077. 呪い
「魔覚?」
「そう、魔覚。いわゆる聴覚、視覚、嗅覚、触覚、味覚といった五感と同じものだ。魔法使いの中には、常時魔力感知を使っていると、稀に魔覚が目覚めるヤツがいる。それは直感のような第六感とも異なる、第七の感覚さ」
「具体的には、どう感じられるんだ?」
「人それぞれさ。視る者、肌に感じる者、嗅ぐ者、音を聞く者…人によって、感じられる魔力の形も異なるんだ」
ある日の研究室にて。シノンとルデアは、魔力感知に関して会話していた。シノンは冒険者に過ぎず、学術的に魔法や魔術を学んだ経験がなかったため、探知魔法による索敵しか知らなかった。
一方で学者として様々な研究を行っていたルデアは、魔法学における最先端にいる人物の一人だ。現代では多くの魔法学者が用いている魔力感知は、貴族が独占している最新の技術。しかし、ルデアはシノンのような優秀な魔法使い、もとい魔術師にこそ、これらの技術は渡されるべきと考えていた。
最新の技術とはいえ、魔力感知の技術の原型はおよそ百年ほど前から体系化されており、ルデアにとって当たり前だった魔力感知は、庶民にはほとんど伝わっていないことがわかった。
それ故にシノンも、魔力感知の技術に関しては一切知らず、こうしてルデアに教わっているのだ。
「ちなみに、俺には魔力が色で見えるんだ。あんたの魔力は青く、濃い。まるで深海にいるかのようだ。濃くて鮮やかなほど、持っている魔力が多いことを示してる」
「へえ…」
短く返したシノン。慣れてしまえば探知魔力のように集中しなくても良いものの、魔力感知は意識しなければ使えない。もし魔覚などというものに目覚められるのならば、それほど便利なものはないだろうな…と考えていた。
「あんたは耳も目も鼻もいいし、魔覚が目覚めたらどんな風になるのかわかんねえな」
「目覚めるとも限らないけどな」
「ハハハ! 何言ってんだ、魔力が高い奴は総じて魔覚が目覚めてる人間ばっかだ。オレも持ってるんだから、あんたは絶対に目覚めるさ」
「…そうかな? 魔覚ってのが使えたら、有難いけど」
「もし普段と違う何かを感じたら教えてくれよな。あんたは五感が鋭いし、第六感も冴えてる。きっと誰よりも魔力に敏感な人間になるさ」
*
「落ち着いて聞いてくれ、アルファ。お前はついさっきまで、呪いを受けていた」
「…え?」
全く想定していなかったシノンの言葉を聞いたアルファの声が、屋内にこだまする。
――呪い。文字通り、対象を呪う術。それは良い意味でも悪い意味でも使われる言葉だが、アルファがかけられたものはポジティブな意味を持つ呪いではなく、ネガティブな意味を持つ呪いである。
「ルデアのところで魔法の基礎を学んでおいて良かった…解析に少し時間はかかったけれど、簡単に言うと、マーキングをされていたんだ」
「マーキング?」
「うん。自分の魔力を心臓に刻むことで、相手の人格を餌に稼働する…厄介な魔法だった」
「そ、そんな…」
アルファはショックから固まってしまう。呪いの存在なんて遠い世界の話のように感じていたのに、まさか自身がそのようなものを受けるとは思わなかった。
実際、呪いを受けて無事で済んでいる人間というのは少ないため、体験談もあまり聞かない。だからこそアルファのように、まさか自分が…となってしまうのは、仕方のないことだ。
「大丈夫。大事になる前に、全て取り除いたから」
「…そ、そっか…ありがとう、シノン…ありがとう…」
一気に全身の力が抜けてしまったアルファ。リュケイオンで魔法について学んできたシノンがいてくれてよかったと、アルファは心の底から安堵した。
「でも、どうしよう…俺、呪われるほど恨まれていたのかな…」
「アルファが気にすることじゃない。大丈夫、お前は悪くない」
生真面目な性格をしているアルファ。人に恨まれることなどないよう、できる限り衝突を避けて道を歩いてきた。ルフスに絡まれていた時の一件に関しては、大事な仲間のためだったため仕方がなかったとはいえ、もし自分を恨むことがあるとすれば、それは屈辱を受けたルフスの方だと思っていた。
