第010話:アンシーン・ハザードの可視化と、放電屈服(コンプライアンス教育)
ヒョオオオオウ、と。
天幕の薄い布地を隔てた外では、いまだ春の冷たい豪雨が山肌を叩き、不気味な風切り音を響かせていた。
バウムガルト隊の臨時捕虜収容天幕。
薄暗いその空間の片隅で、オルテンシア王国の山岳猟兵セシルは、後ろ手にガチガチに縛り上げられたまま、冷たい床に転がされていた。
「う、うぅ……っ。つ、冷たい……、身体が、震えて……っ」
セシルは、きつくロープで緊縛された自身の肢体を小さく丸め、カタカタと激しく歯の根を鳴らしていた。
落馬した際に粘土質の泥にまみれた短い緑の外套と、お尻から太ももにかけてぴったりと張り付いた革の乗馬ズボンは、冷たい水分を吸って彼女の体温を容赦なく奪い続けていた。
低体温症による筋肉の強硬――そしてそれ以上に、彼女を苛んでいたのは、底知れない「恐怖」と、身体の奥深くで疼く「未知なる期待」だった。
先ほど天幕の隙間から見せつけられた、あのエルザの狂おしい絶頂(ボイラー冷却)の悲鳴。
オルテンシア最強の魔術師を、たった数分の『調律』で骨抜きの忠犬に変えてしまった、あの若い貴族の少年。
そして、馬の蹄鉄を固定する鋲だけをピンポイントで焼き切った、あり得ない精度の熱線。
(なんなの、あの男……。ただの弱小男爵家の四男坊のはずなのに、やることなすこと全部、私たちの常識を根本から嘲笑っているみたいだわ……)
その時、天幕の入り口の重い布が静かに押し上げられた。
「やあ、お嬢さん。作業環境の居心地はどうかな?」
手ぬぐいで濡れた髪を拭いながら入ってきたのは、バウムガルト隊の指揮官、ルディ・フォン・バウムガルトだった。十五歳らしからぬ、冷徹で邪悪な、しかしこの上なく知的な「不敵な管理者スマイル(営業スマイル)」をその端正な顔に浮かべている。
「な、何の用よ……っ!」
セシルは泥に汚れた可愛い顔を歪め、怯えを隠すように、カッと鋭い猫のような瞳をルディへと向けた。
「殺すならさっさと殺しなさい! 私はオルテンシア王国が誇る『精鋭山岳猟兵』よ! 拷問をしようが、卑劣な尋問魔術を使おうが、あなたたち帝国側の犬に吐く情報なんて一文字もないわ!」
「拷問? 尋問? 冗談じゃない、そんな野蛮で生産性の低い不安全行動を俺がすると思うか?」
ルディは呆れたように肩をすくめ、セシルの前にゆっくりとしゃがみ込んだ。
「お前たちのような『危険因子』は、安全基準に従って速やかに『隔離・処理』、あるいは『自社システムへの組み込み』をするのが、管理者の義務だからな」
「ふん、大きく出たわね……っ!」
セシルはガタガタと凍えながらも、フッと嘲るような笑みを浮かべ、自身の最大の「アイデンティティ」を盾にして言い放った。
「私を捕まえて勝ち誇っているようだけど、無駄よ! 私の仲間であるスカウトの別動隊が、今もこの高台を取り囲んでいるわ。私たちの『山岳隠密術』は世界一よ。暗闇と豪雨に紛れ、足音も、体温も、気配すらも完璧に消し去って、お前たちの喉笛を音もなく噛み切る! お前たち農民兵が気づいた時には、全員が泥の中で首を刎ねられているわよ!」
「なるほど。暗闇と豪雨を利用した、完璧なステルス奇襲か」
ルディは冷たい目をセシルに向け、静かに右手を持ち上げた。
「お嬢さん。前世の工場現場ではな、機械の死角や物陰に潜む『見えない危険』が、最も重大な死亡災害を引き起こす原因だった。だからこそ、俺たち安全管理者は、ありとあらゆる手段を使って現場の危険を『見える化(可視化)』するプロセスを構築しているんだ」
「え……? みえる、か……?」
「お前のその頑なな誇り(バグ)を、まずは上流工程からデバッグしてやる。……少し脳内のインピーダンスを下げろよ」
ルディの細く、しなやかな指先が、セシルの冷え切った額に、そっと、しかし逃れられない強さで触れた。
「な、何をするつもり――っ!?」
セシルが身をよじろうとした、その瞬間だった。
バチッ……!!!
