056. 客人の噂
「シノン、どうだ?」
「うん…いい感じ」
多くの生徒が魔法の修練を行っている訓練場の隅で、宙に浮かび、瞑想をするような体勢でじっとしていたシノン。地に足を着き、様子を聞いてきたルデアに返事を返した。
「じゃあ、問題だ。現在この訓練場には、合計何人の魔法使いがいる?」
「二十三人。その他の三人は剣士か、あるいは長柄武器の前衛かな」
「いいじゃん、正解だ」
感心したように手を腰に当て、にこにこと笑みを浮かべているルデア。現在はシノンがルデアから、探知魔法を使わず、感覚だけで魔力を感知する方法を教えてもらっている最中だ。
探知魔法とは、薄い魔力の網を広げ、付近にいる生体反応を探る魔法だ。
敵や味方の位置関係を探れるというメリットのある魔法であるが、魔力に敏感な魔物や魔法使いに発信源を特定されてしまうといったデメリットもある。使い手によっては発信源を特定不能にすることもできるが、どうしても魔力の膜の存在がバレてしまうことだけは、避けることが難しい。
その一方で、ルデアが持つ感知の技術は、魔力を「視る」感覚。動物が持つ人や物を「見る」「聞く」などといった、五感と同じ類のものである。
修練さえすれば誰でも習得可能で、集中し、魔力を感じることで生命の反応を探ることができる。これは相手の魔力量がどれほどあるのかを知ることもできるし、これを取得すれば、敵が使用する探知魔法で探知されないように、自身の魔力を抑える技術を習得することが可能となる。
「じゃあ、今度は自分の魔力を「隠して」みてくれ」
「わかった」
集中し、ルデアに教わった通りにするシノン。精密な魔力の制御により、シノンの魔力はほとんど外へ漏れ出なくなった。
魔力は常に体外へと放出されている。それは、生命を維持するための呼吸に近い感覚。魔力は常に体内で作られ、溢れた分は外へと漏れ出すのだ。
放出される分を抑えることは呼吸を止めるのと同じことであるように感じるが、実は違う。放出される魔力を抑えることで、余計な魔力生成を抑え、余計な体力の消耗を防ぐことにも繋がる。隠密行動のために宮廷魔法使いたちがよく使う技術であり、ある程度知識のある魔法使いにもよく使われている。
「…いい感じだな。さすが、オレが見込んだ男だ! その辺の凡才より教えがいがあって楽しいな~」
「それはどうも」
心から嬉しそうな声を上げるルデア。シノンも表情を緩めながら、そう返していた。
「少し休憩するか。飲物でも取って来てやるから、ここで待っててくれ」
「わかった」
黒のローブをなびかせながら、その場を離れて行ったルデア。時々生徒たちの視線がシノンへと向けられるものの、魔法科筆頭教授の客人であるシノンに話しかけられる勇気のある者などいない。シノンは時々向けられる視線など一切気にすることなく壁に背を預け、ルデアの帰りをひたすら待っていた。
ルデアの姿が見えなくなった頃、一人の中年の男がシノンに近づいてきた。その男はモノクルをかけており、身にまとっているのは上質な素材の服だが、学園生徒の制服ではなかった。
明らかに貴族の振る舞いであり、堂々とした様子でシノンに声をかけて来た。
「見ない顔だね。何年生だい? 所属する学科はどこかね?」
「……」
シノンはその男の言葉に返せる言葉を持っていなかった。ルデアには、ちょっかいをかけてくる者がいれば無視していいし、何があっても自身と学園長のミネルヴァが味方をすると約束されていたからだ。
ミネルヴァの依頼は個人的な研究の手伝いのためだったし、ルデアもシノンのことに関して何も公言はしていない。大方、客人であるシノンが何者なのかを探るため、ルデアが離れた隙を伺って近づいてきた…といったところだろう。
「君、聞こえているだろう? 私の質問を無視する気かね?」
「俺は招待されてここにいます。通行証もあるので、何も悪いことはしていませんよ」
シノンは、ローブの上から首に下げている通行証を見せつけながらそう言った。学園の生徒でもないシノンには、この男の質問に答える義理は微塵もない。故に、堂々とした態度で遠回しに男の質問を拒否する。
「…おや、失礼。お客人でしたか。ほほほ」
口元に笑みを浮かべながら誤魔化す男。しかし、目元は一切笑っていないのを、シノンは見逃さなかった。
「いやはや、ここ最近、ジャミーラ先生が随分と幼い生徒をかなり気にかけていらっしゃると感じていたのですよ。何やら生き生きとしていますし、研究の進捗がかなり順調なのではと、私も嬉しく思いましてねぇ」
