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 翌朝の村は、早くから活気づいていた。村長の息子の指揮で、墓地の修復が始まったからだ。

 ことの顛末は既に広まっているらしい。村の広場には人が集まり、廟には新たに供物が並べられた。子どもたちは大人にくっついてではあるが顔を見せている。

 それを遠巻きに眺めながら、望は木の幹に身体を預けた。朝日が目に染みる。それもそのはず。

「相棒、めちゃくちゃいい香りしてるけど」

 隣から嫌味ったらしく忠告してくれるのは、櫟。

「そ、そうか?」

 慌てて腕のにおいを嗅いでみるが、よくわからない。それを櫟はねめつけて、更なる追撃を飛ばす。

「つやっつやしてるし?」

 ぐうの音も出ない。望は、朝露に濡れそぼった花のようだった蝋梅を思い起こす。それだけで胸が苦しくなった。切れぬ眼差しは、離れがたいその想いを如実に表しているものの、けして口にはしない。ぎゅっと頭巾を深く被って、表情がより見えないようにした。

「俺たちみたいな飢えた獣はそういうの敏感なんだぜ。匂いが移るほどいちゃいちゃしたなんてバレたら困るよな? どうして明け方まで一緒にいたのかな? 心配で寝不足な俺のこととか考えなかったのかな?」

 圧がすごい。いつ息継ぎしているのかわからないくらい早口で、美味しいお肉柔らかいお肉と連呼する。彼の好物だ。

「ほんっとーに悪かった! 後で埋め合わせはする!」

と返すと、牛肉ですよと念押しされた。祭祀に使う分が優先されるのと、土地の狭い都付近ではあまり飼えないから、高級なのだ。ただ、それくらいの働きはとっくにしてくれている。望のいぬ間に怪しい動きがあると、単身潜入してくれたばかりか、望の手引きまでしてくれた。感謝してもし足りない。何せ、望のところに情報が入ってきたのは、出立の前日のことだったのだから。



 何も知らされぬ望の元を訪ねてきたのは、彼にしては地味な衣に身を包んだ連翹だった。地味なのは変装しているからではない。物資の補給という、公的な仕事で赴いたからだ。

「慣れない仕事三昧はいかがです?」

 しかしさすがは美形。衣が地味でも、微笑みかけると嫌味なくらい絵になる。つい望のあたりはキツくなった。

「サボる暇もないくらいに監視の目がキツいよ。今日でひと段落だが、何かわかったか」

 表面上の目的はしっかりあるが、本題は別のところ。連翹は声を限りなく落とした。

「殿下の憂慮のとおり、下げ渡しの準備は凍結ではなく取り下げられていますね。代替わりで中断しているわけではありません」

 望は腕組みして考え込む。

「先の星守さまの許可を止められるとなると、自ずと先は絞られてくるが。どういうつもりだ?」

「さあ、そこまでは。塔の内部事情は、後宮の女官でも探れませんよ。たまたま耳にしてしまったくらいが関の山。星の目をかいくぐるなど、とてもとても」

 芝居がかったふうに、この美男子は肩をすくめる。それを望は白い目で見た。

「今は何人恋人がいるんだ?」

「企業秘密です。ああ、殿下にご紹介したのは手垢のついていない花々ですのでご安心を」

 異境の神相手に口説こうとするほどの男だ。胆力が違う。情報を制す者が勝負を制す。家柄も美貌も、持てるもの全て上手く利用し、のし上がろうとする。まさしく宮殿に生きる者だ。こちらも上手く立ち回らねば、逆に喰われて呑み込まれるだけ。

「火難騒ぎの時のようにしてくれるなよ」

 一応釘をさす。

「あれは元々、黒家が立てた私の偽物だったでしょう。星守さまが見つけてくださって、罰されています。真似せずにいられないとは、この美貌、罪なものですね」

 背後に花でも咲かせかねない勢いだ。余計なものが増える前に、望は他の情報を促す。

「そうそう、黒黄家の兵や女官主体で、近いうちに大きな凶兆を祓いに行くそうですね」

「祓いに、行く?」

 節目の祭祀でなければ、塔の者が出ることはない。これまでその必要がなかったと言えばそれまでなのだが。望の顔から感情が消える。

「お察しかとは思いますが、その一行の中にあなたの秘蔵の花が入っています。既に近隣の凶兆を何件か祓って回っています」

 連翹は恭しく拱手する。

「ここの指揮は僕が代わりに。どうぞお任せください」

「俺の悪評はいくらたててもいい。不在だけは悟られるな」

 立ち上がるまでにかかったのは、ほんの数秒。有能で真面目な王弟である必要はどこにもない。槃瓠の背に乗り、あっという間に風になった。

 短い夏の夜は、星もぼやけている。他に来訪者のないのを確かめさせてから、望は執務室に滑り込んだ。その場にいたのは、王とその正妃のみ。

(お見通しというわけか)

