ep02:成瀬
冬星と健壱の胸が熱くなるような試合を見終えた成瀬は、興奮冷めやらぬままに両親と夕食を摂り、入浴を済ませた。
学校からの帰りにそのまま二人の試合を見に行ったため、学校の宿題がまだ終わっていなかった成瀬は、宿題を済ませるため自室へ向かう。
「ふう~。なんか急に疲れちゃったぁ~…でも、ちゃんと宿題はしないとね!」
よし! と気合を入れた成瀬は、机に向かって椅子に座り、カバンから宿題を取り出して広げる。成瀬は学校でも成績が非常に良いため、滞りなく問題を解いていった。
順調に宿題を進める成瀬。唐突に、足下に光を放つ魔法陣が現れた。
「えっ!?」
椅子に座っていたはずの成瀬は、魔法陣のあまりの眩しさに目を閉じた瞬間、身体が宙に浮いたかのような感覚に陥る。
「ん…んぇ、ええぇ!?」
目が眩むほどの眩しさですぐには目を開けれなかったが、成瀬が目を開けるとそこは、遥か上空だった。今の時間は夜のはずが空は真昼のように明るく、下に見える地面は遠く、しかし成瀬は確実に地上に向かって落ちていた。
先ほどまで家で、自分の部屋で宿題をしていたはずなのに、成瀬はいきなり上空へ放り出されてしまった。いくら成瀬が賢いとはいえ、小学生女児でしかない成瀬には成すすべがない。
成瀬はいつの間にか気絶しており、地面に向かって真っ逆さまに落ちて行った。しかし地面に触れる直前、何か不思議な力が働いたかのようにふわりと衝撃が和らぎ、成瀬は地面に横たわる。
空から降ってくる何かに気がづいていた地上の人々は、地面に横たわる少女の姿を見てヒソヒソと話している。新手の魔物か、神の国を追放された堕天使か、人の子供の形をした悪魔か? そんな噂を人々がする中、その場所に軍の人間が列を成して歩いてくる。
「目標を確認、ただちに保護し、冒険者ギルドへ報告せよ」
「はっ」
リーダーと思われる男に指示を受けた軍人の一人が、返事をして馬に乗り、街の方へと走り去っていった。軍人は地面に横たわる成瀬に歩み寄り、意識を失っている彼女を抱き上げた。
*
「…ん、ぅ」
唸り声を上げながら目を覚ます成瀬。
ベッドに潜った記憶がない。宿題をしながら眠ってしまったのか? お父さんが寝かせてくれたのか? 成瀬は頭の中で思考を巡らせるが、自身が気を失う直前の記憶を思い出し、ベッドから飛び起きる。
自身が寝かされていた見慣れない部屋の風景に戸惑いを覚える成瀬。そこは大昔の外国の偉い人が寝泊まりするような部屋で、成瀬は映画でしかその光景を見たことがない。いや、映画でも見たことがない、初めて見る内装だった。
「…ここ、どこ…? 外国…?」
成瀬は部屋を見回す。そして自身の身体を見下ろすと、いつもの部屋着ではなく白いワンピースのような服を着ていて、どう見てもそれは自分が普段好んで着ている服ではなかった。
成瀬はベッドから抜け出して鏡を見る。しかし鏡に映るのは見慣れた自分の顔であり、最近流行っている小説のような展開ではないことも確信した。
「え、なに、なんなの…?」
成瀬は戸惑いを隠せなかった。出入口と思われる扉の向こうから、複数人の足音が聞こえ、成瀬は思わずベッドの陰に隠れた。息を殺し、口を塞ぎ、じっと動かなかった。
「…ん? いない…?」
小さく、戸惑うような声が部屋に響いた。部屋に入ってきたと思われる複数名は成瀬の姿を探すように歩き回り始め、このままではすぐに見つかると考えた成瀬は、音を立てないようにベッドの下へ潜り込んだ。
「おい、空の使い様がいなくなったぞ…!」
「どうするんだ!? このままじゃ全王様になんて報告したら…!」
「そんなことよりも、陛下がお怒りになるだろう! ああ、お香の効果が切れている…!!」
「誰だ!? この部屋の管理をしてたのは!?」
成瀬はそのような男たちの会話を聞きながら、口を塞ぎ小さく震えていた。決して見つかってはならないと、そう感じながら。
「まあまあ、そのお香ってなんの効果があるものなんですか?」
