第3話:購買部の焼きそばパン、勝利の香りはソースの味
「航太、今日こそは決着をつけるわよ」
四限終了のチャイムが鳴り終わる前、みゆきはすでにクラウチングスタートの構えで俺を睨んでいた。
その手には、昼飯代の小銭が握りしめられている。
「……また勝負か。今度は何だよ」
「決まっているわ。購買部名物『幻の焼きそばパン』よ。一日限定十個……それを先に手に入れた方が、今日の『勝者』。異論はないわね?」
「いや、俺は別に普通のメロンパンでいいんだけど……」
「逃げるの!? 航太、あなた、私との勝負から逃げるという、敗北よりも恥ずべき行為を選ぶつもり!?」
……こうなると、もう断れない。
彼女の論理では「不参加=不戦敗」であり、その後一週間はその不戦敗をネタに煽り続けられるのが目に見えているからだ。
「わかったよ。やればいいんだろ、やれば」
「よろしい。……行くわよ、全速力で!」
みゆきは廊下を脱兎のごとく駆け出した。……が、すぐに止まって、周囲を警戒しながら早歩きに切り替える。
「校内は走らない」というルールを守りつつ、最短歩数と最適な重心移動で速度を稼ぐ。それが彼女の「美学を伴った勝利」へのこだわりだ。
購買部はすでに修羅場だった。
飢えた野獣のような男子生徒たちが群がり、おばちゃんの「押さないで!」という悲鳴が響く。
「航太、見てなさい。人混みの隙間を縫う『流体ロジック』の力を見せてあげるわ!」
みゆきは人混みのわずかな隙間を見極め、まるでお辞儀をするような優雅な動きで潜り込んでいく。
一方の俺は、人混みに押されるがまま、気づけばカウンターの隅っこに弾き飛ばされていた。
「おばちゃん、焼きそばパン……残り一個……っ!」
みゆきの指先が、ビニールに包まれた最後のパンに触れた。その瞬間、彼女の顔に勝利の確信が宿る。
だが、その時だった。
「はい、お兄ちゃん。端っこで可哀想だから、これあげる」
おばちゃんが、カウンターの影に隠しておいた「裏の一個」を、運良く目の前にいた俺に差し出したのだ。
「え、あ、ありがとうございます……」
俺がそれを受け取った瞬間、みゆきの手が空を切った。
「……え?」
みゆきが呆然とこちらを見る。
彼女がロジックを駆使して最前列に到達したその瞬間、俺は「おばちゃんの同情」という、計算不可能なイレギュラーによってパンを手に入れていた。
「しょ、勝利……?」
教室に戻った後、俺の机の上には二つの焼きそばパンが並んでいた。
俺が手に入れた「棚ぼたの一個」と、みゆきがその後、執念で別の生徒から(正当な交渉を経て)トレードしたという「努力の一個」。
「航太……。今回の結果を分析しましょう。私は最短ルートを選択した。けれど、あなたは『弱者のポジション』を利用して、おばちゃんの慈悲という不確定要素を誘発させた……」
「いや、ただの偶然だって」
「いいえ、これも一つの戦略だというのなら、私の完全な読み違えよ。……不覚だわ。勝利の香りがするはずのソースが、今はこんなに悔しい……!」
みゆきは焼きそばパンを一口、ヤケ食いするように齧りついた。
その頬には、ソースがちょこんとついている。
「おい、ソースついてるぞ。……ほら、半分やるから。そんなに悔しがるなよ」
「い、いらないわよ! 自分の勝利の果実くらい、自分で食べるわ! ……でも、半分だけ、その、あなたの『運』を分析するために貰ってあげてもいいわよ……」
結局、俺たちは焼きそばパンを半分ずつ交換して食べた。
みゆきは「分析、分析……」と呟きながら、なぜか耳を赤くしてパンを頬張っている。
これが彼女にとっての「敗北」なのか「勝利」なのか、俺にはもうわからなかったが――少なくとも、そのパンは驚くほど美味かった。
【今回の勝敗:航太の1勝0敗(みゆき、運の要素をロジックに組み込み中)】