「また、来るかな。あの、ロゼッタっていう人…」
「…人を呪わば穴二つ。きっと、もう関わることはできないだろうな」
「…? どういう、意味だ?」
「秀亀に伝わることわざだよ。他人を恨んだり害を与えようとすると、その報いが自分にも返ってくるという戒めの意味が含まれている」
アルファはシノンが言っている言葉の意味が分かるような分からないような感覚だったが、シノンは窓の外に浮かぶ月を眺めてしまったので、釣られてアルファも空を見上げた。小さく欠けた月が、今夜も静かに地上を見下ろしていた。
*
「あああ…ッ!! 熱い、熱いあついあついッ!!」
「…はあ」
とある宿の一角。ベッドの上でゴロゴロと転げまわりながら悶え苦しむ一人の女がいた。その傍らには、呆れたような表情でそれを見下ろす少女の姿もある。
「お姉ちゃん、あの魔法を使ったのね? もうわたしにはあなたを救うことはできないわよ」
「許さない…あの女、わたしからすべてを奪ったあの女…!!」
瞳孔は小さくなり、血走った眼を見開きながら爪を噛む女。髪は乱れ、クマができた顔は酷く歪んでいてもはや判別が出来なくなっているが、彼女は鮮やかな赤い髪を持つ友愛の剣サブリーダー、ロゼッタである。
傍らでため息を吐き続ける赤髪の少女は、ロゼッタの妹であるロザリンドだ。
「ルミナのことを言っているの? 勝手な被害妄想はやめなさい。とても醜いわよ、お姉ちゃん」
「うるさいッ!! あんたなんかに何がわかるっていうのよ!!」
「わからないわよ。理解する気もないわ。あなたは救いようのない、どうしようもない女。もうお姉ちゃんとも思ってないわ」
「あああああああ!!」
その言葉を聞いた瞬間、ロゼッタは冷静さを欠く叫び声を上げながらロザリンドに手を上げようとする。しかし、終始冷静なロザリンドは、ロゼッタからの攻撃など華麗に交わして見せる。その目は非常に冷ややかであり、一切の熱を帯びていない。
絶対零度の如く冷え切った視線は、正気を失ってしまった女に突き刺さる。
「パパにもママにも、この魔法は使うなと散々言われていたのに…禁忌の闇属性魔法なんて、なんの役にも立たない、自分に害しかないものなのに」
「フーッ、フゥーッ」
「…あなたはもう少し、頭のいい人だと思っていたわ。だけど、もう潮時みたい。昔みたいに、仲良くお料理や刺繍や、冒険者として一緒に戦うこともできないのね。さようなら、わたしの大切なお姉ちゃんだった人」
ロザリンドは冷たくそう言い放つと、部屋を出て行った。宿の主人に数日分の宿代を出し、告げた。
「今あの部屋に泊まっている人は赤の他人だけれど、ご迷惑をおかけしたり、一日でも滞納するようであれば、容赦なく追い出していいわ。あの人に、この宿の支払いをする能力はもうないから」
「は、はあ…」
ロザリンドは滞在していた安宿から出ると、振り返りながら小さく呟く。
「…これが最後の慈悲よ、お姉ちゃん。あなたがその地獄から抜け出せるかどうかはわからないし興味もないけれど、せめて他人に迷惑をかけることなく死んでね」
冷たく、しかしまだ温度が残った声でそう呟くと、ロザリンドはその後一度も振り返ることなくその場を去って行った。
翌日、トレジャータウン地区にある冒険者ギルド総本部を訪れたロザリンド。彼女は現在、ソロ冒険者となって仕事を受注している。まだ成人もしていない少女であるロザリンドの冒険者ランクはCであり、そんな女性がたった一人で冒険者をしていくにはとてもではないが厳しい。
「…ロザリー?」
「ん? あ、ルミナじゃない」
手頃な依頼書を探していたロザリンドに話しかけたのは、休養を終え冒険者ギルドに来ていたルミナだった。そして、その隣には見覚えのある白金髪の少女と、青髪の少女も立っていた。