男は自身の髭をいじりながら、相変わらず平坦な声音で話し続ける。探りを入れられている自覚はあったので、シノンは男の話に一切の興味も反応も示さなかった。煽られているとも感じたが、シノンはここで反応してしまえば、相手の思うつぼだということも理解している。
生徒たちの視線がだんだんと集まってきている気がする。居心地は悪いが、勝手にここを離れてはルデアと合流できないため、シノンはじっと耐えていた。
「お名前をお聞かせ願えませんでしょうか? ジャミーラ先生が気にかける優秀な魔法使いの方とお見受けしましたので、私もぜひ懇意にしたく…」
「いえ、そういうのはいいので」
「…それは残念です」
男は笑みを崩さない。だが、目の奥に見えるどす黒い感情までは隠しきれていないらしい。他者の感情に敏感なシノンは、男の目をまともに見れば吐き気を覚えるほど不気味な感覚に陥るため、顔を逸らし、早く興味を失くしてどこかへ行ってくれないかとただ願っていた。
しかし、男はシノンに対する興味をまだ失ってはいないらしい。
「…ところで、学びの聖地である王立学園リュケイオンで、そのような格好は似つかわしくありませんね…―――」
「…っ」
男はそのように言った後、未知の言語を呟き始めた。その声には魔力が乗っており、シノンはそれが魔法の詠唱であることに気づいた。何かの攻撃魔法かも知れないと身構えるが、男が至近距離から放ってきたのは風魔法だった。
ほんの一瞬だけ、斜め下から吹き上げた風の魔法によって被っていたフードがめくれ、シノンの素顔と髪、目の色まで晒されてしまった。
『っ!?』
「……」
不愉快そうな表情を隠さず、すぐにフードを被り直したシノン。しかし、男とシノンの会話を遠目に見守っていた生徒たちはシノンの素顔と髪色に目の色、更に狼のような耳まで目撃してしまった。
訓練場にざわめきが広がる。リュケイオンで最も魔力を有しているとされているのは、宮廷魔法使いの家系に生まれた、空色の瞳を持つルデアだ。しかしルデアが丁重にもてなしている客人は、それ以上の魔力を持つとされている青色の瞳を持っていた。
青色の瞳を持つ人間が、理論上最高峰の魔力を持つという事実は、魔法科の生徒であれば誰もが知っている常識である。現在、魔法使いの名門にも、宮廷魔法使いにも存在が確認されていない青色の瞳を持つ彼はいったい何者なのか…といった噂が広がり始める。さらに、あまりに美しい容姿に加え、珍しいレイヴァの特徴を持つ少年に対して、その場にいる者全員の興味が惹かれてしまう。
「おやおや、これは珍しいものを見せてもらいましたな。私もそれなりに長く生きていますが、あなたほどの深い青色の瞳も、銀糸の如き美しい髪も見たことがありません。もう一度、じっくり見せていただくことはできませんか?」
「……」
シノンは男から距離を取り、静かにその要求を拒絶した。
なんて図々しい人間なんだ。シノンはただ、心の中でそう呟いていた。
ミネルヴァやルデアのように、相手が平民であろうと丁寧で対等に接する貴族の方が珍しいことを、シノンはすっかり忘れてしまっていた。この男のように、相手が自分より下、あるいは平民であることを確信している場合、無礼にも相手が触れてほしくない部分にまで土足で踏み込んでくる。そんな貴族がこの世界には多いことも、事実であった。
「モスウッド先生、こんにちは」
距離を取るシノンに近づこうとしていた男に割り込むようにして入って来たのは、先ほど飲物を取りにこの場を離れたルデアだった。彼はとてもにこやかな笑顔を浮かべていて、両手には二人分の飲物を持っていた。
「おや、ジャミーラ先生。こんにちは」
「オレのお客人に何かご用でも? 代わりにオレが聞きますよ」
「いえ、お客様が退屈なのではと心配だったので、少々雑談をしていただけですよ」
まるで狐と狸のような二人。互いに笑顔を崩さないが、互いに目の奥は笑っていない。威圧し合い、牽制し、互いに一歩も譲らなかった。
「ジャミーラ先生が戻られたようなので、私はこれで失礼しますね。それではお客様、またお会い出来たら光栄です」
男…モスウッドは丁寧に頭を下げてその場を去って行った。ルデアはモスウッドの背中を見送ると、シノンを振り向き申し訳なさそうな顔で話しかけて来た。
「場所を変えよう」
ルデアは周囲の生徒たちの様子を見て、シノンを案内するように歩き始めた。シノンに視線を浴びせ、ヒソヒソと噂話をする生徒を睨みつけて牽制しながら。
