マールム・プトリドゥム/エチノ・×××××
おちてしまったから、くさってしまったのか。
くさっていたから、おちてしまったのか。
(どうして!私が、こんな目に合わなければならないの!!!!!)
邪魔者が居なくなったという喜んでいただけなのに!
欲しい者を自分のものに出来たという悦びで満たされていただけなのに!!
……ただ、それだけだったのに。
(どうして、どうして、どうして、どうして、どうして……!!!!!!!)
肌を突き刺すように降り注ぐ雨が、痛い。
べちゃりと重くなったドレスが肌に纏わりついてくるのも、うざい。
折角綺麗に可愛く編み込んだ髪が解けて視界を遮るのも、腹が立つ。
何よりも。
(また、この眼……!)
あの女と同じ、蒼い瞳。全てを見透かし、全部を否定するようなその眼が。
うざくて、腹が立って、痛くて――――恐ろしかった。
あなたは可愛くて、誰からも愛される少女なのよ、と教えられ。
だから、何をやっても許されると信じて生きてきた。
そんなエチノの常識が、初めて否定されたのは二年前。
まだ、母国クロシュの伯爵令嬢であった時のこと。
デビュータントも兼ねたお城の舞踏会で、王太子の婚約者も発表される、と言う噂が流れたのだ。
特に王家からの訂正も無かったことから、噂を耳にしたエチノは、それはそれは大いに喜んだものである。
この婚約者は、自分のことであるに違いない、と。
(王子様の婚約者になら、私くらい可愛くて、誰からも愛されていないとね!ふふ、デビュータントの日にプロポーズってすっごくロマンチック!あ、それなら白いドレスなんて味気ないわよね?飾りを増やしてもらいましょ。丈ももうちょっと短くして……髪型は……あぁ!!待ち遠しいわ。なんてお答えするか練習もしておかなければ。まって、私が王子様の婚約者ってことは、ゆくゆくはこの国の王妃になるの!?まぁまぁ、そしたらあの伝説の宝石も手に入るってことよね?それも楽しみだわ!!あぁ、早く来ないかしら!)
自分の未来を夢想しては、余韻に浸る。その繰り返しを送る中で、迎えた当日。
彼女を迎えた現実は、余りにも痛々しいものだった。
堂々と入場したエチノ。その身に纏うのは、デビュータントの娘ならば当然のホワイトドレスではなかった。
薄紅色に染められたドレス。たっぷりのフリルとこれでもかと言うほど縫いつけられた小さな宝石たち。細かく施された透明糸の刺繍がシャンデリアの灯りに反射して、眩しい。そして、何よりも。そのスカートは前に行くにつれて短くなるデザインだったのだ。
エチノが歩く度に、裾から覗く健康的な白い足。殆どの男たちが思わず目線で追い掛け、眉根を寄せた貴婦人たちが「はしたない」と囁き合うのを耳にし、慌てて目を逸らし誤魔化す光景があちこちで見かけれる中で。
エチノは、注目される優越感に浸って居た。
やはり、このドレスにして間違いなかった!と、出る直前まで、白いドレスを着るよう説得してきた母に心の中で舌を出す。
声を掛けてくる人は、男も女も誰も居なかったけれど、エチノは気にしない。
何故なら、この後王子様にプロポーズされるのだから!
(他の男と踊っていたら、失礼にあたっちゃうものね!……あぁ、でも嫉妬されるかもって考えると、それもありなのかしら?)
ならば誰かの手を取ってあげるのもいいかもしれない。なんて、考えながら辺りを見渡したその時、空気が変わった。
中央に向けられていく視線。伝染するざわめきから聞き取れたのは、王家の登場という五文字。
遂にその時が来たのだわ!と、立ち止まって、王家の挨拶を待つ人々を押しのけて、中央階段の前まで躍り出た、エチノが目にしたのは。
『この時をずっと待っていたよ。僕のお姫様――――デビュータントおめでとう。そして、どうか』
僕の隣でずっとその笑顔を見せてくれないだろうか。
純白の衣装を纏い、跪いているのはこの国の王太子様。差し出されて、小さな箱にはラズベリーみたいな輝きを放つ宝石が一粒載せられた指輪が納められているのが見える。
―――見える、けれど。
(どうして、横向きなのだろう?)
あぁ、そうか。正面からだと、私の可愛さに耐えきれないからね!仕方のない王子様ね。なら、私から前に行ってあげましょう。返事はもちろん、
『は『……わたしでいいのでしょうか?』……ぇ?』
私は、そんなこと言ってない。一体、誰が、私と王子様の運命的な出会いを邪魔したの!?