唐突に、穏やかな口調で話す若い男の声が聞こえてきた。その声は入り口付近に立っている人間のようで、ベッドの下からは三人分の足が見えた。
「あらやだー! これ、催眠効果のあるお香じゃない~?」
先ほどまで騒いでいた男たちが答える前に、若い女性の声も響く。その声の主と思われる女性は、成瀬が寝かされていたベッドの隣にあるタンスの前に立っており、お香の蓋を閉める音が聞こえた後、背後を振り向いて言う。
「空の使いって、子供だって聞いていたのだけど? 子供にこんなに強いお香を使って、いったいどういうつもりなの?」
「……」
女性は先ほどの明るい調子とは真逆の、低く鋭い声で男たちにそう言葉を発していた。皆口を開くことも、まともに動くこともできず、ただ押し黙っていた。
「前金は頂いているし、依頼は完遂する。さあ、早く護衛対象に合わせて下さらない? 予定が狂ってしまうわ」
女性はベッドに座り、足を組んでいた。男たちは情けない声を発しながら、逃げるように部屋を出て行った。
「…ほんと、情けない人たち」
「ですが、香を使って眠らせるなんて…」
女性は唐突にベッドから立ち上がる。そして数秒間無言で何かをした後、もう一人の男と思われる足が、成瀬の隠れているベッドの方へと近づいてきた。成瀬は心臓の音が外に漏れ出ているのではないかという緊張に苛まれたが、彼女を隠していた大きなベッドは、近づいてきた男のものと思われる足の持ち主によって軽く持ち上げられてしまう。
「っ…!!」
「あら、やっぱり」
身長二メートル越えの大男によってベッドが持ち上げられたため、成瀬を隠すものはなくなった。成瀬は心臓が止まるかのような思いだったが、金色の髪をなびかせ、優しい青緑色の瞳を向けられ、何故か全身の力が抜けるような感覚に陥った。
腕を組んで立っていた女性は身をかがめ、優しく話しかける。
「初めまして。私はAランクパーティ閃光の翼のリーダー、アンジェニーナ。今回、あなたを護る役割を担うことになったの。あなたの名前を聞かせてくれるかしら?」
「…成瀬、です…」
「ナルセちゃんね? 可愛いお名前ね」
アンジェニーナはナルセを怖がらせないよう視線を合わせ、にっこりと優しく笑いかけた。彼女の笑みには自然と人を安心させる魔力のようなものがあり、ナルセもその笑顔を見てようやく呼吸ができた気分だった。
「怖かったよね。でも、もう大丈夫。私たちがあなたを必ず守るわ」
アンジェニーナはナルセに手を差し伸べた。ナルセはその手を取り、立ち上がった。
「魔法使いのシトラスと、戦士のロバートよ。真面目優等生と強面クマさんだけど、皆いい子だから、仲良くしましょう!」
「え、えと、よろしくお願いします…?」
「よろしくお願いします、ナルセさん」
「…よろしく」
ナルセは何が何だか全くわからないが、とにかく挨拶を交わす。
ロバートは片手で持ち上げていたベッドをそっと下ろし、アンジェニーナはナルセと視線を合わせたまま事情を説明してくれた。
ここはナルセが生まれ育った世界ではないこと、ナルセがこの世界を救うための「英雄」に選ばれたこと、この世界で一番偉い人が、ナルセと同じく異世界から召喚された空の使いたちを集めるよう命令したことなど、アンジェニーナはナルセに一つも隠すことなく教えてくれた。
元より気の強いナルセも初めは不安を感じていたが、自身に視線を合わせ、全てを包み隠さず話してくれたアンジェニーナに信頼を寄せ、リリーズ王国への旅立ちを決意するのだった。
「ありがとう、ナルセちゃん! 短い間になると思うけど、よろしくね」
アンジェニーナは満面の笑みでナルセに礼を言うと、優しく頭を撫でていた。
「さて、あの人たちの件をギルドの上層部に知らせてから、ナルセちゃんの旅装を買い込みに行かないとね」
「そうですね。まさか、あんなものを使っていたなんて…」
「…あの、わたし、薬か何かで寝かされてたんですか?」
