1:発端
アレクサンダー・ヴィルガツム視点になります。
からりとした陽光が差し込む森の中、中途半端に乾いた土の上を急ぐこと、数刻。
合流地点として指示された場所へ到着したアレクサンダーを出迎えたのは同僚……でもなく、部下でも無かった。
「やぁ、ご苦労だな。アレクサンダー」
卸したてのように汚れ一つない、けれど着慣れた純白の軍服を身に纏い、色素の薄い赤髪を緩く編み込んだその男。表情こそ明るく、二ッと笑みを浮かべてもいるが、琥珀のように輝く蜜の双眸は奈落の底を見下してるかのように冷ややかだった。そこに滲むのは、純然たる怒りの感情である。既に合流していた面々、特に若手はその威圧感に委縮してしまっているのを視界の端に捕らえ乍ら、小さく吐き出してしまいそうになった溜息を飲み込んだ。
何故ならば、彼は。この、御方は。
「……どうして、こちらに居られるのですか。王太子殿下」
アレクサンダーが騎士として忠誠を捧げた国の頂点である王の一人息子にして、正当なる王位継承者。
つい先日、婚姻を結んだことで、正式に次期国王として立太子されたばかりの王子、ヴレイブ・クロシュ。その人であるのだから。
「それは勿論……―――理由など、一つしかないだろう?」
遂には笑みさえも消してしまった王太子へ合わせるように、空気も凍てついていくのが見える。
それが、王太子の周りをふよふよと無数に漂う小さな光の球―――『精霊』と呼ばれる存在の仕業であると、アレクサンダーは知っているからこそ、また溜息を吐き出したくなってしまうのだった。
(……厄介なことになったな。)
――――精霊に愛され、精霊を敬う。数千年の歴史を誇りし、清廉高潔たる王国クロシュ
争いごとなど無縁の、誰もが清らかであることを美徳するかの国。その王城で、事件が起きたのは今から二ヶ月前のこと。
この日、ヴレイブ王子の立太子と結婚式が同時に執り行われていた。
次代の王妃として、その隣に並び立ったのは、長年心から王太子が愛を捧げ続け、3年前のデビュータントで遂に婚約者となった辺境伯の精霊姫アイシャ・ヴィルガツム―――アレクサンダー・ヴィルガツムの妹である。
儀式は恙無く、祝福に満ちたまま終わり、夜。貴族たちへのお披露目も兼ねて開かれた舞踏会で、そのアイシャが持っていたグラスに毒が盛られていたのだ。
幸いと言うべきか、口に含んでしまったのは少量で、直ぐ違和感に気付いた彼女がその場で吐き出したため、命にかかわるような大事には至らなかった―――けれど。
その後、部屋に下がった王太子妃を襲ったのは、高熱と激痛である。一週間も続いたそれは、彼女の体力を著しく奪い続けたのだ。
当時、警護に着いていたアレクサンダーは、何度も代ってやれるものならば代ってやりたいと思ったものである。
だが、それよりも。
長年思い続け、漸く満を持して、アイシャを花嫁に迎えられた事実に浮かれ、幸福に酔いしれていた王太子ヴレイブの悲しみようは誰よりも深く。そして、犯人へ向ける憎悪を孕んだ怒りは、宮殿の泉を全て凍らせてしまうほど、凄まじかったのだ。
毒を盛った実行犯は、その日のうちに判明した。しかし、指示したのが誰であるかを聞き出せたのは、日付が変わってしまった真夜中のことだった。
明らかになった首謀者の名は、ナインクル・ベラドール。領地を持たない伯爵家の当主であり、三年前に行われたデビュータントの舞踏会でアイシャへ凶行を働こうとし、アレクサンダーが取り押さえた娘の父親であった人物でもある。
確か娘はあの時、ナインクルによって離縁された母親共々国から追い出された形を取ってトゥルバまで逃れたと聞いている。ならば、動機は逆恨みか……それとも、逆恨みと見せかけた、反逆の一手だという可能性もある。
あの壮年の男はいつも下卑た笑みを浮かべており、何を考えて居るのか読み解くのが難しかったことだけはよく覚えていた。
急ぎ捕縛のために向かった屋敷は、やはりと言うべきか、既にもぬけの殻だった。恐らく、毒殺が明るみになった時点で、逃亡を図ったのだろう。昼夜問わずの捜査網を広げるが、簡単には見つからない。しかし、半月前。
ナインクル・ベラドールがトゥルバに潜伏している可能性がある、と言う情報が齎されたのだ。
提供者は、マルガレータ・キールエラ。そう、ベラドール元伯爵夫人であり、今はトゥルバの貴族キールエラ男爵の後妻となった女性から送られてきたのである。
初めは攪乱が目的かも知れないと疑われたその手紙。一度信用してみることに決めたのは、嘘には寄り付かない精霊たちが一斉に集ったからである。
そうして、トゥルバの現地調査に送り込まれたのが、アレクサンダーを含めた数人の騎士。
目的は、ナインクル・ベラドールを見つけ次第、捕縛し国へ送還させることである。
『いいか……必ず、奴は生かして連れてこい。生きてさえいればいい。生きてさえ、いればな。』
出立の直前に繰り返し聞かされた、怨嗟のような命令のほうが強く鼓膜に張り付いていたけれど。
立場が許さず、王直々に留守番を命じられてしまったヴレイブは、それでも自らの手で処罰することを諦めきれなかったのだろう。
(おおかた……ナインクル・ベラドールの潜伏先が正式に判明したことを、団長から聞き出したのだろうな……)
頻りに愛剣の柄を撫でている王太子に、「……絶対に、前には出ないでください」と言うのがアレクサンダーのできる、精一杯であった。




