第025話:ロベルト子爵領の正式獲得と、無災害行軍の帰還パレード
「――おめでとうございます、ルディ様。いえ、これよりは正式に『ロベルト子爵領主』とお呼びすべきですね」
美しい真夏の陽光が差し込む旧ロベルト子爵邸の執務室において、総務・財務主任となったテレーゼ・フォン・ベルンハルトが、知的で大きな丸眼鏡の位置を細い指先で直しながら、うっとりとした視線をルディに送っていた。
彼女の手元にあるのは、上位領主であるゼーフェルト辺境伯から直々に届いた、金泥の蝋で密封された極めて公式な統治権確約の親書である。
「先の対オルテンシア戦における我がバウムガルト隊の『完全無災害(ゼロ災)』の完封大勝利、ならびに宮廷魔導師団の壊滅という天災級の功績を鑑み、ゼーフェルト辺境伯閣下は、空白地となったこの豊かなロベルト子爵領の全統治権を、正式に貴方に委譲することを宮廷へ上奏し、確約されました。……これに異議を唱える領主は、東部国境には一人として存在しませんわ」
「そうか。それは……重畳だな、テレーゼ」
領主の豪華な椅子に深く背を預けながら、ルディは内心で冷や汗を流しつつ、前世の中堅化学メーカーで培った「不敵な管理者スマイル」を辛うじて維持していた。
(直轄領の、正式獲得……! サボりたい、働きたくない、有給傀儡生活を送りたいという俺の卑小な保身計画が、いつの間にか「一国の子爵領」を丸ごと丸抱えする巨大プロジェクトに成長していやがる……!)
ルディの脳内スプレッドシートは、主権獲得に伴う新たな「法的・経営的ハザード」の特定でレッドアラートを点滅させていた。
領主になるということは、領地全体の維持管理、インフラ(水路・街道)の整備、そして何より「徴税と軍役」の全責任を俺自身が負うということだ。普通なら過労死ラインを遥かに超えるブラック残業が確定するシチュエーションである。
(だが、手順はすでに構築済みだ。俺には「他者委任」という無敵の安全管理プロセスがある)
ルディは、自らの左右に控える美しき女性たちの「熱すぎる視線信号」をそっと横目で捉えた。
総務・財務・内政の全権は、ロベルト領の全データを頭脳にインプットしたテレーゼが、ルディの極上のメンタルヘルスケア(放電マッサージ)への狂信的な依存をエネルギーにして、喜んで「一二〇%稼働」で回してくれる。
そして物理的な「セキュリティ・ハザード(防犯)」は、元敵将のヒルデ・フォン・クランツが現場警備主任として仁王立ちし、ルディの身の安全を過保護なほどに見張っている。
さらに、ロベルト領内に新設された「防爆魔導砲座(高台の雑木林)」には、ルディの「火気使用安全基準(作業手順書)」をバイブルのように抱きしめた超高熱線魔術師エルザが、不審な敵対勢力を一瞬で蒸発させるべく、冷却インターバルと出力制限を守りながら冷徹に照準を合わせているのだ。
「ルディ様、新生ロベルト領防衛警備隊の再編も完了いたしました」
ヒルデが、おろしたての黒い革製の警備制服の上から、ルディへの絶対的な帰順の証である太ももの「魔力伝導パス(放電の痕)」を、愛おしそうにそっと手で撫でながら、凛々しい声で報告する。
「先のロベルト子爵の不安全行動(無謀な突撃)から生き残った、元ロベルト兵の四十名……。彼らはルディ様から支給された暖かいダウンベストと、水洗トイレなどの完璧な衛生設備(5S)に涙を流し、今や全員がルディ様のためなら死ねると語る『安全第一』の熱烈な帰順者へと生まれ変わりました。ハンス副官の元で、完璧にシフトを回しております!」