アンジェニーナはナルセの手を握ったまま立ち上がって会話をしていたが、それを聞いていたナルセは平然とそう質問した。元より度胸のあるナルセは、先ほどの会話を思い出してから疑問を投げかけていたのだ。
「そうね。あなたがこの国に落ちてきてから、少なくとも一週間は経っていると思うわ」
「え、一週間!?」
途中で気を失いはしたものの、ナルセには空から落ちてきた記憶はある。しかしそれからの記憶はなく、気が付いたらベッドで寝かされていた。まさか、一週間も寝たきりだとは、微塵も思っていなかった。
「まったく、本当に嫌になっちゃうわよね。でも、お姉ちゃんたちに任せて。必ずあの不届き…コホン、悪いおじさんたちにはお仕置きをしておいてあげるから」
「は、はあ…」
確かに一週間もの間寝かされていたと聞いても、ナルセにはまるで実感がない。驚きはしたが、そこまでするほどのものなのか? とも思っていた。
「ナルセさん、子供にとって催眠作用のある香というのは、成長を阻害してしまうリスクのあるものなのです。それを、世界の救世主たるあなたに使用した、というのが問題なのです」
「…子供は、すくすくと成長するべきだ」
ナルセの心の疑問に答えるように、シトラスが丁寧に教えてくれた。それに続いてロバートも、強面だが心配そうな顔でナルセにそう告げていた。ナルセはシトラスの言葉をしっかりと理解し、初対面の自分を本気で心配してくれる大人たちに、思わず笑いが込み上げてくるのだった。
*
「……」
馬車の荷台で周囲の風景を眺めていたナルセ。
この世界に落ちて来てから…正確には、この世界で目覚めてから約一ヶ月が経った。初めは現実味のある夢だと思っていた。しかし、この世界には剣と魔法、それにモンスターがいる。
アンジェニーナたちが戦っているのを何度も目の前で見てきて、少しずつ実感が湧いてきたところだった。
幼馴染みのハマナは元気にしているだろうか。自分がいなくなって、泣きべそをかいているのではないか。冬星と健壱は全国大会で優勝できたのだろうか。両親は自分がいなくなって、心配しているのだろう。
色んな考えが頭に浮かんでは消え、視界に映る夏の白い雲へと溶けて行った。
「ナルセちゃん、あそこが港だよ~。海は見たことある?」
「え、わあ…! ほんとだ! 海だ~!」
潮の香りが混ざる風を浴びながら、ナルセは興奮した様子でそう叫ぶ。夏は畑仕事を手伝ったり山で虫取りをしていたナルセは、実物の海を見たことはない。海の向こうには蜃気楼が見え、太陽の光を反射する水面は眩しく、きらめいている。
「蜃気楼が見えるでしょ? あれがリリーズ王国。奥に見える山は、ルル山脈ね」
「へえ…」
山脈という言葉は、学校で習ったことがある。大きな山々が連なっていて、帯状になっている地形のことだと。
「港からは、船に乗って行くわ。船は、初めて?」
「はい、乗ったことないです」
山で川遊びをしたことはあるが、船に乗った経験はなかった。ここに来てから初めての経験ばかりで胸を躍らせるナルセは、キラキラした目でそう答えた。
「ふふ、楽しみ?」
「はい!」
そんなナルセの様子を見たアンジェニーナも嬉しくなり、笑みを浮かべながらそう言った。
そして、道中謎の黒猫姉弟がナルセの命を狙っては来たものの、閃光の翼は一切の問題もなくリリーズ王国へ到着した。ナルセは幼馴染みと再会し、依頼の成功報酬も危険手当もきっちりと受け取ることができた。
寂しくなるが、冒険者は出会いと別れの繰り返し。すでに慣れている。
アンジェニーナは他にも空の使いを無事リリーズ王国に連れて来た冒険者がいることに気づき、皓月千里に向かって、声をかけた。
「ねえねえねえ! ちょっといーい?」
いつもの調子で明るく声をかけたアンジェニーナの声に、五人の冒険者が一斉に振り向いた。一人はかなりの強者、もう一人は将来性あり、一組の兄妹、そしてかなり優秀な魔法使い。
笑顔を崩さないまま、アンジェニーナは失礼にならない程度に皓月千里のメンバーを観察し、そして情報交換を持ちかけるのだった。




