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(4)

 調査隊がセンティス町の廃屋で調査を始めて四日目。それは発見された。

 調査を始めてすぐに、廃屋から複数の大小様々な聖石が発見された。予想以上にこの場所は、何か特別な意味を持つ場所だったようだ。調査隊は廃屋に散らばった瓦礫を全て取り除くと、土を丁寧に掘り起こす発掘作業に取り掛かった。

 そして数日前、廃屋の床下と思われる場所に、頑丈な石板で出来た扉らしき物を見つけたのだ。

 土に埋もれ、固く埋まった石板をこじ開ける為、雇い上げの作業員が作業すること丸一日。ようやく扉が開いた。

 扉の先は、地下へと続く長い階段があったが、中は真っ暗。その先がどうなっているのか。入口からは確認出来ない。

 そこで、三人が先発隊を組んで地下へと降りてみることになった。

 先陣を切るのは、魔法研究室副長で今回の調査隊の隊長を務めるサイラスとジェイド、そしてサシャの三人だ。

 三人は、暗い足元をカンテラの明かりで照らしながら、ゆっくりと階段を進んだ。

 階段は、両側を石の壁に挟まれていて、人一人が通れるくらいの幅で真っすぐに下っている。かなり昔に作られたものと思われ、壁の石が崩落して散らばっていたり、階段の所々が崩れかけていたりして、慎重に進まなければならない。

 三人は足元を確認しながら歩を進め、時間をかけて階段を降り続けた。

(随分深い地下室ね。上の建物は普通の民家みたいだったけど…)

 サシャは、階段を進みながらそっと石の壁に触れてみる。ヒンヤリとした感触の石壁は、軽く触れただけでパラパラと小石が落ちてくる。表面は乾燥していて、地下室の空気は湿気を含んでいないようだ。

 長い長い階段を下り、ようやく地階に降り立った三人は、グルリと辺りをカンテラで照らして見た。

 暗がりの中、カンテラの明かりだけでは部屋の全貌を確認することはできない。しかし、高い天井のかなり広い空間であると思われた。

「かなり広いな……一体、何のためにこんな場所が…」

「不思議と空気は澄んでいるみたいね」

「ああ…、見ろ、あっちに何かある」

 ジェイドが明かりを照らした先、部屋の中央に何か大きな影が見て取れた。

 三人がそれに近づき、カンテラを持つ手を高く掲げる。すると、暗闇の中にその姿が浮かび上がった。

「これは……」

「何だ…これ!」

「嘘…、どうしてこんな所に?」

 深い地下室の暗がりの中、カンテラの明かりで照らし出されたそれを見上げて、皆、言葉を失った。

 そこにあったのは、トリアングロリミテの石碑。いや、それと同じ形状をした石碑だ。

 地面から上へと植物の蔦が絡み合って伸びたような形をしていて、根元の方は大木の幹ほどの太さがある。上に向かって捻れながら、細く伸びている。そして、石碑の上方に聖石と思われる大きな石がはめ込まれ、カンテラの光を受けてキラキラと輝いていた。

 神秘的な形状も重厚な光を放つ聖石もトリアングロ・リミテの石碑と全く同じに見える。

「どういうことだ? これは…トリアングロ・リミテと同じ石碑なのか…」

 サイラス副長が石碑を見上げながら、ゆっくりと前髪をかき上げた。 

「分からないな…そもそも、何の為にここにこんなものが…」

 ジェイドも眉を寄せ、唸るように言った。

「いったい何の目的で、これが作られたんだ?」

「そもそもトリアングロ・リミテの一部である可能性もあるぞ」

「この石碑も結界を作っているということか?」

「分からないが…あの聖石が機能しているか調べてみないと…」

「仮に本物だとしたら……、国を揺るがす大発見だ。調査の為にもっと資機材が必要だな」

 サイラス副長とジェイドが石碑を見上げながら議論を始める中、サシャは石碑の周囲をカンテラで照らしながらグルリと回る。

 地下室の空間には、この石碑以外は何もなく、ただ部屋の中央に石碑が建っているのみだ。

 見たところ石碑の大きさや使われている材質など、全てトリアングロ・リミテの石碑と同じに見える。違うところは、他の石碑に比べて非常に保存状態が良いことくらいか。

 サシャは、ゆっくりと歩きながら、ふと足元に目を留めた。

「サイラス副長! ジェイド先輩! ちょっと、ここを見てください!」

 サシャはカンテラの明かりで石碑の下の方を照らしながら指差した。

 そこには、不思議な形の紋章のような物が彫られていた。

(鳥の羽? それとも葉っぱの形を模したものかしら?)

