が入り口から首だけ覗かせてこちらを見ていた。
手でおいでおいでと招いていたりはするが、どうも引っ込みがちだ。
相当に臆病なのだろうか?
「えっへへ…」
「笑い事ちゃうわホンマ……彦乃、挫けたらアカンで…」
「操ちゃん…」
操が、頭を撫でてくる。
正確には彦乃を撫でているのだろうが、視点の都合上自分が撫でられているような感覚があるようだ。
流石は彦乃たちより年上なだけのことはある。
撫でられていて非常に心地が良い。
「操ちゃぁん…」
「おーよしよし…せんせー、ベッド開いとりますー?」
涙で視界が歪んで…いや、これは涙が原因ではない。
ぐにゃぐにゃと歪む視界はそこから回復したりはせず、むしろミルク入りのコーヒーカップをかき混ぜるかのように歪みが酷くなっていく。
それと同時に、誰かを呼ぶ声が聞こえてくる。
彦乃や織姫の事を呼んでいる訳ではない。
では、誰を呼んでいるのだろうか。
「……らちゃん……くらちゃん…」
「ひこ…の…?」
呼ぶ声がだんだんハッキリと聞こえるようになってくる。
これは間違えようがない。
幼い子供なんかじゃない、本物の彦乃の声。
その声に引き寄せられるようにして、私は目を覚ました。
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「あ、桜ちゃんやっと起きたー?」
「えらいネボ助やなぁ…おはようさん」
「桜ちゃん、おはよう」
桜が目を覚ますと、そこは居間の中だった。
彦乃の膝を借りて眠っていたらしい。
いつの間に眠っていたのかと不思議そうな顔をする桜を彦乃は頭を撫でて迎え入れてやる。
周りを見れば、彦乃の他にも操と織姫もちゃぶ台の隣に座っていた。
「さって、桜ちゃんが起きた所で、続きやるよ?」
「うぐっ…織姫ちゃんがすっごいノリ気に…」
「ウチも見たるから、とりあえずやってみーって。過去問も持ってきたったしな」
カバンの中から取り出してきたのは、数枚の紙切れだった。
ビッシリと文字が書かれた上から赤い字やら黒い字やらで色々と書かれている。
桜は見ていてよく分からなかったが、テストの問題用紙だそうな。
宇宙から来た桜には無縁に等しい物だ。
それ故なのか…
「なにそれ…なにそれ…!」
「桜ちゃんがすっごいウキウキしてる…」
「ウキウキ…? サル…?」
「楽しそうって事。というかウキウキ=サルって認識、もしかして宇宙でも通用するのかな…」
興味津々な顔でプリントを見ている様子は、まるで小さな子供が玩具の見本を嬉しそうに見ているそれと似ているような気がする。
少なくとも、操はそう思った。
「桜も勉強せなやなぁ…彦乃よか向上心あるみたいやしウチも教え甲斐ありそうやわ」
「お勉強…? 操が…?」
「んなっ?! その言い方やとウチが勉強でけへん子みたいやないか!?」
いつもは彦乃にしかしないが、この技を桜にも解禁せざるを得ない。
操は両手の指を素早くわきわきと動かして見せた。
それを桜は、何の疑いもなく興味ありげに見つめていた。
手品師の手品を純粋に楽しむ子供のように。
「ほぉれほぉれ……いくでぇ…エレクトロンマスターっ!!」
「っっ?! っあっはははははっ! く、くしゅぐったいぃ!」
大層な名前を叫んでいたが、実際の所やっていた事はと言えば脇腹へのくすぐり攻撃だ。
くすぐり責めなんて拷問法もあるらしいが、これはそれに準ずる物なのかもしれない。
擽る場所を常に変えつつローテーションさせていく事によって、くすぐりに対して慣れさせない事がコツだ。
暫く擽ってやれば、もう息も絶え絶えになっていた。
「はぁっ…はぁ…はぁ…っ…」
「……ゴクリッ…」
乱れた衣服と上気した顔で荒い息をする桜の姿は、あまりに扇情的だと言える。
同じ女性である操ですら、固唾を呑む程に。
「あらら…桜ちゃん大丈夫~?」
「はぁ…はぁ……彦乃……操に…やられたぁ…」
「っ?! せやからその言い方やめいって!!」
どういう意味で受け取っているのか、操と彦乃とではかなりの差があっただろう。
それこそ月とスッポンほどの差が。
埋めようの無い不純と純粋の差が。
