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水の聖者  作者: 森川 悠梨
第三章 護送依頼
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ep01:浜納

 浜納(ハマナ)は、とても臆病で引っ込み思案な性格である。

 両親も兄弟も、学校の先生も友達も皆優しく、浜納が積極的に話さなくても皆が彼に声をかけ、積極的に輪の中に入れていた。学校の友達は何人かいて、浜納があまり多く話す性格ではないにもかかわらず、彼が一人孤立することはなかった。


「浜納! はやくはやく!」

「ま…待って、成瀬(ナルセ)ちゃん、速いよぉ…!」


 小学校からの帰り道を走る気の弱そうな少年と、対照的に気の強そうな少女。非常に穏やかで長閑な景色の広がる田んぼ道を走る少年——浜納は、町でも足が速いことで有名な少女、成瀬を追いかける。


「冬星(ユキ)の試合に間に合わなくていいの!? あんたのお兄ちゃんだって出場するんでしょ!? 早く行かないとあたし達、全部見れないんだから!」

「わ、わかってるよぅ…!」


 呼吸を乱しながら、前を行く成瀬に急かされ必死に走る浜納。彼らは近所に住む幼馴染み、冬星(ユキ)が所属する部活動であるソフトテニスの試合を見に行くため、午後から休みとなった学校からの帰り道を急いでいた。

 夏の刺すような日差しと、全方位から耳に響くセミの鳴き声、どこかの家からか聞こえる風鈴の音を感じ取りながら、二人はひたすら幼馴染みのいる試合会場へ急いだ。


「間に合った…! 今から試合開始かな?」

「はあ、はあ、はあ…」


 田舎だが、試合会場には近所の見物人やら出場選手の保護者やらが押し寄せていて、小学生でしかない二人には、後方からではテニスコートの中まではよく見通せない。


「ごめんなさい! 通してください~」


 浜納の手を引きながら、成瀬は人混みを掻き分けて先頭へ向かっていった。大人たちは背の低い子供に前を譲り、試合開始前の雑談を持ちかける者もいた。


「お、お兄ちゃんかお姉ちゃんが出るのかい? それとも、テニスに興味があるんか?」

「幼馴染みが出るんです! えっと…あ、三番の向こう側で体操してる人です!」

「ほお、ありゃ優勝候補のペアだねぇ。幼馴染みかい、試合を見に来てくれるなんて仲が良いんだねえ」

「そうなんです! あたし達、学校からそのまま来たんです!」


 たくさん話しかけてくれる初老の男性に、成瀬は嬉しそうな声でそう返していた。浜納はようやく呼吸を整えたようで、ハンカチで汗を拭っていた。


「ほら、浜納。始まるみたいだよ」

「あ、うん」


 準備運動を終えた冬星と、その相棒である浜納の兄・健壱(けんいち)の二人は、短く会話を交わしてから軽く拳同士をぶつけた。

 そして、試合開始の合図が下される。観客も選手も、応援部隊も静まり返り、両選手のトスを見守る。風向き、太陽の傾きなどを見極め、冬星と健壱は先攻を選んだ。

 トスを終えた後も二人は真剣な表情で短く言葉を交わしていて、集中力を高め、最後は互いの手のひらを叩きポジションに就く。

 健壱が前衛で、冬星が後衛。冬星の強烈なフラットサーブが、試合開始の合図だった。


『うおおおお!!!』


 一瞬で会場が沸いた。冬星の放つ前回転のかかったフラットサーブは非常に速く、鋭く、そして低い。冬星が確実に決めてくるサーブには、対戦相手は毎回苦戦する。初見ではそのボールを拾うことがかなり困難であり、ラリーにさえ入らせてはくれない。


「やった! 冬星のサーブに敵うわけないのよ!」


 浜納の隣でガッツポーズを決めている成瀬は、満面の笑みでそう呟く。


「2-0(ツーゼロ)!」


 審判の合図が会場に響き渡る。冬星のサーブによって早々に二ポイントを奪われた相手は緊張の面持ちで話し合いをしており、軽く手のひらを合わせてからポジションに就いた。

 次からの二ポイントは、前衛である健壱のサーブ。冬星のサーブがあまりに強烈であるため相手選手は忘れがちではあるものの、健壱もかなりの実力者である。

 健壱のサーブ自体はそこまで脅威ではない。緩やかだが決して外さないよう丁寧な打ち込みで相手のコートに入ったボールは、相手のレシーブによって返ってくる。しかし、相手が想定していたよりもボールの跳ねは伸び、余裕のないレシーブとなったため、ボールは山なりに跳んでしまった。

 それを受けたのは冬星。わざと中央のネットに近い位置に落ちるよう調整し、相手が短いボールを放ってくるよう誘導した。

 冬星の計算通り、相手は前衛である健壱がベースライン付近に立っていることを確認していたため、ネット付近にボールを打ち込む。しかし、それをわかっていた健壱は、相手がボールに視線を落とした頃には既に走り出していた。

