第29話:何故
「……それは、あり得ないな」
「えっ? いや、ですが───」
ルシフェルはひと睨みで彼を黙らせると、腕を組んで目をつぶった。
「……私は数百年前の、過去の記録を何度も読み返した。残念ながら、厄災がどういったもので、どう対象したのか……それに対する解は一切見つからなかった。だが、そもそもヒントだけは、最初からその一文に記されていたのだ」
「ど、どういう……?」
「"大いなる厄災を超えし時、魔法は再び発動した"……何故この一文だけが、後世に伝えられることを許されたのか? それを考えれば、自ずと答えは出る。至極簡単な理屈だ……要するにこれは、試練なのだよ」
「試練……ですか?」
「そう……戒律が絶対で、不可逆的なものであるならば、すでに数百年前の時点で、あの円卓はもはや意味をなさないただの机となっていたはずだ。しかし、そうはならなかった。つまり厄災とは、その魔法を遺した"最初の十三人"が、後世のミスに対する温情として設置した……救済機能ということだ」
憲兵課の三人は、思わず顔を見合わせる。
ルシフェルはそんな彼らに合わせて一呼吸置き、再びゆっくりと口を開いた。
「おそらく戒律とは、絶大な効力を持つ円卓の魔法を発動するために、どうしても組み込まなければならなかった制約だったのだろう。要するに、戒律を破れば魔法が消えるという設定にするしかなかったのだ。そこで、子孫の、そしてアルタイルの繁栄を心から願っていた彼らは、もしもの時の最後の砦として、厄災という名の試練を魔法に組み込んだ。それを乗り越えることが出来れば、魔法が再び発動するようにとな。つまり、厄災には必ず攻略法が存在するということだ。そうでなければ、そんな措置を講ずる意味がない。逆に言えば、絶対に不可能なことを押し付けたりはしない、ということになる……意味は、分かるかね?」
三人は同時にハッとした表情を浮かべる。
そう。
絶対に不可能なことが起きないとするならば───
「もし仮に、あの男が円卓の定める厄災だとしたら……我々はすでに詰んでいる」
ウォード=ヴォルニクス=ヴァンデンハート。
かつて世界を救った最強の大英雄。
今や大罪人となり、世界中から追われる存在となった彼ではあるが、当時その姿を見たことがある者は、いまだに誰もが口を揃えてこう言った。
"あの男に敵う者など、未来永劫存在しない"と。
「魔族との大戦からはや十八年……その間に、世界は大きく進歩した。それは全て、魔族によって蹂躙された者たちが、二度とそうならないようにと強く願ったからだと私は思う。それを示すように、以前よりも高度で強力な魔術がいくつも生みだされ、それに伴う新たな戦術や、錬金術、結界術、呪術なども、より高水準なものが次々と開発されている。また、我が国にも、そして他国、他種族においても、新たに英雄と呼べる者たちが続々と名乗りをあげ、世はまさに新たな時代を迎えつつあるのだ。しかし───」
ルシフェルは背もたれにから身体を起こし、再び指を組んで口元に当てる。
「それでも……それでもあの男には誰も勝てないだろう。君たちは、"最強"という言葉について考えたことはあるかね?」
問われた三人は、それぞれに考え始める。
最も強いと書いて、"最強"。
よく使われる言葉であるが、はたして本当の意味で正しく使えている者はいるのだろうかと、改めて聞かれた彼らはそう思った。
子供の頃の遊びで、仲間内でのやんちゃで、仕事場での戯れで、いつも軽々しく使われるその言葉。
だが、書いて字の如く、真の意味でそれに相応しい人物とは、この世界においてたった一人しか存在しないのである。
「やつは最強なのだ。あれは、我々とは違う世界を生きる存在……触れてはならぬ禁忌と言っても過言ではない。世界を滅亡させかけた魔族を、あれはほぼ一人で捩じ伏せたのだ。同じ言葉を繰り返すが、私の言っているその意味が……分かるかね?」
三人は同時に唾を飲む。
ルシフェルはこう言っているのだ。
"あれがその気になれば、世界を滅亡させることなど造作もない"、と。
「数も、戦略も、奇策も……やつの前ではなんの意味も持たない。つまり、我々にはどうすることも出来ないというわけだ。それ故に、あれは厄災にはなり得ない……以上だ。理解したかね?」
「よ、よく……分かりました……」
「よろしい。調査をするのも、追跡をするのも君たちの好きにしたまえ。無論、私とて……亡き王女様の仇を討ちたいと考えている一人だ。必要なことがあれば協力しよう」
「りょ、了解しました……課長とも相談し、今後の方針を固めます」
「うむ。それともう一つ、一応聞いておくが、その倒れていたという六人の闇ギルド構成員、彼らの犯罪歴は?」
「あ、はい……調べましたところ、もう何度も犯罪を繰り返しているようで、どいつもこいつも前科持ちばかりでした。念のため拘束はしておりますが、今回の件では単なる被害者として扱うことに……」
「……そうか。では、"オカブ"にいれておけ」
「あっ! 確かにそれならば……すぐに手配を」
正式名称、国立オカブ重度医療機関。
王都の外れにあるオカブと呼ばれる地区にあり、日常生活を送ることが難しい者たちを受け入れて治療を行っている、国が運営をしている病院である。
