057. 婚約者
ジャミーラ教授の客人、シノンの噂が生徒の間で広がり始めてから数日後。
ルデアはミネルヴァに事の経緯を説明し、ミネルヴァはシノンに対し改めて謝罪をした。シノンは気にしていないと彼女に伝え、ミネルヴァも講師全員に、シノンに対し失礼があった場合は何かしらの懲戒処分を与えることを伝えた。
シノンはミネルヴァの研究の手伝いで学園に滞在しており、ルデアの魔術研究に大きく貢献してくれた人物だ。彼に対する無礼は、ミネルヴァとルデアの研究の妨げになることと同義であることを忘れないよう、彼女は皆に警告したのだった。
「…あの、別に大丈夫なので…」
「いいえ。これはけじめであり、あなたへの謝意でもあります。どうか、お気になさらず」
ミネルヴァは柔らかい笑みを浮かべたまま、そう断言した。
「とにかく、またご無礼があってはいけませんから、何かございましたら、いつでもおっしゃってくださいね」
「…ありがとうございます」
ミネルヴァとルデアによって守られている自分に慣れず少し戸惑うシノンだったが、良い人に出会えたと、いつもより柔らかい声音でミネルヴァに礼を告げる。
貴族は苦手だったが、こういう人々なら、関わりを持ったままでも良いのではと思うシノンだった。
「さて、時間は有限です。本日は、ラトス帝国のシャノン教に関してお話したいと思っておりましたの」
軽く手を叩き、ミネルヴァは明るい口調でそう言った。
ラトス帝国。それは、シノンとロウが出会った国であり、あれ以来一度も足を踏み入れていない土地。非常に発展した技術と軍事力で周辺諸国を圧倒しており、戦争の国という異名で呼ばれている。
「ラトス帝国の話は、あの有名なシャノン教で教義されている通りですよ。『古の神々の戦争の時代、人類は滅びの危機にあった。飢えに苦しみ、魔物を倒す力のない人間の前に、白く美しい天女が舞い降りた。銀の刃で漆黒の魔物を切り伏せ、聖地シャノン山へと姿を消した…』」
「ええ、そのお話は存じ上げております。シャノン教の経典の写本は、このリュケイオンにもございますから」
シノンが語ったこの物語は、ラトス帝国では誰もが知る建国の時代の物語。人類を救った光の女神シャノンが、漆黒の魔物を打ち倒し、光をもって人々を導き、水をもたらし渇きを潤し、土壌を整え作物を芽吹かせ、飢えから人々を救った。
その際、その女神が去って行った先は、現在のシャノン山脈であるとされている。このシャノンという言葉は、当時の言葉で「祝福」を意味する。
そしてシャノン教は、ラトス帝国の国教であると同時に、世界で最も信仰している人口の多い宗教でもある。
「あまり多く話せることはありませんが…そういえば、あの国では、銀の髪と青の瞳を持つ子供は、聖女または神子として、教会によって監禁紛いのことをされるとか…」
「まあ、噂には聞いたことがございますが…本当だったのですね」
ラトス帝国では、シャノンを形容するものとして、銀糸の如く美しい白銀の髪に、深い深海を象徴する青き瞳を持つ者は、女神シャノンの祝福を受けた神子の象徴として扱われる。
神子が生きている時代には、ラトス帝国は繁栄し、栄華を誇り、作物は豊作続きで、商売は繁盛するといった言い伝えがある。だからこそ、教会はそのような人間がいれば、保護という名目でその人間を誘拐または監禁紛いの行為を以って拘束する。それこそ、シノンは危うくラトス帝国から出ることができなかったかも知れなかったのだ。
「…実際に、そのような容姿をしている人間はほとんどいませんし、今教会に「保護」されている子供たちも、似たような姿をしているだけで…銀糸の髪や、深い青の瞳とは程遠い子供たちばかりでした」
「なるほど…過激派が存在している宗教ですし、そのようなこともあり得ますね」
シノンの話を聞きながら、メモを取り続けるミネルヴァ。ラトス帝国は国内の情報を外部に漏らすことを極端に嫌う国であり、実際に国内で見聞きしなければ、わからないことも多い。シノンが話した「聖女」や「神子」の話とて、学者のトップに君臨するミネルヴァでさえ、噂程度にしか聞いたことがなかったほどだ。
「聖地シャノン山脈については、何か聞いたことがございますか?」
「えっと…基本、立ち入りは禁止されていたはずです。ただ、年に二度ほど、神に祈りを捧げる儀式があって、その時には関係者のみが立ち入り、神子か聖女も連れ出されるそうです。ロウに聞いた話ですが」
「ふむ、なるほど…」
シャノン山脈は、人類未踏の山脈だ。山頂を年中、永久凍土に覆われており、麓から強力な高ランクの魔物が蔓延るダンジョンであるからだ。
内部構造はほとんど不明であることが多く、どのような魔物がいて、どのような環境になっているのか一切わからず、シャノン教が聖山への立ち入りを禁止していることもあって、名実共に人類未踏に地となってしまった。
