066. ロイヤルパレス
シノンがルフスに決闘を申し込み、圧勝してから三日経った日の午後。
あれ以来ルミナ達は皓月千里として冒険者ギルドに顔を出すことはなく、ひたすら休日を過ごすことにしていた。
アリュスフィアとユウキはルミナを気分転換に連れ出したりしていたのだが、アルファはひたすらソロでダンジョンに潜っていた。ソロという慣れない活動方式であるため、多くの冒険者がいる浅い階層までの探索、比較的安全な地帯での採集依頼などを中心に請け負っていた。
シノンは仕事のため、宿まで迎えに来ていた豪華な馬車に乗って学園へと戻って行った。
「あら、今日も一人なの?」
「…また来たのか」
「まあそう言わずにさぁ…シノンは、今日もいないの?」
ギルドに顔を出したアルファに声をかけて来たのは、友愛の剣のサブリーダーであるロゼッタだった。艶のある妖艶な声でアルファを誘惑しているのかと思いきや、彼女の本命はシノンであるらしい。
「シノンは仕事に行っている。しばらく帰って来ない」
「そう。じゃあしょうがないわね、今日もわたしがついて行ってあげるわ」
「だから、勝手についてくるな」
アルファにしては珍しく、ロゼッタに対してかなり冷たい反応を返していた。それもそのはずだ、彼女はルミナを無理矢理連れて行ったパーティ・友愛の剣のサブリーダーであり、パーティ内ではルミナと決して良好ではない関係だったことも知っているからだ。
ロゼッタがアルファに、毎日シノンの所在を聞いてくる目的もわからない。いずれにせよろくなことではない予感しかなかったアルファは、こうして彼女の誘惑にも一切見向きもせず、あしらっている。
「その…大事な話があるの。今日で最後にするから、お願い」
「他を当たってほしい。俺以外にも頼りになる冒険者はいくらでもいるだろう」
「違うの! シノンに繋いでほしいの、わたし…ルフス様に逆らえなくて…」
見え透いた嘘に、アルファはため息を吐き呆れる様子を隠さない。その話が本当ならば、ルミナに対する態度や決闘中に見せたこの女の態度には納得がいかない。
断ろうとロゼッタを振り向き、口を開こうとしたアルファ。しかし、思うように言葉が出なかった。ロゼッタから香って来た濃い薔薇の香りで、頭がふわふわしてきたからだ。
「っ…!」
「どうしたの?」
アルファは飛び退いて、ロゼッタから距離を取った。しかし思考が上手く回らず、そこからのアルファの記憶は途絶えてしまった。
*
「っ…!」
「起きたかしら? …大丈夫? 変な夢でも見たの?」
「…いや…」
エレニアによる迎えの馬車に揺られながら、シノンはうたた寝をしていたらしい。フードを被っているため見えにくいものの、エレニアはシノンから感じられる魔力の流れによってそれを察していた。
表情こそ見えないが、普段は冷静なシノンの心臓がいつもより激しく動いていることを、エレニアは感知したらしい。
「座った状態で居眠りをすると、全身の筋肉が驚きやすいものよ。ほら、もうすぐ着くわ。学園の通行証を用意しておいて」
エレニアが指さす先にあるのは、荘厳な宮殿。ロイヤルパレスと呼ばれるその純白の宮殿は、全王が暮らす場所であり、この国の政治の中枢だ。
「学園の通行証が使えるのか?」
「ええ。ヴィストン学園長が発行した通行証には、特別なお客さまである証が刻まれているはずよ。ルデアがすでに話を通してくれているから、それも有効なはず」
シノンはエレニアに言われた通り、通行証を手元に用意する。それは魔力で生成された透明な特殊ケースに保護されたカードであり、学園の紋章と、通行証を発行したミネルヴァ・ヴィストンの名が刻まれている。
「…ルデアは、まだ戻って来れないんだな」
「ええ、そうみたいね。明日になっても戻って来れるかどうか、微妙な状況らしいわ」
二日前に用事があるからと出かけて行ったルデア。彼は公爵家の次男であり、一介の冒険者でしかないシノンには、彼の外せない用事とやらが何なのかはわからない。しかし、心配はほとんどしていなかった。
どちらにせよ大人しくルデアの帰りを待つくらいしか、シノンにできることはない。
「さて、あなたにはあたしの仕事のお手伝いさんとしてついて来てもらうわ。あなたのことは、あたしの婚約者の友人として紹介するわ。宮廷魔法使いの仕事に興味があって、ルデアの紹介で見学しに来ている新人魔法使い…これでいいかしら?」
「構わない。具体的に何をすれば?」
「あたしの主な仕事は、宮廷魔法使いたちの訓練指導と自分の研究、そして陛下の護衛よ。時々、各部署から依頼を受けて動くこともあるわ。あなたには、あたしのサポートをして…いる風に振舞うだけでいいわ」
「サポートをしている風…?」
「ええ。あなたはあくまでお手伝いさん、見学者よ。荷物運びと飲物係みたいなものだと思って。あまり難しいことはないから、安心して」
エレニアの説明に納得したシノンは、無言で頷く。確かに、余計な体力も気力も遣わなくて済みそうな「お手伝い」だと、肩の力を抜いていられそうだと感じていた。
「さあ、雑談はおしまい。通行証を貸して」
差し出されたエレニアの手に通行証を差し出したシノン。宮殿の門を潜る際、エレニアは窓を開け、門番に通行証を見せた。門番の騎士はリストを確認しチェックを済ませると、すんなり通してくれた。
