第067話:王女のOJT(実地研修)と、物流インフラの稼働ヨシ!
大河の河口に設けられたバウムガルト軍の仮設陣地は、潮の香りを帯びた初夏の風に包まれていた。
ルディの執務室に隣接する、魔導冷風機が快適な温度を保つ静かな天幕の中。
オルテンシア王国の第一王女フィオナは、ルディから支給された動きやすく清潔な『青の事務用制服』を身にまとい、目の前に積まれた分厚い書類の束を見つめていた。
かつての豪奢な青いドレスも、人を操る風水魔術の誇りも、今の彼女には残っていない。
「……理解できましたか、フィオナ殿下。これがバウムガルト陣営における物資の流通網と、関所での徴税の仕組みです。オルテンシアの複雑な税制に比べれば、はるかに理にかなったロジックでしょう」
優雅な手つきで書類を指し示しているのは、元・カストル帝国の女帝ヴィクトリアであった。彼女は柔らかな微笑みを浮かべているが、その目にはかつて大陸を震え上がらせた絶対的支配者としての威厳が宿っている。
「ええ……。確かに、この仕組みであれば、無駄な中抜き(ロス)も起きず、末端の民まで豊かになりますわね。ですが……」
フィオナは悔しそうに唇を噛んだ。
「私を、ただの計算係(事務作業員)にするつもりですか? 私はオルテンシアの第一王女です。あの少年に屈したとはいえ、このような下働きを……」
「下働きなどではありませんわ。ルディ様は、あなた様の高い交渉力と知略を評価しておいでなのです」
ヴィクトリアは、ミリー特製の冷たい麦茶を一口飲み、静かにフィオナの目を見据えた。
「それに……ルディ様に心からお仕えし、その『ホワイト待遇』の傘下に入ることは、何よりも甘美で、安らぎに満ちたものです。私自身、かつては巨大な帝国を背負い、眠る間も惜しんで過酷な執務に追われておりました。ですが、あの方が私を休ませ、その温かい手で私の強張った自律神経を癒やして(アースして)くださった。……あの方の指先がもたらす『極上のリラクゼーション』を、あなた様もご存知でしょう?」
その言葉に、フィオナの肩がびくりと震えた。
数日前の記憶がフラッシュバックする。
温かい導電水槽の中で、ルディの指先から流し込まれた青白い光【微弱放電】。王女としての誇りも、意地も、すべてを心地よいデトックスの汗へと変えて洗い流してしまった、あの抗いがたい快感パルス。
それを思い出しただけで、フィオナの自律神経は急激に過反応(漏電)を起こし、制服のスカートの下で、白い太ももは熱を帯び、自然とすり合わされてしまう。
「あ……っ」
「ルディ様の期待に応え、この陣営の役に立つこと。それが、あの方から再びあの『特別安全衛生指導(愛の報い)』を受けるための唯一の道なのです。さあ、もう一度この条文を復唱しなさい」
フィオナはもはや逆らう気力を失い、潤んだ瞳で書類に目を落とした。
「……はい、ヴィクトリア様」
天幕の入り口から、その様子を静かに見守っていたルディ・フォン・バウムガルトは、満足げに頷き、自身の網膜上に展開されたスプレッドシートに「完了」のチェックを入れた。
(よし。ヴィクトリアによるOJT(実地研修)は極めて順調だな。既存の有能な幹部に新人の教育を丸投げ(デリゲーション)することで、俺の教育コストはゼロになる。しかも、絶対的支配のプロである元女帝がメンターなら、あのプライドの高い王女も完璧な社畜……いや、優秀な広報・交渉担当へと矯正されるはずだ)
ルディは足音を立てて天幕の中へと足を踏み入れた。
「ヴィクトリア。進捗はどうだ」
ルディの姿を見た瞬間、フィオナの顔が茹でダコのように真っ赤に染まり、彼女は慌てて立ち上がって深く頭を下げた。
「ルディ様。フィオナ殿下は大変賢明でいらっしゃいます。オルテンシアとの今後の交易条件のすり合わせや、水上プラットフォームの運用に関する実務は、すぐにでもお任せできるかと存じます」
ヴィクトリアが優雅に一礼して答える。
「そうか。それは素晴らしい」
ルディはフィオナの前に歩み寄った。
