047. 退院
ガレノス診療所で過ごすこと約一週間。シノンの熱も下がって、腕の傷は順調に回復していき、すでに抜糸されている。
通常、骨が見えそうなほどの深い傷ともなると、抜糸までかかる時間はおおよそ一週間から二週間かかるとされるが、シノンの場合は五日ほどで抜糸され今では傷口も随分と綺麗になった。全身に負っていた傷もほとんどが完治していて、シノンの並外れた回復能力には、ルミナ達もマリアも非常に驚嘆していた。
後遺症もなく、もう日常生活には問題がないようだ。
「なんだか、以前よりも回復力が高くなっていないかい? …まあ、それはともかく、これだけ良くなれば明日には退院できそうだ」
「本当ですか? 良かったね、シノン」
シノンの見舞いに来ていたルミナとアリュスフィア。明日には退院できるということで、依頼の仕事で忙しく時間が取れていなかったが、汚れてしまったシノンの服を新調するため、買い物の日程を決める流れとなった。
「シノンの体調が良ければ、明日退院して宿に向かう途中で買って行こうよ」
「いいんじゃない? それなら、あたしが良い服屋をいくつか候補に挙げておいてあげる! 任せて!」
アリュスフィアは相変わらずの自信で、胸を張りながらそう言った。
リリーズ王国は世界の中心だけあって、様々なものが街にはある。冒険者向けの装備、各種道具だけではない。本、服、娯楽、日用品、薬、魔道具…あらゆるものが、この王都・ラヴェンナに存在している。そして、激しい競争を勝ち抜き続けている商人のみが残るこの街では、逆に質の悪い店を探す方が難しい。
ただ、アリュスフィアはできる限り、シノンが好んで着そうな服を多く取り扱っていそうな店を探そうと申し出てくれたのだ。一般向けではなく冒険者向けであり、質が良く値段が高すぎない、シノンが買い物に行きやすい立地などの条件が整っている店を。
「明日、皆で一緒に行かない?」
「いいね、皆で行こう!」
「…うん」
シノンがほんの少し表情を緩めながら頷くと、ルミナもアリュスフィアも嬉しそうに笑みを浮かべ、翌日迎えに来ると告げてから個室を出て行った。
*
「元気でね」
「マリアさんも」
シノンはマリアに頭を下げ、振り向いて仲間たちと合流するため歩き出した。しかし、マリアはそっとシノンの肩に触れた。
「…訊くかどうか迷っていたんだけど、ロウは今元気かい」
「…!」
「…? ロウ…?」
シノンへと質問を投げかけたマリアの言葉に、皆が反応した。ルミナはハッとして口を手で塞ぎ、アルファは首を傾げながら小さく声を上げていた。アリュスフィアとユウキも何のことかわからず、互いに顔を見合わせていた。
「知りません」
シノンは淡々と、一言だけ答えた。
ロウと別れてから一年と九ヶ月ほど経つが、マガネスやギルド等を通しての連絡も一切ない。シノンは一度だけ、冒険者ギルドを通してロウへ手紙を送ったことがあるが、現在冒険者ギルドでさえロウとの連絡は取れていない状態が続いているらしく、本人にその手紙が届いたかどうかは不明のまま。
今どこにいるのか、何をしているのか、生きているのかどうかさえ分からない状態が続いている。しかし、ロウはシノンを危険な目に遭わせないために別行動をした。ロウを困らせたくないシノンは、特に彼を探しに行くことはしていない。
「…知らない? あのロウが、あんたから離れるなんてことがあるのかい…?」
「あの、先生」
マリアが心底理解できないといった形相をする中、ルミナが一歩前へ出て話しかける。
「その、ロウさんは今、行方不明なんです」
「行方不明?」
「はい。二年くらい前に、大事な用事があって、シノンとは別行動をすることになって。でも、帰ってきたっていう話はまだ…」
口下手なシノンの代わりに、ルミナが説明をした。旅立つ前、マガネスとエジルは、もしロウが帰ってくるようなことがあれば、冒険者ギルドを通して必ず連絡をすると約束してくれた。しかしそのような連絡は未だなく、旅先でロウの噂も一切耳にしない。
「そうか。まあ、シノンももう大人だし、親離れ、子離れの時期だったのかもね」
マリアはあまり多くを訊かなかった。しかし何かを察したかのように目を閉じ、振り向いてしまった。
「シノン、またおいで。体調には気を付けるんだよ」
「はい。お世話になりました」
マリアは、診療所の中へそのまま戻って行ってしまった。アルファ達も訊きたいことはあったものの、一旦後回しにしてシノンのボロボロになってしまった服を買い替えに行くのだった。
