069. 赤竜との戦闘
騎士団や宮廷魔法使いが連携を取り、竜との戦闘を繰り広げる音は、内廷にいる人間の耳にも届いていた。その中でも玉座に座り、黄金の杖を携える女性は、動揺し取り乱している文官たちを静かに見下ろしながら、微動だにしなかった。
ウェーブのかかった淡く艶のある桜色の髪は地に着いてしまいそうなほど長く、その頭には黄金の神飾りとティアラが着けられている。幼くも美しいといった表現が合う顔立ちであり、憂いを帯びたかのような表情をする彼女のその瞳は閉じられている。
細く華奢な体格でありながら、彼女の持つ佇まいは非常に洗練された王族のそれであり、この場にいる内政を専門とする文官たちが取り乱しながらもパニックにならないのは、彼女がこの場の空間を常に支配しているからである。
「…全王さま、何をお考えで?」
独特な風貌をした、大柄な男が彼女に話しかける。男は黄金の髪と、狐の耳、九本の尾を持っていた。左目がほぼ隠れてしまうほど長い前髪の奥に見える深紅の瞳には光がなく、光を宿している右目のみが、彼女を捉えていた。
彼が身に纏う服装は、秀亀という島国でよくみられる和服というものだ。長いマフラーを首に巻き、口元はそのマフラーによって半分ほど隠れている。肩からは深緑の上着を羽織っており、腕を組み、胸を張るその姿は、下々の者を従える立場の人間であることがよくわかる。
「…月が、満ちるようです」
「は?」
「不思議な力を感じます。失われていた力が、還って来たようですね」
「と、言いますと?」
「……」
全王は何も返さなかった。男も全王からの返答を促すでもなく、ただ傍に付き従っていた。竜との戦闘は、より激しさを増しているらしい。外廷と内廷はかなり距離があるにもかかわらず、地面を伝ってくるこの衝撃は、竜がかなり激しく暴れている証でもある。
「全王さま、かの竜は…」
「…ええ。やはり「王」の復活が、近いのかもしれません」
男は深刻な顔つきのまま、黙り込む。眉間にしわを寄せ、何か考え込むように。
「…サイモン、やはりわたくしたちは、何としても水の神を探し出さなければならないようです。捜索の手を、更に強めてください」
「御意」
サイモンと呼ばれた男は礼儀正しく全王に頭を下げると、素早くその場を去って行く。残された全王は静かに息を吐きながら、その後は黙って、竜と宮廷の者たちが戦う音を聞いていた。
*
「グオオオ!!」
「攻撃の手を止めるな!! 魔力が尽きそうな者はポーションを飲め! 決して惜しむな!!」
宮廷魔法使いたちが放つ攻撃魔法は、赤竜にも十分通用するものだった。赤竜は空へと舞い上がろうとする。だが、それに対し鯉口を切ったシノンが追い打ちをかけた。
シノンは赤竜の翼の付け根を深く傷つけ、赤竜は悲鳴を上げながら地面に落下する。人の手が届かない高さにまで舞い上がってしまった赤竜を躊躇いもなく追撃し、竜の強みの一つである翼を封じてしまった。
「グルㇽァァアア!」
「ッ!! 火のブレスが来るぞ!! 防御シールド準備!!」
「グルォッ!?」
「え!?」
赤竜の火のブレスが放たれる直前、ジャミーラ公爵の指揮の下全員が防御態勢に入った。だが、そのブレスが放たれることはなかった。
ブレスが放たれると身構えていた宮廷魔法使いたちと騎士たちの元へ炎が到達することはなく、代わりに赤竜の頭から爆発音が響いた。
「…ふむ」
その様子を全て見ていたのは、筆頭宮廷魔法使いであるジャミーラ公爵。赤竜のブレスが吐き出されるほんの直前に、シノンが赤竜の口元へ飛び込み、水の魔法を赤竜の口の中へ直接放っていたのが爆発の原因だった。
ジャミーラ公爵は、シノンの動きを注意深く見ていた。彼は基本的に傍観者だが、一歩遅れてしまえば手に負えない状況になるのを防ぐように動いていたように見える。
赤竜が空を飛ぶことを許してしまえば間違いなく城下に被害が及び、手が付けられなくなる。いくら防御態勢を取ろうとも、赤竜の吐き出す激しい炎は完全に防ぐことができず、確実に死傷者が出ていた。
今、宮廷魔法使いや騎士たちのほとんどが無傷でいられるのは、シノンの存在があってこそだと言っても過言ではない。
もちろん、彼らとて世界一と言われる魔法使いの集団であり、遠征に出ている騎士団ほどではないものの、ここに残る白鷺騎士団とて世界でも有数の騎士大国、騎士王国スフィンの騎士にも負けずとも劣らない精鋭揃いだ、彼らだけでも、赤竜の討伐くらいはできただろう。だが、その過程で間違いなく死傷者が出る。
