第13話:詠唱
「うっ……いや、ちが……! だ、だから私っ……私は……!」
彼女から吹き出す大量の汗が、自身の行為を自ら肯定していた。
再び下を向いてワナワナと震え出した彼女だったが、不意に勢いよく顔を上げる。
その顔は、明らかに常軌を逸していた。
「わ、分かったぞ……お、お、おっ……お前らが私を嵌めたんだな!?」
瞳孔が開いた目をさらに限界まで開き、彼女は再び自身の無実を主張する。
そこに整合性や合理性はかけらもなく、もはやそれはただの言いがかりであり、被害妄想も甚だしいものであった。
「……はぁ? あんた何を言って───」
「だ、だって! そんな知り合いが都合よくいること自体がおかしいではないか!? わ、私があれだろう!? お前の主人を嫌っているから、こうなるように誘導したんだ! そうだ! そうに決まっている……だから私はッ! 悪くないッ!!」
論点をすり替え、全く意味不明な自己弁護を始めた彼女に、ウォードは呆れたようにため息をついた。
そんな中、彼女はさらに興奮しながら、顔を真っ赤にして言葉を続ける。
「そうだ……私は悪くないんだ……そ、そもそもお前が悪いんだルウナ=アークライトッ! お前のような落ちこぼれがッ……宮廷魔導師になったこと自体が間違いなのだ! わ、我が偉大なるアルタイルの……何故お前なんかが選ばれたんだ!? 田舎者で! ほぼ無名だったお前なんかがッ!! お前なんかより……お前みたいな小娘よりッ! よっぽど私の方が宮廷魔導師に相応し───」
「あー……あんたあれか。去年受けたんだな? 宮廷魔導師の試験を」
ピタリと、ミリアの言葉が止まる。
そして、凄まじい形相でウォードを睨みつけた。
しかし、彼は一切動じない。
「要するに、ご主人に対する嫉妬か。まぁ、それを否定はしねぇが……自分より年が上で、もっと有名な魔導師ならいざ知らず、たいして有名ってわけでもなく、はるかに年下で、しかも同性のご主人が受かっちまった。宰相さんの下で働いてたエリート中のエリートのあんたからすりゃあ、受け入れられない現実だったってわけだ」
「…………黙れ」
図星だった。
彼女は去年、初めて試験を受けている。
ルシフェルからは"まだ早い"と言われたが、人生で試験を受けられること自体がそう何度もあることではないと考えたミリアは、彼に黙って試験に臨み、その結果一次試験すら通過出来ずに不合格となっていた。
「だが、あんた気づいてんだろ? ご主人はアルタイルが選んだんだ。あんたが敬愛するアルタイルそのものが」
「黙れッ……!」
それも理解していた。
だからこそ、気に入らなくはあったが大人しくしていたのだ。
しかし、ルウナが起こした大事件と、その後の彼女を取り巻く環境が、ミリアが胸の奥にしまい込んでいた黒い感情を表へと引き摺り出してしまう。
そして今回、すぐ目の前に憎き嫉妬の対象が現れたことで、彼女の自制心のたがが外れてしまった。
しかし、彼女はそうすべきではなかったのだ。
彼女にはもっと他に、やるべきことがあったのだから。
「それにあんた……なんでご主人が選ばれたんだってさっきから何度も言ってるが、そうじゃねぇだろう。あんたが考えるべきは、なんでご主人が選ばれたかじゃなく、なんで 自分が選ばれなかったか、だろうが。あんた他責より、たまには自責した方がいいぜ? まぁ、その性格じゃ……無理かもしんねぇけどな」
「だっ……黙れぇぇぇえッ!!」
ミリアの震える手が、左の腰に下がっていた剣へとかけられる。
瞬間、ウォードはルウナとバルガスを抱え、後方へと跳んだ。
そして、彼女は剣を勢いよく引き抜くと、それを逆手に持ち、その柄の先端にはめ込まれた魔石へと魔力を込め始めた。
「獣人風情が……分かったような口をききおってッ!! もういい……お前たちには今ここで! この私自らが裁定を下してやるッ!」
「やれやれ……キレちまったか」
ウォードは二人を下ろすと、そのまま前に出ようとするが───
「……分かった。あんたに任せるよ……ご主人」
それを、ルウナが手で制していた。
そして、彼女はフードを外しながら、ミリアの前に立つ。
「ルウナ=アークライトッ……!」
「ハーミット上級補佐官……ごめんなさい」
彼女はそう言って頭を下げる。
それがまた、ミリアの逆鱗に触れた。
「お、お前はッ……宮廷魔導師がッ! 簡単に頭など下げるんじゃないッ!! そのお前の軽々しい言動がッ……どれだけその名を汚しているかを何故理解しない!? やはりお前は……不合格だッ!!!」
ミリアは魔石にさらなる魔力を込め、杖代わりの剣の切先をルウナへと向けた。
直後、赤く輝く円形の魔術陣が、その剣を中心に展開される。