 そして、この形は地下室入口の扉の石板にも彫られてあった。

 石板の方は劣化していたため、自然の風化で削れて出来た形だとサシャは思っていたが、こちらは明らかに人工的に彫られた物だ。

(気のせいかしら…。この形、どこかで見たことあるような…)

「この印は…、こんな物トリアングロ・リミテの石碑には無かったはずだ」

 ジェイドがサシャの肩越しに覗き込みながら、言った。

「入口の扉にも同じような印がありました」

 サシャの言葉にジェイドは目をパチクリとさせ、ニヤリと笑う。

「さすがサシャ! 君のその観察力は素晴らしいね。この印についても後で調べてみよう」

 ジェイドは目をキラキラさせ、ワクワクする気持ちが抑えきれない表情だ。本当にジェイドは、魔法研究が大好きなんだろう。

 そして、それは魔法研究オタクのサシャも同じ。

 今、こうやって志を同じくする者と興奮を分かち合える事に胸が一杯だ。心が弾んで、ジェイドのワクワクが、サシャの嬉しい気持ちを増幅させる。今回の調査隊に参加出来て、本当に幸せだ。

 サシャは思わずフフフッと笑みを漏らした。

「取り敢えず、今日の所は一旦撤収して研究所に報告だ」

 サイラス副長が早々に判断して二人に告げる。

「え〜〜」

 サシャは、もっと隅々まで見て回りたくて思わず不満の声を漏らした。

「どっちみち追加の資機材を要請しないと、こんな暗い場所での調査は困難だからな」

 サイラス副長の言うとおりだ。部屋を照らすのに十分な照明が欲しいし、石碑を調査するには足場を組む必要があるだろう。

 それに、これは国を揺るがすような重大発見だ。早く研究所に報告すべきだ。

 隣のジェイドを見ると、同じく残念そうな顔をしていたが、そこはさすがに先輩だ。サイラス副長の判断が適切と思っているのだろう。黙って大きく頷いた。

 三人は持ってきた魔道具の撮影機で石碑の写真を数枚撮影し、地下室から撤収した。

◇◇◇

 多くの笑い声やざわめきで賑わう大衆酒場。

 センティス町で一番大きな居酒屋とあって、広々とした店内のフロアには地元の商人や農夫、どこかの街から来ている旅人らしき人など、老若男女様々な人々でごった返している。

 あちこちから楽しそうな笑い声や、大きな声で語り合う声が聞こえてきて、テーブルの間を店の店員達が沢山のグラスや料理を持った皿を持って行き交っている。

 調査隊のメンバーは世紀の大発見を祝って、今夜この酒場に集まった。

 大発見の知らせは、すぐに王都の研究所へ届けられ、明日には必要な資機材が王都から持ち込まれることになっている。合わせて、石碑を守る護衛騎士も派遣されるのだとか。

 随分、大事になったもんだと思うけれど、それだけ王都でも大きな話題となっているようだ。

 どっちみち、1日2日は資機材の設置やら足場の建設やらで調査隊の出番はない。

 それならば、一足お先に歴史的大発見のお祝いを兼ねて皆で飲み明かそうということになったのだ。

 調査隊の面々は、既にかなりの酒が入っていて、皆、上機嫌で今回の発見について大声で議論を続けている。

「やっぱり、俺はね。トリアングロ・リミテのレプリカだと思いますね!」

「じゃあ、何であんな所に隠すように作ったんだ?」

「作った人が誰にも知られたくなかったとか?」

「やっぱりトリアングロ・リミテの建設者が住んでたって考えるのが妥当じゃねえか?」

「つまり…竜の使者ってこと?」

「でも、竜の使者は隣国のラナド王国の人なんだろ?」

「そんなの言い伝えだろ? 真実は分からんさ」

「おいおい、そんな事言ったらヨルミナ教会に睨まれるぞ」

 ヨルミナ教会とは竜を世界の守護神と崇め、トリアングロ・リミテを作ったとされる竜の使者を祖としている教会だ。

 我が国、キンドリル王国を始め周辺諸国の多くの人々は、ヨルミナ教を信仰している。キンドリル王国は思想に寛容な国なので、人々は宗教に関わらず自由な考え方をしているが、ヨルミナ教の総本山がある隣国ラナド王国では、かなり戒律が厳しいと聞く。教会の影響力は大きく、ヨルミナ教会の教皇はラナド王国の王家と並ぶ権力を持っている。