 望は遠慮なく、机を挟んで兄の前に立つ。朔の方も、どうせ聞いているだろうと前置きなく本題を口にした。

「黄家はお前を戴いて王にする算段らしい。呪いを口実に蝋梅を消し、そして俺を失墜させる。その芽を摘みたい」

 望は黙って地図の上で展開されてゆく作戦を聞く。それは星を読見とった結果。そうなるという流れがもう出来上がっている。望自身も、駒として組み込まれて。

 その通りにすれば、約束された勝利が手に入るのだ。そうやって、晶華は版図を拡大してきた。けれど。

「星守さまのおっしゃることを疑うわけではありません。が、蝋梅を単身囮にすると、そういうことですよね。呪いの解決だってそうです。対応策を与えられたところで、一人で立ち向かわせるなど。過去にそんな作戦がありましたか」

「ないからやるんだよ。お前なら絶対にとらない策だろ」

「当然です」

 祭祀では、作戦の成否も占われる。結果は、〝吉〟。ただし。

(王を引きずりおろす口実に使えるくらいだ。些細な呪いのはずがない)

 目の前の王は、余った駒を上に放り投げては取るを繰り返す。鋭い眼差しが、刺すように望に向けられた。

「表向きは星守の手柄だが、あの場にいた者は知っている。蝋梅が呪いを祓ったことも、お前が特別その加護を受けていることも。完全に口を塞ぐことはできないから、どこかでは囁かれてる。お前の方が王として適正があるってな。だから今、ナメられている時に思いきり叩いておく」

 望は地図上に身を乗り出した。覚悟はわかる。けれど、譲れないものが自分にもある。

「ならば下げ渡しを取り下げたのは? そうやって使い潰すためか?」

 目を瞬いて。朔は言いにくそうに逡巡する。先程、作戦を説明していた時の鋭利さはどこへやら。ちらと正妃と目配せして、睨まれる。蛇に睨まれた蛙は、すごすごと引き下がった。

「……あー、落ち着け。そうじゃない。急ぎ妃にするには、この手段しかないからだ。俺の即位の儀が終わっても、やれ初めての某だ挨拶だと、儀礼は続く。その後に回せばどんどん遅くなる。だろ。星冠がないなら、塔の決まりに則る必要はない。通常の王族の結婚の儀礼のみでやる。そう屁理屈をこねることにした。だから取り下げさせた。わかったら」

「……もしかして、長くないのか?」

 慎重に、望は言葉を紡ぐ。ずっと引っかかっていること。拭うことのできない焦燥。兄は髪をぐしゃぐしゃとかいた。

「違う。そうじゃなくてだな……ああもう! お前、強行突破しようとしただろ。どう転んでも責任とるつもりで!」

「ん?」

「子が生まれる前に全部終わるように、逆算して儀式を終わらせる必要がある! 今回の件も、彼女の力を借りなきゃならない! 今しかできない! お前も力を貸せ! 以上!」

 前のめりだった体が、徐々に引いてゆく。何度も自分の中で、今聞いた内容を反芻する。固まった望に、朔は嘆息した。こつこつと地図の端で駒を鳴らしながら、頬杖をついている。

「だから仕事を詰めるだけ詰めて調整させといたんだ。ありがたく思えよ」

 敵を騙すならまず身内から。それにしたって。望はすぐさま準備に取り掛かった。櫟がもう一人の赤家の仲間と潜り込んでいると聞いて、顔を隠して無理やりなりかわった。外から集められたゴロツキなら、王弟の顔など見たこともない。上の方の人間は知っているかもしれないが、まさか紛れてくるとは思わないだろう。そんな算段で。



 望の目論見は当たって、呪いが祓い終わったのちも今のところ咎めたてられはしていない。大きな木の陰に隠れながら、望は行き交う人々を眺めた。小さな子どもが、ちらちらともの珍しそうに兵を見上げている。覆面の下で、望は緩みそうになる表情を隠した。

「そういえばあの梧桐という男、うまく使えばこちら側に引き込めるかもしれません」

 櫟は天気の話でもしているかのように、手で庇を作りながら夏の陽を仰ぐ。

「なぜそう思う?」

 望も暑いと言わんばかりに、手であおいでみせる。

「盈妃さま個人に執着しているようですから。理由は教えてもらえませんでしたが、塔に来る前の知り合いとかないですか? どうも盈妃さまを個人的に知っているような口ぶりでした」

「塔に来る前の、か。梧桐、梧桐……ああ」

 記憶を手繰って、行き当たる。首元の汗を拭っていると、少し先の方へ人々の視線が集まり出した。二人もそちらに目を向ける。

 あれが、と感嘆の声が上がるのが聞こえた。二人の女官と護衛の兵を連れて、蝋梅が姿を現す。南国を思わせる鮮やかな花々のような両脇と比べれば、控えめだ。しかし、たおやかで繊細なその花は、惹きつけられずにはいられない。手折って手元でその香を愛でたくなる。鼻をくすぐった時は爽やかなのに、深く吸い込むとねっとりと甘い蜜のような香り。どうしたらあの儚い花に、あのような蜜香が宿るのか。

 口では夜闇に紛れて戻るよう言いながら、なかなか離れ難そうにしていたのを、望は思い出す。ふとしたはずみに目を覚まして、隣にぬくもりがあった時の安堵した表情と言ったら。

 皆をゆっくりと見渡す彼女と目が合ったような気がして、望はどきりとする。気のせいかもしれない。たまたま方向が合っていただけの。けれど蝋梅は見渡すのをやめて、近くの子どもの声に応えた。

 その背後で、日傘をさしかけているのは梧桐だ。望はむっとして口をへの字に曲げた。


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