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水の聖者  作者: 森川 悠梨
第四章 全王王国リリーズ
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071. 竜の異常行動

「疲れた…」


 エレニアに送迎され、学園寮へと無事戻ってきたシノン。部屋の扉に鍵をかけると、窮屈なフードを取ってベッドへうつ伏せに寝転がる。

 明日は、ミネルヴァとの面会の約束の日だ。ルデアとの共同研究もまだ残っているというのに、ミネルヴァの依頼を遂行し、定期的に仲間に顔を出し、近日中にはおそらく全王との謁見の予定が入ることだろう。


「……」


 シノンは、自身の手をじっと見つめながら何か物思いに耽っている。彼は、自身の手で赤竜を討伐したことを決して後悔はしていない。思いもよらぬ緊急事態のせいで望まぬ目立ち方こそしたが、多くの人間の命を救うことはできたから。


「…明日は午前中に学園長と面会、その後は…ルデアも帰ってくるかな。次の休日には、ルミナ達に顔を出しに行きたいけど…数日以内にはおそらく謁見が…あって…」


 小さく呟くように今後の予定を整理していたシノン。様々な出来事が立て続けに起こってさすがに疲れていたのか、シノンはうとうととし始めていた。しかしすぐに目を開き起き上がると、フードを深く被り直す。

 部屋の外から足音が響く。シノンは覚えのある魔力の波動に反応し、部屋の扉の鍵を開けた。


「シノン、いるか?」

「ん、おかえり、ルデア」


 部屋の扉が叩かれ、予想通りの人物がシノンに対し自身の訪問を告げた。シノンは特に警戒することなく扉を開け、遠征から帰って来たルデアを迎え入れた。


「よう、聞いたぜ。赤竜を討伐したってな?」

「…耳が早いな」

「なんてったって、オレらが見逃しちまった竜だからな! 感謝するぜ、あんたがいなかったら、ここはどうなってたことか」


 ルデアは笑みを浮かべながらシノンへ感謝を告げた。部屋に置いておいた茶をルデアに淹れて渡すと、ルデアは礼を言いながらそれを受け取る。


「悪かったなぁ。本来なら飛竜の討伐って話だったから、一日で帰れる予定だったんだが…あの赤竜は、飛竜を囮にオレらの目を掻い潜り、王都ラヴェンナまで飛んで行ったらしい」

「…上位竜が、若い竜を囮に…?」


 ルデアのその言葉に違和感を覚えたシノンは、茶を飲む手を止めてそう返す。


「さすが、気づいたか。竜はオレら人間と同じく知能を持つ生命体だ。だが、オレら人間よりも裏切りや規則違反に厳しく、結束が固い。規則違反によって人間に殺されてしまう飛竜以外は、若い竜の命を進んで捨てるといった行為は、本来ならしない」


 茶を一口飲み、ルデアは真剣な顔つきで言った。シノンもその言葉を聞いて黙り込み、考え込む様子を見せた。


「オレらは飛竜の討伐には成功した。だが、肝心な赤竜を撃ち漏らして、王都を危険に晒しちまった。本当に、感謝してるよ。ありがとう、シノン」

「いいよ。たまたま居合わせただけだし」


 頭を下げて礼を告げるルデアに、シノンは手を振りながら言った。

 飛竜とは、戦う力を持たない人間にとって脅威的な存在だ。一つや二つの町の存亡を握っていると言っても過言ではない。王都ラヴェンナとて、被害なしに討伐できる存在ではないのだ。下級の竜とは言え、知能と強大な力を持ち合わせていることに変わりはないのだから。

 リリーズ王国では、度々竜の目撃がある。それは、ラヴェンナからほど近い山脈には竜の集落が存在しているからだ。

 竜と人は長い間、共存関係を築いてきた。若い竜が人里に降りて来て暴れまわることこそ多いものの、それは竜の一族にとって掟破りの行為に当たるらしく、人が竜の領域を侵さない限り、上級の竜が人里に下りてくることはない。

 血気盛んな若い下級の飛竜が人の領域を侵した時、人の手によって討伐されることを、竜の一族は許容している。竜にとって掟を破ることは、死と結びつく行為だからだ。


「…なるほど。やはり、宮廷魔法使いだけでは太刀打ちできなかったんだな…」

「宮廷魔法使いでも、精鋭は遠征に出ていたんだろ?」

「ああ。序列第四位・茨の魔法使い、序列第五位・音の魔法使い、序列第十一位・精霊魔法使い、序列第十二位・黒の魔法使いも同行してたんだ」


 ここで、シノンは宮廷魔法使いの中でも序列を持つ魔法使いたちのものと思われる集会を思い出した。十二席ほどあった中でいくつか空きがあったのは、彼らが遠征で留守だったからなのだろうと。