 トリアングロ・リミテの石碑は、ラナド王国にあるヨルミナ教会大神殿に一つ、我が国の東の国境沿の町に一つ、黒の森の北側奥深くに一つ建っていて、ヨルミナ教会大神殿の石碑には、取り分け大きな聖石がはめ込まれているのだ。

 このため、ヨルミナ教の教典では、竜の使者はラナド王国の人物であり、世界の平和を守っているトリアングロ・リミテは、ラナド王国を中心に作られたものだとされているのだ。  

「でぇ? あんたはどう思ってんのよ?」

 トロンとした目つきのアイリスが舌足らずにサシャに問いかける。

 いつの間にこんなに酔っ払ったのか。ちょっと飲み過ぎだ。でも酔っ払ったアイリスは、いつも以上に色気がダダ漏れで艶っぽい。

「どう思うって、あの石碑が何かってこと?」

 こんな色っぽい姿、男性が見たら皆イチコロよねっと思いながら、サシャはグラスを傾けた。

「違ぁぁっうっ!!」

 アイリスは、ガバッとサシャの肩に腕を回して顔を覗き込んでくる。

「あんたのお姫様のことよ!」

「お姫様って…カインのこと?」

「そぉよぉ〜、あんた、あのお姫様どぉするつもり?」

 アイリスの目が据わっている。

「どぉって言われても……そりゃぁ仲直りしたいよ。昔みたいにカインを可愛くして、撫で回して、愛で倒して…」

「違ぁぁぁぁぁうっ!!」

 完全にたちの悪い酔っぱらいのおっさんだ。

 アイリスはジットリとサシャを見つめた後、はぁぁぁっと大きなため息を吐いた。

 こんな酔っぱらいなのに、堪らなく色気があるのは何故だろう。サシャの腕に押し付けられた胸はたわわでフンワリと柔らかい。鼻の下を伸ばす男達の気持ちが良くわかる。やっぱり美人は得だなぁと羨ましく思う。

「あんたのお姫様がリリア王女殿下と結婚するのも時間の問題だよぉ。結婚はまだ先かもしれないけど、そろそろ婚約の話が出るんじゃなぁい? あんた、本当にそれでいいの?」

 アイリスの言葉にサシャは眉を下げて視線を落とした。

「いいも何も…私はカインに幸せになってほしいよ。嫌われているとは言え、幼い時はきょうだいみたいに過ごした仲だからね」

 そう言って手にしていた酒をグビグビと飲み干した。

 改めて現実を突きつけられて、何となく寂しい気持ちになる。

「ふ〜〜〜ん」

 アイリスはサシャの肩に回した腕を解放し、頬杖を付いてサシャを見つめた。

「それに、リリア王女殿下のお相手にカインほどふさわしい人はいないわ。侯爵家嫡男で、竜騎士で、頭脳明晰で、とびきりの美人よ! 女の子達の憧れを一身に集めてるんだから、王家も放っておく訳ないよね」

 サシャを見つめていたアイリスがフフンッと楽しそうに笑う。

「最近、その完璧な麗しの君にとんでも疑惑が浮上してるけどねぇ」

「えっ? 何それ?」

 コテンと首を傾げるサシャに、アイリスは目を細める。

「あんだけ王女殿下の側に居て、王女殿下から分かりやすい秋波を送られてんのに、未だに婚約に至らないのは、何か欠陥があるんじゃないかって」

「欠陥?!」

 カインに欠陥なんかある訳ないじゃないかと、サシャは眉をひそめた。

「まぁ、あれよ……はっきり言っちゃえば…男色なんじゃないかってね」

「はぁぁぁっ?!」

 思わず大きな声を上げ、持っていたグラスをドンッとテーブルに置いた。

「何を根拠にそんな噂…」

(確かにカインの美貌なら、男性から狙われてもおかしくないと思うけど!)