ルディの指先から、青白い極微の静電火花が放たれ、セシルの眉間に吸い込まれた。
「あ、は、ぁうっ……っ!?」
セシルの脳髄を、未知の魔力パルスが暴虐に突き抜けた。
次の瞬間、彼女の視界は強制的にハッキングされ、見たこともない「極彩色の熱の世界」へと、力ずくで書き換えられていた。
「な……な、何、これ……っ!? 私の、頭の中に、何が……っ!?」
セシルは悲鳴を上げた。
視界から冷たい暗闇が消え去り、すべてが色彩で表現されたサイケデリックなサーモグラフィの世界が、彼女の脳内に直接同期されていた。
ルディの固有魔法【ガス・温度検知】のサーモグラフィ視界が、脳の視覚野に直接、完璧に投影されているのだ。
「よく見てみろ、お嬢さん。これが俺の『視界』だ」
ルディの冷徹な声が、彼女の脳内で直接再生されるように響く。
セシルの脳内で、その極彩色の視界が拡大されていく。
冷たい雨を吸った泥の斜面や木々は、冷酷なディープブルー。
対して、バウムガルト隊の完璧な陣地は、魔導温風機の温もりで鮮やかなオレンジ色に発光し、信じられないほどクリーンな安全地帯として描出されている。
そして――。
その陣地を取り囲むようにして、暗闇の雑木林に身を潜めている、三つの『白く燃え上がる熱源』が、セシルの脳内視界にあまりにも鮮明に、グロテスクなほどクッキリと浮かび上がっていた。
「あ……、あ、ぁ……っ!!」
セシルは、息をすることすら忘れて絶句した。
それは、彼女が「完璧な隠密術で潜伏している」と豪語していた、オルテンシアの仲間のスカウトたちだった。彼らが木の陰で息を殺し、じっと獲物を狙っている姿勢、その心臓の鼓動によるわずかな胸元の上下、さらには口から吐き出される僅かな温かい吐息の揺らぎまでもが、ルディの視界の上では、まるで「暗闇の中の松明」のように輝いて暴かれていた。
さらに、彼らの頭上には、ルディの脳内スプレッドシートが演算した不気味な半透明の文字が、直接オーバーレイ表示されていた。
【ハザード検知:人間(オルテンシア斥候)×3】
【位置:東方240メートル、座標[X:14, Y:89]】
【危険度評価:極小(ハンス第一分隊がすでにクロスボウを照準中)】
【排除推奨手順:エルザの3%出力熱線による精密ピンポイント照射】
「ば、馬鹿な……、嘘よ……っ。仲間の配置も、隠密の呼吸も……全部、全部見えているなんて……っ!!」
セシルは激しく頭を振り、涙をこぼした。
オルテンシアの山岳猟兵が血を吐くような訓練の末に身につけ、国境を震え上がらせてきた至高の「隠密スカウティング」。
それが、この少年の前では、ただの「処理待ちの不安全リスク」として、無慈悲に、そしてあまりにも事務的にリストアップされている。
彼が指先をほんの少し動かすだけで、闇の中の仲間たちは、自分たちが発見されたことすら気づかずに消し炭にされるのだ。
「半径五キロのネズミ一匹の体温から、大気の不気味な気流の乱れ(ハザード)まで、俺の『システム』は一秒の遅延もなくリアルタイムで捕捉している」
ルディはセシルの耳元に顔を寄せ、悪魔のように、しかしこの上なく論理的に囁いた。
「お前たちの誇る隠密技術など、俺の現場では、完全に『見える化された死亡災害リスク』に過ぎない。……お嬢さん、お前の専門分野は、俺のシステムの前に、すでに完璧に『全損』されているんだよ」
「あ……、あ、う、あぁ……っ……っ!」
セシルのプロとしての誇りが、その骨組みから、粉々にへし折られた。
隠密こそが、斥候こそが自分のすべてだった。それを、息をするように看破され、ゴミのように処理可能なタスクとして分類された絶望。
自らの存在価値の完全な敗北。
彼女の脳は、ルディの圧倒的な「システム」の前に、なす術なく屈服し、真っ白にフリーズしていた。
「――さて、お前のバグは綺麗にデバッグされたな。次は、冷え切ったその肉体の『安全トリートメント』に移るぞ」
「ひゃっ……!? な、なに、を……っ!」
ルディは、セシルの泥だらけの緑の外套を剥ぎ取ると、薄手のリネンのシュミーズ一枚になった彼女の、震える白い首筋から、足の裏、ふくらはぎ、そして太ももの内側の柔肌へと、ミリー特製のハーブバームをたっぷりと塗り広げた。
冷気に縮こまっていた彼女の皮膚が、バームの油膜によって優しく保護される。
そして、ルディの、青白い静電気をバチバチと纏った手のひらが、バームを塗られた彼女の健康的な小麦色の太ももの内側へと、ゆっくりと這わされた。
ピリ、ピリピリ、バチバチッ……!!!