その中には、訳ありの入院者も多く存在していた。
「うむ。私の名を使ってもらっても構わない。では、他になければ下がりたまえ」
「はっ……失礼いたします」
三人が部屋を去り、ルシフェルは再び背もたれに身体を預けた。
そんな彼の前に、コーヒーが入ったカップがスッと差し出される。
「お疲れ様です。どうぞ、ルシフェル様」
「……ありがとう、グレイス君」
グレイス=ニルヴァーナ上級補佐官。三十歳。
現在審問会で処分を待っているミリアと同じく、ルシフェルの弟子の一人であり、彼にとっては秘書のような存在である。
彼女は少々過激な思考を持つミリアとは違い、あまり自身の思想を面には出さず、あくまで客観的に物事を判断することが出来る人物であった。
ルシフェルは、自身と非常に近い考えを持つ彼女を信頼しており、彼女もまた、あり得ない量の激務をこなす彼を尊敬、そして心配しつつも、少しでも力になるべく日々業務にあたっていた。
「彼女は……どうかね?」
「はい。まるで憑き物が落ちたように、静かに過ごしております。アークライト卿のご厚意もあり、処分もそう重くはないかと」
「そうか……私の親心が、アークライト卿はもとより、彼女をも苦しませてしまった。まだまだだな……私も」
彼がルウナとウォードの調査にミリアをつけたのは、当然サポート役としての意味合いが強かったのだが、その中には進捗の報告という役割も含まれていた。
また、彼はミリアの中にある行き過ぎた感情を察知しており、あえて彼女を二人に付けることで、何か良い影響を受けられないかと考えたのだが、結果は彼の望まぬ方向へと進み、そのことを彼はずっと悔やんでいたのであった。
「ルシフェル様……あまりご自身を責めないでください。あれはミリア自身の心の弱さ故に起きたこと……そもそも、それを申されるのであれば、姉弟子である私にも非があります」
ルシフェルは彼女の話を聞きながら、コーヒーを口に含む。
そして、カップから口を離した後、ふぅと一つ息を吐いた。
「……人は間違いを起こすものです。そして、同じことを繰り返すも、繰り返さないも、私は周りの環境によって左右されるものだと思っております。彼女が反省し、後悔しながら再び戻ったその時、我々が迷いを抱いていれば、それは彼女へと伝わります。そうなれば、またよくはない方向へと流れてしまうかもしれません。ですから、ルシフェル様は今まで通り、あなた様の信念のままに行動されればよろしいかと思います」
「…………そうだな。ありがとうグレイス君。君には、いつも助けられてばかりだ」
「ふふっ……当然です。私はあなた様の補佐官ですから。いつまでも側でお仕えし、あなた様のためにこの身を捧げるつもりです……あなた様が嫌だと言っても」
「フ……そうかね。ところで、君は先の話……どう感じている?」
「それは厄災と、あの男について……ですか?」
ルシフェルが頷くと、彼女は顎に手を当て、少し考えた後に口を開く。
「……タイミングは一致していますが、無関係だと私は思います。しかし、いったい何故今になって現れたのか……そこが引っかかりますね」
「そう、やつが消えてから十三年が経った。フッ……なんの因果か、十三年だ。何故今頃になって突然現れ、そしてわざわざ王都の中心で魔力を解放したのか、その理由をずっと思案していたのだが……まるで分からん。そしてそれは、やつが起こした事件についても同様だ」
「それはつまり、王女様の……ッ!?」
その時、突如ルシフェルが、二人の周囲を覆う円状の結界を展開したことに反応し、グレイスが辺りを警戒するように身構えるが、彼はそれを右手で制した。
「驚かせてすまない。どこで誰が聞いているか分からんからな……念のためだ」
「これは……防音結界でしたか。しかし、この部屋にもすでに……」
「確かに、この部屋には様々な結界が幾重にも張られている……おそらく安全だろう。だが、その隙間に入り込むのがプロだ。覚えておきたまえ」
「……留意します。失礼いたしました」
「いや……さて、これから私が言うことは、君にしか話さない。それを理解した上で……私の話を聞く気はあるかね?」
改めて念を押すルシフェルに、グレイスは無言のまま頷いた。
それを確認し、ルシフェルは残ったコーヒーを飲み干した後、ゆっくりと語り始める。
「私はずっと考えていた……あの男が、王女様を殺害したその理由を。ちなみに、君は何故だと思うかね?」
「……公式の見解では、個人的な恨みということになっております。私が知り得る内容では、それ以上の推察は出来かねます」
「うむ……実に君らしい回答だ。そして正しい回答でもある。そう、個人的な恨み……あまりにも広義であり、それが何を意味するのか、断定するのは極めて困難であると言えよう。だが、ここはあえて無理を承知で推察をする。例えば、彼女が推し進めていた世界融和……これが気に入らなかった。または、もっと些細なこと……彼女があの男を侮辱し、それに激昂して……などだな。他で言えば……そう、痴情のもつれ……」
ルシフェルは、そう言ってグレイスを見る。
彼女はやはり顎に手を当て、
「私も……聞いたことはあります。あの二人が……恋仲だったのではないかという、その噂を」
と、静かにそう言った。