「お相手は、リューイ・ブロストンだって噂よ。今をときめくイケメン2人の秘めたる愛って、女の子達の喜びそうなネタじゃない?」

「はぁっ? 何それ?!」

 なんとも世間が喜びそうな、いい加減な噂だ。

(だって、いつもカインはリリア王女殿下に優しい眼差しを送っていて…)

 確かにカインとリューイは、いつも一緒にいて傍から見ても微笑ましいほど仲良くしている。でも、それは同級の学友で近衛騎士として一緒に切磋琢磨しているからであって、そんな邪な関係であるわけ…と想像して、サシャは考え込んだ。

 カインが王女殿下と一緒の時は、いつも隣にリューイが居る――。

「確かに……超絶美人の俺様カインと、筋肉質で男らしい容姿のくせに、ワンコな性格のリューイさん……あり、かもしれない……」

 真面目に考え込んでしまったサシャの反応に、キャハハハッとアイリスが声を上げて笑う。

「あんたが言うと洒落にならんわ! まあ、いいよ。あんたが傷つくかと思ってたんだけど、そんな感じなのね」

「当たり前でしょ。私はカインが幸せならそれでいいの。相手が王女殿下だろうとリューイさんだろうと関係ないわ。全力でカインを応援するつもりよ」

「ふ〜〜ん」

 頬杖を突き、含みのある笑みでアイリスは目を細めた。

「な…何よ、その顔!」

 サシャが抗議の目をアイリスに向けた時、突如、二人の間に誰かが割り込んで来た。

「なになに、二人とも静かじゃん。深刻な話?」

「ジェイド先輩!」

 楽しそうな笑みを浮かべたジェイドは、ほんのりと頬を赤く染めているが、さほど酔っ払ってはいないようだ。いつもと同じ、ひょうひょうとした態度だ。

「ちょぉっとジェイド先輩、女子トークに入ってこないでよ! ジャマジャマ、あっちで飲んでなさいよ」

 アイリスはヒラヒラと手を振って、ジェイドを追い払うようなそぶりをする。アイリスが顎で示した先からは、調査隊員達がワハハハッと大笑いする声が聞こえてきた。随分、出来上がっているようで、上半身裸になって踊っている隊員を他の隊員達が囃し立てている。

「ジャマって…酷いな。あいつら酔っ払い過ぎなんだよ。もう相手してらんないんだってば」

 ジェイドは二人の間に椅子を持って来て腰を落ち着かせると、店員に新しい酒を一杯注文し

た。

「ああっ、もう! せっかくサシャと恋バナしてたのに!!」

「アイリス、お前もだいぶ飲んでんな」

 ジェイドは苦笑いでアイリスの抗議をスルーする。

「サシャ、王都は大騒ぎだそうだぞ。まさか、お前の発見がこんなことになるなんてな!」

「本当です! でも、こんな場面に立ち会えるなんて幸せ過ぎ!! ホントに今回の調査隊に参加出来て良かった」

 へニャッと笑うサシャの栗色の頭を、ジェイドは目を細めながらワシャワシャと乱暴に撫でた。

「でも本当の調査はこれからだぞ」

 ニッコリと釘を刺すジェイドにサシャは元気よく敬礼のポーズを取る。

「ハイ! ジェイド先輩、ご指導お願いします!」

「ちょぉぉっとぉ〜、二人とも、仕事の話なんかやめやめ! 全く…これだから研究オタクどもは!」

 アイリスはジェイドの肩をバシバシと叩きながら文句を言う。

「痛いって。お前、マジ飲み過ぎ」

「ジェイド先輩、それより貴方、いい人いないのぉ? 黙ってりゃイケメンだから、宮廷の女の子達にモテモテの癖に、色恋に全く興味ありませんって顔して…。もしかして、ジェイド先輩もサシャのお姫様と一緒かしらぁ」

(ああ、駄目だこりゃ。アイリスの目が完全に据わってるわ)

