↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
水の聖者  作者: 森川 悠梨
第四章 全王王国リリーズ
75/86

070. 気配を持たぬ少年

「…ふう」


 赤竜の騒動によって誰もいなくなったエレニアの研究室にて、静かに息を吐きながら壁に背を預ける人物がいた。ローブを身に纏い、フードを深く被る少年…シノンだ。彼はほとんど一人で赤竜を倒した後、誰にも気づかれぬようその場から姿を消した。

 シノンにとって宮殿は土地勘のない未知の領域であるため、行動できる範囲はほとんどない。故に、唯一立ち入りが許可されているエレニアの研究室へと逃げ込んだのだった。


「先ほどは、見事な戦いであった。さすがは、Aランク冒険者といったところか」

「…どうも」


 低く、威圧感に満ちた声の持ち主が、エレニアの研究室へと逃げ込んだシノンへ声をかけた。


「そう警戒しなくとも良い。そなたを困らせるつもりはないのだ」

「……」


 ジャミーラ公爵だった。彼はシノンの動きを終始観察していたため、姿を消すシノンもしっかりと捉えていた。


「そなたの剣術、そして未知の魔法は実に興味深く、面白い。そして最も注目すべきは、序列を持つ宮廷魔法使いたちでさえ気が付かない魔力制御技術…どこでそれを学んだのだ?」

「…御託は結構です。要件はなんでしょうか」

「おっと、世辞のつもりはなかったのだが」


 ジャミーラ公爵は、ふっと笑みを浮かべる。公爵という天上の存在を前にここまで堂々と礼儀に反した言葉遣いができるその度胸を、大変気に入った様子だった。


「礼儀を欠いた言動を謝罪しよう。わたしの名はマルク・セント・マニュスマギア・ジャミーラ。ジャミーラ公爵家の現当主にして、全王王国リリーズの筆頭宮廷魔法使いだ。そなたの名は、シノン…だったか」

「はい」


 礼儀正しく、丁寧に、自己紹介をしたジャミーラ公爵。それに対してシノンは、短く、されど失礼にはならぬ程度の返事をする。


「先の赤竜の討伐、大儀であった。本来であれば、我が愚息の率いる遠征討伐隊が、あの赤竜を仕留めるはずだったのだが…取り逃がし王都へ逃げて来たのか、あるいは別の個体が現れてしまったのであろう。なんにせよ、そなたの活躍で、死傷者を出さず赤竜を仕留めることができた。礼を言おう」


 ジャミーラ公爵…マルクは、シノンに対し頭を下げた。シノンは、マルクに対して多少の警戒心を抱いてしまったことを申し訳なく思いつつ、そのお礼を受け入れた。


「…倒せる相手なのに、傍観して死傷者が出るのは気に入らなかっただけです」

「ふふ、我々はそなたに命を救われたのだ。何か褒美を取らせよう。陛下にも報告しておく」

「要りません」

「それはできぬ。既に部下たちが赤竜の死体を片付け、陛下に報告申し上げているところだろうからな」

「……」


 シノンは黙り込んでしまう。上手くフォローするだけのつもりだったのに、予想以上に赤竜が手強く、結局手柄を上げてしまうことになろうとは思わなかったからだ。


(…この少年は、少しでも目を離せば、消えてしまいそうな雰囲気を纏っている…)


 マルクはシノンから目を離さない。このまま野放しにするのは、非常に勿体ない人材だと判断したからだ。


「シノン…! っ、公爵様、どうかお見逃しを」

「エレニアか。何のことだ」

「…事情があり、彼には私の傍でお手伝いとして就いてもらっておりました。ルデアからの依頼なのです。どうか、彼をお見逃しください…!」

「ほう、我が愚息から?」


 マルクは、シノンから視線を外すことなくエレニアへ返事をしていた。エレニアはマルクとシノンの間へ立ち、頭を下げた。


「彼は決して悪人ではありません、罰ならばどうか私に…!」

「そう焦るな、エレニアよ。わたしは彼にも、そなたにも、罰を与えるつもりは毛頭ない。ただ彼に対し、礼を述べていたに過ぎぬ」

「えっ、そ、それじゃあ…」


 エレニアは焦った様子で飛び込んできていたが、マルクはいつもより優しい声音で彼女に声をかけていた。


「此度の赤竜騒動については、陛下に対し詳細に説明申し上げたうえで、彼には褒賞を受け取ってもらわねばならぬ」

「あ、ありがとうございます…!」


 エレニアはホッとした様子で、マルクに対し頭を下げていた。


「ところで、彼のような冒険者がいたなら、王都でも少なからず話題に上がっていたはず。しかし、わたしは彼の名を一度も聞いたことがない。何故だろうか?」

「シノンは、一ヶ月ほど前にこの国に来たばかりなのです。それをルデアが見つけて、彼と共に共同研究をしているそうなのです」

「ほう? 我が愚息(ルデア)と共同研究か…」


 マルクは普段、家に帰る機会はない。家族との交流も、一般家庭よりかなり少ないだろう。それは筆頭宮廷魔法使いとして、リリーズの四大公爵家の一つであるジャミーラ公爵家当主として、多忙な日々を送っているためだ。

