046. マリア・ガレノス
「マリア! いるか!?」
「うるさい。時間外だと言ってるだろう」
深夜、大雨の降る夜に、ガレノス診療所の扉を叩く者がいた。
マリアは不機嫌そうに扉を開け、深夜だというのに大声を上げる訪問者――ロウを睨みつける。外套に身を包んだロウはびしょ濡れで、その腕には小さな子供を抱いていた。
「…? あんた、子供がいたかい?」
「頼む、マリア。この子を診てやってくれないか」
その子供は、ロウによって濡れるのを防がれながら運ばれてきた。ロウの腕の中で小さく震える子供の苦しそうな表情に赤くなった頬、額に浮かぶ汗と乱れた呼吸を見て、マリアは大きくため息を吐く。
「入んな。あんたじゃなきゃ追い出してたとこだからね」
「感謝するよ」
ロウはホッと息を吐き、診療所に足を踏み入れる。
ここでは本来、急患を受け付けてはいない。しかしロウにとってこの街で最も信頼する腕の良い医者は、マリアしかいなかった。なにせ、ロウが抱えているのは、ただの子供ではないから。
マリアは白衣を纏い、ロウに子供をベッドに降ろすよう指示する。
「マリア、この子のことは口外しないでほしい」
「は? 意味わかんないこと言ってないで濡れた服脱がせてやんな」
ロウは苦笑いを浮かべ、慣れた手付きで子供の服を脱がせた。フードで隠れていた髪の色を見て、マリアは一瞬目を見開く。しかしすぐに気を取り直して、背後にいる助手に呼びかけた。
「緘口令だ。それと、この部屋には誰も立ち入らないようにしておくれ」
「はい」
助手の若い男は処置室から出て行き、扉の前で待機する。
マリアは子供の熱を測り、脈を測り、喉と瞳孔の様子を診る。ロウは邪魔にならない場所でその様子をじっと見守っており、その表情には心配の感情が強く滲んでいた。
「あんたもその濡れた服を脱ぎな。あんたまで風邪を引かれちゃこっちが迷惑だ」
「…すまない」
ロウは一言謝罪を入れると、濡れた服を脱いでハンガーにかけた。ロウの着ていた外套は防水効果を持つ竜の皮で出来ていたため、内側の服は一切濡れていなかった。
「はあ…あんたという者がいながら、こんな小さな子供に風邪を引かせるなんて。原因はこの雨かい?」
子供の身体が冷えないよう毛布を掛け、額に氷のうを当てると、マリアは風邪薬を調合し始める。慣れた手付きで作業を行いながらロウへ話しかけると、ロウは静かに肯定した。
「ああ。街に着くのが、思いの外遅くなってしまったんだ。水を通さない服を着せていたんだが、いつの間にか護送していた商隊の子供に貸してしまっていたんだ」
「なんだ、仕事かい」
マリアは視線を逸らすことも手を止めることもなく、そう聞き返した。手際よく薬を調合し終えると、コップに汲んだ水を手に子供の下へ戻る。
「飲めるかい?」
「……」
子供を優しく抱き起したマリアは、先ほどまでのきつい口調とは裏腹に、優しく語り掛けた。子供は朦朧とした意識のまま半分だけ目を開け、マリアが調合した薬を口に含む。しかしあまりの苦さのせいか、子供は少しだけむせてしまった。
「頑張りな。これさえ飲んだら、あとは水を飲んで休めばいい」
子供はマリアの言葉を理解したのか、もう一度薬を口に含んだ時にはむせることもなくすべて飲み込んだ。
「よしよし、偉いね」
マリアはそう子供を褒めながら、最後はコップ一杯の水を飲ませる。子供は時々息継ぎをしながら、水もすべて飲み切るのだった。そしてベッドに横たわらせると、身体を冷やさないよう毛布をかけてやる。
「…で、この子は何なんだ」
マリアは腕を組み、ロウに問いかけた。彼女が驚いたのも無理はない。ロウが連れて来たその子供は、多くの患者を診てきたマリアでさえ見たことがない白銀の髪の持ち主だったからだ。
白銀の髪と言えば、大昔に絶滅したとされる戦闘民族の末裔――レイヴァが思いつく。あまりの珍しさに戦闘能力の高さ、そしてなにより誰もが目を惹く美しい種族だとされるレイヴァは、人族の乱獲などが原因で数も激減してしまった。
今では、隔世遺伝などによって出現する以外に生まれなくなった存在だ。一部の貴族や王族の中にはレイヴァの血を受け継ぐ家系もまだ残っていると言うが、平民ではほとんど見ない。
