第30話:私見
ルシフェルはそれに頷くと、再び口を開く。
「確かに、二人が親しくしていたという目撃情報も多い。とはいえ、それはあくまでも噂程度の話……実際のところは、その二人にしか分からない。私は当時、前宰相であったクェーサー様の補佐官をしていたが、王女様の婚姻に関する話題は一度も聞いたことがなかった」
ルシフェルは一呼吸置き、グレイスへ視線を向けた。
「陛下は一人娘である彼女に、いずれは王位を継いでほしいと思われていたようだが、彼女はそれを自身の活動を優先するために固辞していたと聞く。陛下主導の見合い話などについても、彼女の性格を考えれば同様だろう」
つまり、仮に二人が恋仲であったとしても、政略結婚などで別れなければならないということはなく、特に二人の仲に問題がなければ、それを続けられる状況にあったということになる。
別れざるを得ない状況に悲観して、という話でなければ、単純な痴話喧嘩から殺意が芽生えて、ということになるのだろうが、どちらにせよ世界を救った大英雄がそんなことをするのだろうかと、グレイスは疑問符を浮かべた。
「なるほど……あの、ちなみにルシフェル様は、彼と直接話されたことはあるのですか?」
「いや、直接はない。だが、彼が陛下やクェーサー様と話しているのは聞いていた」
「……一つ、確認させてください。ルシフェル様から見た彼は、そんなことをしでかしかねない人物だったのでしょうか……?」
その問いに、ルシフェルは目をつぶった。
そして───
「……はっきり言おう。私には、そう見えなかった」
そう言って目を開き、彼女を見た。
「そ、そうですか……」
「ああ。彼は、言葉遣いこそ乱暴ではあったが、聡明で、誠実で、慈愛に溢れた青年だった。だからこそ、私は考え続けたのだ。王女様を殺害したのは……はたして本当に彼だったのかと」
「う、うーん……」
グレイスは分からなくなっていた。
今までなんの疑問も持たなかったそれが、間違っていたのかもしれないという状況に、頭がついていかなくなっていたのだ。
しかし、考えれば考えるだけ、彼にはそんなことをする動機がないという結論に至ってしまう。
ルシフェルは、そんな彼女の頭の中を正確に読み取っていた。
「君が悩むのも無理はない。状況、物証、そして複数の目撃証言……彼に不利な材料が、動機以外全て完璧に揃っていた。故に、当時の私も納得せざるを得なかったのだ。そして彼も姿をくらまし、反論する人間もいないとなれば、結果はもう……言うまでもない」
「そうなりますよね……しかし、逃げたということは、自身がやったということをやはり認めて───」
「そこなのだ」
ルシフェルは前を向いたまま、右隣に立っていたグレイスに人差し指の先を向けた。
「えっ? な、何がでしょうか?」
「何故、彼は逃げたのだろうか」
「そ、それは、捕まりたくないからでは……?」
「では聞くが、誰が彼を捕らえられるのだ?」
「あ、いやっ、それはそうですが……つ、罪の意識とかで大人しく……ん? あ、逃げてるから……あれ?」
「いいかね……彼はやっていようがいまいが、逃げる必要などなかったのだ。何故なら、誰にも彼を捕えることなど出来はしないのだから。しかし、彼はいなくなった……何故だと思うかね?」
「えぇっと……こ、怖くなったから……とか?」
それを聞いたルシフェルは、腕を組んで天井を見上げる。
グレイスは、何かまずいことを言ったかと思い、左足にかけていた重心を右へと移した。
「……ちなみに、君は事件発生時の状況についてはどこまで知っている?」
「も、申し訳ありません……なにぶん昔の話ですので詳しくは……」
彼はグレイスに対して少し驚いた表情を浮かべた後、再び前を向きながら一人頷く。
「なるほど……そうか……それもそうではある……結局、正しく伝わることの方が少ないのが世の常か。では、事件発生時の話をしよう。まず───」
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事件が起きたのは今から十三年前。
魔族の侵攻から五年が経った頃であった。
王女はいつも昼食後に、侍女を引き連れて城の中庭へ散策に行くことが習慣となっていた。
この日も三人の侍女とともに、まるで緑の絨毯のように美しく生い茂った芝生の中央に設置された、ガゼボと呼ばれる屋根付きで円柱状の休憩所から、綺麗に整備された自慢の中庭を眺めていた。
その時、景色を楽しみながら、食後のティーブレイクに舌鼓を打っていた彼女たちの前に、突然ウォードが空から現れる。
予期せぬ来訪に驚きつつも、王女が彼を迎え入れようと立ち上がり、彼の前に立ったその直後───
ウォードの右手が、王女の心臓を貫いた。
王女はそのまま倒れ、呆然とする侍女を置き去りにし、ウォードは再び空へと消えていった。
その後、彼が住んでいた部屋へ兵士たちが突入するも、すでにそこはもぬけの殻となっており、部屋には血を拭った際に使用したと思われる、真っ赤に染まった手拭いや、犯行時に着用していたとされる返り血の付いた服が脱ぎ捨てられていた。
そして、それ以降彼は姿を完全にくらまし、今日に至るまで誰も彼の姿を見た者はいない。
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「───これが、事件のあらましだ。さて、改めて聞こう。彼が逃げたのは……何故だと思う?」
「…………分かりません」
グレイスは、本当に分からなくなっていた。
彼は明確な殺意を持って現れ、殺害してすぐに消えている。
自身が言った"怖くなったから"という理由は、その状況からしてあり得ない。