エレニアはシノンに通行証を返し、見える場所に常に身に着けておくよう言われた。シノンは頷くと、いつも学園内で過ごしている時のように、ローブの上から首に下げた。
「ロイヤルパレス内では、魔力を常に抑えて、絶対にそのローブは外さないでね」
「わかった」
宮殿内では学園とは違い、ルデアのように魔力を「感じる」ことのできる人間が多くいる。
もしシノンという莫大な魔力を持つ人間の存在がバレてしまえば、エレニアではシノンを庇いきることができなくなってしまう。しかし、シノンは卓越した魔力操作の技術の持ち主だ。ルデアに自身の魔力を抑える方法を教えてもらった際は、まるで知っていたかのようにすんなりとその技を身に着けてしまったのだ。あまり心配する必要はないだろう。
魔力を感知する方法に関しては、魔法使いにとってそこまで難しいことではない。だが、自身が発する魔力を抑える技術に関しては、隠密行動時以外、常時できる人間は、宮廷魔法使いでもそう多くない。
シノンが扱う「魔術」自体、魔力操作技術が肝となる部分があるため、シノンが容易に魔力操作技術を覚えられたのにはそれが影響しているのかもしれない。
「さ、着いたわ」
馬車を降り、シノンを案内し始めるエレニア。宮殿内は一つの町よりも広く、大きい。異なる部署へ移動するにも毎回馬車が必要で、場合によってはそこに足を踏み入れるための権限を示す証が必要な場合もある。
警備は非常に厳重で、好き勝手歩き回れるような場所ではなかった。
「おはようございます、ジャルミス宮廷魔法使い様」
「おはよう。今日は、昨日話をしていた通り、お手伝いさんがいるわ。彼は宮廷魔法使いの仕事を見学したいだけだから、余計なちょっかいはかけないでね」
「わかりました」
研究所に入った瞬間、魔法研究員と思われる若い男性から挨拶されるエレニア。
「ここはあたしの研究室。序列を持つ宮廷魔法使いは、自分が管轄する研究室を持つことが許されるの。だけど、見習いの宮廷魔法使いも何人かいるから、できるだけあたしの傍から離れないでね」
廊下を歩きながら、エレニアはシノンへ簡単に研究室の説明をしていた。シノンは無言で頷き、速足で歩くエレニアにしっかりと着いて行っていた。
「退屈だろうから、あたしのことも教えてあげるわ」
エレニアはシノンを振り向きながらそう言うと、廊下の突き当りにあるかなり重厚な扉に振れる。すると、大して力は入れていないように見えるにも関わらず、その扉はゆっくりを開かれた。その奥に見えるのは、天井まで届くのではないかというほど高い本棚と、そこにぎっしりと詰め込まれた魔導書の数々、そして壁、床、天井、さらに空中にまで漂う、わずかに光を発する魔法陣だった。
「ジャルミス様! おはようございます!」
『おはようございます!!』
「ええ、おはよう。各自仕事を続けてちょうだい」
エレニアがそう声をかけると、その広い空間にいた見習いの魔法使いたちと思われる者たちは、一斉に自分たちの仕事へと戻って行った。
「あたしの専門分野は、魔法陣学と刻印学なの。刻印に関しては、聞いたことある?」
「…いや」
「そうよね。研究者くらいしか、刻印のことを知っている人はいないわ」
エレニアは歩き出し、シノンもそれに続く。床や壁に敷き詰められていたり、宙に浮かぶ魔法陣にはできる限り触れないよう、注意しながら。
「刻印とは、刻印魔法と呼ばれる古代の技術の一つよ。通常の魔法では具体的に表せない事象を刻印文字として魔法陣に刻むことで、魔法が起こす事象をより具体的にするものなの。例えば、青い炎を出す、とか」
「青い、炎…?」
シノンは首を傾げる。炎とは通常、赤やオレンジといった暖色系統の色をしているのが一般的だ。青い炎なんて、日常生活を送る上ではあまり見ない。
「ふふ、何の意味があるの? と思うでしょう? 青い炎というのは、通常の赤い炎よりも温度が低いの。それでも、熱いことに変わりはないけれど。だけど、これを活用することで、火加減の調整がより上手くできる魔道具を作ることができるの」
「あ…」
魔道具とは通常、魔法陣に特定の動作を刻み、魔石から流れる魔力を使用して人々の生活を支える道具だ。キッチンなどで使われている火属性の魔道具であるコンロは、火属性の出力を調整する指示が魔法陣に刻まれている場合が多い。
ただ、この構造では魔石の消耗は激しく、効果が十分に発揮されていないのが、魔道具師たちの頭を長年悩ませている事柄なのだ。しかし先ほどエレニアが言っていたように、通常の火よりも温度の低い火が出せる技術が生まれれば、より効率的な魔道具を生み出すことができる…ということだ。
「あたしたちの研究室では、人々の生活をより豊かに、そして魔法の技術の発展・向上をメインに研究しているのよ。ルデアが研究している魔術の知識も取り入れて、最近は皆モチベーションも上がっているの。あなたが来てくれたおかげで、ルデアだけでなく、あたしたちの研究も進捗が進んでいるわ。本当にありがとう」
「なるほど」
エレニアの机と思われる場所へたどり着き、エレニアはシノンに向き直りながらそう言った。シノンも納得したように頷くと、自分の技術が誰かの役に立っていることが少しだけ、うれしくなった。




