第4話:相合傘の勝利条件、右肩を濡らすのは誰だ?
予報通りの土砂降りだった。
放課後の昇降口。
俺は傘を忘れた自分を呪いながら、灰色の空を見上げていた。
「……計算通りね」
背後から、勝ち誇ったような声が響く。
振り返ると、そこには自分の身長よりも一回り大きい紺色の傘を携えた、勝呂みゆきが立っていた。
「航太、あなたの今日の降水確率予測は甘かった。そして傘を持たないという痛恨のミス。対して私は、この事態を完璧に予見し、予備の傘まで……と言いたいところだけど、あいにく一本しか持ってきていないわ」
「……嫌な予感がするんだけど」
「さあ、勝負よ。駅までの五百メートル、この一本の傘を共有する『相合傘』において、いかに自分を濡らさず、かつ歩行の主導権を握るか。それが今回の勝利条件よ!」
結局、俺たちは一つの傘の下に肩を並べて歩き出した。
みゆきは傘の柄を握り、真剣な面持ちで前方を凝視している。
「いい、航太。物理学的に見て、傘の中心にいる者が最も濡れない。つまり、私がいかにセンターを維持しつつ、あなたを外側に追いやるか……それが私のロジックよ」
「それ、ただのいじめだろ。っていうか、お前、さっきから傘が左に寄りすぎなんだよ」
みゆきは俺が濡れないようにと、無意識に傘を俺の方へ傾けている。
そのせいで、彼女の右肩はすでに雨粒で色を変え始めていた。
「な、何を言っているの! これはあなたの歩行ラインを制限するための戦略的配置よ!」
「嘘をつけ。右肩、びしょ濡れじゃないか。……ほら、もっとこっちに寄れよ」
俺はみゆきの肩を引き寄せ、強引に傘を中央に戻した。
その瞬間、彼女の体がビクッと跳ねる。
「……っ!? な、何をするのよ! 今の接触はルール違反よ!」
「ルールなんて知らないって。ほら、お前が風邪引いたら、明日の勝負が成立しないだろ」
「……!」
みゆきは急に黙り込んだ。
雨音が激しく傘を叩く中、二人の間の距離が数センチまで縮まる。
彼女のロジックによれば、相手の体温を感じるほどの接近は相合傘の侵食という敗北に当たるはずだが――今の彼女に、それを指摘する余裕はないようだった。
「……航太」
「ん?」
「今の……今の接近は、私の計算では不可抗力として処理するわ。だから、まだ私の負けじゃない。むしろ、あなたの右肩を濡らさせることで、私の耐久勝利を……」
言いかけたみゆきが、不意に足を止めた。
視線の先には、腕章を巻いた一人の女子生徒。
鋭い眼光でこちらを射抜く、風紀委員の姿があった。
「あら、勝呂さん。校内……ではないけれど、下校中の過度な密着は風紀の乱れとしてチェック対象よ」
「なっ、九条……麗香……っ!」
みゆきの顔が、雨の冷たさを忘れたかのように真っ赤に染まる。
ライバルの登場に、彼女の「勝利ロジック」が音を立てて崩れていくのが分かった。
「ち、違うわ! これは純粋な物理的効率を追求した結果であって、決して不純な……不純な動機ではないわ!」
「そう? なら、その真っ赤な顔も物理的な摩擦熱の結果かしらね。ふふ、ごめんなさい、お邪魔だったかしら。ごゆっくり」
風紀委員――九条麗香は、優雅な足取りで雨の中を去っていった。
残されたのは、固まったままのみゆきと、ずぶ濡れの俺。
「航太……。今の、九条に見られたのは……私の、戦略的撤退が必要な事案だわ」
「……お前、とりあえず傘を真っ直ぐ持て。二人ともずぶ濡れだぞ」
駅に着いた頃、俺たちの肩は二人揃ってびしょ濡れだった。
どちらが勝ったのかなんて、もう誰にも分からない。
ただ、みゆきは駅の改札で別れる間際、小さく、本当に小さく呟いた。
「……次は、もっと大きな傘を用意してくるわ。それが、私の必勝ロジックよ」
彼女が本当に勝ち取りたいものが何なのか、俺は少しだけ、分かったような気がした。
【今回の勝敗:引き分け(第三勢力・風紀委員の乱入によるノーゲーム)】




