079. 姉妹の独立
「え、売った…?」
あれから数週間後。姉ロゼッタの激しい暴行により危うく死にかけた二番目の姉は、気がつけば物置小屋からいなくなっていた。ようやく傷も癒えてまともな食事ができるようになった姉のために食事を運ぼうと物置部屋の扉を開けたロザリンドだったが、そこには人影がなく、ただ埃臭い物がごちゃごちゃと散乱しているだけだった。
両親にそれとなく尋ねてみたところ、彼女は金に換えられ、奴隷商人に連れていかれた…とのことだった。
「ああ。役にも立たない、ただのゴミだったからな」
「そんな…少なくとも、ロゼッタお姉ちゃんのサンドバッグくらいにはなっていたのに」
「ああ…あんな汚いサンドバッグは要らないとさ。それに、一部の貴族にはああいった白い髪の女はかなり価値があるらしい。見ろ、この金があれば、俺たちは一生遊んで暮らせるぞ!」
そう言って、父親はロザリンドに大量の金貨が入った袋を見せた。確かにそこには、キラキラと光る金色の硬貨が大量に入っていた。金色とは、黄金の硬貨とはこういうものなのかと、見たことのない色をきらめかせている。
だが、ロザリンドは微塵も嬉しくはなかった。父親の顔が、今までに見たことがないくらい歪んでいたからだ。
「ただの役立たずだと思っていたのに、まさかこんなにも金になるなんてなぁ。アレも、今まで家に置いてやった恩をしっかり返せて本望だろう。ロザリー、ロゼッタとママを呼んでおいで。今日は美味しい物でも食べに行こう」
「…わたしは、いいわ…行かない」
「どうしてだ? こんなにお金があるんだ、いくらでも食べさせてやるぞ」
「行かないわ、三人で行ってきて」
父親は不満そうだったが、愛娘が拒んでいるのにも関わらず強制することはなく、それならばせめて土産でも買ってくると、上機嫌で母親とロゼッタを連れて外出していった。
ロザリンドは静かに物置部屋の扉を開け、黙って中を眺めていた。しばらく動かずそのままでいたが、そっとしゃがみ込んで小さく呟いた。
「…おかしいな、わたしも別に、お姉ちゃんに特別情があったわけじゃないのに…」
ロザリンドは別に、二番目の姉に対して特別思い入れがあったかと言われると、そこまでではなかった。むしろ、自分が生まれた時から両親にも姉にも疎まれ、物置部屋に閉じ込められ、不愉快な出来事があれば叩かれているだけの存在だった。
ロザリンドは、両親と姉が怖かった。今でこそ自分は両親にも姉にも愛されているが、もしこの家での自分の立場がなくなってしまったら、標的は自分に向くのだろうか? そう考えると、二番目の姉が理不尽な理由で虐げられているのだとわかっていながらも、進んで助けることはできなかった。
両親のことも姉のことも大好きだが、自分のことを優しく撫でるその手が暴力に変わるのは一瞬なのではないかと、常に不安が付き纏っている。
二番目の姉とは、まともに会話をしたことがない。ロゼッタや父親から彼女の話を断片的に聞いていただけで、詳しいことは何も知らない。それでも、空っぽになってしまった物置部屋を見ていると、寂しいというか、違和感というか、何とも言えない感情が押し寄せてくるのだ。
「まあ、いいか。パパ、まさかお金を全部持って行ったわけじゃないわよね?」
ロザリンドは静かに立ち上がって、物置部屋を閉める。父親の部屋へ向かい、そこに保管されている、金貨が何枚も入った袋がいくつも入れられている引き出しを発見した。ロザリンドは無言のまま、金貨が入れられている袋のうち一つを取り出し、自身が所有するポーチに隠した。
「もう、おしまいか。ロゼッタお姉ちゃんは、気づいているのかしら」
ロザリンドは独り言を発し、家を徘徊し始める。それほど長く徘徊できるほど広い家ではないが、ロザリンドにとってこの家は、生まれてから今まで十数年間暮らしてきた実家だ。部屋の扉を一つ一つ開け、窓の外を眺め、何周もし、目に焼き付ける。
外が少しずつ騒がしくなっていく。小さく狭い村だ、金貨などというものを大量に持ち歩く人間が現れれば、早々に話題にもなるだろう。
「ロザリー、帰ったぞ!」
「おかえり、パパ、ママ。それと、ロゼッタお姉ちゃん」
数時間後に帰って来た三人を迎えたロザリンド。ロゼッタは村のアクセサリー店で売られていたアクセサリーや、化粧品などを買ってもらったらしく、かなり上機嫌でそれらを整理していた。
「ロザリー、これはお土産だ。ロゼッタがお前のために選んでくれたんだぞ」
「…ありがとう」
それほど高価なものではないが、ロザリンドの瞳に似た、深い緑色の石がはめ込まれたアクセサリーだった。高価なものではないとはいえ、この貧しい村では、かなり高価な部類に入る。
「ねえ、パパ。家族みんなで、この村を出ない? きっと、いい暮らしができるわ」