「よし、警備隊の初期配置、ヨシだな」
ルディは安堵の溜息を隠しながら頷いた。
ロベルト領の生き残り兵四十人は、地元の地形を完全に把握している。彼らをホワイトな環境で再雇用し、ハンスの元で「指差し呼称」を徹底させれば、不満によるボイコット(不安全な裏切り)のリスクは極限までゼロに近づく。
(これで俺の「有給傀儡領主計画」の第一フェーズは完了だ。あとは……もう一つの重大なハザード対応を実行するだけだな)
ルディが目の前の羊皮紙のリストを指でトントンと叩くと、テレーゼが細い首を傾げた。
「若君、そのリストは……実家(バウムガルト男爵家)からお借りしていた、五十名の応援兵の皆様のリストですね?」
「そうだ、テレーゼ。これより、実家からレンタルしていた『外部リソース(バウムガルト兵五十人)』を、バウムガルト男爵邸へと速やかに返却する」
ルディの表情は、どこまでも冷徹(本人は実家への義理を果たしたいだけ)だった。
「俺は他者の資産を傷だらけにして踏み倒すような、不安全な『下請け丸投げ契約』は好まない。レンタルした機材(兵士)は、無傷、無病、かつ100%の減価償却(健康状態)を維持したまま速やかに本家に返却する。これが、下請け管理者としての最低限のビジネスマナーだ。これにより、本家(実父)に対する『労災遺族補償(賠償責任)』の発生確率は永久にゼロになる。完璧な資産保全プロセスを実行するぞ」
「ああ……若君……っ!」
テレーゼは丸眼鏡の奥の瞳を、熱い涙で潤ませた。
「ただでさえ兵を失うことが常識のこの戦国乱世において、お借りした農民兵の皆様を、何一つ損なうことなく綺麗なままでお返しするなんて……! 実家へのこれ以上ない孝行であり、あまりにも高潔な封建主従の美徳ですわ!」
「当然だ。ハンス、ミリー、行軍準備(帰還パレード)を開始しろ。……本日も、完全無災害(ゼロ災)で帰還する。手順、ヨシ!」
「「「はっ! ルディ様! 安全第一、ヨシ!!!」」」
「テレーゼ、ヒルデ。俺が実家に帰っている間、お前たちを『現場代行責任者』に任命する。セキュリティを完璧に維持しろ。……無事に帰ってきたら、留守番の褒美として、たっぷりアース(慰労)してやるからな」
「エリーゼ監査官。お前は俺の『極めて平和で無害な帰省パレード』に随行し、俺に反逆の意思がないことをしっかりと監視してもらうぞ」
執務室に響き渡る側近たちの合唱。
その様子を、部屋の最も暗い影から見つめていたエリーゼ・ヒルデ・フォン・ゼーフェルトは、背中に冷たい汗を流しながら、ルディから施された極上のマッサージ(血栓予防ケア)の余韻を思い出し、自律神経の過反応(漏電)で内股をガタガタと震わせていた。
(……恐ろしい少年。あえて実家から借りた五十人の兵を「一人も殺さず、怪我もさせず、無傷で返却する」という前代未聞のデモンストレーションを行うつもりね。
戦争において、徴募された農民が「五体満足で帰ってくる」ことすら極めて珍しい。それを全員が無傷、それどころか以前より健康になって帰ってくる姿を見せつければ、実家の男爵家だけでなく、周辺のすべての領地に対して「バウムガルトの四男の元に身を寄せれば、絶対に死なない(完全な生存保障)」という、宗教的とも言える強烈な求心力を叩きつけることになるわ……。
彼の実家を、内側から「ルディ教」の信者として完全にハッキングする気なのね。ああ……彼の底知れない、冷徹な内政侵略に、私の全身が恐怖で疼いてしまう……っ!)
