第2話:魔術
「え、えぇ……どうしよぉ……」
誰か人を呼んで……いやいや、私は宮廷魔導師だ。
こんなことでいちいち人なんか呼んでたら、また後で何を言われるか分かったものじゃない。
呼ぶにしたって、この人が無事かどうかを確認してからじゃないと───
「もっ……なぁんでっ……なんで私ばっか……こんな目に……やっと休めると思って帰ってきたのにぃ……」
空腹と疲労に加え、とんでもなく面倒な事態が私の心を容赦なくぶん殴る。
頭がぼーっとし、なんだかもう、全てがどうでもよくなってきた。
もう、このままここで寝───
「…………いやいやいやっ! だめだめだめっ! と、とにかく助けないと……病気とかで苦しんでいるのかもしれないし……よしっ!」
自分に喝を入れ、なんとかギリギリのところで立ち上がった私は、開けっぱなしになっていた、私の肩ほどの高さの門を通り、そのまま飛び石を優しく踏みながら、倒れている人へ少しずつ近づいていく。
その人は、フードをかぶった頭を玄関側へと向け、扉に縋りつくように手を伸ばしたまま、全く動く気配がない。
私は視線を切らないよう、慎重に足を進め、やっとの思いで玄関へと辿り着いた。
「…………息はしてる」
屈んでよく見ると、肩が上下に動いているのが分かる。
とりあえず、死んでなくてよかった。
「じゃ、ちょっと失礼して……」
そっと倒れてる人の肩に手を置く。
そうして、その人の身体に魔力を巡らせた。
「外傷……なし。病気も……これといって……」
今行っているのは、対象に魔力を流し、内部構造を把握する魔術。
魔導師であれば、誰でも出来る初歩の初歩だ。
「……ん? あれ? この人、ひょっとしてただの───」
「うっ……うぅ……」
その時、目を覚ましたのか、弱々しい呻き声が聞こえてくる。
魔力を流した時点ですでに分かってはいたが、やはりそれは男の人の声だった。
「あ、あのっ! だ、だ、だ、大丈夫で───」
「エ……エイー……ダ……?」
「…………えっ?」
今、エイーダって……言った?
こ、この人まさか……お姉さんの知り合い!?
「ちょっ……ちょっと! 大丈夫ですか!?」
男の人の肩を掴み、思いっきり揺すってみる。
しかし、なんの反応もない。
「ダメだ……また気を失ってるよぉ……あー、もう仕方ない……とりあえず中に入れよう」
知らない男の人なんて、本当なら絶対家に入れたくない。
でも、この人"エイーダ"って……お姉さんの名前を呼んでた。
エイーダ=フェルドー……私が憧れた、宮廷魔導師のお姉さんの名前を。
もしかしたら、同名の別人かもしれない。
けど、さすがにこのまま放っては───
「またちょっと失礼……んっ……」
再び魔力を男の人の身体へと流す。
今度使うのは浮遊魔術。
重さを魔力の力で相殺し、空中へ浮かべる魔術だ。
これはちょっと難しい。
「それにしても大きいなこの人……んと、百八十八センチか。私より四十センチも高いや」
ふわふわと浮かぶその人は、空中でもうつ伏せのまま寝息を立てている。
本当に……なんなんだろうこの人。
「ふぅ……ただいま」
鍵を開け、私はようやく帰宅を果たした。
ひとり暮らしなので、当然誰からも返事はない。
まぁ、今日は謎の人物が隣にいるから一人じゃないけれど。
「それにしても、いろいろあり過ぎだよもぉ……とりあえず、支度が出来るまでソファーで寝ててもらお」
指を鳴らすと、家中のランプが一斉に灯る。
明る過ぎず、暗過ぎずを実現した自信作だ。
まさか、私以外に初めて見る相手が、見知らぬ男の人になるとは夢にも思わなかったけれど。
「んしょ……」
靴を脱いでまっすぐ進み、曇りガラスのはめ込まれたドアを開けると、こちらもお気に入りの広いリビングキッチンが出迎えてくれた。
「よっ……と」
とりあえず、暖炉の前にある大きめのソファーに、その人を仰向けにして寝かせてみた。
さらに、暖炉に向かって指を振り、火を灯す。
ついでにいつも使ってる膝掛けを広げ、胸から下を覆うようにかけた。
「まぁ……ギリギリか。さて……あ、あのー、フードをとりますねぇ? いいですかぁ……?」
……返事はないけど仕方ない。
私はフードをつまみ、ひょいっとめくった。
「…………えっ!? ……う、うそ……この人っ……!」
それは、私の知っている顔だった。
別に知り合いというわけではない。
ただ私が一方的に知っているというだけの話。
そしてそれは、私だけではなく世界中の人が同じだった。
顔も、名前も、誰もがそれを知っている。
何故なら彼は、この世界で一番有名な人だから。
「ウォード=ヴォルニクス=ヴァンデンハート……!」
かつて、世界を救った大英雄。
そして今は、世界中から追われる大罪人───
「なんっ……いやでもエイーダさんの……えぇっ!? ど、どうしよう……どうしたら……」
頭が混乱し、上手く考えがまとまらない。
意味の分からない現状を受け止めるだけの力が、今の私には全くなかった。
おそらくこれは、疲労と空腹の───