「ひゃあぁぁぁっっっっっ!!!???」
セシルのしなやかな身体が、寝台の上で激しく弓なりに跳ね上がった。
ルディの指先から、ミリーのバームを媒介にして、皮膚の境界線へと浸透していく、極めて緻密に制御された低周波の電流パルス。
それは、極寒の雨と、プロとしての矜持をへし折られた「敗北ストレス」によって、ガチガチに硬直していたセシルの自律神経に直接作用し、強制的なリラクゼーション(アース)を叩き込んでいった。
「お、重い……っ、頭が、溶け、ちゃうぅぅっ! なによこれ、ビリビリして……すごく、気持ちいい……っ!」
「お嬢さん、いい反応だ。自律神経が極限のパニックを起こしていると、急速なショック症状で心停止を引き起こす。安全管理者の義務として、俺の電気ショックパルスでお前の神経伝達物質を強制分泌させ、安全なリラックス状態までハッキングしてやる」
ルディの指先が、セシルの首筋から鎖骨、そして太ももの内側の最も柔らかい部分の経絡を的確に愛撫するたびに、青白い電撃が走り、彼女の身体がビクビクと心地よく跳ねる。
プロとしての絶対的な敗北感と、脳髄を直接アースされるような、逃れられない異次元のリラクゼーション快感。
セシルの頭脳は、その二つの凄まじい衝撃によって、完全にルディの「絶対的なセーフティネット」の依存者へと再起動されつつあった。
(凄い……、凄いよ、この男の人……! 仲間の位置も、私の身体の弱って硬直していたところも、全部、完璧に管理して……私を内側から解きほぐしている……!)
(私……こんな凄いシステムの中に、組み込まれたい……っ! この人の『セーフティネット』の一部になって、この暖かい手の中で、一生、アースされていたい……っっ!!)
お国への忠誠や、山岳猟兵としてのプライドは、ルディの圧倒的な技術とホワイトな快感の前に、塵となって消え失せた。
セシルは、涙とよだれで濡れた顔をルディへと向け、もはや反抗の瞳など完全に消失させた、蕩けきった忠犬の瞳で彼を仰ぎ見た。
「セシル。お前のその優れた『気配察知能力』は、我がバウムガルト隊の『前方危険探知』として、非常に価値が高い。……俺の専属の猟犬として、一生涯の終身雇用契約を結べ。それとも、もう一度あの極寒の泥の中に放り出されて、使い捨ての犬として、誰にも気づかれずに死ぬか?」
ルディの、絶対的な生へのセーフティネットの提示。
「い、いやぁっ……! 泥の中は、もう嫌……っ! 冷たいのも、一人なのも、もう嫌ぁっ! 私……私を、あなた様だけの『前方探知機』にしてくださいぃっ! あなた様の電気で、もっと、もっと、私をシステムの一部に、調律してぇっ!!」
「よし、100%の合意、採用契約(SOP)成立だな。手順、ヨシだ」
ルディは邪悪に、しかしこの上なく頼もしく微笑むと、セシルの白く滑らかな「うなじ」へと、自身の電撃を強く纏った二本の指を、バチバチと激しい火花を散らせながら、深々と押し当てた。
「ひゃあああああああああああああっっっっっっ!!!!!!」
接触部から、青白い美しい放電の光が天幕の中に弾け飛ぶ。
強烈なアースのパルスが流れ込み、彼女のうなじには、ルディの所有物であることを示す「魔力伝導パス(バウムガルトの安全誓約紋)」が青白く、くっきりと浮かび上がった。
セシルは全身を弓なりに硬直させ、自らの魔導回路をルディの完璧なシステムへと完全に接続させながら、白目を剥いてよだれを垂らし、天幕の天井に届かんばかりの、蕩けきった絶頂(完全脱力)の悲鳴を上げたのだった。