ロウが連れて来た子供は、平民の子供にしてはより白銀に近く、最も高い魔力を持つ証である鮮やかな青色の瞳を持っている。それに、まだ幼いがかなり美しい容姿をしている。
「狼の耳と尾を持つレイヴァ…そんなことがあり得るのかい?」
「それは俺にもわからない。この子がどこで生まれ育ち、どこから来て、どうしてあの場所に倒れていたのか…」
ロウは、その子供と出会った経緯を語った。マリアは机に腰を預け、腕を組みながら、黙ってその話を聞いていた。
「医学的な観点から言えば、レイヴァの血はそれほど強いものじゃない。レイヴァと獣人の夫婦がいても、百パーセント人族か獣人族の身体的特徴どちらかしか受け継がないはずだ。レイヴァの血によって他より身体能力が高い傾向にはなるかもしれないが、こんなのは見たことも聞いたこともないよ」
マリアは、ロウが子供のことを口外しないようにと言って来た理由を、その子供の容姿を見た瞬間に理解した。
ただでさえ珍しいレイヴァで、目の色は青色で、本来なら有り得ない獣人族の特徴まで持つ子供なんて、世界中の学者が騒いでもおかしくない人間だ。しかし、子供を珍しいからといった理由で利用したり、研究材料にしようなどといった悪い大人は数多といる。それを防ぐためにも、少しでも目立たないよう、この子供のことを知っている人間は少ないほど良い。
「…ロウ、この子の名前は?」
「シノン、だ。自分の名前を憶えていなかったから、俺が付けたんだ」
「なるほどね。ちょっと記録をするから、その辺に座ってな」
ロウから話を聞き終えたマリアは椅子に座り、カルテに記録をし始めた。シノンは初診なので、時々ロウにシノンに関する質問を投げかけながら、十分ほどでその記録を終える。
「個室を用意してやる。あんたは体調が悪くはないのかい?」
「俺は問題ない。気遣い、感謝するよ」
「一旦、経過観察だね。薬が効いてくれば、その子も楽になるはずだ。様子が変わったらすぐに呼びな」
ロウはマリアに頭を下げて礼を告げた。そして用意された個室に移動すると、関係者以外立ち入り禁止の札を立て、数日間の入院をすることとなった。
*
「……」
「おや、起きたかい」
静かに目を開けたシノンへ、マリアが声をかける。シノンの呼吸の周期が変わったことを一瞬で見抜いたマリアは、振り向いた先でシノンがそっと目を開いていたのを見逃さなかった。
「っ!!」
驚いて飛び起きたシノンは、隣で転寝をしていたロウの背後に隠れる。風邪の影響でいつもより動きが鈍いとはいえ、一般人でしかないマリアにはその動きを捉えることはできなかった。
シノンの気配で目を覚ましたロウは、自分を盾にして隠れているシノンに視線を向けた。
「シノン、起きたのか」
「……」
シノンはじっとマリアを見つめたまま動かなかった。レイヴァは警戒心が強く、初対面の人間には滅多と心を開くことがないという。そんなシノンにここまで信頼されているロウを見て、マリアはフッと軽く笑みを見せた。
「シノン、彼女はマリア。この街で…いや、この国で一番信頼できる医者だ。お前の風邪も、彼女が診てくれたんだ」
「…ん…」
シノンは、ロウのその言葉を聞いて肩の力を抜いたようだった。ロウから聞いていた通り、彼はまだ人間への警戒心がかなり高いらしい。
「薬は効いているようだね。顔色も悪くないし、咳もほとんどないようだ」
マリアは優しい口調でそう語り掛ける。彼女が調合した薬は、低下した免疫を回復させる作用のある薬草に、咳や鼻水などを抑える魔性植物が調合されている。シノン自身の回復力の高さも相まって、まだ万全ではないものの、随分と調子が良く見える。
「もうしばらくは休んで行きな。もし食事ができそうなら、栄養も摂るんだよ」
マリアはシノンへそう語り掛けてから、病室から出て行った。シノンが少しでも安心できるよう、彼女なりに気を遣ったからだ。
「シノン、大丈夫だから、もう少し寝るか?」
「…おなかすいた」
「わかった。さっきマリアが置いて行ってくれたのがあるから、少しでも食べなさい」
ロウは、ベッドの横に置いてあった食事を取り出し、シノンに渡す。味はほとんどないに等しいが、シノンは一言も文句を言うことはなく、一人分の食事を完食した。