「うん…言い方変える……操に…私の大事なm」
「取っとらんわボケェ!」
すかさず操のツッコミが入った。
部屋中に、桜の尻が引っ叩かれた音が響き渡る。
彦乃がビクンとなってペンを取り落とす程度には、その音は良く響いた。
「んっ…」
「んひゃぅ?! ちょ、桜ちゃんっ?! どこに顔突っ込んでるのっ?!」
「羨ましいなー…私もそれしたいなー…」
桜が顔を突っ込んだのは、胡坐をかいて座っていた彦乃の足だった。
丁度真ん中の所へ、小動物が安らぎを求めに来るかのように飛び込んでくる。
白く長い髪が、まるで彦乃の見せちゃいけない部分を覆い隠す靄のようになっている。
それを見て触発されたのが約一名。
「……」
「んぅ! さ、桜ちゃん…息がかかってくすぐったい…」
「ほほぅ…ええ事聞いたで織姫…」
「うん……彦乃ちゃん、覚悟はいい…?」
「……えっ? どうしたの二人とも、すごい顔して」
彦乃の言葉は、最後まで続かなかった。
操と織姫が阿吽の呼吸でそれを阻止したからだ。
具体的な事を言えば、彦乃をくすぐり地獄に桜を入れた三人がかりで落とし込んだからだ。
暫く続いた後に解放された彦乃はと言えば。
「ぜぇ…ぜぇ……んんっ…」
「やったぜ」
岸に打ち上げられた海藻のように、ぐったりとしたままロクに動けそうになかった。
時折ビクビクッと身体を跳ねさせているのは、まだくすぐり地獄の感触が身体に残っているからだろうか。
すっかり加害者側に回っていた桜だったが、その興味はふと居間に置かれた仏壇に向けられる。
「…? 彦乃……この人は…?」
そこに置かれていたのは、優しく微笑みかける男性の写真だった。
隣には彦乃に似た赤毛の女性も寄り添うようにして写っている。
その二人を、桜は何故か初めて見る気がしなかった。
どこかで逢っているような、そんな気がするのだ。
「はぁ…はぁ……それ、私のお父さんとお母さん。どっちももう居ないけどね」
「居ない…?」
「死んじゃったって事。私が6歳の時に、事故で二人とも…」
その場の空気が、一気に暗くなったのが分かる。
いくら興味本位に動く桜とて、この空気が分からない程には衰えていない。
だからこそ、すぐにごめんと謝る事も出来たのだから。
「いいよ、もうだいぶ昔の事だもん。今はお爺ちゃんも居るし全然平気だよ」
「ちっちゃい頃は大変やったけどなぁ…何かある度にお父さんお母さんて泣きながら探して、おらんて気付いたら大泣きして…」
「それで、私に泣きついてきてたよね。織姫ちゃんだけが頼りだーって」
「ちょっと待って、そこまでしてないんだけど」
記憶の改竄、ダメ、絶対。
あと微かに「チッ」って聞こえたような気がするが気にしてはいけない。
「……よしよし…」
「……えっ?」
彦乃を撫でて慰めてやりたい。
桜の頭の中は、それだけで一杯になっていた。
撫でられている本人ですら戸惑っている事については触れない事とする。
「彦乃…泣きそうな顔してたから…」
「え、えぇっ?! そんな顔してたー?」
何もないように振る舞ってはいるが、確かに彦乃は涙を拭っていた。
誤魔化すような、というよりはごく自然に拭っていたが、それは確かに欠伸だとかもらい涙なんかではない。
彦乃自身が泣いていた事に他ならない。
「やれやれ……っと、そろそろ帰るわ。彦乃、今日やったトコちゃんと復習せぇよ?」
「なら私もこれで…そろそろ帰らないと、皆心配するだろうから」
「うん、二人とも気を付けてね」
どうやら、もうすっかり夜なようだ。
空の端にうっすらと夕焼けが見える以外は夜空が広がっていた。
デブリの作る偽りの夜空なんかではなく、穏やかで静かな夜空だ。
織姫たちも帰って行き、家には彦乃と桜の二人だけになってしまう。
「……よっし、私たちはご飯にしようか。何食べたい?」
「彦乃の料理、美味しいからなんでも食べる…」
「もー、そのチョイスは一番困るやつだってー! えぇと冷蔵庫の中身はー…」
さっきまでの空気などまるで気にしていないように、二人はいつもの生活へと戻って行く。
あとどれほど、彦乃と桜は一緒に過ごしていられるのだろうか。
つづく




