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掟破りだと追い出された結果、国を守護していた“存在”が誰の言うことも聞かなくなったらしい  作者: キョウキョウ


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第01話 銀星の君

 その日、ティアナ・アーデンフェルは、生まれ育った家から追い出されることになった。


 大広間に集まっていたのは、父アルドリック、母ミレーユ、姉イザドラ。そして壁際には、脚を組んだヴァルディアの第二王子ジークハルトまでが腰かけていた。


「お前は、曜獣さまのもとへ、ひとりで会いに行っていたな」


「……」


 父の声は、判決を読み上げる裁き手のそれだった。否とは言えなかった。たしかに自分は、行っては駄目だと言われた場所へ幾度も足を運んだのだから。


「我が家には、古くからの掟がある。許しなく曜獣さまに近づいた者は、一族から追放される。――お前は、それを破った」


 そんな掟を、ティアナは一度も聞いたことがなかった。けれど、その違和感を口にすることはできなかった。近づいてはならぬと言われていた存在に会いたいと思い、勝手に踏み入ったのは、まぎれもない事実だった。


「貧相なくせに、こそこそと曜獣さまにまとわりついて」


 姉イザドラの紅い唇が、勝ち誇ったように吊り上がる。


「この家の品位を、どれだけ汚したと思っているの」


 そして――壁際の王子が、ようやく口を開いた。


「この娘の追放、王家の名において認めよう」


 退屈そうな、けれど有無を言わせぬ声音だった。王族の言葉だ。もはや、覆る余地などない。


「……わかり、ました」


 ティアナは深く頭を下げた。


 不思議と取り乱しはしなかった。悲しくないはずがない。それでも、胸の底には、奇妙なほど静かな覚悟があった。


(ここで抗えば、あの御方に迷惑がかかるかもしれない)


 だけど、誰も知らなかった。この、貧相で役立たずだと蔑まれてきた次女が、あの御方からどれほどの力を授かってきたかを。――そして、彼女を追い出したその日から、この国の歯車が、音もなく狂いはじめることを。



***



 時は、すこし遡る。


 昼を過ぎた庭に、曇り一つない青空が広がっていた。


 ティアナ・アーデンフェルは誰にも気づかれぬよう裏庭の生け垣をくぐり抜ける。下生えで裾が湿るのも構わず、屋敷の奥――立ち入りを禁じられている森のほうへと足を向けた。


「勝手に会いに行ってはなりません」


 両親からも、姉からも、繰り返し言い渡されてきた言葉だ。けれどティアナは、その禁を破り続けている。罪悪感がないわけではない。それでも、彼女の足は止まらなかった。


 会いたいと、あの御方から望まれているから。そして、ティアナ自身も。


 森の奥、ひときわ古い大樹のうろに、淡い光が灯っていた。銀色とも白金ともつかぬ、星屑を溶かしたような光。それが身じろぎすると、影の輪郭がゆらりと立ち上がる。


 巨大な獣だった。


 四肢を持ち、長い尾をたなびかせ、けれど犬とも狼とも違う。たてがみは風もないのにさざめき、瞳には小さな星座が瞬いている。人の背丈ほどに身を縮めてはいるが、その気になれば屋敷の屋根を越えるほどにも巨きくなれることを、ティアナは知っていた。


 人々は、この存在を畏れと敬いを込めて、こう呼ぶ。


 ――曜獣ようじゅう


 各国に一体だけ在るという、世界を守護する特別な存在。ヴァルディア王国が幾百年ものあいだ栄えてこられたのは、この銀星の曜獣レグルスが味方であり続けてくれたからにほかならない。


「来たな、ティアナよ」


 声は、鈴を転がすように涼やかで、どこか姉めいた甘さを含んでいた。レグルスは性別を持たない。けれどティアナにとって、その響きはいつも、優しい女性のものに聞こえていた。


