062. 休暇の提案
「エレン、ちょっと頼みがあるんだ」
「何?」
エレニアはルデアの研究室に設置されている、腰よりも背の高い机に座る。改まって頼みがあると言うルデアの話を聞く姿勢になり、それを確認したルデアは更に続けた。
「エレンも聞いたことがあるだろ、シノンの「素顔」に関する噂を」
「ええ。学園の生徒たちの噂が、まさかロイヤルパレスにまで届くなんて」
シノンは学園に滞在する間、相変わらずフードを被って顔を隠したまま過ごしている。モスウッドの行いによってシノンの「素顔」がたくさんの生徒たちの前で曝されてしまい、噂好きの生徒たちは親にまでその話をしてしまったらしい。
マリアやロウが懸念していた通り、シノンは非常に特別なレイヴァだ。ただでさえレイヴァという存在自体が珍しいが、これまで確認されているレイヴァにはそもそも獣人のような特徴は見られない。
獣人族との交配実験とて何度も行われているものの、シノンのように狼の獣人の特徴を持つレイヴァのような子供は生まれなかったとされている。これは学者の都市であるリリーズ王国では非常に有名な話であり、生徒たちにもこの実験を知っている者は多い。
何せ、レイヴァは非常に優れた戦闘民族であり、美しくも絶滅の危機に瀕している種族だからだ。だが、ルデアはシノンがどんな姿でも、自身に素顔を見せてくれなくとも、好奇心旺盛な学者や貴族たちに囲まれてしまうような事態は避けたいと強く願っていた。
「本来ならオレが隣に着いていてやりたかったんだが、明日外せない用事が出来てしまったんだ。だからオレの代わりに、エレンにはシノンの傍にいてやってほしい」
ここ数日は、公爵家の次男であるルデアが常に傍にいることでシノンに余計な虫が付かぬよう、抑止力となっていた。だがここには貴族関係者しかおらず、貴族とはどこまでも貪欲な人間が存在する世界だ。
シノンのように稀有な存在がもし一人で歩き回っていれば、その隙を突いて自分の欲望を満たすため、何をされるかわからない。それはシノンの身体を狙う女子生徒である可能性もあるし、交配実験などの実験体にする学者の可能性もあるし、あるいはシノン自身を「売る」ことで得られる金に目の眩んだ人間かも知れない。
そう言った人間からシノンを守るためには、それなりの地位にいて、ルデアが厚く信頼を置く人間である必要がある。その条件を満たす人間は何人かいるが、そのうちの一人であるミネルヴァは多忙で頼れず、父親は筆頭宮廷魔法使いとしてほとんど家にも帰れない。そんな中で最適な人物が、婚約者であるエレニアだったのだ。
「なるほどね~。あたしのことを信頼してくれてありがとう。だけどルデア、あなたはあたしの都合を考えたことはある?」
「もちろん。明日は通常勤務のはず」
満面の笑みを浮かべているが、なんとなく圧を感じるような声音で言葉を発するエレニア。しかしそれにもかかわらず、一切臆する様子もなく即答するルデア。
エレニアはため息を吐きながら、そんなルデアに肩を竦めながら返事を返す。
「…ふうん。まあいいわ、わかった。だけど今から休暇申請を取るのは無理だから、シノンにはむしろあたしのお手伝いさんとして一緒に行動してもらうことになると思うけれど、それはいいの?」
「俺はどちらでも…最悪部屋から出なければいいだけだし、迷惑かけるくらいならそこまでしなくてもいいよ」
「迷惑とかはあまり気にしないで。あなたには想像がつかないかも知れないけれど、ここは学者の楽園であると同時に、他人を蹴落としてでも自分が成果を得るような人間の世界なのよ。あなたには貴族籍がないから、最悪権力で揉み消せるような出来事に巻き込まれてもおかしくはない」
エレニアは真面目な様子でシノンへそう告げる。実際、貴族は権力が全てと考える人間も多い。シノンにはそう言った身分も権力もなく、下手をすれば何らかの形で搾取される可能性が高いのだ。