「俺はここにいるから、少し寝なさい」
「…うん…」
ロウはシノンをベッドに横たわらせ、毛布を掛けてやる。シノンを安心させるように、シノンが眠るまで、ロウは手を握っていた。
*
これは、シノンが初めてこの診療所に来た頃の夢。ふと目を開けた視界の先には知っている天井、そして鼻には薬特有のツンとした匂いが漂ってきた。
当時のロウの心の内にあった、心配や後悔の念が強く伝わってきた。あれから数年も経ったが、ここにはシノンにしか感じ取れないロウの強い感情が残っている。
「あっ…シノン、起きたか」
最初にシノンが目を覚ましたことに気が付いたのは、アルファだった。続いてルミナ、アリュスフィア、ユウキも、ベッドに横たわるシノンの顔を心配そうに覗き込んでいた。
「…おはよう」
「おはよう、じゃないわよ。心配したんだから!」
「…うん、ごめん」
シノンはそっと起き上がり、皆に心配をかけてしまったことを謝罪する。しかし、アルファが真剣な顔で首を横に振り、言った。
「いや、謝るのは俺たちの方だ、シノン」
「…?」
シノンは首を傾げた。アルファの言葉の続きを促すように黙って待っていると、四人が揃ってシノンに頭を下げた。シノンはギョッと驚き、珍しく目を見開いて固まる。
「本当にごめん、シノン」
「ごめんなさい」
「ごめん!」
「ごめんね」
「え、と…?」
シノンは何故みんなが頭を下げているのか理解ができなかった。何かあったのかと、説明を求める前にアルファが口を開いた。
「シノンが大怪我をしているというのに、俺たちは君に無理をさせてしまった。君を過信し、君なら大丈夫だと、君の体調を後回しにしてしまったこと…本当に、申し訳ないと思ってる…」
全員が重苦しい空気を纏って、俯いていた。シノンは一回まばたきをした後、納得したように声を上げた。
「…あぁ、マリアさんに怒られた…?」
「え、えっと、まあ、そんなところだ…」
アルファ達は気まずそうな表情になる。ルミナは落ち込んだような表情で、服の裾をきゅっと握っていた。
「…たぶん、あまり気にしなくていいと思う」
シノンは、初めてこの診療所に来た時のことを思い出す。マリアは口調こそきついものの、なんだかんだ若者には甘いことをシノンは知っていた。
それにシノン自身、自分が倒れてしまったことそのものを申し訳なく思っており、仲間が自分の不調に気が付かなかったことなどは一切気にしていなかった。むしろ、黙っていた自分が一番悪いのだから。
「黙っててごめん。皆、初めての大仕事だったし、俺も最後までちゃんとやりたかったから…」
「…フン、それでも、黙ってるなんて水臭いじゃない。言ってくれたら、あたしが全部調整したのに」
アリュスフィアは腕を組みながら、ふい、とそっぽを向きそう答えた。シノンが自分のことを黙っていたことも、彼女自身がシノンの体調に気が付かなかったことも不満だったものの、今回はお互い様だと割り切ったからだ。
「…でも、やっぱり、言ってほしかったです。シノンさんだけが無理をしていたなんて、ボクは自分が許せません」
「ごめん、気を付ける」
ユウキは自身の服ぎゅっと握りしめながらそう言った。それに対してシノンは、申し訳なさを抱きつつ答えた。
「アルファ、悪かった。次からは、ちゃんと報告するようにする」
「ぜひそうしてくれ。シノンに隠されると、さすがに気が付ける自信がないから…」
アルファは苦笑いでそう答えた。できる限り仲間の体調には気を配っていたつもりだったが、シノンはいつどんな時でも表情が変わらないし、弱音も吐かない。他人が気が付けない分、シノンには自己申告をしてもらわなければならなかった。
「…さて、シノン、今の体調は?」
「だいぶ良い」
「そうか。先生に報告してくるから、少し待っていてくれ」
アルファはそう言って、部屋を出て行った。シノンはアルファの背を見送ってから壁に背を預け、息を吐いた。マリアが調合して自身に飲ませてくれた薬があるからか、傷は痛くなかったようだ。
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