「こんにちは、レグルス。……また勝手に来ちゃった」


「よい。我が呼んだのだ。叱られるのなら、我のせいにすればよかろう」


 ふ、とレグルスは楽しげに喉の奥で笑う気配。長い首がしなり、星の瞳がティアナの全身をなぞった。


「相変わらず、地味な装いだな」


「だって、レグルスが言ったんでしょう。幼くても女なのだから、みだりに肌を晒すなって」


「言った。そして、お前はそれをちゃんと守っている。――その心意気が良いのだ」


「ありがとう、レグルス」


 星を宿した瞳が、やわらかく細められた。


「よく似合っておるよ」


 屋敷では、誰もそんなふうには言ってくれない。細い、貧相だ、姉に比べて見栄えがしない。そう囁かれるたび、ティアナはただ俯いてやり過ごしてきた。けれどここでだけは、まとった慎ましさを「よい」と言ってもらえる。


 それが、どれほど救いになっていることか。


「手を出してみよ」


 言われるまま、ティアナは右手をかざした。指先に意識を集めると、てのひらにあたたかな光が満ちていく。レグルスの指導を受けて、幼い頃より鍛えられてきた並外れた力――回復の魔法だ。


 光はやわらかく広がり、レグルスの古い傷あと、鬣の根に走る一筋の翳りへと吸い込まれていった。曜獣の身にすら効いてしまうほどの、ティアナの魔法。本人は、それがどれほど常識外れのことか、まだよくわかっていない。


「うむ。よく練れておる」


 レグルスは満足げに目を伏せた。


「回復を主とせよ。お前は前に出て戦う質ではない。危うくなれば、迷わず逃げよ。生き延びることこそが、一等の強さだ」


「……うん」


「よいか。お前はいずれ、家の外で生きていくことになるかもしれぬ。そのときに備えて、力をつけるのだ」


 その一言に、ティアナはまばたきをした。家の外。全く実感のわかない未来の話を、レグルスはときどき、当たり前のように口にする。


「本当に、そんなことになるのかしら?」


 レグルスは、それ以上の答えを返さなかった。ただ、大きな鼻先をそっとティアナの額に寄せ、星の匂いのする息を吐いただけだった。


 西の空が、茜に染まりはじめていた。


「行け。暗くなる前に戻れ」


「うん。……また来るね」


 名残を惜しみつつ、ティアナは森を後にした。背に、銀の光がいつまでも見送ってくれているのを感じながら。



***



 屋敷に戻ると、あたりは夕暮れに沈み、空気はひやりと冷たかった。


「どこへ行っていたの、ティアナ」


 階段の上から声を投げたのは、姉のイザドラだった。薄手の部屋着をまとっていても際立つ華やかな姿。あらわな肩、緩く流した髪、けだるげな流し目。同じ両親から生まれたとは思えぬほど、ティアナとは何もかもが違う。


「ご、ごめんなさい。少し、庭を歩いていただけ」


「庭、ねえ」


 イザドラの唇が、薄く笑んだ。何かを悟ったような口調に、ティアナは居心地が悪くなった。


「まさか、あれのところへ行っていたのではないでしょうね。お前のような子が、曜獣さまに近づいていいはずがないのに」


 姉からそう言われ、ティアナは視線を落とした。


 ふと、少し前に耳にした両親の会話がよみがえった。部屋から漏れ聞こえていた、父アルドリックと、母ミレーユの声。


「――次の、パートナー選定の件だが」


 あの一言を思い返すだけでティアナの胸は、また小さく軋んだ。


 曜獣の新たなパートナー。それは曜獣に仕える者であると同時に、王家の血を継ぐ者と婚姻を結び、国と曜獣とをつなぐ、この上ない誉れの座だという。アーデンフェル家は代々、その選定を担う一族だった。


 そして、その座にはもう、姉イザドラが据えられることになっている。


 イザドラがゆっくりと階段を下りてくる。すれ違いざま、姉はティアナの耳元で囁いた。


「役立たずな妹。私の邪魔だけは、しないでちょうだいね」


 冷たい衣擦れの音を残して、姉は去っていく。


 ティアナは、ただ立ち尽くしていた。あの森の主が会いに来てほしいと望むのは、姉ではなく――この自分なのだということ。その一事を、この家の誰ひとりとして、まだ知らずにいた。


 窓の外では、暮れゆく空にひとつ、またひとつと星が灯りはじめていた。

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