第36話:地獄
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「だぁぁぁあ…………はぁ…………」
ルウナの私室に戻った途端、ウォードは椅子へと座り込み、今日一番の大きなため息をついた。
「あー…………疲れた」
それは、心の底から出た言葉であった。
舞台俳優顔負けの演技を披露した彼は今、全ての力を使い果たし、椅子の背もたれに全力で寄りかかりながら、両手が地面につくほどに脱力していた。
「本当にお疲れ様でした……コーヒー入れますね」
「おう……ありがと……」
ぐったりとする彼を見て、ルウナは少し安堵する。
当然、あれが彼の本性ではないことを理解していたが、やはり多少の怖さを感じていた彼女にとって、今の彼の姿は何よりの癒しだった。
「はい、どうぞ」
「ん……はぁ……美味い……」
コーヒーを飲む彼をぼーっと見つめながら、ルウナはさっきまでのことを振り返る。
そして、意を決して口を開いた。
「ウォードさん……ごめんなさい」
「……何が?」
チラリとこちらを見る彼の視線に、ルウナは思わず目を逸らす。
彼の"なんとかしてやりたい"という必死な姿を見たことにより、すでに先ほど感じていた胸のもやもやの大部分は消えていたが、どう話をしたらいいのかが分からず、結局彼女は悩んだ末に、
「えと……き、嫌われ役……大変でしたよね。それを押し付けてしまったので……」
と、そう言うにとどめた。
ウォードは少し考えた後、彼女から視線を外して天井を見上げる。
「……まぁな。もともと柄じゃねぇんだが、あいつらに危機感を持たせるにはああでもしないとよ……それに───」
「それに?」
何かを言い淀み、コーヒーを口にするウォードに、ルウナもカップに口をつけながらそう尋ねる。
そして、彼は恥ずかしそうに頭を掻いた後、
「…………ルウナのためだからな。最終的には。だから別に……どうってこたぁねぇよ」
と、そう言って、今度は壁の本棚へと視線を移した。
「そ、そうですか……ありがとう……ございます……」
「ん……」
二人の間に気まずい空気が流れるが、それは先ほどとは少々意味合いの違うものであった。
明確に何を言うでもなく、確かに沈黙は続いたが、二人はどこか安堵した様子で、温かなコーヒーを同時に口へと運ぶのだった。
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翌朝。
ルウナたちは九時きっかりに、昨日と同じ彼らの練習場へと姿を現した。
すると───
「……お」
魔導騎士隊はフォルティを筆頭に、三十九名が綺麗に整列して彼らを待っており、足を肩幅ほどに広げ、両手を後ろで組んで背筋を伸ばし、ただ真っ直ぐと前を向いていた。
そして、彼ら二人が前に立つと、
「総員ッ! 敬礼ッ!」
フォルティの号令により、やはり地面がザッと削れる音とともに、全員が全く同じタイミングで敬礼を行う。
それを見て、ウォードがルウナに頷くと、彼女もまた頷き返し、彼は一歩前へと出た。
「……よし。では、本日より訓練を開始する。御前試合まで残り約一ヵ月……はっきり言って、今のお前たちでは一勝することすら出来ない。力の差があり過ぎるからな。そして、それは即ち……この隊の解散を意味する」
隊員たちの表情が、より一層険しさを増す。
それを観察しながら、ウォードはさらに言葉を続けた。
「お前たちが相手にするのは、王都騎士団各隊から選抜された精鋭部隊だ。つまり、お前たちがなりたくてもなれなかった存在、ということになる。それを超えることでしか、お前たちが望む未来は掴めない。意味は分かるな?」
「「「はいッ!!!」」」
この隊が解散となれば、彼らは間違いなく地方へと飛ばされ、二度と王都に戻ることはないだろう。
つまり、この王都で、リベルタス魔導騎士隊として生きたいのであれば、己の力で勝ち取る以外に道はない。
「では、始める前に……最後に一つ確認しておく。フォルティ隊長」
「はッ!」
名を呼ばれた彼女は、一歩前へと出て再度敬礼する。
「知っての通り、相手は騎士団と名がついてはいるものの、当然騎士以外の前衛職はもちろんのこと、魔導師や弓兵などの後衛職を含むあらゆる職種、またそれらを元にした様々な戦術を使ってくるだろう。だが、お前たちは魔導騎士のみ……それでいいん───」
「はいッ!」
分かってはいたが、あまりの即答ぶりに、ウォードは微かに笑みを浮かべる。
そして、それによって彼もまた覚悟を決めた。
「分かった……じゃ、こっから先は地獄になるぜ?」
ウォードは急に口調を元へと戻し、ニヤリと嫌な笑みを浮かべる。
その様子に、フォルティを始め、全員が思わずごくりと唾を飲み込んだ。
「よし、時間が無駄になっちまうから、逃げ出すなら今にしてくれ。で、フォルティ隊長のように、魔導騎士として戦いたい奴だけが残れ。じゃ、今から一分待つから、その間に決めろ」
ウォードは腕を組み、指をトントンと二の腕に当てながら時間を数える。
