050. 王立学園長ミネルヴァ・ヴィストン
貴族のような洗練された立ち振る舞いをする女性によって、応接室に案内されたシノン。廊下ですれ違った人々の態度や、彼女自身から溢れる気品やオーラといったものから察しはつくが、シノンは彼女からの自己紹介を待っていた。
「お座りください。お茶を用意させますね」
シノンは女性に示されたソファに座る。非常に柔らかく、座った瞬間体が沈んでしまうかのような感覚に陥った。ここまで柔らかいソファに座ること自体シノンは慣れてこそいなかったが、いつもの無表情が崩れることも冷静さが失われることもなく、自然に振る舞う。
女性の指示でお茶が応接室まで運ばれてくると、女性はすぐに給仕の男を下がらせた。
「自己紹介が遅れてしまいましたね。わたくしはこの王立学園リュケイオンの学園長を務めさせていただいております、ミネルヴァ・ヴィストンと申します。Aランク冒険者シノン様、ご足労頂いたこと、心から感謝申し上げます」
「…シノンです。若輩者ですが、Aランク冒険者をしています。指名依頼があると伺ったのですが、詳しいお話を聞かせていただいてもよろしいでしょうか」
シノンは慣れないながらも、昔ロウと共に旅をしていた頃のことを思い出しながら、冷静に対応する。ロウはAランク冒険者であると同時に、護送のプロである傭兵だった。何度も依頼の詳細を話す場に同席したし、ロウはその度、シノンのために人を紹介してくれた。
それはシノンが一人でも生きていくための人脈になるし、安定して仕事を受け生活していけるようになる礎にもなった。
ロウはシノンが他者とコミュニケーションを取れないのではないかと常に心配していたが、彼が心配していたよりも、シノンはずっと一人でもやっていけるだけのスキルは持っているらしい。
「はい、もちろんです。その前に、先ほどのジャミーラ教授のことですが…改めて謝罪を。大変手荒いお出迎えになってしまったことを、心より謝罪申し上げます」
「大丈夫です」
ミネルヴァは改めて頭を下げ、シノンに許しを請う。しかしシノンは本当に気にしてなどいなかったため、首を横に振った。ミネルヴァは安心したかのような笑みになり、柔らかい笑みを浮かべたまま依頼の詳細を話し始めた。
「それでは。まず前置きとして、今回の依頼は学園長ミネルヴァ・ヴィストンとしてではなく、あくまで個人的な依頼となります。受けていただくかどうかはシノン様にお任せしますし、もし受けていただけるのなら、今後の冒険者としてのお仕事の支援等も、微力ながらさせて頂きたいと考えております」
シノンは、深く被ったフードの下で軽く目を見開いていた。
貴族の個人的な依頼であるという部分はよくある話なので特に驚くことはないが、ミネルヴァが言っているのは、この依頼を受けた報酬の一部として、ミネルヴァがシノンや皓月千里の後ろ盾になるということだ。
冒険者の大半は、一般人である。貴族との繋がりを持つ平民は少なく、高ランク冒険者でも貴族の後ろ盾というのは非常に貴重で、滅多にないことだ。それを、半年前に結成したばかりのBランクパーティが、学者のトップと言われるミネルヴァの後ろ盾を持つことになるなんて、シノンは一切想定していなかった。
「…なぜ、そのような話を」
「ふふ、驚かれましたか? 実は、ロウとは昔馴染みなのです。あなたはロウのご子息だと聞き及んでおります。わたくしは、若くしてAランク冒険者となったあなたに期待を寄せているのです」
ミネルヴァはにこりと、笑みを崩さない。それが心からの笑みか、または社交辞令か、シノンにはわからない。しかし、ミネルヴァが後ろ盾になってくれるという話を自ら持ち出したということは、嘘で釣り上げようなどといった魂胆はないはず。そして、依頼を受けることで被る不利益もほとんどない…と思われる。
「なるほど。それは大変嬉しいものですが、肝心なのは依頼内容です。受けるかどうかは、詳細を聞いてからにします」
「ふふ、とても冷静で、賢明ですね。個人的な依頼と先ほども申し上げましたが、これはAランク冒険者としてではなく、旅人のシノン様にお願いしたいことなのです。というのも、わたくしは生粋の学者です。魔法学や医学、数学に生物学、哲学も史学も学んで参りました。最近は、民俗学にも興味がございまして、学園内の本を読み、異国からの留学生の話を聞き、様々な方面から研究をしております」
ミネルヴァは茶を口に含み飲み込んでから、穏やかな口調でさらに続ける。
「本来であれば、現地に赴き、現地の方々からお話を伺うのが学者というもの。しかし、わたくしは年老いてしまいました。ロウに依頼を出そうと考えましたが…彼は現在連絡が途絶えている。そこで、あなたの存在を思い出したのです」
「……」
ロウの名が出ても、シノンはあまり反応を見せない。対してミネルヴァはロウのことが心配なのか、少しだけ目を伏せ、表情にも影が差す。