 ジェイドの腕にガッツリと抱きつき、本格的にウザ絡みを始めたアイリスにサシャも苦笑いだ。

 少々酒癖の悪いアイリスがこうなってしまうと、あと2、3時間は彼女の酒につき合わされてしまう。

「ジェイド先輩、私ちょっと酔いが回ってきたみたいなんで、外の風に当たってきます。アイリスのこと、頼みますね」

 サシャはニッコリ笑って席を立つ。

 ジェイド先輩には悪いが、早めに退散させてもらおう。

「オイッ! コイツを俺に押し付けるつもりかぁ!?」

 ジェイドの恨めしそうな声を背後に聞きながら、扉を開けて外に出たサシャは、通りに出て思い切り新鮮な空気を吸った。

 ヒンヤリとした風が頬に触れ、すごく気持ちいい。思っていたより自分も酔ってしまってるのかもしれない。

 ふと目の前を見ると、街灯に照らされた静かな夜の街が美しい。古めかしいレンガ作りの建物が並ぶ狭い通りには、これまたレトロなガス灯が等間隔で並んでいて、幻想的に街並みの光景を浮かび上がらせている。

 時折、店の方から大きな笑い声が聞こえてくる他は、静寂が街を包み込んでいる。

 センティス町は小さな街だが、大きな通りは綺麗に整備されていて、目の前の通りを真っ直ぐ進むと川に突き当たる。川沿いには遊歩道があったはずだ。

(酔いを覚ましに、遊歩道まで歩いてみようかしら)

 そう思ってサシャは歩き出した。

 王都と違い人通りは疎らだ。皆、仕事帰りの様相で、足早に各々の目指す方向に去っていく。

 川沿いの遊歩道に着く手前、少し薄暗い路地の角に差し掛かった時、不意にサシャの行く手を阻むように、三人の若者が角からフラリと歩み出て声を掛けてきた。

「ねえ、彼女、君って王都から来てる調査隊の関係者?」

「眼鏡が似合ってて可愛いね。君みたいな若い女の子も来てるなんて驚きだな」

「俺達、今回の調査とか王都とか、興味があるんだよね。ねぇ、ちょっと一緒に話をしない?」

 軽薄そうな笑みを浮かべた男達に、気づけばグルリと取り囲まれてしまった。

 男達は20代前半くらいだろうか。裕福そうな服装で金のネックレスや指輪を身に着け、気取った話し方をしているが、所作は優雅さの欠片もなく、とうてい貴族とは思えない。

 それに襟や袖の隙間から、肌のタトゥーが覗いているのに気がついた。

 善良な若者の軽いナンパではなさそうだ。

(しまった! すっかり油断してた…)

 恐怖で身体が固まり、膝が小刻みに震えた。

『絶対に一人で行動しないように。夜の8時以降は宿から出るなよ』

 そう釘を刺すカインの言葉が蘇る。

 いつも口うるさく言うカインの言葉を軽んじてしまっていた。ドッと後悔が押し寄せる。

 サシャは、ジリっと後ずさりながら、ぎこち無い笑みを浮かべた。

「ごめんなさい。私、そろそろ戻らないと皆が心配しちゃうから」

「え〜、少しだけでいいからさ」

 男達が笑顔で更に一歩近づいて来た。

 完全に周囲を固められ、振り切って逃げれる隙間もない。

「あ…あの、調査に興味があるなら…昼間に現場に来てもらったら…教えてあげられるから…」

 震える声でなんとか逃れようとするサシャの言葉を無視して、目の前の男がグッとサシャの胸元に顔を寄せて来た。

「へぇ、君、真面目そうな顔してるけど、意外とおっぱい大きいね。いいね、このギャップ、堪らないな」

「今ここで、君のことをもっと教えてもらおうかな〜」

 男達がヒャッハハッと下品な笑い声をあげる。

 ニヤリと目の前の男がゲスな笑みを浮かべるのを見て、ゾクリと背筋が冷たくなった。

 ゆっくりと男の手が伸びて来る。

 サシャは反射的に踵を返し、駆け出そうとした。しかし、あっさりと後にいた男の腕がサシャの腹に回され捕らえられる。

「嫌っ!! 誰かっ…ふぐっ!」

 大声をあげようとした口元は手で塞がれた。

 バタバタと足をバタつかせて必死で暴れるサシャを男達が三人で押さえつけ、暗がりへ引きずり込もうとする。

 カチャンとサシャの眼鏡が地面に落ちた。

「こんな時間に一人で彷徨ってるなんて、お前も期待してたんだろ? 素直になれよ」

「そうそう、自業自得。何をされても文句は言えねえよなぁ」

 あんなにカインに釘を刺されていたのに…。浮かれて調子に乗って…なんて馬鹿なんだろう。

 瞳からジワリと涙が浮かぶ。

 不意に頭上を大きな影がよぎり、サシャは頭上を見上げた。

(ラナ!? ラナが来てくれた?)