「何を言っているんだロザリー。この村は貧しいが、この金があれば引っ越しなんかしなくても、商人を呼ぶことだって出来るじゃないか! 何なら、店を建てて更に儲かることだって…!」
「……」
ロザリンドはニコニコと笑みを浮かべたまま、固まっていた。薄々感じていた、父親の欲深い一面が見えた。
認めたくはなかった。自身の父親が、こんなにも阿呆であることを。言葉にはしないが、母親もそんな父親のやることを止める気は毛頭ないどころか、大きく頷いて肯定さえしていた。
「そう」
ロザリンドは自身の感情を押し殺してそう言った。両親がしている会話の流れから、父親は現在の仕事を辞めて既に企業の準備を進めているのだということを悟ったから。
「ねえ、ご飯は食べられたの?」
「どうした? 今更羨ましくなったのか?」
「そうじゃないわ。お金、大丈夫だったの?」
ロザリンドはほとんど言葉に熱を持たせないままそう尋ねる。ただ、気になったことを聞いているだけといった風に。
「ああ、金貨で出そうとしたら、釣りがないとかいう理由で断られたんだよ。ったく、貧しい村はこれだから…」
「そう」
ロザリンドは、父親の不機嫌そうな言葉を遮るようにそう言った。だいたい予想通りだったし、面倒な父親の文句も最後まで聞くつもりはなかった。
受け取りを拒否されるのも当たり前だ。金貨とは、一枚で四人家族を一年養えるほどの金額だ。物価の低いこの村でなら、一年半は働かずに過ごせるだろう。それほどの価値のある硬貨だ、こんなにも小さく貧しい村にある飲食店に、その金貨を渡してお釣りが出せるだけの財力はない。
ロザリンドは、起業の話で盛り上がっている両親の背後で土産の整理をしている姉に話しかける。
「…ロゼッタお姉ちゃん、一緒に冒険者でもする?」
「あら、いいわね。お爺ちゃんに習ってた剣術、まだ使えるかしら?」
「一緒に頑張ろうか」
「どうやって生活費を稼ぐか考えていたところだったのよ、ありがとうロザリー。この機会だし、一緒にリリーズ王国にでも行きましょうよ」
「…うん、そうだね」
両親に聞こえないよう、こっそり会話をする二人。姉のロゼッタも大金を手にしたことで壊れて行く気配を纏った両親に気がついていた。それに対して、安堵するロザリンド。こうなってしまっては、もはや説得も意味を成さないことを、賢い二人は知っていた。
「まずは準備からよ。ちゃんと勘を取り戻してから、ね」
「もちろん。でも、パパとママにはバレないようにしないと…」
「それに関しては策があるから、お姉ちゃんに任せなさいな」
自信に満ちた笑みを浮かべたロゼッタ。ロザリンドは姉を信頼していたため、素直に姉に任せるといった意味を込めて頷いた。
数か月後。父親が建てた事業は大失敗に終わった。
一般家庭であれば遊んで暮らせるほどの金額があったにもかかわらず、収益はほとんど上げられず、商売のノウハウを一切持っていなかった父親は様々な詐欺に遭い、多額の損失を被ってしまった。
親戚からは多額の借金を肩代わりさせられた上に失踪され、事業は畳むも新たに借金を重ねて新しい事業を建てた。だが、結局それも失敗に終わった。
毎日毎日、次第に壊れて行く両親の姿を傍観していた姉妹。この数か月で、彼女らは冒険者として働くことができるだけの準備が出来ていた。
ある日、借金取りが家にやって来た。その日の食事さえありつけるかどうかわからぬ日々を過ごしていた両親だったが、その借金取りに告げられた言葉は、彼らの血の気が引くに値するものだった。
「お前らの借金は到底返しきれるものではないとお頭が判断した。お前らの娘は二人いたな? それも、とびっきり美しい娘が」
「ま、待ってください、娘は…どうか娘だけは助けてください…!!」
「うるさいッ!! 無能なお前らが口出しできる立場だと思うなよッ!! 野郎ども、家中探し回って娘二人を連れてこい!」
『へい!』
両親は泣きながら許しを請う。手元にはもう何も残っていない二人にとって、唯一残っているもの。それさえも奪われてしまっては、彼らが生きる意味はもうない。まして、美しく健やかに育った娘を身売りに出すなど、死んでも許されざる出来事だった。
「お願いします、どうか娘だけは!」
「金なら必ず返します、だからどうか、どうか…」
「お前らに支払い能力がないとお頭が判断したまでだ。諦めろ!」
「り、リーダー!」
「なんだ!?」
「む、娘が…娘がどこにもいません!!」
「なんだとッ!?」
大きな体格を持つリーダー格の男は、ドカドカと足音を立てながら家の奥へと入って行く。娘たちが使用していたと思われる部屋や、両親の部屋、物置部屋、隅々まで見て回ったが、そこは既にもぬけの殻だった。