「今回の赤竜による異常行動に関して、もしかすると今後上級竜側から何かしら接触があるものと思われてる。リリーズは長らく竜との共存関係を築いてきたが、こんなことは初めてだしな…」

「……」


 シノンは特に、ルデアに対して返事はしなかった。ここから先は自身の領域ではなく、全王王国リリーズの問題だと判断したからだ。ルデアがシノンにこの話をしているのはあくまで雑談の延長線であり、赤竜を討伐したシノンも念のため知っておくべきことと判断したため。しかし、シノンがそこに口出しをするつもりはない。

 人と竜の関係が悪化すれば、それこそ戦争という形になりかねないことだろう。竜とて人との関係を悪化させるメリットはなく、人にとっても甚大な被害が出てしまう竜との戦争はできる限り避けたいところ。その際に、シノンが国から依頼を受けて、その戦争に参加する可能性も、ルデアの言葉には含まれている。


「ま、とにかく、父さんや国のお偉方が長くて眠くなりそうな会議をこれからしていくんだろうな…明日は学長せんせーと面談だったな? また迎えに行くぜ」

「…ありがとう」

「そろそろ行くわ。邪魔したな。お茶、めちゃくちゃ美味かった。じゃ、また明日」

「うん、また明日」


 これ以上はシノンの休憩を邪魔しないよう、ルデアは椅子から立ち上がり、部屋から出て行った。シノンは深く息を吐き、ルデアが去って行った扉の鍵を閉める。

 シノンもあの竜の行動には違和感を覚えたものの、面倒ごとに関わるつもりはなかったため、深く考えるのはやめた。

 ここは全王王国リリーズ。長い間竜という上位の存在と共存関係を築けていたのは、優秀な魔法学者だけでなく、高度な訓練を受けた騎士団、多くの優秀な高ランク冒険者の存在があるだろう。今回手を出したのは、偶然居合わせただけとはいえ、あの場ですぐに赤竜と渡り合うことができる人間が自分しかいなかったからだ。

 自分がいなくても、この国は決して脆弱ではない。竜の一族とも、対等に渡り合うことができるだろう。


「…とはいえ、赤竜は数千年も生きた上位竜のはず。生まれてから数百年程度の飛竜と違って、力を誇示したいがために人里に降りてくることはない…追放されたから自身の領地を築こうとした…? それとも、別の要因があるのか…」


 シノンは窓の外を眺め、小さく呟く。前者であれば、問題は国と竜が対話で解決することができるだろう。しかし、何かしら別の要因があるのであれば、話は別だ。

 竜の一族は世界中に点在している。このような問題がリリーズだけに留まらず世界中で起こってしまうようであれば、シノン達にとっても無関係の問題ではなくなってしまうからだ。


「……」


 目を閉じ、首を横に振ってから、シノンはカーテンを閉めた。ローブを脱ぎ、仕事用の服も脱いで壁に掛けると、ベッドに潜り込んだ。


 *


 皮膚を突き刺すような冷たい風が吹き抜ける山間――標高が高く空気の薄い山脈に築かれた巨大な文明は、とても人が暮らす場所とは思えない。広く頑丈に作られた石造りの建造物の間を飛び回るのは、大きな翼と鋭い爪や牙を持つ巨大な爬虫類――竜だ。

 鮮やかな青い体表を持つ竜が、他の竜よりも巨大な体躯を持つ竜の元を訪れた。


「長老様、あの追放者が、一族の若い竜を連れ出し人里へ向かったと報告がございました」

「…はあ…なんということだ…」


 長老と呼ばれた巨躯の竜は、大きなため息を吐きながら唸るように嘆いた。彼が唸り声を上げることで、両脇に設置されている篝火の炎が小さく揺れる。


「野良の身分へと成り下がるとはいえ、可愛い甥がようやく授かった子だからと、追放で済ませたのは甘かったらしい。掟を破り、長く共存関係を築いてきた人の領域へ足を踏み入れるとは…」

「いかがいたしますか?」

「放っておいても問題はないだろう。あの者程度の力では、あの街の人の子には勝てぬだろうよ。我々は、彼らに誠意を示す準備をしなければならぬ」


 青い体表を持つ竜は頭を下げた後、後ずさりしてから翼を広げ羽ばたき、長老の元を去る。長老の言葉を、皆に伝えに行くために。


「…偶然であるか、数千年前の厄災が、再び訪れようとしている前兆か…我らは準備をせねばならぬようだ…」

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