 サシャが安堵の息を吐いた時、不意に背後から凛とした声が響いた。

「へぇ〜、じゃあ、女の子に三人がかりで襲いかかってるお前らも、何されても文句を言うなよ。自業自得だってな」

 驚いて振り向いた一人が突然、うめき声をあげて沈み込んだ。

「誰だっ!! 貴様!」

 そこに立っていたのはフードを深く被った黒いコートの男。顔は良く見えないが、かなり背が高く隙のない立ち姿だ。

「所構わず盛ってる豚野郎なんざ、みっともない。そんな〇ンポは要らねえな」

 黒コートの男は優雅に笑うと、倒れていた男の股間を目掛けて思い切り足を振り下ろした。

「うわぁぁぁぁぁ!!」

 ダンッという大きな音と共に、転がっていた男がもんどり打つ。

「おや? ちょっと狙いを外してしまったか?」

 黒コートの男は、ちょっとお茶でも零してしまったかのような軽い調子で肩を竦め、悠然と笑った。

「ふざけんな!!」

 いつの間にかナイフを取り出したもう一人の男が、黒コートの男に向かってナイフを振りかぶる。

 が、黒コートの男はアッサリと相手の腕を捻り上げナイフを奪い取ると、目にも留まらぬ速さでナイフを振った。

 同時にストンと男のズボンがずり落ち、男の下着からジワリと血が滲み出る。

「ぎゃぁぁぁっ!!」

 男は股間を押さえてその場に座り込む。

「おや、また少し外してしまったようだ。全く…キレの悪いナイフだな。切り落としてやろうと思ったのに」

 黒コートの男はナイフの刃を確認しながら、悠然と呟いた。そして、男がチラリと三人目の男を見た時には、三人目の男はガタガタと震えながら、失禁してしまっていた。

「ったく…汚ったねえな…。お前らの粗末なイチモツ潰したところで、俺の手が汚れるだけだな。目障りだ、俺の気が変わらない内にさっさと失せろ!」

 ギロリと黒コートの男が三人の男達を睨みつけると、男達は飛び上がって立ち上がる。

「「はいぃぃぃぃぃっ!!」」

 そして、つまずきながら先を競うように走り去って行った。 

(ひゃぁぁ……)

 あまりのエゲつない言葉に、サシャは助けられたにも関わらず、ドン引いて口をアングリと開けたままパチパチと瞬いた。

 さっきまでの恐怖も身体の震えもすっかり吹っ飛んで、この場をどう理解すれば良いか分からない。

(えっと……助けてくれた?…のよね…)

 黒コートの男は、男達の走り去った方を見て口汚く罵ると、振り向いてサシャの方に近づいて来た。

 サシャは思わず、ビクッと身体を揺らす。

「お嬢さん、大丈夫かい? ああ…怖がらせてしまったかな?」

 そう言って男は、被っていたフードをパサッと外した。

 現れたのは、銀色に近い明るい金髪に紫の瞳、大人の男性の色香を感じさせる美丈夫だ。20代後半くらいだろうか。フワリと微笑む姿は、後光が差しているかのようにキラキラと輝いて見えた。

 優雅な所作から明らかに貴族と思われた。

 こんな美しい男性なら、女性達が放っておく理由がなく、社交界の話題をさらっているだろうが、サシャは初めて見る顔だった。

(それに……さっきの下品な対応と汚い言葉…)