エリーゼは、スカートの下の太ももをそっと擦り合わせ、ルディの絶対的な「安全管理の雷」を想像して、極上のデトックスの汗を滲ませながら小さく熱い吐息を漏らしていた。
それから三日後。
ルディは、兵士たちを実家へ送り出す直前、「厳格な情報統制(NDA締結)」の指示を行う。
「全員、よく聞け。実家に帰って俺の『衛生管理』や『土魔法』を自慢するのは許可する。……だが! エルザ、ヒルデ、エリーゼたち『我が陣営の幹部役員』の存在に関する情報は、最高機密だ。万が一にも口外した(NDAに違反した)者は、永久にこのホワイト待遇の恩恵を受けられなくなるぞ!」
「ルディ様万歳! 安全第一、ヨシ!!!」
「ヨシ!出発だ!!」
なだらかな山並みに囲まれた、ルディの実家であるバウムガルト男爵領。
その領主邸の物見櫓において、バウムガルト男爵、そして長兄ラインハルト、次兄バルトルトは、押し寄せる夏の暑さも忘れて、街道の先を呆然と凝視していた。
「父上、伝令が申すには、ルディの率いるバウムガルト隊五十名が……これより、領地へ帰還するとのことですが……」
一昨年の出兵で重傷を負い、未だに足を引きずって療養している長兄ラインハルトが、信じられないというように眉根をひそめた。
「ば、馬鹿なことがあってたまるか!」
一昨年の出兵において、泥濘地での低体温症と赤痢(極悪ブラック災害)で危うく凍死しかけ、今も胃腸の弱さに悩む次兄バルトルトが、顔を青くして叫んだ。
「あの極悪な雨期の前線の戦いだぞ!? 辺境伯の主力軍すら泥に沈み、隣のロベルト子爵は一瞬で全滅したと聞いた! 我が家からルディに貸し出した四十人など、本来なら全滅しているか、良くて半数が病死して、生き残りも手足を失って敗走してくるのが『戦場の現実(労災の日常)』だ! それが、一人も欠けずに戻ってくるなど、あり得ん……!」
「――静かにしろ。……見えたぞ」
バウムガルト男爵が、絞り出すような低い声で二人を制した。
街道の先、立ち上る夏の陽炎の向こうから、軍靴が大地を踏みしめる「ザッ、ザッ、ザッ」という、異様なほど整然とした、幾何学的な足音が響いてきた。
そして、男爵領の広場へと入ってきたその一兵たちの姿を目撃した瞬間。
バウムガルト男爵、ラインハルト、バルトルトのバウムガルト家首脳陣三名は、まるで全身を強烈な【静電気】で撃ち抜かれたかのように、完全にその場に凍りついた。
「な、何だ、あれは……。あれは本当に、我が領の、貧相で飢えかけていた小作人どもなのか……!?」
バルトルトが、自身の目をこすりながら悲鳴のような声を上げた。
広場に入ってきた五十名の農民兵たちは、誰一人として、引きずりかける足も、包帯を巻いた腕も持っていなかった。
それどころか、彼らの顔色は戦場に行く前よりも驚くほどツヤツヤと輝き、肌の血色は抜群。ミリーたちのHACCP基準の栄養満点の三食と、適正な睡眠管理、ハーブ香る快適な天幕生活によって、全員が行く前よりも健康的に丸々と太り、二の腕や大腿部には引き締まった見事な筋肉が宿っていた。
彼らが身につけているのは、泥汚れ一つない、ピカピカに洗浄された軽量の「防刃ハイブリッドダウンベスト(スノー・ロプ製)」と、頑丈な「二重底の滑り止め革靴」。
中世の不潔でボロボロの敗残兵の面影など、微塵も存在しない。
さらに異常だったのは、彼らの一糸乱れぬ規律と、奇妙な大合唱だった。
「足元ヨシ! 服装ヨシ! 頭上ヨシ! 全員、健康状態、異常なし!!」
先頭を行く壮年兵が、ルディに教え込まれた「指差し呼称」を、大気を震わせるほどの怒号で唱える。
「「「本日も、完全無災害(ゼロ災)で作業終了! 安全第一、ヨシ!!!」」」
五十名のツヤツヤした兵士たちが、一斉に右手を突き出し、人差し指で前方を指差しながら大合唱を響かせる。
それはまるで、死神が支配するはずの中世の戦場から生還したとは思えない、狂信的なまでの「安全意識」が結晶化した、無敵のホワイト軍団の凱旋パレードであった。
パレードの最後尾。