「…………いや、いったん落ち着こう。うん……とにかくごはんを作ろう。話はそれから……」
深呼吸をしながら、足早にキッチンへと向かう。
とにかくごはんだ。
ごはんを食べてから考えよう。
ごはんは全てを解決してくれる。
「大丈夫……大丈夫……」
それに、この人にも……必要だから。
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「……けぷっ……ふぅ……美味しかった……」
やはりごはんは全てを解決する……おかげで、だいぶ頭が冴えてきた。
ひとまず、あの人を話が出来る程度には回復させよう。
もし本当に彼がエイーダさんの知り合いなら……何か事情があるのかもしれない。
「さて、まずは……」
ひょいと人差し指を動かし、棚にずらりと並んださまざまな色の小瓶の中から、私は青い小瓶を手繰り寄せた。
「フー……」
魔力を込めながら小瓶の蓋を開け、それをそのまま傾ける。
小瓶から流れた出た水色の液体を操作し、空中で球体を形作ると、それをゆっくりと男の人の口元へ運んだ。
「ゆっくり……ゆっくりね……」
少しずつ、男の人の口の中にそれを流し込む。
これは、私の調合した霊薬。
それなりにうまく調合出来たもので、体力と魔力を回復させる効果がある。
この人が倒れていた理由は、怪我でも病気でもなく、ただの栄養失調。ついでに言えば魔力切れ。それもすっからかんだった。
加えて、四月とはいえまだ夜は肌寒く、そのせいで身体も冷え切っていたから、暖炉の前に寝かせて温めておいた。
あのまま放っておいていたら、おそらく死んでいたと思う。
「んー、体重八十二キロか……体格の割に軽すぎるかも。全然食べてなかったみたいだね。まぁ、いろいろと大変なんだろうな……この人も」
そうして、だいたいコップ半分ほどのそれを飲まし終えると、多少顔色が良くなってきた。
「それにしても……」
綺麗な顔だ。
すごく整っているというかなんというか……。
記録によれば、確か三十八歳とかだったはずだけど、とてもそんなふうには見えない。
どう見てみても二十代前半……髪も真っ黒でツヤツヤしている。
襟足が長い……なんか、なんというか狼みたいな人だな……見た目と雰囲気が。
一方的に見慣れた顔だけど、こうして本物を見るとやっぱり───
「ん……」
「あっ……」
そんなことを考えていたその時、不意に男の人の目が開き、そのまま私と目が合った。
……綺麗な目だった。
髪と同じ真っ黒で、二重で切れ長で……まつ毛もすっごく綺麗に───
「……あんた、誰……だ?」
「へっ……あっ! え、えと……わたひ……んっ! わ、私はこの家の……」
彼はじっと私を見つめた後、不意に視線を外し、キョロキョロと周りを見回した。
「ここは……エイーダの……家じゃ……」
「あ、あの、エイーダさんって……?」
「この国で……宮廷魔導師をしてる……」
あ、やっぱり……。
この人は、エイーダさんの知り合いなんだ。
ってことは、ひょっとしてここって───
「あの、今ここには私が住んでまして……」
「そう……なのか……つか、俺はなんで……」
「あ、あなたは私の家の前で倒れてたんです。あの、一応聞きますけど、食事を最後にとったのはいつですか?」
「食事……いつ……だったっけな……覚えてねぇ……」
「そ、そうですか……あ、起き上がれます?」
「ん……んんっ!」
「わわっ……んしょ……!」
無理に起き上がろうとし、バランスを崩した彼を支え、なんとかソファーに座らせる。
やはり、かなり衰弱しているようだ。身体に力が全く入っていない。
でも、かなり筋肉質なのは触って分かった。
とんでもなく鍛えられた、戦うための身体だということも。
「わ、わりぃな……」
「い、いえいえ……あの、どうです? お腹空いてませんか?」
「あ、ああ……少し……」
少しか……まだ早いかな。
「まずはスープからにしましょう。多分、胃が受けつけないと思うので。ちょっと待っててくださいね」
「ああ……わ、わりぃ」
今のところ、悪い感じはしない。
でも、この人は大罪を犯して逃げた人だ……警戒しておかないと。
「ちょっと温めなきゃダメかな……」
昨日作ったベーコン入りの野菜スープ。
にんじん、玉ねぎ、セロリを大量に入れ、鶏の骨で出汁をとった自信作だ。
それを温め直し、具を入れないように気をつけながら、スープだけをマグカップへと注いだ。
「はい、どうぞ」
「お、おお……」
湯気が立つマグカップを両手で受け取った彼は、少し戸惑った様子を見せつつも、それをゆっくりと口に運ぶ。
そのままズズッと音を立てながらスープを口に含むと、彼は静かに目を閉じた。
そして、ごくりという気持ちのいい音が、深夜のリビングに響き渡る。
「……うめぇ」
小さく、噛み締めるように、彼はそう言った。
「へへ……そうですか……よかったです。あの、おかわりもありますから、もし欲しいようだったら言ってくださいねウォードさ───」
あっ……やば───
「……なんだ。やっぱり知ってたんじゃねぇか……俺のことを」