 そのギャップにサシャは思わず眉根を寄せた。

 普通の女の子なら、彼の美しい容姿にメロメロになるところだろうが、超絶イケメンのカインに慣れているサシャにとっては、不審感しか湧かない。

「ハハハハハッ!!」

 そんなサシャの反応を見て、男は声を上げて笑い出した。

「あ…あの…」

「女の子にそんな顔をされるのは初めてだな」

 男は笑いながら少し腰をかがめて、サシャの顔を覗き込んできた。

 アメジストのような紫の瞳が目の前に近づいてきて、思わず少し顔をのけぞらせてしまった。

 男は、楽しそうな笑みを浮かべて、更に顔を寄せて来た。

「へえ、金色がかった琥珀色。竜と同じ色だ。珍しい瞳だな」

 おもむろにサシャの顔に手が伸ばされる。

 驚いてギュッと目を瞑ったサシャの頬にヒヤリとした感触がした。

「あ…」

 気付けば、さっき落とした眼鏡が掛けられていた。ようやく、助けられた立場なのに失礼な態度を取ってしまっていた事に気付き、サシャは慌ててペコリと頭を下げた。

「あの…ありがとうございました。危ない所を助けていただいて…」

 男は屈んだまま、サシャの顔をジッと見ている。    

「どういたしまして、可愛いレディ。その眼鏡、瞳の色がボヤけて見えてしまうね。綺麗な色なのにもったいない…」

 突然、甘い顔で可愛いなんて言われ、更に焦ってしまう。

 そんなこと今まで誰にも言われたことない。単なる社交辞令だと分かっているのに顔が熱くなる。

「こ…これは、カイン…いえ友人が、軽くて着けやすいようにって特殊なレンズで作ってくれて…」

(いや、私、何をどうでもいいこと喋ってんの!)

 男性から、こんな風に甘い言葉を掛けられたことなどないサシャは、タジタジだ。

「そうじゃなくって…、本当にありがとうございました! 私はサシャ・ヴィクトールです。あの…良ければ、お名前を教えていただけますか?」

 男は一瞬、驚いたような表情をして、ニヤリと笑う。

「へぇ…。俺はラウル、ただのラウルだ」

 明らかに平民じゃないと思うのだが、ラウルは家名まで教える気はないようだ。そもそもフードで顔を隠していたし、お忍びで来ているどこかの高位貴族なのかもしれない。

「君は王都から来てる調査隊の子だろ? この町は比較的治安の良い街だが、夜中に一人で出歩くなんて危ないぞ」

「はい…すみません。ちょっと酔いを覚ますつもりだったんですが…。ご迷惑をおかけしてしまいました。後日、改めてお礼をさせてください」

 本当に軽率だった。浮かれてカインの警告を軽んじていた自分が恥ずかしい。

 シュンと小さくなるサシャにラウルはフワリと柔らかく微笑んだ。

 こんな顔だけ見ていれば、高貴さが滲み出ていて誠実そうな青年だ。さっきまでの下品な言動を見てなかったら、サシャもときめいていたかもしれない。

「そんなに恐縮することはないよ。礼なんて不要だ。可愛いレディを助けるのは、男にとっては役得だからね」

 ラウルは何でもないことのようにサラリと言う。随分、女性への対応にも慣れているようだ。

「でも…」

「その代わり…一つお願いを聞いてくれる?」

「はい! もちろんです」

 サシャはグッと両手で拳を作りながら、前のめりで答えた。

「今日、ここで会ったことは秘密にして欲しい。もし、またどこかで会うことがあっても知らん顔しておいてくれないか?」

 やっぱり彼はお忍び貴族なんだろう。本当は顔を見られるのも避けたかったのかもしれないが、サシャが怯えないように素顔を晒してくれた。きっと根はとても優しい人に違いない。

「はい、もちろんです。他に私に出来ることがあれば、何でも言ってくださいね」

 その後、ラウルは律儀にサシャの泊まっている宿まで送り届けてくれた。

 本当は、後日彼に何かお礼をさせてもらいたいところだったが、あまり深く彼のことを聞いても迷惑になりそうだ。また機会があれば、何かお礼をさせてもらおう、そう思ってサシャはラウルと別れた。

 宿の前でラウルを見送り、完全にその姿が見えなくなると、サシャは上空を見上げて声を掛けた。

「ラナ!」

 フワリとラナが静かに地上に舞い降りて来る。

 サシャがラナに駆け寄り、ギュッとラナの首を抱きしめると、ラナは気持ち良さそうにグルルルと喉を鳴らした。

「ラナ、来てくれてありがとう! 心配かけてゴメンね」

 ラナは安心させるように、サシャの身体に首をスリスリと擦り寄せてくる。

 サシャはラナの温もりを感じながら、ようやくホッと息を吐くことが出来たのだった


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