シノンが話せることはあまりなかったものの、シャノン教の経典に書かれている内容などをざっくりとミネルヴァから語って聞かせてもらうなどして、時間はあっという間に過ぎてしまった。
「本日も、とても有意義で楽しい時間でした。シノン様、また三日後にお会いしましょう」
「ありがとうございました」
シノンは立ち上がり、頭を下げてからミネルヴァの研究室を出て行った。ルデアがすでに迎えに来ており、壁に背を預けて腕を組んでいた彼は、シノンの存在に気づいて話しかけて来た。
「よう、待ってたぜ」
「学園長が警告したんだろ? もう迎えはいいのに」
「ははっ、あんたと早く話したいってのと、今日は紹介したいやつがいて来た」
「…?」
シノンは首を傾げる。リュケイオンでは知り合いを作る気は全くなかったが、ルデアが紹介したいというのであれば会ってみようと、そのまま頷くのだった。
「もう研究室に呼んであるんだ。必ず約束ピッタリに来るやつだから、もういると思う」
ルデアは歩き出し、シノンもルデアに並んで廊下を歩く。少し歩くと生徒とすれ違う場所を通るが、ルデアが一緒に歩いているからか、生徒はシノンに視線を送ることを躊躇していた。あまりにジロジロ見ていると、ルデアに目をつけられ、課題や実践講義で痛い目を見ることがわかっているからだ。
「待たせたな、エレニア!」
「遅い! もう五分以上の遅刻よ!?」
「悪い悪い、紹介したいやつがいるって言ったろ。学長せんせーと面会してたんだから、仕方ないだろ」
「…その子が紹介したい子?」
研究室に入った途端二人を迎えたのは、明るい茶髪の少女だった。彼女がつけている銀の髪飾りには薄桃色の美しい宝石があしらわれており、振り向いたその少女の瞳は鮮やかな緑色。幼い顔立ちだが非常に愛らしい雰囲気であり、街ですれ違えば誰もが振り向くであろう美人だった。
魔法使いのローブを身にまとっており、首から下げる空色の装飾が施された首飾りは、おそらくルデアの婚約者であることを示す証なのだろう。
「おう。エレニア、彼は魔法と魔術の共同研究の同僚で相棒のシノン、こう見えてAランク冒険者だ。でシノン、こいつはエレニア。オレの婚約者で、オレほどじゃないが、彼女も天才魔法使いなんだ」
ルデアは簡単に紹介してくれた。エレニアは優しく笑みを浮かべ、シノンに手を振りながら挨拶をする。
「ハロー、よろしくね」
「…どうも」
若干緊張した様子で挨拶を返すシノン。ルデアは満足そうにそんな二人の様子を見守っており、エレニアはルデアの耳を摘んで引っ張る。
「いだだだ! ちょ、痛い!!」
「で~? 大事な婚約者であるあたしよりも、最近知り合ったばかりのシノンさんの紹介の方が十五文字も多かったのはどういった了見かしら~?」
「待った待った、シノンとは同僚で親友で相方で、それ以上でもそれ以下でもないから!!」
「そう? なら良かったわ」
ルデアの耳を摘んでいた手をパッと放し、エレニアはにこりとシノンへ笑いかける。
「お見苦しいところを見せてごめんなさい。この人、男女関係ないし見境ないから、つい」
「おい、誤解を招くこと言うな」
「事実じゃない。それもこれも、あなたの顔が良いのが問題よ」
「そんなこと言われてもなあ」
頬を掻きながら返事を返すルデア。二人のやり取りについて行くのに必死で、言葉を発する間もないシノンは、ただ黙って彼らの様子を見ていた。
「シノンさんが困ってるわ。改めて自己紹介しましょうか。初めまして、あたしはエーレン・メギストス・ジャルミス伯爵の娘、エレニア・ジャルミス。ルデアの幼馴染みで、婚約者よ。宮廷魔法使い・序列八位の称号を持っているわ。よろしくね」
エレニアは、明るく優しい笑みを浮かべて自己紹介した。貴族でありながら含みなど一切ない、シノンが見ていて不愉快にならない、美しい笑顔だった。
「…えっと、シノンです。若輩者ですが、一応Aランク冒険者です」
「堅苦しいのは好きじゃないの。ルデアと話すのと同じ感じで話してほしいわ。それと、あなたも良ければ、エレンって呼んでちょうだい」
「…わかった。よろしく、エレン」
「よし、無事紹介も終えたということで、エレン。ちょっと頼みがあるんだ」
「何?」
シノンはエレニアに差し出された手を遠慮がちに握り、握手を交わす。その様子を満足そうに見守っていたルデアは、手を叩き、今回二人を紹介した理由について話し始めるのだった。
「シャノン教」 知名度 ★★★★★
光と水の女神シャノンを信仰する宗教。
『古の神々の戦争の時代、人類は滅びの危機にあった。飢えに苦しみ、魔物を倒す力のない人間の前に、白く美しい天女が舞い降りた。銀の刃で漆黒の魔物を切り伏せ、聖地シャノン山へと姿を消した…』