その間、誰一人として微動だにせず、全員がただ真っ直ぐに彼を見つめていた。
「……一分だ。まぁ、お前らの覚悟はよく分かった。しかし、魔導騎士の何がそんなにいいのかねぇ……そっちはよく分からねぇが、俺が教えられるだけは教えてやる。死ぬ気でついてこい。分かったな?」
「「「はいッ!」」」
そうして、彼らの地獄の日々が幕を開けた。
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「はぁッ……はぁッ……!」
「ほーれ、頑張れ頑張れー」
アルタイル城から出発した魔導騎士隊は、ウォードを先頭に隊列を組み、街の北門を目指して走っていた。
王都アルタイルは街が円形に作られており、その面積は約一千平方キロメートル。
アルタイル城は街の中心にあるため、北門までの道のりはおよそ十八キロである。
「どうしたー? まだ半分だぞー?」
息すら切らさず、平然と走り続けるウォードに対し、隊員たちはすでに息も絶え絶えで、それに応える余裕すらなかった。
というのも、彼らは皆、戦闘時に着用する鎧を身につけ、剣や槍といった各々が使う武器も装備したまま、約九キロを一時間ほどで走っていた。
これは軽装でもそれなりに速いペースであり、彼らがそうなるのも無理はない。
ちなみに、ルウナは浮遊魔術を使用し、ウォードの隣を飛びながら、心配そうな表情で彼らを見つめていた。
そうして、アルタイル城出発から約二時間後、正午前に北門へと到着した隊員たちは、その近くにあった空き地に倒れ込むと、地面に大の字になって荒い呼吸を繰り返し始めた。
「し、死ぬっ……」
「もっ…………動けな……」
「やばすぎ……やばすぎだろっ…………」
次々と弱音を吐く彼らに対し───
「二時間か……だいぶ遅いな」
やはり全く息を切らさず、ウォードはそう言いながら、ルウナから貰った懐中時計で時間を見ていた。
そして、そんな彼を嬉しそうに見つめながら、ルウナは彼から貰った腕時計を撫でていた。
「はぁ……はぁ……ヴァ、ヴァン殿……この後は?」
ほとんどの隊員が寝転ぶ中、さすがに肩で息をしてはいたものの、フォルティとペトラだけは立ったまま彼の指示を待っていた。
ちなみに、ロドスはメガネを曇らせたまま、死にそうな顔で倒れている。
「そりゃ帰って飯だろ。あと五分で出発な」
「ごっ……!?」
「五分っすか!?」
「当たり前だろ。急がねぇと真っ暗になっちまう。まだまだやることがあるんだからよ」
「や、やることってなんすか……?」
「ん? ふふふ……」
ウォードは笑うだけで、何も語らなかった。
彼女たちはここでようやく、自分たちが地獄の中にいることを悟る。
「おう、野郎ども。まだ余裕ありそうなのはねーちゃん二人だけだぞ? ったく、情けないと思わねぇのか? じゃ、あと四分で出発な」
「「「……ッ!」」」
声にならない悲鳴が上がる。
しかし、彼に慈悲はない。
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再び二時間後。
いつもの練習場へと辿り着いた彼らは、やはり崩れ落ちるように倒れ、誰一人喋ることなく、まるで死んだように地面へと突っ伏していた。
「はぁッ……はぁッ……!」
「さ、さすがに……きちーっす……」
フォルティとペトラもさすがに堪えたのか、地面に座り込んで荒い呼吸を繰り返す。
と、そんな二人に───
「は、はい……これを……」
「……へっ?」
「な、なんすかこれ……」
ルウナは非常に申し訳なさそうに、二人それぞれに大きな箱を手渡す。
二人がよく分からないままにそれを受け取ると、今度は倒れている彼ら一人ひとりにそれを配って回り始めた。
「く、配り終わりました……」
「ん、ありがとよ。聞けお前ら! 今日の昼飯は、ご主人特製スタミナ爆乗せ弁当だッ! 残さず食え! いいな!?」
「「「は、はい……」」」
最後の力を振り絞ったかのような声を上げた後、彼らはなんとか起き上がり、震える手でその箱を開ける。
「うッ!?」
「う、美味そう……だけどッ……」
「に、肉の塊……茶色一色だ……」
それは、ぎっちりと箱の底に敷き詰められたライスの上に、大量の肉がこれでもかと乗った、まさにカロリーの暴力であった。
その重量は、約二キロである。
「牛! 豚! 鳥! 最強の三色弁当だ! ほれ、さっさと食え! 三十分後に出発するぞ!」
誰も何も言えず、全員が絶望の表情を浮かべていた。
しかし、やがて一人が食べ始めると、さらに一人、もう一人と増えていき、数分後には全員が必死になって弁当に食らいつく。
その様子を満足そうに見つめていたウォードは───
「あ、ちなみに、残したり吐いたりした奴は……とっても酷いことになるからな。気をつけろよ?」
彼らは泣いていた。
しかし、その手を止めることは決してなかった。
"自分たちを拾ってくれたフォルティ隊長のために、強くなりたい、強くならねばならない"。
ただその一心で、彼らは弁当に食らいつく。
と、その時───
「おい、何やってんだ……負け犬ども」




