第5話:勝利の天敵、九条麗香は華麗に降臨する
「勝負よ、九条麗香!」
昼休みの喧騒を切り裂くようなみゆきの声が、学園のカフェテリアに響き渡った。
彼女が叩きつけたのは、一枚の挑戦状――ではなく、今朝返却されたばかりの全国模試の結果表だ。
挑まれた当の本人は、紅茶のカップを優雅に口に運び、長い睫毛を揺らした。
九条麗香。
風紀委員にして、みゆきが唯一「一度も勝てたことがない」と豪語する、学園随一の天才である。
「あら、勝呂さん。またその紙切れで私を倒すつもり? 飽きないわね」
「紙切れじゃないわ! 私が昨夜、睡眠時間を三・五時間に削って構築した『偏差値向上論理』の結晶よ! 見なさい、今回の私の順位を!」
みゆきの指先が示すのは、学年二位。
そして、その一行上、不動の一位に刻まれているのは、当然のように『九条麗香』の名前だった。
「一点……。わずか一点差よ! でも、一点でも負けは負け。だからこそ私は、この屈辱を今日の午後の『体力測定・シャトルラン』で晴らして見せるわ!」
みゆきの鼻息は荒い。
勉強で勝てないなら、次は運動。運動で勝てないなら、次は掃除の美しさ。
彼女の勝利への情熱は、対象を選ばない。
「いい? 九条。私には、航太という名の特注の練習台がいるの。彼を限界まで追い込んで培った私のスタミナ、思い知ることね!」
「ちょっと待て、みゆき。俺は特注の練習台になった覚えはないぞ」
俺のツッコミは、今の彼女の耳には届かない。
みゆきは九条を指差し、宣言した。
「もし私が勝ったら、今後一週間、私を『勝利の女神様』と呼びなさい!」
「……いいわ。その勝負、受けて立つわ」
九条が不敵に微笑む。
「ただし、私が勝ったら、あなたのその……『練習台』、しばらく私に貸してくださるかしら?」
「えっ」
俺とみゆきの声が重なった。
みゆきの顔が、怒りと戸惑いで一瞬にして茹で上がった。
「な、ななな……何を言っているの!? 航太は私の……その、幼馴染兼、公式の勝負相手兼、備品なんだから! 他の人に貸し出すなんてロジック、私の辞書にはないわ!」
「あら、自信がないの? 『勝利の女神様』」
九条の挑発に、みゆきは完全に理性を飛ばした。
「……やるわよ! 航太を賭けて、死ぬ気で走ってやるわ!」
午後のグラウンド。
電子音が鳴り響く中、二人の少女が猛烈な勢いで往復走を繰り返していた。
みゆきは顔を真っ赤にし、汗を飛び散らせながら、文字通り死に物狂いで足を動かしている。
対する九条は、乱れ一つないフォームで、涼しげな顔をして並走していた。
「(はぁ、はぁ……。私の、私の計算では……あと十回で、九条の心拍数は臨界点に……っ!)」
だが、現実は残酷だった。
八十回を超えたあたりで、みゆきの足がもつれた。
「あ……」
前のめりに倒れ込むみゆき。
俺は思わず駆け寄り、砂まみれの彼女を支えた。
「おい、みゆき! 大丈夫か!」
「……負け……た……。航太、私……あなたを……守れなかった……」
意識が朦朧とする中で、みゆきは俺のシャツをぎゅっと掴んだ。
「守る」という言葉が、どういう意味で出たのかは分からない。
ただ、彼女の目からこぼれ落ちた一滴の悔し涙が、俺の腕に熱く触れた。
「あら。予想以上に脆いのね、あなたのロジック」
立ち止まった九条が、見下ろすように呟く。
「でも、安心なさい。別に彼をどうどうするつもりはないわ。ただ……」
九条は、俺を支えるみゆきの震える手を見つめ、少しだけ目を細めた。
「その『必死さ』だけは、一点差どころの評価じゃないわね。今回は……預けておくわ。利息をつけて返してもらうまで」
九条麗香は、最後まで華麗なまま去っていった。
夕暮れのグラウンド。
俺は、悔しさでボロボロになった「不器用な女神」を背負って、保健室へと歩き出した。
「航太……。次は……次は絶対に勝つわ。世界中の、どんなロジックを……使ってでも……」
背中で小さく、でも力強く呟く彼女の声を聞きながら、俺は「この勝負、いつまで続くんだろうな」と、苦笑いするしかなかった。
【今回の勝敗:九条麗香の完全勝利(みゆき、リベンジノートを作成開始)】




