第24話:ファン
立ち上がったのは、樹梢卿ジェイであった。
蔓の杖を構えた彼は、静かな怒りを込めながら、
「……あのね、それは君が触れちゃいけないものなんだよ。ましてや土足で上に乗るなんて……絶対にやっちゃ駄目なことなんだ」
そう言って、さらに蔓を全身に這わせると、それは彼の指先にまでくるくると巻きついていき、リカルドは顔以外の全てが蔓で覆われてしまう。
「え……あ……ああッ!?」
ジェイの魔術により、身動きを完全に封じられた彼は、そこでようやく我へと帰る。
慌てて周りを見回すと、その顔色がみるみる青ざめていった。
「あ……ちがッ……わ、わたッ……私はッ……ス、スフィラ様ぁッ!! 違うんですこれはッ……!」
「……馬鹿が。宰相様よぉ、悪いが……後は任せるわ」
「承知した」
「ス、スフィ……ラ……様……?」
スフィラはそう言って立ち上がると、リカルドに一瞥もくれず、出口へ向かって歩き出した。
そして、ウォードの真横でその足をピタリと止める。
「おい犬っころ……てめー、名前は?」
「ヴァンだ」
「ヴァン……それからルウナ」
「は、はいっ!?」
「今回の件………………一つ、貸しにしといてくれや。じゃあな」
それだけを言い残し、蒼焔卿スフィラは部屋から出ていった。
そして、それに続いて他の宮廷魔導師たちも次々と部屋を後にし、会議室の中にはウォードとルウナ、ルシフェル、そしてジェイと、拘束されたまま放心状態となっているリカルドだけが残された。
「違う……わた、わたしは……なん……で………………」
その時スッと、リカルドは意識を失い、その後すぐに静かな寝息を立て始める。
「ひとまず寝かせておいたよ。危険な状態だしね」
「感謝する……樹梢卿」
「いえいえ。それにしても……まずいことになったね」
「……ああ」
二人は神妙な面持ちで、円卓をじっと見つめる。
その様子に、二人が不思議そうな顔をしていると───
「あ、そうだ……ルウナくん」
「えっ? は、はい?」
急に名を呼ばれたルウナが驚きながら返事をすると、ジェイはその背筋をピンと伸ばしながら、彼女の前へと立った。
そして、いつも浮かべている笑顔を消し、彼は真剣な表情を浮かべると、
「……まずは、謝罪をさせてほしい。本当にすまない」
そう言って、深く頭を下げた。
「あ、いやいやいや! ジェイ様どうか頭を……!」
ルウナに何度も懇願され、ジェイはようやく頭を上げる。
その顔はひどく落ち込んでおり、彼は後頭部をボリボリと掻きながら大きなため息をついた。
「いや、僕は本当に研究以外のことに無頓着でね……実は、君がそんなことになっていたことを、さっきの話で初めて知ったんだ」
「えっ!? し、知らなかったのかよ!?」
「う、うん……僕が手を挙げようとしたちょうどその時に彼が手を……あ、君はヴァンくんだったね? いやぁ、さっきは実に見事な論戦だったよ! 聞いていてワクワクするほど素晴らしかった! やっぱり、優秀な人には優秀な人が寄ってくるもんなんだねぇ」
「お、おう……じゃなくて! じゃあなんであんたは毎回毎回ご主人に仕事を……あ、ひょっとしてまさかあんた……!」
ジェイは、申し訳なさそうにこくりと頷く。
「もうあれから一年か……僕はね、ルウナくんのファンなんだよ」
「ファ、ファン……ですか?」
「そう……より正確に言えば、君の書く文章のファンかな。ほら、僕はよく、この論文の感想を書いてほしいとか、資料作りを依頼する時も、ここはどう思う? とか書いたりしてるだろ?」
ルウナは思い返す。
確かに、彼から振られる仕事には、そこかしこに走り書きで、"ここについて考察して"だったり、"僕はこう思うけど君はどう?"だったりと、そんな文言が多かったことを思い出した彼女は、ジェイに頷いて見せた。
「……宮廷魔導師に新人が加わった時の慣例でね。僕ら先輩魔導師は、新人に自分の研究を手伝わせることで、"僕らの仕事はこうだよ、君はどんな仕事をするの?" って挨拶をするんだ。だいたいはその一回きりで終わるんだけど、僕は君から返ってきたある文章に惚れてしまってね……つい、続けてしまった。今の今まで」
「私が書いた文章……あ、ユグドラシルのですか?」
「そう! 僕が研究論文の中で君に尋ねたのは、"世界樹ユグドラシルは、毎年ある決まった時期に花粉を放出するんだけど、それは何故だと思う?"ってものだった。この質問ね、研究者の中では、いまだにこれといった答えが出ていない謎の一つなんだよね。ユグドラシルはこの世界に一本しかないから、花粉を放出しても受粉する相手がいない。なのに、ユグドラシルは毎年必ず花粉を飛ばす……意味なんてないのに」
