第6話:実力
「ひっ!?」
い、いきなり後ろから怒鳴り声が───
「じゃあ何か!? 俺に死ねってか!?」
「い、いえっ! そういうわけでは……!」
振り返ると、軽装の鎧を着たスキンヘッドの男の人が、役所の人の胸ぐらを掴んで怒鳴っているのが見えた。
その窓口の上を見ると、"雇用推進課"とある。
そこで私は、何が起きているのかをなんとなく察した。
「じゃあどういうわけだよ! 黙って聞いてりゃ舐めやがってッ! あれもダメこれもダメ……だったら死ぬしかねぇだろうがッ!」
「ルウナ様、あれは……?」
ウォードさんが私に顔を寄せ、小声でそう聞いてくる。
け、毛がこそばゆい……。
「お、おそらく、仕事を失ったあの人が、新しい就労先を探しに来たんだと思います。見た目からして傭兵稼業でしょうから、どこかのギルドをクビになってしまったのかも……だいぶ気が立ってるみたいですね……」
「なるほど……」
私たちがそんな話をしている間にも、男の人はさらにヒートアップしていき、周りには人だかりができ始めていた。
「俺ぁ真面目にやってきたんだ……それが! たった一回ヘマをしただけでクビだとよ! ざけやがってあの七光がッ……で!? なんだ!? 仕方なく働き口を探しに来てみりゃあ、俺の半分も生きてねぇてめぇが! えっらそうに"なんか特技は?"、"あ、ないんすか? じゃあ厳しいっすねぇ"、"いやぁ、あなたみたいな人はいっぱいいますからねぇ。腕力だけじゃどうしようもないっすよ"…………ははっ……ぶち殺してやるぁッ!!」
やばい。剣に手を───
「ッ! …………えっ?」
魔術を行使しようとしたその刹那、私は見た。
隣にいたはずのウォードさんが、剣を抜こうとしたその手を掴んでいるのを。
「は、速いなんて……次元じゃ……ない」
ここからあそこまで約二十メートル。
私が腕を上げるよりも速く、一瞬であそこまで移動するなんて絶対に不可能だ。
「……魔力の残滓もない。つまり……」
単純に、速く移動しただけ……しかも、隣にいた私に一切気取らせることなく。
変化の魔術は、外面だけを変化させるものだから、狼型獣人の身体能力を得られるわけじゃない。
ウォードさん自身が、ただただ速いんだ。
こ、これが最強の……英雄。
「な、な、なんだてめッ……くッ!? な、なッ!? う、動か……!」
男の人は必死にウォードさんの手を振り解こうとするが、どれほど押そうが、どれだけ身体を捻ろうが、ウォードさんはまるで石像のようにびくともしない。
そして、ふりふりと動いていたウォードさんのもっふもふのしっぽが、ピタリと止まった。
「あんたよぉ……気持ちは分かるが、それをやっちまったら終わりだぜ?」
「う、うるっ……せえッ! お前に何が分かるんた犬っころッ! 俺はッ……俺はぁッ!」
「確かに……分からねぇな」
「うッ……!」
瞬間、私はそれを感じた。
おそらく、周りにいた人たちも感じ取っただろう。
ほんの一瞬。
ウォードさんが、ほんの一瞬解放した……あまりにも強大過ぎるその魔力を。
それだけで、この場にいた誰もが動けなくなり、あれだけ騒がしかった役所の中がしんと静まり返っていた。
「……あり得ない」
静寂の中、私は思わずそう口にしていた。
あんな強大な魔力を、私は初めて感じた。
宮廷魔導師となってから、多くの実力者に会ってきたけれど、その誰と比較しても……いや、誰も比較の対象にすらなってない。
まるで、太陽と人を比べようとするような……今のはそれくらいの───
「落ち着いたかい?」
「はッ!? な……え……? あっ……」
ウォードさんが手を離すと、男の人はその場にへたり込んでしまった。
無理もない……あれだけの魔力を至近距離で当てられたら、普通はそうなる。
「おっちゃんよぉ」
「はっ、はひっ!?」
「あんた、まだ運があるよ。俺とご主人がここに居合わせたってことはそういうことさ。あんたはまだやれる。応援してるぜ」
「あ、ああ……ありが……とう……?」
「おう。で、そこの小僧」
「へっ!? あ、は、はいっ!?」
「あんたも大変だなぁ……毎日毎日同じような相談を受けてよ。そりゃ、対応も多少はおざなりになっちまうわ」
「あ、いやっ……その……」
「でも、あんただけなんだよ」
「は、はい……?」
「確かに、あんたにとっては、このおっちゃんは大勢いる客の一人に過ぎねぇ。だがよ、このおっちゃんにとっては、あんた一人だけしかいねぇんだ。別に来るやつ全員に全力で施せなんてことは言わねぇ。ただ、ほんの少しだけ、ほんの少しだけでいいから、そのことを……分かってやってくれねぇか?」
ウォードさん……。
「……はい」
「ん、ありがとよ。あ、ちなみに今の話は全て、そこにいる俺のご主人で、最年少宮廷魔導師であらせられる……ルウナ=アークライト様の受け売りだ」
………………ん!?
