空を舞う、あの鳥のように。:エリザベス
目が覚めた時には、もう陽は高い位置にまで昇り切っていた。
聞こえてくるのは、ありとあらゆる動物の鳴き声。
そして、木々の隙間を駆け抜ける風の音。
当然と言うべきか、男の姿はどこにも無く。
静まり返った小屋に残されたのは、掛けられたままの外套一枚のみ。
そこに昨夜の痕跡は存在しない―――けれど。
全身に刻まれた倦怠感。
指の先まで満たされた魔力の感触。
そして何より、この外套が与えてくれる、この温もりが。
この夜が夢では無かったことを物語っている。
(まぁ、“それだけ”なのだけれど)
元より、エリザベスが求めたのは『回復』することのみ。
それが果たされている以上、男の不在を気に留める必要はない。
(……でも、なんでだろう)
ほんの少しだけ、居ないことにがっかりとした気持ちを抱いてしまったのは。
寂しさとも物足りなさにも近しい思いのカケラ。
母を偲ぶ色や父へ抱く色、弟へ馳せる色にも似ているけれど、そのどれよりも。
(あたたかい……)
―――そう思ったのは、きっと外套のせいだわ。
心の奥底で燻るそれが何であるか。
その名前を探そうとする思考を遮るように、適当な理由を付けて、目を逸らしてしまったのは。
同時に湧き上がってきた別の感情が、『まだ』と痛み出したから。
(……そう、今はあの人のことを考えている場合ではないのよ)
なぜならエリザベスには、まだやらないといけない事も考える必要があることも、沢山あるのだから。
深く吐き出した息と共に男のことも昨日に押し流して、気持ちを切り替える。
まずは傷を癒して、それから此処から離れる支度を。
そう言えば、あの馬はどうなったのだろうか。
無事であるならば、それに越したことはないけども。
「……よし」
唱えるべき呪文を何度も反芻し、口の中で転がす。それでも、不安は尽きない。
視界の片隅でチラつくあの閃光が、本当に大丈夫かと冷たく突き刺してくるのだ。
だけど、と思い出すのは、男へ掛けた際には上手く発動したということ。
(だから、きっと大丈夫なはず。)
意を決して、紡いだエリザベスの魔法は、淡い光を纏った温もりと化し、彼女自身を包み込んだ。
やはり、魔法が可視化されている。
が、ゆっくりと全身に染み渡っていくだけで、今度は暴走する気配も無く、終わりそうだった。
安堵に息を飲み込み、無意識に強張っていた肩が緩むのを感じる。
やがて、靄のような煌めきが晴れた後には、痛みも傷も、痕跡さえも一つ残さずに消え去っていた。
「……この原因も確かめないと。」
その為にも、と。傍らに整えられていた荷物を引き寄せて、動きやすい服に着替える。
この時見つけた、カバンの中に詰め込まれていた入れた覚えのない数日分の食料。
外套と言い、何処までも気に掛けてくれている男の優しさに口元が綻びかけてしまうのを引き締めて、エリザベスは立ち上った。
その手に、きちんとその外套を畳み抱え込んで。
「……一応ね」
一晩、御世話になった小屋を最後に一瞥して、外へ飛び出したエリザベスを柔らかな日差しが出迎える。
折り重なるように青々と繁った葉々の隙間から覗く、青空。
これほどまでに無いくらい、澄んだ空気を胸一杯に吸い込んだ、エリザベスの耳に聞こえたのは。
「まぁっ」
其処に居たのは、あの子。得意げに鼻を鳴らし、尻尾を揺らす彼に、「待っていてくれたの」と頬を寄せる。
見れば、馬具もきちんと乾かされており、毛並みも艶やかに整えられている……ような気がした。
「あなたも、手入れして貰ったのね」
お礼くらいちゃんと言えば良かったな。なんて、もう会うことは―――ない、だろうけど。
小さく「ありがとう」と此処には居ない男へ感謝を囁けば、馬も同意するように嘶く。
「ふふ……ねぇ、また私と一緒に来てくれる?」
ヒヒンと何度も頷き、摺り寄せてくる大きな体に「ありがとう」と軽く撫でて、手綱に手を伸ばした。
昨日とは打って変わって、ひらりと跨れたその背中。身体も軽く、撫でる風も心地よい。
「それじゃあ、行っか」
合図とともに駆け出した、彼女の周りを。
陽の光に交じって煌めく何かが、まるで応援するかのようにゆらめいていたことを。
エリザベスが気付くのは、まだ少し後の話である。