「そう……分からないのだ。彼が平気で人を殺すような人間ならば、最初から逃げることなく全員そうすればいい。それだけの力が彼にはある。そもそも、目撃者を残していることも、証拠となる血の付いた物品を放置したこともおかしい。これではまるで、自分が犯人だと宣言しているようなものだ」
「…………誰かが彼に、罪を着せようとした」
ルシフェルは、再び彼女に人差し指を向けた。
「そう、それしかあり得ないのだよ。そして、これに関しては……動機もある」
「そ、それは、彼に罪を被せ、犯罪者に仕立て上げることで、得をする人物がいたということですか?」
「それだけではない。おそらく、その者にとっては……王女様も邪魔な存在だったのだ」
「え……」
グレイスは地面が揺れるような感覚を覚えていた。
その、ドス黒い闇に触れて。
「当時、魔族が完全に消えてから五年が経ち、世界は平和な状態へと戻っていた。そうなれば人は緩む……大きな困難を乗り超えた後だ。無理もないのかもしれない。そして、彼が邪魔になった。彼は平和な世界には、あまりにも過ぎた存在……彼は決してそうしないだろうが、やろうと思えば力によって全てを掌握出来ただろう。また、陛下とも親しく、そして王女様ともそんな噂が流れていた時期だ。それを画策した者はこう思った……このままでは、彼が王になりかねないと」
「あり得ますね……十分に」
「さらに、王女様が進められていた世界融和……これも気に入らなかった。つまり、どこの馬の骨ともしれぬ彼が王になることなど許せはしないし、他種族との共存など絶対にあり得ない……しかし、このままではそのどちらも実現してしまう。故に……両方に消えてもらうことにした」
「そんな……じゃあ彼は……」
「無論、これは単なる仮説に過ぎん。なんの証拠も裏付けもないただの推測……いや、妄想だよ。そもそも、王女様がいた中庭には、当然この部屋のように幾重にも結界が張られており、侵入自体が困難だった。それも、彼の犯行を裏付けるものとして扱われ……いや、この辺にしておこう。だが、最後にもう一つだけ、私見を述べてもよいかね?」
「は、はい。もちろんです」
「本物の彼は、偽物の犯行時に一人で行動していたと考えられる。それは、様々な角度から捜査をした結果、誰も彼の無実を証明出来る人間が現れなかったからだ。つまり、彼にはアリバイがなかったということになる。本物の彼がどうやって事件を知ったのかは分からないが、とにかく彼は王女様が"自分"に殺害されたという話を聞き、嵌められたことを瞬時に理解した。そして、自身にアリバイがなく、もはやどうすることも出来ないことを悟ったのだろう……そして、こう考えた。仮に弁明しに戻ったとしても、ろくに話を聞いてもらえず、戦闘になる可能性すらあると。そうなれば、無駄な血が流れるかもしれない……彼はそう思い、自ら身を引いた。いつか、無実を証明するその時が来るまで……」
そう話し終えた後、ルシフェルは天井を見上げた。
グレイスにはそれが、大罪人となった英雄のことを、心から慮っているように見えた。
「グレイス君……改めて言っておくが、これは君と私だけの話にしてくれ」
「……承知しております。当然、墓場まで持っていくつもりです……場合によっては」
そこで目を見合わせた二人は、互いに笑みを浮かべる。
「ルシフェル様、コーヒーは?」
「ん、いただこう。さて、仕事に戻るとしようか。次の案件は?」
「まずは、本年度の予算修正案に関し、財政課から要望があるとのことでお会いしたいと……また、アルシャイン魔術学院からも例の件でお話しが来ております。さらに、宮廷魔導師の方々からいろいろとありまして……えー、錬成卿から個人的にお話ししたいことがあるということと、輪廻卿からも別件で……また、紋章卿からは何やらご提案したいことがあると───」
「……分かった。全て順に対応する。まったく……頭の痛いことばかりだ」
「ふふっ……あ、失礼いたしました。では、順にお繋ぎいたします」
「ああ……」
ルシフェルは窓から外を眺める。
すでに日は傾き始め、街は黄金色に染まりつつあった。
このどこかに、大罪人の英雄がいる。
ルシフェルはその意味を考えつつ、今日も頭を悩ます案件たちへと向き合うことにした。
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「う~ん……」
「もぉ……大丈夫ですか?」
休日から一夜明け、私たちはいつものように自室で同じ時を過ごしていた。
あの後、バルガスさんの酒場に顔を出すと、たまたま来ていたアキームさん率いる傭兵ギルド、"鉄鎖の猛牛"の方々と再会。
あの時のお礼をすると、アキームさんは"あんなもんは傭兵ギルドにいる連中は誰でも知ってるから気にしないでくれ "と、そう言ってくれた。
ゆっくり食事をしながらバルガスさんたちと話をするつもりだったのだけれど、顔見知りとの再会に、ウォードさんは楽しくなってしまったのか、いつもよりずっと陽気になり、浴びるようにお酒を飲んでいた。
その結果が───
「…………頭いてぇ」
「二日酔いですね。完全に」
お酒を飲んだことのない私にはよく分からないが、どうやらかなり辛いらしい。
彼は朝から今までずっと、うんうんと唸り続けていた。
そんな彼を尻目に、私は自分の研究を進める。
「……ぞれ、何やっでんの?」
「はい? あ、これですか? 新しい魔道具を作ってるんですよ。まだ仮ですけどね」
私は自分の一番やりたかった、誰かの助けとなる魔術や魔道具の研究開発を専門とすることに決め、賢人会以降、手の空いた時間で様々な実験や制作を繰り返していた。
私の理想は、魔導師ではない人が、もっと身近に魔術を感じ、日常生活にそれを役立てられること。
そのためには、いったん魔道具という形がベストだと判断したのだ。
「……ただの蝋燭にしか見えねぇけど?」
「ふふ……さぁ、それはどう───」
その時、ノックの音が聞こえてきた。