シノンはどんな服が良いかなどといったこだわりは一切なく、ルミナとアリュスフィアに選んでもらうことにした。
ルミナとアリュスフィアがそんなシノンのために悩みに悩んで選んだ旅服は、動きやすく風通しの良い素材でできた旅人と冒険者向けの服だった。値段はそこそこ張るが、傷つきにくく長持ちするということで、シノンも気に入った様子を見せていた。
「これまでのシンプルな印象と違って、冒険者っぽい服になったね」
「前のはあまりにこだわりがなさすぎよ。あたしたちに選ばせて正解だったわね、シノン!」
「とてもお似合いですよ、シノンさん」
「サイズもピッタリみたいだ。いいじゃないか」
「ありがとう」
試着室を囲うようにして、シノンへ感想を伝える四人。シノンは皆にお礼を告げ、フードを被り直して店員に購入の意向を伝えた。予備の服も購入し、店を出て五人は宿への道を歩く。
「…シノン、聞きたいことがあるんだけど…」
「ん?」
「ロウ、さん…って、誰なんだ?」
躊躇いがちに質問されたアルファの質問に、全員が耳を傾けた。特にアリュスフィアとユウキに関しては、アルファと同じく気になっていたことだったため、道を歩きながらじっとシノンの答えを待っていた。
「父さん」
「シノンのお父さんなのか? もしかして、Aランクの冒険者だったりする…のか?」
「うん。槍の王ってよく呼ばれてた」
「やっぱり…」
アルファは小さく声を上げた。
ロウは行方不明であるという話をしていたため触れづらい内容ではあるが、仲間のことは少しでも知りたいと思ったアルファ。失礼であることを承知で、もしシノンが話してくれるのであれば…と願い質問をした。しかしシノンはそんなアルファの心配などまるで必要ないとでも言うように、平然と答えたのだった。
宿に到着し、シノンの分の部屋も追加で借りる。五人は二部屋に分かれ、各自休息を摂るのだった。
「驚いたよ。シノンは、あの槍の王の息子だったんだな」
「うん」
荷物を整理しながら、シノンはただ短く、そう答えた。アルファに対して少し心を開いているからか、宿の部屋に入った瞬間から、シノンは深く被っていたフードを外している。
あまりに美しいその顔をまだ見慣れていないアルファは、変に緊張して少し視線を逸らしながら彼に話しかけていた。
「…心配、じゃないのか?」
「あまり」
「何故? 行方不明なんだろう?」
「ロウは約束を破る人間じゃないから」
椅子に腰かけ、武器やその他の装備の点検をし始めるシノン。最近は病室で過ごしていたから、装備の点検が疎かになっていた。手慣れた様子で作業をする傍ら、アルファからの質問にもしっかりと答えていた。
アルファはお茶でも用意しようと湯を沸かし、茶器と茶菓子の設置も行いつつ、シノンへ声をかけている。
「…その、約束って何なんだ?」
「ロウは外せない用事で、俺をある信頼できる魔法使いの家に預けた。用事が済んだら、必ず迎えに来ると言ってた」
「でも、もう二年も経つんだろう?」
「うん。それでも、俺は待つつもりだった」
「…? 待つつもりだった…?」
シノンのその言葉に違和感を覚えたアルファは、彼に聞き返す。シノンは数秒間だけ作業の手を止め、更に言葉を続ける。
「ある信頼できる占い師に、お前はここに留まるべき人間ではない。旅に出なさいと言われた。その時、その占い師の目には、ロウが帰ってくる未来が見えなかったんだと悟った」
シノンの表情は変わらない。相変わらずシノンが何を考えているのかアルファにはわからなかったが、少なくとも父親が突然いなくなって、寂しくないはずがない。
「シノン…」
「…? 同情する必要はないよ。別に寂しくはない」
「えっ? でも…」
自分の考えや感情を見抜かれた気がしたアルファは、慌てて返事を考えた。しかし、シノンはそんなアルファに対して、無表情ではあるものの柔らかい声で言葉を返す。
「ロウは必ず帰ってくる。どんな状況だろうと、這ってでも俺の元に帰ってくる。そう思えるだけで十分なんだ」
「……」
アルファは、そんなシノンの言葉に返す言葉がなかった。
警戒心が非常に強く、他者などほとんど信用しないと思っていたシノンが父親に対してここまで強く、厚い信頼を寄せていることが意外だったし、その声はどこまでもまっすぐで、微塵の疑いも感じられないものだった。
「…そっか」
数秒間の沈黙を経て、アルファはただ一言そう返した。先ほどまで硬い表情をしていたアルファだったが、シノンのその力強い声と言葉を聞いた時、表情筋のこわばりが解けたような気がした。