人気の少ない庭に設置されたガゼボで一息つくシノン。ルデアに渡された茶を飲みながら、小さくため息を吐いた。
「ごめん、まさかあの人が出てくるなんて思わなかった」
「あの人は?」
「モスウッド。魔法言語学を専攻する教授で、オレが教授になる前は魔法科の筆頭教授だったんだ」
「…なるほど」
モスウッドが使った、未知の言語による詠唱。魔法の詠唱であることは察せたが、どんな魔法が撃たれてくるのか、シノンが一切想像できなかったものの正体。まさか攻撃などの類ではなく、フードを剥がされるとは微塵も思っていなかったシノンが、不意を突かれてしまった原因。
「何かされたんだな? 何をされた?」
「…探りを入れられた。相手にするつもりはなかったんだけど、これをあの場で剥がされてしまって…」
シノンは、ルデアが離れていた間に起こった出来事を簡単に話した。ルデアはシノンの話を真面目に聞き、最後は頭を下げて謝罪していた。
「ごめん、オレが油断していたせいだ」
「いや、いい。その場を離れるという判断だって、俺にはできたはずだし」
「モスウッドには気を付けて欲しい。できる限り、オレも一緒にいるようにするから」
「わかった」
ルデアはシノンに対しては申し訳なさそうにしていたが、友人であるシノンにちょっかいをかけてきたモスウッドに対し、強い怒りを感じていた。今度会ったら直接顔面を殴ってやるか、などといった考えに至るほどに。
「一連の流れを生徒に見られたんだよな?」
「…うん」
「シノンはどうして顔を隠してる? …あまり突っ込まれたくないことだろうと思って、ずっと聞いていなかったんだが。場合によっては、あの場にいた生徒全員に緘口令を敷く」
「そこまではしなくていいよ。…たぶん、もう遅いし」
ちらり、と、遠目に二人の様子を見ている生徒に視線を向けるシノン。二人の女子生徒がシノンを見ながらなにやら噂をしているが、彼女らは当時あの訓練場にはいなかった者たちだ。そんな生徒たちにまであっという間に噂が広まってしまっている様子では、もはや人の口に戸は立てられないだろう。
「ちっ、まったく余計なことを…」
頭を掻きながら、苛立ちを隠すことなく呟くルデア。深呼吸をして自身を落ち着かせてから、シノンに対して告げる。
「とにかく、モスウッドには俺から警告しておこう。学長せんせーにも把握しておいてもらうか…それと、できるだけ一人にならないように。オレができる限り一緒にいる」
「…いや、別に大丈夫だけど…」
「あんたは強いし命の心配はあんましてない。だが、ここには貴族関係者しかいないんだ。中には貪欲で、それを隠そうとしない奴もいる。少なくともオレならあんたの盾になれるし、余計なちょっかいをかける奴はいない。オレのミスであんたに迷惑かけてんだ、これくらいさせてくれ」
「…ありがとう」
ルデアのその好意に遠慮する理由も見つからなかったシノンは、素直にそれを受け取ることにした。
少なくとも、この王立学園リュケイオンでは冒険者の持つ強さはほとんど役に立たない。シノンが力を振るい、貴族関係者の相手が怪我をした場合、シノンの方が悪人になるのだ。
貴族の世界では必ずしも実力が全てとは限らない。地位や人脈といったものこそが力となり、自身の居場所や立場を確立する礎となる。そういったものを持たないシノンにとって、この場所に残るにはルデアの力が必要不可欠なのだ。
「今日は研究室に戻るか。それとも、疲れたなら部屋に戻って休むか?」
「いや、いい。研究室に行って、話の続きがしたい」
「わかった。じゃ、行くか」
椅子から立ち上がり、二人で研究室に戻る。共同研究の話に没頭することで、今日あった嫌な出来事を忘れるシノンであった。
「探知魔法」 知名度 ★★★★★
薄い魔力の膜を広げ、魔物や物、地形や人などを探し出す魔法。
非常に便利だが、魔力に敏感な魔法使いがいると、探知されたことを察知される可能性がある。
「魔力感知」 知名度 ★★☆☆☆
貴族や学者の間では常識となった、探知魔法に変わる比較的新しい技術。
瞑想し集中することで、魔力を「感じる」ことができるようになる。
「魔法言語学」 知名度 ★★☆☆☆
魔法陣に描かれる命令式の言語。それを詠唱に応用し、詠唱の時間を短縮しつつ、相手にどの魔法が出るのかを予想させにくくさせる研究。
魔法言語には複数の種類があり、どれも古代の言語であり解読が進められている。




