067. 宮廷魔法使い
外せない用事があり、しばらく帰って来れないというルデアは、二日目になっても帰って来なかった。そのため、彼の婚約者でありジャルミス伯爵家の令嬢であるエレニアがシノンと共に行動をしてくれるということになった。
午前の二度目の鐘が鳴る前に豪華な馬車で迎えに来てもらい、全王の住まいである宮殿――ロイヤルパレスへ足を踏み入れたのだった。
シノンは「友人の紹介で宮廷魔法使いの仕事を見学しに来ている新人魔法使い」としてここにいるため、今日一日はそれらしい動きをしなければならない。そのため、エレニアは最低限の仕事を済ませると、シノンに研究室の内部を案内してくれた。
「ここはメインの研究室よ。序列を持たない宮廷魔法使いたちが議論や実験を行う場所なの」
重厚な扉の先にあった広い空間では、エレニアの部下と思われる魔法使いたちが集まって研究・実験、お呼び議論などを行っていた。中には調べ物をしたり、新たな魔法陣を描いていたりと忙しない様子だった。
第二研究室、第三研究室、そして第二実験室や書庫、書斎などの案内をされた後、それらの場所とは少し雰囲気の違う三階へ来た。
「ここは休憩室兼仮眠室。中にはここに泊まっている魔法使いもいるわ。こっちはキッチンとシャワー室、向かいの部屋は食堂になっているの」
この場所ひとつで、人間が生活を送れるくらいの設備が整っているエレニアの研究室。彼女曰く、他の研究室ではそうもいかないらしく、ここまで設備を整えたのもエレニアが就任してからなんだそう。というのも、研究者は一度没頭すると食事も睡眠も疎かにしてしまう生物らしく、せめて泊まりで研究等するのなら、この場所で完結できる設備をと考えたらしい。
「ま、この場所での生活が快適になりすぎて、あまりにも家に帰らない魔法使いがいたら、あたしが強制送還しているのだけどね」
「へえ」
「そして、外を見てみてちょうだい。あそこは魔法訓練場よ。今は午前の魔力トレーニング中ね」
エレニアは一通り中の案内をし終わった後、外へ出た。外の訓練場では、朝の雑用を終えた数人の若い魔法使いたちが魔力の訓練を行っているようだ。
「あなたならわかるかもしれないけれど、魔法使いも、毎日グラウンドを走り回る騎士団と同じように、魔力を扱う準備運動が必要なのよ。今彼らがしていることは、その準備運動よ」
魔法使いたちは長い詠唱を口にしながら、魔力を放つ動作を繰り返し行っている。魔力切れを起こさぬよう、できる限り消費魔力量の少ない魔法を使用していた。
王立学園リュケイオンで見かけていた生徒も十分優秀ではあったものの、さすが厳選された宮廷魔法使いといったところか、彼らの魔法はどれも学生よりも洗練されたプロであることがよくわかる卓越した魔法ばかりだ。
「どうせ今日一日だけでしょうし、案内はこの辺りにしておくわ。何か聞きたいことはあるかしら?」
「…今は特にないかな」
「そう、わかったわ。それじゃ、あたしの仕事その一、行くわよ」
そう言うと、エレニアは訓練をしている見習い宮廷魔法使いたちへ近寄って行き、号令をかける。魔法の訓練により、火や風、地や雷など様々な属性の行き交う訓練場で、その声は非常によく響いた。
「全員、魔法の手を止めよ!」
『はい!』
エレニアのその号令により、絶えず魔法が放たれていた訓練場はピタリと止まる。そして素早い動きで整列し、エレニアに対し敬礼の動作を取る。
「休め! これから、あたしも少し準備運動をするわ。全員であたしに初級魔法を打って来なさい」
『はい!!』
全員が一斉に返事をし、エレニアを円形に囲む。そして全員が詠唱を開始し、それぞれ己の持つ適正属性の初級攻撃魔法をエレニアに向けて放つ準備をした。
一方でエレニアはというと、ただでさえ短い初級攻撃魔法の詠唱が終わってもなお、杖を持ってはいるものの棒立ちしたまま微動だにしない。
(初級魔法とは言え、一つでも生身で喰らえば怪我をするのでは…?)