Aランク冒険者という肩書はあるが、まだ実績もほとんど残していないような若い冒険者だ。欲に駆られた貴族の権力によって揉み消されてしまう可能性は、非常に高い。
実力でどうにかすることもきっとできる。だが下手に暴れるような行為をすれば、何かしらの罪をでっちあげてでも、シノンの方がそれに問われる可能性がある。だからこそ、何か問題に巻き込まれる前に守る必要があると、ルデアやエレニアは判断したのだ。
「むしろ、巻き込んでしまっているのはこちら側だわ。ルデアがモスウッドの思惑にちゃんと気づいていれば、事前に防げたものを…」
「あはは…」
「ほんと、魔法や魔術以外には興味がない人なんだから。いつか痛い目見るわよ?」
「ごめんって。気を付けるから」
ルデアはどうやら、婚約者のエレニアには逆らえないらしい。シノンは二人の会話を聞きながら、そう感じていた。しかし互いに互いの意見をはっきりと言える関係であり、かなり良好に見えた。シノンはただただ、その二人のやり取りを黙って見つめていた。
「とにかく、あなたは今、学園内や宮殿付近のように、貴族が多くいる場所では一人にならない方がいいわ。あなたほど賢い人なら、この場所が力ではどうにもならないことくらいわかるでしょ」
「うん」
「それならいいわ。で、ルデアのその用事っていつまでなの?」
「さすがに一日で終わると思うが…」
ルデアは頭を掻きながらそう答えるが、どうやら確信がないらしい。
「…ふーん。ところで、共同研究って言うけど、あなた達休暇は取っているの?」
「いや?」
「えっ信じられない」
エレニアは目を見開いて答える。シノンとルデアが共同研究を始めてから、すでに二週間ほど経っている。食事や睡眠を忘れて研究に没頭する日もあり、休日らしい休日は、二人にはほぼなかった。
「…あたしがシノンに付き添ってあげるのは構わないけれど、明日は一旦お休みにしたら? 明後日、午前中に学園へ戻ってくれば問題ないでしょう?」
「ん、そう、だな…」
「あなたねえ、はあ…頭はいいくせに、どうして休むっていう選択肢を忘れるのよ?」
「だって、楽しいんだもん」
「楽しいんだもんじゃないわよ。はあ…シノン、明日は休暇にしたらどうかしら? 王国には、一人で来たの?」
非常に呆れた様子でルデアと話していたエレニアは、優しく笑みを浮かべながらシノンにそう声をかける。エレニアの言う通り、確かにここ二週間は非常に多忙な日々を送っていた。
ミネルヴァの依頼にルデアとの共同研究で、食事や睡眠を忘れることもしばしば。しかし冒険者として、速やかに睡眠を取りすぐに活動できるようにするといったスキルは持っているシノン。二ヶ月間の隠密行動で食事も睡眠もまともに取れない環境で、健康そのものの状態で過ごしていた経験もある。
そのため自分の休暇に関してはあまり気にしてはいなかったものの、二週間顔を出せていなかった皓月千里の仲間たちの顔が思い浮かぶ。このまま一ヶ月の契約期間を過ぎるまで顔を出さないのも良くない気がして、これを機に一度彼らの元に戻るのも良いかと思い至った。
「…パーティの仲間と」
「あら、やっぱりそうよね。休暇がてら、少し顔を出しに行ってあげなさい。その間にルデアの用事も終わっているでしょうし。万が一長引いてまだ戻って来れなそうなら、あたしがあなたのことを迎えに行くわ。宿はどこかしら?」
「や、宿まで…?」
「ふふ、あなたも驚くことがあるのね。貴族の送迎は基本的に馬車で、それはお客さまも例外ではないわ。それに、宮殿には貴族の馬車でなければ入れないの」
まさか宿まで迎えに来られるとは思っておらず、思わず困惑するシノンだったが、エレニアの説明を聞いて納得する。トレジャータウン地区にある宿の名前をエレニアに伝え、二日後にルデアが戻れないようならば午前二度目の鐘が鳴る前に迎えに行くといったことが決まった。