切なげな表情を浮かべ、ジェイはゆっくりと目を閉じる。
まるで、愛おしいものを想うように、そして慈しむように。
「で、それに対する君の返答はこうだ。"確かに、この世界にユグドラシルは一本しかありません。けれど、この世界とは違う、異世界にもユグドラシルが実はあって、この世界の彼は、異世界にいる彼女へ向けて花粉を飛ばしているのではないでしょうか。だからきっと、その花粉は次元の壁を超えて、その世界で花を咲かせるのだと思います"」
「ほー……ずいぶんとロマンチックな話じゃねぇか」
「ひひ……は、恥ずかしいです……」
「いや、感動したね……本当に。これね、何より面白いのが、この世界のユグドラシルは、花粉を放出してから一週間ほどで、実際に花を咲かせるんだ。今の通説では、それはあくまで自己受粉だということになってるけど、僕は違うと思う。だって、だったらわざわざ花粉を飛ばす必要なんかないじゃないか。自分の中で完結させちゃえばいいだろ? だから花粉が出る時期にシリウス島に行って、しっかり調査をしたいんだ……君の考察を、形にするためにね。ま、しばらくは無理そうだけど……たはは……」
「そうだったんですね……ありがとうございますジェイ様。とても……嬉しいです」
「うん……あ、違う違うそうじゃない! 僕は君に謝りたいんだ! 君のことを何も考えず、ただ僕のエゴに付き合わせてしまって本当にすまない……! 大変だったよねこの一年……僕は自分が恥ずかしい。君がそんな状況にあるなんて知らなくて……あー、本当にすまない……今後は、君に仕事を振るのは控えることにするよ。そしていつか、君自身の何かが出来た時、それを僕にも教えてほしい……どうかな?」
「ジェイ様……分かりました。その時は、よろしくお願いします!」
ルウナは深々と頭を下げる。
ジェイは、それを本当に嬉しそうな、そして優しい笑顔で見つめていた。
しかし、ルウナは顔を上げると、
「……でも、ジェイ様のお手伝いは、今後もさせていただきたいです」
そう、笑顔で彼にそうに言った。
「えっ……い、いやでも……」
「あ、もちろん……たまにでお願いします……へへ」
そう言って、悪戯っぽく笑うルウナに、ジェイは思わず吹き出してしまった。
「あははっ! うん……うん! そうするよ! 本当にありがとう……ルウナくん。あと、これだけは忘れないでいてほしい……僕は、君の味方だ。何かあれば力になるよ。是非、いつでも頼ってくれ」
「あ、ありがとうございますっ……そうします!」
「まぁ、序列九位の僕に出来ることは限られているし、戦闘能力もさほど高くないけどね……たはは……」
「いえいえそんなことは……!」
この時、ウォードは心の中で、"よく言うぜ"と一人呟いていた。
先ほど、リカルドの攻撃を指一本で防いだ際、彼は少々やり過ぎたかと思い、他の宮廷魔導師たちの様子を観察していたのだが、その時誰一人として、一切驚く様子がなかったことを確認している。
それはつまり、彼らにとってもこの程度のことは出来て当たり前なのだと、ウォードはそう受け取っていた。
要するに、ジェイの言う"戦闘能力もさほど高くない"という言葉は、全く当てにならないとうことである。
「……さて、それじゃ僕もそろそろ行くよ。今日は君たちと話せて本当によかった……また会おう」
「はいっ! こちらこそジェイ様とお話出来て……本当に嬉しかったです。またよろしくお願いします」
「またな」
「うん……それじゃ、ルシフェル様も」
「ああ。後のことは任せたまえ」
「ええ。では、また」
ジェイが部屋を後にし、ルウナはその背中を見送った後、実に嬉しそうな笑みを浮かべた。
ウォードもまた、その笑顔につられるように笑みをこぼすと、今度はルシフェルへと視線を向ける。
「結果的には……よかったか?」
「……そうだな。まぁ、私の想像とは違う形ではあったが、君のおかげで良い方向に進んだと言えるだろう。感謝する」
「ま、あんたが俺の意見を聞いてくれたおかげだよ。ただ、こいつにとっては……悪い結果になっちまったな」
蔓に巻かれたまま、床に転がされているリカルドは、ただ静かに眠り続けていた。
これから彼には、あまり良いとは言えない未来が待っている。
「城内での、特に本館における武力行為は、法律で固く禁じられている。それもまた問題ではあるのだが、それよりも重いことは……この円卓に触れたことだ」