「あ、どっかで見たことあると思ったら……」
「えっ、じゃあ、あの狼さんは、アークライト卿の従者ってこと? やっぱり変わってるんだな……」
「あれでしょ? 例の大事件を起こした人だよね」
途端に周りがざわつき始める。
まずい……早くここを離れないと、また変な目で見られることに───
「あー、人が多くて……これじゃ後ろにいるやつらが見えねぇか。ちっちゃくて。ご主人、ちょっと失礼」
「え、いや、ちょっ……何をっ……きゃあッ!?」
いきなり後ろから声が聞こえたと思ったら、急に脇に手がッ───
「ひぃっ!?」
そうして、たくさんの人に見られた私は、あまりの恥ずかしさに意識が薄れ、そこから先のことはまったく覚えていない。
……後に聞いたところによると、そのままぐぅんと持ち上げられた私は、まるで神に掲げられた十字架のようで、そして役所にいた全ての人が、まるでそれを崇める信徒のようであったという───
「いいご主人でなぁ! 頭がよくて飯もうまくて、そんでほら! ちっこくてかわいいだろ? あんたらもそう思うよなぁ!? なぁ!?」
「…………も、もう……ころちて…………」
──────────────────
「なぁ……まだ怒ってんのか?」
アルタイル城本館にある、宰相様のお部屋の前に設置された長椅子。
周りに人がいないこともあってか、そこで呼ばれるのを待っている私に、ウォードさんが小声で何度もそう尋ねてくる。
私はそれらを、全て無視していた。
「わ、悪かったって……もうやんねぇからよぉ……」
申し訳なさそうに尻尾を垂れた狼が、上目遣いで私を見てくる。
さすがに、ちょっとかわいそうになってきた……。
「本当にすまん……頼むから許して……」
「……口調」
「大変失礼いたしました……二度とあのような真似はいたしません」
「……分かりました」
「ゆ、許してくれんのか?」
嬉しそうに、黒い狼が尻尾を振る。
……ずるい。
「はぁ……もういいですよ。ただし、二度と脇に手を入れないでください」
「わ、分かってるって……今度からは許可を取るよ」
「きょ、許可しません! もぉ……」
記憶はあまり残ってないけど、何故か感触だけはしっかりと残って……あー、ムズムズする……。
「悪かったよ……ルウナが少しでも認められればなと思ってやっちまったんだ。反省してる。すまん」
「…………ずるいですよ。もう怒れないじゃないですか」
「ははっ! ま、ほんと気をつけるわ」
「ふふっ……はい、お願いします」
「あいよ。つか、それにしても結構待つんだな」
「まぁ、宰相様はお忙しい方ですからね。様々な案件を同時に処理されてますし」
宰相様は国王陛下に代わり、アルタイルの国政を取り仕切るという役割をお持ちだ。
全ての決め事を一手に担い、的確に対応しなければならない関係上、ほとんど休むことはなく、この国で一番忙しい仕事と言っても過言ではない。
「ふーん……まぁ、確かに今の宰相さんは、他国でも有名だもんな。相当な切れ物ってよく聞くし」
「ですね。本当に素晴らしいお方だと思います」
高齢だった前の方から今の宰相様へと代替わりをされたのは、今から約三年前。
四十代での抜擢は、アルタイルの長い歴史の中でも初めてのことであり、当然ながら史上最年少での就任となった。
当初こそ、その若さに不安の声が上がったものの、就任から一年が経った頃には、そんな声は一切聞こえなくなり、今では史上最も支持されている宰相様とも言われている。
かくいう私も、そんな宰相様のファンの一人だ。
「おっ……開いた」
扉が開き、私たちの前に入っていった人が一礼した後に去っていく。
その後すぐ、補佐官の方が顔を出した。
「アークライト卿、どうぞ中へ」
「はいっ! さ、行きましょう」
「おう」
「……口調」
「はっ!」
ああ……心配だ……。