「フィオナ。俺はお前の肩書きや過去の敵対行動で人事評価を下したりはしない。お前が俺の陣営で『安全かつ正確に』タスクをこなす限り、最高の労働環境と報酬を保証する」
ルディがそっと手を伸ばし、フィオナの銀色の髪を「よくやった」と撫でた。
その指先からほんのわずかに流れた静電気(低周波刺激)が、フィオナの神経を甘くくすぐる。
「ひゃぅっ……!」
フィオナは小さな悲鳴を上げ、膝から崩れ落ちそうになるのを必死でこらえた。心地よいデトックスの汗が、うっすらと彼女のうなじに滲む。
「あ、ありがとうございます……ルディ様。私、ルディ様のために……この水上拠点の交渉役として、必ず成果(KPI)を上げてみせますわ。ですから……その、また私に……」
上目遣いで、自律神経の漏電を隠しきれずに哀願するフィオナを見て、ルディは口角を上げた。
(人事評価に対する適切なインセンティブの提示、ヨシ。これで彼女のモチベーションは天井知らずだ。労働力の囲い込み(ロックイン)は完全に成功したな)
「ああ。仕事の成果には、正当なボーナス(夜の特別点検)で報いてやる」
ルディがそう告げると、フィオナは安堵と極上の期待で胸をなでおろし、完全な忠誠を誓うように微笑んだ。
◇ ◇ ◇
数日後。
大河の河口に、ついに巨大な水上プラットフォームの第一期工事が完了した。
頑強な石柱に支えられた広大な桟橋には、流体力学を用いて設計された不沈構造の船が次々と横付けされ、カストル帝国から運ばれてきた大量の物資が荷揚げされている。
作業員たちは皆、救命胴衣を身につけ、活気に満ちた声を張り上げていた。
「クレーンの巻き上げ、合図を合わせろ! 指差し呼称!」
「足元の濡れ(スリップハザード)に注意しろよ! 安全第一、ヨシ!」
オルテンシア偽装水軍(海賊)の襲撃という障害を乗り越え、活気づく巨大な物流拠点。その全貌を小高い丘から見下ろしながら、ルディは深く深呼吸をした。
(水上作業の死亡災害リスクを物理的・システム的に排除し、無災害でのインフラ稼働を達成した。これで大陸の東西を結ぶ物流ラインは俺の完全な独占状態だ。俺の有給ライフを支える莫大なキャッシュフローが、この港から絶え間なく生み出されるぞ!)
ルディの隣には、新しい青の制服を身にまとったフィオナが立っている。彼女はすでに周辺諸国の商人たちとの交渉を取り仕切り、その美貌と知略でバウムガルト陣営の利益を最大化させていた。
「見事な光景ですわね、ルディ様。この港が、大陸の富の中心になるのですね」
「ああ。すべては安全な土台があってこそだ」
ルディは満足げにうなずいた。
だが、その時。
ルディの網膜に常時展開されている【ガス・温度検知】が、突如として不気味な黄色の警告サイン(レッドアラート)を激しく点滅させた。
(……ん? なんだ、この数値は)
ルディは眉をひそめ、南方の空へと視線を向けた。
そこには、大陸最大の不可侵領域である「大樹界」と呼ばれる深い森が広がっている。
その森の方向から吹いてくる風の中に、ディテクターは通常ではあり得ない異常な物質を検知していたのだ。
(空気中の微粒子濃度が急激に上昇している。ただの花粉じゃない……毒性を含んだ未知のタンパク質、それに人体に寄生するタイプの特殊な胞子構造だぞ!)
ルディの顔から余裕の笑みが消え、冷徹な安全管理者の顔へと切り替わった。
「ルディ様? いかがなさいましたか」
フィオナが不思議そうにルディの横顔を見上げる。
「……どうやら、自然を愛する隣人たちは、俺たちのこの急速なインフラ開発(事業拡大)がお気に召さなかったらしい」
ルディは南の森を睨み据えた。
(致死性の有害物質の広域散布……。これは明確な環境テロだ。防塵マスク程度で防げるレベルじゃない。陽圧式化学防護服の支給と、完全な除染プロセスの構築を急がなければ、俺の可愛い従業員たちが全滅してしまう!)
ルディ・フォン・バウムガルトの「完全無災害」の記録を脅かす、かつてない広域バイオハザードの脅威が、音もなく迫りつつあった。