馬車(クーラー風魔導温風機付き)の窓から、有給消化終わりのサラリーマンのような気だるげな顔で「ふっ……」と、いつもの保身の笑みを浮かべて手を振るルディの姿があった。
「ル、ルディ……。お前は、一体何をしたのだ……?」
櫓から這うようにして広場へと降りてきたバウムガルト男爵は、信じられないものを見る目で、ルディの前に立ち尽くした。
「父上、ただいま戻りました」
ルディは馬車から優雅に降り立ち、実務的な「返却明細書(羊皮紙)」を差し出した。
「お借りしていた五十名のリソース(兵員)、ならびに槍などの支給装備一式、何一つ損耗させることなく、完全なる稼働状態(無災害)のまま返却いたします。これで本家の資産損失(労災遺族補償金ハザード)は100%回避されました。ご確認を」
「か、稼働状態……!? 資産損失……!?」
バウムガルト男爵は、羊皮紙を受け取る手すら激しく震わせていた。
彼が振り返ると、返却された農民兵たちが、広場で一斉に「5S」を開始し、落ちているゴミ(危険源)を片付けながら、嬉しそうに実家の家族を抱きしめている。
「お、おい! お前、生きているのか!? 槍の傷は!? 下痢は!?」
駆け寄ったラインハルトが、一人の農民兵の肩を掴んで揺さぶった。
「ラインハルト様! 下痢など、ルディ様の陣地(ホワイト職場)ではあり得ません!」
農民兵は、ピカピカのダウンベストの襟を誇らしげに正しながら、熱烈な狂信の瞳で答えた。
「ルディ様の炊事班が作るスープは、すべて『沸騰消毒された清らかな水』で、病魔の呪い(麦角菌)は事前に徹底的に排除されているのです!
さらに、あのロベルト領の冷たい泥に足を取られそうになれば、ルディ様が『土の魔法』で大地面を石のように固めてくださり、低体温症で凍えそうになれば、この暖かいスノー・ロプのダウンベストを全員に無償で与えてくださいました!
私たちは、戦いに行ったのではありません! 命を最も大切にしてくださる『バウムガルトの雷神・ルディ様』の元で、天国のような安全第一を学んできたのです!」
「ル、ルディ様万歳! 私たち、ロベルト領防衛警備隊への永住転職を希望します!!」
「ルディ様万歳! 安全第一、ヨシ!!!」
口々にルディへの絶対の忠誠と、そのホワイトすぎる管理体制への狂信を叫び、広場で万歳三唱を繰り返す農民たち。
それを見たバウムガルト男爵は、顎が地面に落ちんばかりに目を見開き、ルディの肩をガシガシと掴んで激しく揺さぶった。
「ルディ、お前は……神か!? あるいは、本当に領地の土の妖精の申し子なのか!?
戦場に送り出されたはずの、ただの小作人どもが、行く前よりもツヤツヤと太り、ピカピカの防寒着を着て、一糸乱れぬ指差し呼称をしながら生きて帰ってくるとは……!
これではまるで、我が領のすべての小作人(労働力)が『ルディの元で兵役に行きたい!』と暴動(労働ハザード)を起こしかねんぞ! 我が家の封建経営が根底からひっくり返るわ!!」
「えっ? いや、それは……」
ルディは、父親の凄まじい大声(過剰な勘違い評価)に、内心でビクッと肩を震わせた。
(いや、暴動を起こされたら、俺のサボり傀儡生活の安定性が著しく下がるんだが?
俺はただ、レンタル資産(兵)を壊した時の賠償責任(労災遺族補償)が怖くて、マニュアル通りにリスクをシャットアウトしただけなんだがなぁ……!?)
「ラインハルト、バルトルト、見たか!」
バウムガルト男爵は、完全に目を輝かせ、ルディを「一族の救世主」として確信した。
「ルディは、戦いという『破壊のプロセス』を、完璧な『安全と繁栄のプロセス』へと変換したのだ! この四男こそ、我がバウムガルト家、いや新生ロベルト領の未来を背負う、歴史上最大の『名将(聖領主)』に違いない!」
「「……ルディ……!」」
ラインハルトとバルトルトもまた、自らの痛々しい被災体験(中世の常識)を粉々に破壊され、もはや四男を、神聖なる「安全の化身」として狂信する瞳で見つめることしかできなかった。