「我が声に耳を傾けよッ……そして我が深層に触れよッ! 焦がれしその身を槍と化し、ただただ先を求めて侵攻せよッ!」
魔術詠唱。
それは、言葉に魔力を乗せて呪文を唱えることにより、より強力に世界へと干渉するための手段。
己の世界に内包された空想を現実にするため、あるいは世界の理とより深く繋がるため、古の魔導師たちが生み出したそれは、子々孫々連綿と受け継がれ続けてきた、まさに叡智の結晶そのものである。
そして杖とは、魔術の触媒となる物質、一般的には魔力が含まれる鉱石、通称"魔石"を棒状の何かに埋め込んだものを指し、己の中にある世界と外界を繋ぐための先導役として扱われる。
魔術詠唱と杖。
この二つが揃った時、魔導師の放つ魔術は、この世界とより強く結びつく。
「喰らうがいいッ……"激情の炎は鋭槍と化す"ッ!!」
そうして放たれたのは、巨大な炎の槍であった。
ルウナの身体を余裕で覆い尽くすほどのそれは、その凄まじい熱をもって周りの椅子や床を焼き焦がしながら、一気に彼女へと突き進み───
「………………は?」
ミリアが自信を持って放った渾身のその刃。
しかしそれは、ルウナの前で儚く、そしてただ静かに、まるで意味を失ったかのように霧散した。
「なっ……なに……を……何をしたッ!?」
彼女には分からなかった。
ルウナからは詠唱も聞こえず、そもそも彼女は杖すら持っていない。
何故防がれたのか、何をされたのか、彼女には何一つ、まるで分からなかったのだ。
しかし、その質問は───
「……それを問うということが何を意味するか、あなたは理解していますか?」
「な、なんだと……?」
「ハーミット上級補佐官……本当にごめんなさい。私が至らないばっかりに、あなたを苦しめてしまいました。こんなことまでさせて……私は心底自分が……恥ずかしいです……」
ルウナは人差し指を立てる。
そして、その指先に、赤く輝く小さな魔術陣が浮かび上がった。
「…………あっ……」
それを見たミリアは、何が起きたのかをようやく察する。
彼女の魔術は、消えてなどいなかった。
ただ単純に、ルウナがそれを抑え込んだだけだったのだ。
杖すら持たず、何も唱えず、まるで息をするかのように。
要するにそれは、二人の間にある圧倒的な実力差を表すものであった。
それを今になって理解したミリアの顔から、スッと険しさが消え、今度はそれが、悲しみで歪んだ。
「自身の魔術を見失う……それは、自分を見失っていることと同義です。残念ながらあなたは今、魔導師ではありません……魔導師とは、己の世界の表現者です。どうか今一度、己を見つめ直すことを……どうか……」
「う……うぅ……」
ミリアの手から、剣が溢れ落ちる。
そして、膝から崩れ落ちた彼女は床に両手をつき、今度は汗ではなく、ただその涙が、床を僅かに濡らすのだった。
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『私の弟子が世話をかけたな……アークライト卿』
「……いえ、原因は全て、私にありますので」
あの後、ハーミット上級補佐官はそのまま気を失うように倒れ、私はルシフェル様へ念話の魔術を使用してそれを報告。
すると、すぐにルシフェル様の部下の方が現れ、あっという間に彼女を回収して消えていった。
『いや、君のせいではない。これは、彼女を正しく導くことが出来なかった私の責任だ。後のことはこちらで処理をしておく……また、君が戻り次第、正式に謝罪をさせてもらいたい』
「あの……ルシフェル様」
『……何かね?』
「どうか……どうか寛大な処置をお願いします」
ハーミット上級補佐官がああなってしまったのは、私が宮廷魔導師として至らなかったせいだ。
確かに、やってしまったことはよくないことだけれど、でもまだ……やり直せるし、そうなってほしい。
『……君は、いや……検討しておこう』
「ありがとうございます……では、我々は引き続き調査を続けます」
『……分かった。もはや私に対する信も何もないかもしれないが、案内役が必要ならば人を送ろう……どうするかね?』
「あ、協力者が見つかったので問題ありません。お心遣い感謝します。それと、私はルシフェル様のことを尊敬しております。それは、この先も変わることはありません」
『そうか……では、アークライト卿。引き続き、よろしく頼む』
「はい。では……」
ルシフェル様……だいぶお声が弱々しくなっていたな。
あまり気になさらないでいただきたいが、おそらくそれは難しいだろう。
大事に育ててきた弟子の───
「話は終わったか?」
「あ、はい」
「じゃ、ちゃちゃっとやっちまってくれや」