エレニアが連れて来たと言うシノンというAランク冒険者がいなければ、ここまで彼らが無傷でいられる未来はなかった。
「グルルルル…グルルゥ」
赤竜は低く、小さく唸る。まるで目の前の小さな生き物に対して、恨めしく、憎むように。自身よりも圧倒的に小さく弱いはずの人間に、自身が翻弄されることに対しかなり不愉快さを感じているかのように。
「グワアアアア!!」
赤竜は大きく咆哮を上げる。それにより、辺りに舞っていた土煙が払われた。
「く…っ、まだまだ元気ね…」
「宮殿内で上級魔法はご法度だし、ただの飛竜かと思いきや赤竜だもんなぁ」
戦闘中だというのに緊張感を持たない若い宮廷魔法使いの青年は、後頭部で手を組み面白くなさそうに呟く。彼が得意としている魔法の属性は火属性であり、魔法で思い切り暴れることを好む彼にとって、火属性の魔法耐性が非常に高い赤竜は面白くない相手なのだろう。
「そんなこと言ってないで、仕事をまっとうしろバカが! 王都、ひいては王国の存亡の危機なのだぞ!」
「大袈裟だなあ。倒すくらいはできるだろう」
「じゃれているヒマはないわよ。次が来る」
赤竜はシノンに向けて鋭い牙を剥き出しにしながら迫る。しかし、シノンは冷静に飛び退き、赤竜は執拗にそれを追いかけた。鋭く巨大な前足の爪を伸ばし、太く頑丈な尻尾で薙ぎ払い、激しく宮廷内の中庭を破壊していく。
「なんだあれ…入り込む余地もない」
「…なんてことだ…」
赤竜は、二度も自身を邪魔し負傷させたシノンを先に片づけるべきと判断したらしい。赤竜討伐部隊は完全にそっちのけで、ただひたすらにシノンへの攻撃を繰り返していた。
シノンに対して火のブレスは通用せず、最大の強みである翼も深く傷つけられ空を飛ぶこともできない。残っているのは、もう一つの強みである、自身の牙や爪、尾による薙ぎ払いのみである。だが、宮廷魔法使いたちの中級攻撃魔法を連続で叩き込まれたダメージとて、馬鹿にはできない。あれらは確実に、赤竜の体力を削っていたらしい。
赤竜の動きは次第に鈍く、破壊行為の激しさも失われていった。
「…あのコ、やるじゃない」
「なかなかっスね。魔法使いかと思ったけど、ガッツリ前衛だったし」
「あの魔力量じゃ、魔法使いは無理があるだろ」
世界一と謳われる魔法使い集団でも、暴れまわる赤竜の中へ飛び込むことは命を捨てる行為である。騎士団とて、高い戦闘能力を持つ人間は現在、この宮殿には残っていない。故に、現在上位種である赤竜とまともに戦えるのは、自然とAランク冒険者シノンのみに絞られる。
「……」
静かにシノンの動きを観察しているのは、ジャミーラ公爵だった。彼の鋭い視線は赤竜ではなく、小さな体格の持ち主でありながら大きな力を秘めるシノンに向けられている。
エレニアからシノンがAランク冒険者であることは聞いていたため、彼が赤竜とも渡り合えるほどの力があることに対し驚きはしなかった。Aランク相当の危険度を持つ赤竜は、そもそも宮殿の騎士団や魔法使いの領域ではなく、冒険者の専門分野であるからだ。
ジャミーラ公爵が最も驚いた点…それは、シノンには気配がないことだ。
(あの者は私に警戒心を抱かれぬよう、敢えて私の目に確実に映る位置へと移動していた。注意深く観察せねば、見失ってしまいそうだ)
静かに見守りつつ、シノンの動きも分析するジャミーラ公爵。他の者は気が付いていないようだが、シノンから感じられる魔力には違和感がある。おそらく、今感じ取れる魔力量は、彼の本来の保有魔力ではないのだろう。
そんな間にも、シノンは赤竜の太い尾を切り落とし、腕と足を切り落とした。身動きの取れない赤竜は、最後の抵抗とばかりにシノンへ大口を開け、叫び声を上げながら迫る。だが、振り向きざまに振り上げられた鋭い一閃によって、赤竜の首は綺麗に切り落とされた。
一瞬で命を奪われた赤竜は白目を剥き、地面に倒れ、沈黙する。シノンは冷静なまま剣に付着した血を薙ぎ払うと、そのまま剣を鞘に納めた。
「や…や、やったああ!!」
「うおおお!!」
「あの子供が赤竜を一人で倒したぞ!?」
傍観していた騎士たちや宮廷魔法使いは、涙を流しながら生を喜び合った。本来、赤竜のような竜の上位種を討伐する際は、多くの犠牲を伴うものだ。突然現れた上位竜に対し満足に攻撃もできず、一度は重傷者も出したこの戦いで、死者が出なかったという奇跡を、一人の子供が起こしたのだ。
喜び合う彼らが赤竜を倒した子供に駆け寄ろうとするが、気が付いた時には、赤竜の周りからその子供の姿が消えていた。




