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 仕舞った、と思った時には、浮遊感が全身を包み込んでいた。

 ゆっくりに感じた一瞬のこと。咄嗟に手を付こうとしたが、間に合わず。


 強かに打ち付けた背中へ走る、鈍い衝撃。

 思わず、呻きが漏れ出てしまったのも、無理はなかった。

 

「だ、大丈夫?」


 先程までの余裕とは打って変わった、焦りと心配を混ぜ合わせた少女の声。

 次いで聞こえたのは、小さく呟くように唱えられた何かだった。


「esayi onomonok ettom iromukun ikut“leaH”」


 初めて耳にした、不思議な発音。

 途端、全身を包み込む、心地よい仄かな温もり。

 

 そして気が付けば、じわじわと広がっていた痛みが、完全に消え去っていたのだった。


(……今のが、トゥルバの民が使うとされる『魔法』か?)


 道具を無くとも、痛みを治してしまう。話には聞いていたが、確かにこれは凄いな。


 と、感心を抱きながら少女を見上げた男の目が、驚愕に見開かれる。

 

 カーテンのように垂れ下がったオレンジ色の髪。

 申し訳なさそうに揺れる不安げな瞳


 覆い被さる形で男を覗き込んでいた少女の、その顏が。

 今にも倒れてしまいそうなほど、真っ白に染まっていたのである。


「……、それは此方の言葉なのだが」


 男が姿勢を崩す直前まで、その頬には血の色が戻っていたはず。

 倒れた際の受けた衝撃は男よりは薄いはずだが、彼女も傷を抱えていた。

 その痛みが強くなって……?と考えるが、直感がそれではないだろうと否定する。


 代わりに、提示してきたのは―――


「……魔法を使ったからか?」


 吟味し、導き出された一番近い可能性は、少女のなんでわかったの?と目を丸くした仕草で肯定された。

 それはつまり、消耗させてしまった最大の要因が自分にあるのだということを示す。


「……すまない」


 自責の念で眉根を寄せる男に、少女は「そんなに気にしなくても」と開きかけ――思いついた。


(……今なら、今度こそ、いけるのでは?)


 見るに、男は魔法を使うことが体力を消耗させるという原理を知らなかった様子。

 だから、自分の行動に戸惑っていたのだろう。魔法と言うものは自分に取って身近なもの過ぎて、その事実を失念していた。


(でも、魔法を知らないということは……魔力ももしかして……)


 他国の人間だと、無いのだろうか。

 いや、それならば最初の口づけの時に回復できたことが、おかしくなってしまう。

 恐らく、他国の人たちは魔法を使わないだけで、魔力は保有しているのだ。


(きっと、そうに違いないわ)


 だから、と。

 男が罪悪感に耳を傾けている、今のうちに。


「あのね―――」


 少女は語る。


 魔力を回復させることは体調を戻す一番の近道になるということ。

 その為に必要な行為が、少女の求める『助け』であるということ。


「……つまり、」


 この行為は、自暴自棄になっているのではなく。

 彼女にとって必要な、そう、救命措置の一環だと言うのか。


 言葉を噛み砕き、飲み込もうとするも、一度では上手くいかない。

 けれど少女は、男の理解を待とうとしなかった。


「だからね……申し訳ないと思うのなら」


 すっと寄せた唇は、触れ合う直前。

 しかし、もう男が拒絶することは無かった。


「……本当に、いいのだな」


 ただ、一度だけ。息継ぎの合間に問うて来たのは、きっと男が最後まで握り締めていた理性の端切れだろう。

 余韻の残る唇で「もちろん」と微笑んだ少女は、男の、その逞しい首筋を抱き寄せた。


「あなたが助けてくれると言ったのだから。その体で、私を救って?」


第0章・完


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