初級攻撃魔法とは、多くの魔法使いが訓練開始から一年ほどもかからず習得できるほどの難易度でありながら、全て共通して木の幹の表面を削る程度の火力はある。簡単だが、小さな魔物であれば倒せる程度の火力は持ち合わせているのだ。
木の幹の表面が削れる程度とはいえ、人間とは脆く弱い。周囲を囲まれ一斉に放たれる初級魔法をやり過ごす方法は、防御魔法を展開するか、上空に跳んで避けるくらいしかない。だがエレニアは魔法使いだ、防御魔法の展開には遅すぎるし、上空に跳んで避けられるだけの身体能力も期待できない。
『火球!』
『風の刃!』
『氷の矢!』
『―――…』
初級魔法の詠唱を終え、最後の一言を以って、エレニアに向けて一斉に放たれる攻撃魔法たち。普通なら絶望的な状況だが、エレニアは余裕のある表情だった。口元に笑みを浮かべ、シノンには聞き取ることのできない未知の言語を発すると、エレニアを囲うように球状のシールドが出来上がっていた。
その球状のシールドは攻撃魔法を受けると徐々に消えて行き、光の粒となって消えた。
「やっぱりダメかぁ」
「エレニア様のシールドは硬すぎますよ…」
「見くびられたものね。あなたたち程度の見習い宮廷魔法使いに破られるほど、柔なシールドではないわ。さあ、もう一度よ!」
エレニアは見習い宮廷魔法使いたちの攻撃を更に三度ほど受けた。先ほどのようにシールドで守るだけでなく、杖に座りながら空中を駆け回って避けたり、一度の魔法で複数属性を扱い打ち消したり、未知の魔法で攻撃魔法の持つ魔力そのものを打ち消したりと、様々な方法でやり過ごしていた。
シノンはギリギリになっても危うければエレニアの手助けに入ろうかとも一瞬考えていたが、エレニアは最後まで余裕の表情を崩さなかったため、見守ることにしていた。
「ふう、皆お疲れ様。それぞれ魔力補充ポーションを飲むのを忘れないでね」
「はい…!」
「ありがとうございました!」
皆がエレニアに頭を下げ、訓練場を去って行く。見慣れない人物が傍にいることを気にしている者もいたようだが、エレニアに対し質問を投げかける者はおらず、周囲は早々に静かになった。
「さっきのは、刻印魔法…?」
「そうよ。よくわかったわね、さすがだわ。ルデアが研究している詠唱の省略は、刻印魔法から着想を得ているの。もちろん、あいつの卓越した魔力操作技術の賜物でもあるのだけれど、刻印魔法はその言葉の意味を完全に理解したうえで、発動イメージを鮮明に行うことで扱えるの。それに、通常の魔法よりも圧倒的に発動速度が速いのよ」
先ほどの訓練でエレニアは、初級攻撃魔法が放たれてから詠唱を行い、見習い宮廷魔法使いたちの攻撃を防いでいた。それは決して簡単なことではなく、魔術を扱うシノンから見ても、魔法の打ち合い勝負でエレニアに勝てるイメージは、簡単には湧かなかった。
「私の仕事その二。次は、メイン研究室に戻って進捗の確認をするわ。大丈夫だと思うけれど、ここで見聞きしたことは基本、他言無用でお願いするわね」
「わかった」
エレニアと共に研究室内へ戻り、メイン研究室で行われている研究員たちのそれぞれの進捗報告を聞く。
エレニアがここで研究しているのは刻印魔法学と魔法陣学。これらは魔法技術の向上だけでなく、人々の生活をより豊かにする魔道具における応用も目的としている研究だ。
同じ志を持った見習い宮廷魔法使いたちは皆望んでエレニアの下に集い、日夜熱心に研究に励んでいる。熱心に研究する魔法使いたちは皆エレニアに対し積極的に報告や質問、議論などをしており、シノンはその会話に全て着いて行くことこそできなかったものの、非常に興味深く後ろで静かに聞いていた。
研究室の進捗報告を聞いて回った後、丁度昼休みの時間帯になった。
「あたしの生家、ジャルミス伯爵家は、ルデアのジャミーラ公爵家の分家に当たるの。ジャルミス伯爵家は代々魔道具師の家系なのだけど、あたしは運良く魔道具師たちよりも優れた魔力量を持って生まれたから、魔法使いの家系であるジャミーラ公爵家に弟子入りしたのよ」
研究室に設けられた休憩室兼食堂では、エレニアとシノンが雑談をしながら食事を摂っていた。シノンは、研究室で働く見習い宮廷魔法使いたちにかなり注目はされているが、エレニアが付きっきりであるため、余計なちょっかいはかけずに遠目で見ていた。
ほとんど声も発さず顔も見えないし、体格が小さいため男性には見えないので、あまり問題にはならないだろう。婚約者のいるエレニアが、一日異性と行動を共にしていることが明るみに出たら、間違いなく社交界で妙な噂になってしまうところだ。
「ルデアとは幼馴染みなのよ。あいつ、自分のことを天才っていうの、昔からなの。シノンはあいつと一緒にいて疲れないかしら?」
「慣れた。最初は変な奴だと思ったけど」
「あはは! そうよね! あいつは頭が良すぎるせいで友達が少ないの。あなたさえよければ、仲良くしてあげてね」
「うん」
ルデアは口や足癖こそ悪いものの、決して他者を見下す人間ではない。一介の冒険者でしかないシノンに対しても対等に扱ってくれる彼の態度は、シノンも気に入っていた。
「そろそろ時間ね。どう? ここの食事はお口に合ったかしら?」
「うん、美味しかった」
「ふふ、それは良かったわ。それじゃあ、午後のお仕事もしに…ん?」
「…!」
食事を終え、片付けのために立ち上がった瞬間、エレニアは言葉を止めて北東の方角を見る。それとほぼ同時に、シノンの肩も小さく跳ねた。エレニアと同じ方角を見ながら、黙ってじっとしている。
「エレニア様ー!!」
「何?」
エレニアを探しに来た部下の男が、食堂の入り口から慌ただしく入って来た。エレニアはその男へ歩み寄り、膝を着いた部下からの報告を聞く。その表情は険しく、火急の事態が起こっていることを皆に物語っていた。
「報告申し上げます。現在、王都ラヴェンナに向けて一頭の飛竜が向かって来ているとのことです。至急、宮廷魔法使い序列第八位のエレニア様にも出動して欲しい…と、筆頭宮廷魔法使いジャミーラ公爵様からの仰せです」
「わかったわ。今すぐ行く」
「俺も行こうか?」
「あ…うーん、そうね、あなたなら危ないこともないでしょう。一緒に来てくれる?」
「わかった」
エレニアからの言葉を受け、頷きを返すシノン。
Aランク冒険者であるシノンも同行し、エレニアは駆け足で宮廷魔法使いの塔へ足を運んだ。その際、上空には一頭の、真っ赤な体表を持つ飛竜が咆哮を上げていた。