 だが、彼は決して家族に無関心な人間ではない。長男の魔道具師としての活躍も、次男であるルデアが教鞭を取る王立学園リュケイオンでの研究も、耳に入る情報は全て記憶している。そのため、ルデアが魔法だけでなく、魔術というものを研究していることも知っていた。

 そういえば、シノンが赤竜と戦う際に使っていた魔法はどれも無詠唱であった。長年魔法使いとして生き、研究してきた彼は、魔法の詠唱は「決して省くことのできない神聖な儀式」であることを知っている。

 故に、シノンは詠唱を必要としない魔法の存在…つまり、魔術と呼ばれるものの使い手であることは明白だった。ルデアが彼と共同研究をしている内容はつまり、数少ない魔術の使い手であるシノンと共に、魔術を研究しているのだろうと、ほとんど確信に近い予想を立てた。


「魔術のことは、ルデアから聞いてください。ここではどうか、ご内密に」

「はは、なるほど。確かに、わたしでなければ気がづかぬ魔術の使い方であったな。良かろう、唯一融通の利くそなたの願い、わたしが叶えよう。そなたが魔術の使い手であることは、決して口外せぬと誓う」


 マルクは愉快そうに笑い、シノンからの要望に応えた。魔術とは、非常に稀有な存在だ。もし彼が魔術の使い手であることが世間に公表されれば、それこそ学会が蜂の巣を叩いたかのような騒動が起こる。

 シノンを観察している限り、彼は目立つことを極端に嫌っている様子だった。魔術の研究成果は全てルデアに譲り、自身は影からその研究を支えるつもりでいることがよくわかった。

 世の中には、目立つことを嫌い、影から物事を支えることを好む人間が存在していることを、マルクはよく知っていた。だからこそ優秀な人材であるシノンに嫌われないためにも、彼の要望には素直に応じたのだった。


「さて、わたしは陛下に報告申し上げて来るとしよう。あまり待たせては、ダグリス公爵家の若当主に文句をつけられかねんからな」


 マルクはシノンとエレニアに手を振りながら、研究室を去って行った。エレニアはシノンを振り向き、いつもの調子で話しかけて来た。


「お疲れ様。公爵様は厳しいお方だけど、とても誠実な方なの。約束は必ず守ってくださるでしょうし、あなたの活躍に見合った褒賞を下さると思うわ」

「…要らないんだけど」

「あはは! そんなことを言うのもきっとあなたくらいよ! まああまり緊張しないで。大人数で公式の場に出なくても大丈夫なように、あたしからも進言しておくわ」


 可笑しそうに笑いながらそう言うエレニア。すると、下の階から続々と人の気配が迫って来ていた。


「あら、皆帰って来たわね。あたしの執務室を貸してあげる。誰も入らないよう厳しく命令しておくから、そこで休んでいてくれる? 夕方には学園寮まで送って行ってあげるから」

「…わかった」


 エレニアの部下たちも、赤竜とシノンの戦闘を目撃した宮廷魔法使いたちだ。もしシノンがこの場にいることが判明すれば、間違いなくシノンは彼らに囲まれてしまい、逃げ場を失くしてしまうことだろう。

 今最適なのは、これから事後処理で忙しくなるエレニアと共に行動することではなく、シノンを隠すことだろう。シノンも丁度休憩したかったところだったので、遠慮なく休憩させてもらうことにしたのだった。


 *


 長く豪華絢爛な装飾品で溢れた廊下を歩くマルク。彼はリリーズで絶大な権力を誇る四大公爵家の一つであるジャミーラ公爵家の当主であり、筆頭宮廷魔法使いの称号を持つ男だ。当然、彼とすれ違う大臣も、使用人も、立ち止まって彼に頭を下げて行く。


(シノン…か。若いが、非常に多くの才を持つ人間なのだろう。…いや、彼は本当に「人間」なのだろうか?)


 マルクはひたすら考え事をしながら廊下を歩く。マルクがシノンを前にした時に最初に感じたのは、まるで熟練の剣士を前にしているかのような威圧感。そして、初めて全王を前にした時のような、強い緊張感だった。


(…もしかすると、見た目通りの年齢ではないのかも知れぬ…)


 とはいえ、シノン本人の振る舞い方は、長寿の人間のそれではなかった。確かに年齢に見合わない達観した態度を取ってはいたものの、本物の長寿とは、自身が想像もしていないことを言ってのけたり、やってのけたりするものだ。例えば、五百年以上もの時を生きている才を持つ子(シァラスト)の全王や、ダグリス公爵家の者たちのように。


「さて…どう報告申し上げようか」


 重厚な扉の向こうには、此度の赤竜騒動に関する報告を待ち構える大臣や、彼らの主人でありこの国の統率者である全王が待ち構えている。

 マルクは一つ深呼吸をし、軽く身なりを整えてから、慣れた様子で扉を開き、よく通る声で自らの参上を告げた。


「筆頭宮廷魔法使い、マルク・セント・マニュスマギア・ジャミーラ、ただいま参上いたしました!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。