声がした方を辿れば、其処に居たのは女が一人。私の王子様の前に図々しくも立つ、その女はシンプルな白いドレスを身に付けていることから、同じデビュータントの娘であることだけは分かった。でも、その顔に見覚えはない。
一体だれなの!と怒れるエチノの耳に再び届いた雑踏の囁き。
『あの方が、辺境伯の精霊姫か……確かに可愛らしいな』
『それに、とても優秀だと聞くぞ。体が少し弱いそうだが……』
『いや、それは幼少期の話で、今は大分健康らしいぞ。なんでも王太子様が……』
『なんと。そんな幼い頃から……王太子様はとても一途で在らされるな……』
可愛らしい……?誰が?この女が?私よりも?
いいえ、いいえ!そんなこと、無いわ。無いのよ!
キラキラと輝く銀の髪は確かに光の下では美しいかもしれないけれど、灯りがなければ只の白髪よ!
私の、太陽のごとき灼熱の赤こそが、究極にして至高の一色なのよ!!
それに、それに!!ありきたりな碧い瞳なんかよりも、希少な黒曜石の色をした、この瞳こそ価値があるのよ!!
(王子様の持っている指輪だって、赤よ!だから!……だから!)
その場所は、私のもので間違いないのよ。
手にしていた扇がパキリと折れたのを、床に散らばった装飾の音で気付く。
そして、鋭利に尖ったその先端が、名案を思考に齎したのだ。
(……そうね、そうよね。この女が王子様を惑わしているのだわ)
だから、早く気付かせてあげないといけないわ。
にぃと上がった口角。異様な空気を纏う、ド派手な見た目の少女に、周囲が気付いた時にはもう遅かった―――――けれど、無音のまま、制圧された後でもあった。
それも、プロポーズが成功し、喜びと嬉しさを噛み締め合う王太子とその隣で含羞む幸福の少女には一切悟られることなく。
ただ、冷ややかに見降ろされた、少女と同じ碧い目だけがエチノの記憶に深く刻み込まれたのだ。
後のことをエチノはあまり覚えていない。
でも、エチノは悪くないんだよって、伯爵である父が優しく抱き締めてくれたのだ。
『でもこのままだと、エチノに全ての罪が着せられてしまう。』
『お父様が何としてでも、あの女を始末してあげるから、それまでは遠く離れた場所で暮らしなさい』
その為に、お父様はお母様と離縁してまで、私のことを守ってくれる手筈を整えてくれたの。
まあ不気味な森の前で降ろされたときには、ちょっと怒ってしまったけれど……
でも、その後、お母様が出会った男の人。あの男が、助けてくれるって言ったから、わざわざこの国まで来てあげたのに!
「……なんで、あんたが此処にいるのよ!!!アレクサンダー・ヴィルガツム!!!」
「その答えは、僕が教えてあげるよ……おねえさま?」
ひょっこりと軽い調子で顔を覗かせたのは、お母様が再婚した男にいた前妻との間に産まれたと言う、男。
確か、名前は―――――なんだったけ?
「あ、そうだった!言葉を交わすのは初めてだったよね?……ん~でも、別にいっか!どうせ、これで終わりだし、無駄な紹介は省かせてもらうよ」
菫色の瞳を細めてにっこりと微笑んだその男は、まだ、あどけなさが残る。だとというのに、纏う空気の冷ややかさは隣に佇む男と匹敵するほどで……流石のエチノも一瞬口を噤まざるを得なかった。
まぁ、最も。
「――――そもそもの話をするね?君の現在、その身分の話だよ。うん。よく聞いてね?」
「……もしかしてお父様が迎えに来てくださったの!?そうよね、そうよね!この私がキールエラなんて無名の男爵家の娘に収まるわけがないもの!!それで、お父様はどちらに?」
「ふふ……いいから、よく聞いてって言ったよね?ちなみにね。この世でキールエラ家の名前を名乗れるの女の子はたった1人だけなんだだよ?それはもちろん、僕の姉様のことなんだけど……まぁ、どっかの当主様が破門してしまったせいで、もう居ないんだよね」
「?そんなはずないわ!だって、あの男はお母様と再婚したのよ!つまり、私も!」
「だから聞いてってば。今からその話をするんだからさ。そもそも、君はもう何者でもないんだよ。キールエラでもなければベラドールでもないの。」
やれやれと言った様子で肩を竦めながら、エチノを見下ろした男の紡いだ一言で、彼女の思考は完全なる停止してしまったのだが。
「さて、そんな君は一体全体、誰になるんだろうね」