「ロウは、あなたを連れて世界中を旅したと…教えてくださいました。そしてあなたは非常に賢く、よく周囲を観察もしている…と。実際にお会いして、わたくしも確信いたしました。ぜひ、あなたにお願いしたいと思っています」
「…そうでしょうか」
「ええ、十分に学者になれると、わたくしは確信しております」
にこり、と笑いかけるミネルヴァ。それは社交辞令のものとも違って、心からの賛辞を贈っている人間の顔に見えた。冒険者でしかないシノンに対して「学者になれる」といった言葉を使ったのは、この学び舎はいつでもあなたのような人間を歓迎している…といった、勧誘の意味も含まれている。
シノンはミネルヴァのそんな意図に気づいていながら、茶を一口飲み、特に何も返さない。
世辞はないと判断したシノンは、ただ黙ってミネルヴァが続きを話すのを待つ。
「前置きは長くなってしまいましたが、わたくしがあなたにお願いしたいこと…それは、現地を実際に訪問なさったあなたから、「水の神」の伝説についてお伺いしたいのです」
「…水の神?」
「はい。水の神は、わたくしたちのこの世界で唯一、共通の認識を持たず、姿も形も残していないにもかかわらず、長年語り継がれているあの神の伝説です。リリーズ王国でもこの神に関する伝説はありますが、他国では、全く違う姿で語り継がれていると聞き及んでおります。わたくしはそれが何故なのか、水の神とは一体何者なのか…知りたいのです」
「……」
水の神。主に、ラトス帝国で信仰される水と光の女神シャノンや、北方諸国で信仰される名もなき音楽の神が有名だ。またレラン王国やその隣の騎士王国スフィンでは、水の神は武の神としても信仰されている。
世界各地に散らばるこの伝説は、あらゆる形に変えられ語り継がれる。
国によって、形容される水の神、水の神の生死、性別、水の神の生涯、成し遂げた偉業などが異なることでも知られている。
普通の人間なら、ここまで世界中に点在する神の伝説なんて、偶然か、実は別々の神であると判断するものだ。しかし学者たちの中では、水の神が同一人物だと考える者が多い。その理由は、二十ヶ国も存在するこの世界で、偶然の一致によって「水の神」の伝説ばかりが残っていること自体、偶然で片づけられるものではないからだ。
世界中に足跡を残す水の神。文献は少なく口伝によって伝えられてきたものがほとんどで、水の神に関する遺物や遺跡も少ない。
ミネルヴァはそんな水の神が一体何者で、何故ここまで広い範囲で語り継がれ、しかし国によって伝わる姿形も、成し遂げた偉業も、語り継がれる物語も全く異なるのかを知りたかった。人生の最後にと決めた研究テーマのため、見聞きしたことを情報としてシノンから買い取ることで、研究の第一歩とすることにしたのだ。
「契約期間は一ヶ月と申し上げましたが、実のところ、ほぼ永久的に契約をさせて頂きたいと考えています。リュケイオンでは、世界で語り継がれる水の神の伝説に関する講義をほとんど行えておりません。その理由は、極端に文献が少なく、また口伝で語られるものが多いからです。それこそ旅人や吟遊詩人でない限り、一つの場所にそれらの全てを集約することは難しい…」
ミネルヴァは苦笑を浮かべる。残っている文献のほとんどは情報が古く、事実かもわからない。口伝で語り継がれる物語も常に一定の形を保ち続けるとは限らないが、現地ではこう語られている…ということを記録するには、それこそ世界中に人を派遣し記録する必要がある。だが…それはかなり時間と金を要する手段だ。
「そこで、あなたには旅先で見聞きしたことを、冒険者ギルドを通して、わたくしに話して頂きたいのです。もちろん、その際には追加で報酬を差し上げます」
時間も金も節約できる一つの手段として、すでに見聞きした人物を当たる、という方法もある。ミネルヴァは、あのロウが認める息子シノンであれば、自分が欲する情報も持っていると確信していた。もし万が一、その期待が外れて、シノンがミネルヴァの要望に応じることができなかったとしても、彼は旅人であり、冒険者だ。冒険者ギルドを通して、情報を共有すると言った手段が使える。
「…うーん…」
旅先で見聞きしたことをミネルヴァに話すこと。端的に言えば、これが今回の依頼だ。
肉体的な負担はなく、報酬も美味しいもので、依頼主は信頼できる。こんなにも条件の良い仕事はそうないだろう。しかし、シノンは小さく唸る声を上げ、難色を示していた。
「水の神」 知名度 ★★★★★
世界中に散りばめられた、数々の伝説や伝承。
様々な偉業を成し遂げた神であるとされ、万能の象徴ともされる。
ただし、地域によっては語られている容姿に違いがあったり、生死がはっきりしない部分が多い。
「騎士王国スフィン」 知名度 ★★★★★
騎士王が治める騎士の国。200以上の騎士団があり、冒険者よりも騎士が多い。
年に二度、序列争いの騎士同士による模擬戦大会がある。
「ラトス帝国」 知名度 ★★★★★
通称:戦争の国。歴史上、最も多くの戦争を勝ち続けてきた帝国。
光の女神シャノンを信仰しており、数千年の歴史を誇る大国。