 相手が打ち込んだネット付近のボールは一度バウンドしたが、走り出していた健壱は余裕をもってそれを拾い、油断していた相手がそのボールを再び打ち返すことはできなかった。


『わああああ!!!』


 会場は再び熱狂の渦に包まれた。誰もが予想だにしなかった二人の作戦に、会場のファンたちは大いに盛り上がる。

 そう。冬星と健壱のペアは、この町でもかなり有名で優秀なコンビだ。地元民はもちろん、全国大会で何度も優勝した経験を持つ二人を見物するため、都会からもライバル選手が集まって見物しに来るといった現象を引き起こしている。

 成瀬も浜納もそんな幼馴染みと兄を誇らしく思っており、休日に行われる全国大会の応援さえ必ず行っていた。

 弾丸の冬星と、俊足の健壱。彼らは、中学生ソフトテニス部全国大会に出場する選手たちの間ではそう呼ばれている。

 前衛である健壱は反射神経と運動神経の優れた前衛であり、どんなに拾えないとされるボールもすべて拾い上げる天才だ。また、相手の動きや思考を読み取ることに対し非常に敏感であり、先を読んであらかじめ行動し始めるといった戦術を得意としている。

 後衛の冬星は相手の技量、体力、行動予測といった観点で思考を巡らせ、分析し、健壱にそれらを共有することを得意としている。サーブだけでなく、前衛の健壱が万が一拾えなかったボールがあったとしても、冬星は必ず背後で健壱のサポートもカバーもこなす。

 そんな息の合った二人の壁を破ることのできる中学生は、全国大会の上位選手にもそういない。


「やった! ストレート勝ち!!」


 試合は、冬星と健壱ペアによるストレート勝ちだった。二人のファンと思われる女子たちが、ピンク色の声を上げながら彼らの名を叫んでいた。そして、成瀬と浜納の二人の存在に気が付いた健壱が、笑みを浮かべながら冬星と共にこちらへ歩いてきた。

 普段は堅い印象のある健壱が表情筋を緩めている姿をみると、健壱のファンの少女たちはそれだけで胸を締め付けられるかのような感覚に陥ることだろう。


「二人とも、来てたのか」

「当たり前でしょ! 二人ともカッコよかった!!」


 金網の扉を開け、コートから出てきた冬星と健壱。すぐさま部活のメンバーや応援部隊、そしてマネージャーにも囲まれ、タオルや飲み物を手渡される。


「成瀬、浜納、ごめん。次の対戦相手の試合を見に行かなきゃ」

「終わったら一緒に帰ろうな」

「わかった! 次も応援してるから頑張ってね!」

「が、がんばって…!」


 冬星がいつもの平然とした表情のまま断りを入れると、健壱もそれに続いた。試合に集中してほしかった成瀬も、興奮冷めやらぬ様子でそう言った。浜納も二人に応援の言葉を贈り、それを受け取った冬星と健壱も頷きだけを返し、次の対戦相手となる選手が試合をしているコートへ向かっていった。


 *


「本大会の優勝ペア、第二中学校の冬星&健壱ペアです! どうぞ、壇上に上がってください!」


 表彰式が行われ、見事県大会への出場を果たした冬星と健壱。表彰状をもらって拍手喝采をその背に浴び、一礼してから、他のトップ三達の列に並ぶ。


「それでは、これにて第三十四回・中学校ソフトテニス全国大会予選を終了いたします。今回トップ三に輝いた皆さんの県大会での活躍を期待します!」


 司会のその言葉によって予選大会は無事、幕を閉じた。五時の鐘の音が鳴り響く帰り道、試合を見に来ていた冬星や健壱と浜納の両親、成瀬と彼女を迎えに来た父親で、田舎の道を歩く。

 非常に穏やかで、平和な日常。冬星と健壱の活躍の話題に花を咲かせ、皆が楽しそうな雰囲気で家路を歩く。


「それじゃ、二人ともお疲れ様。またの活躍、楽しみにしているよ」

「また応援しに行くからね! 絶対!!」

「うん。ありがとう」

「ありがとう、成瀬。浜納、俺たちも帰ろう」

「うん」


 皆が別れの挨拶を交わし、近所同士の家の中へと帰っていく。夕食と風呂を済ませ、浜納と健壱は一緒にゲームをして遊んでいた。仲間と共に冒険し、モンスターを倒し、困っている人を助け、魔王を倒して世界を救うファンタジーの物語だ。

 浜納はあまりゲームが得意な方ではない。健壱に教えてもらいながら、少しずつ上手くなっていった。

 浜納は兄と過ごす時間がとても好きだった。頭が良くてかっこいい、でも優しくて、自分がよくできなくても怒ることなく、丁寧に何度でも教えてくれる、そんな兄が大好きだった。

 そんな平和な空間を突き破るように、リビングに家のインターホンが鳴り響いた。


「はいはい」


 健壱と浜納の母親が玄関に向かい、扉を開ける。健壱と浜納の二人は顔を見合わせ、二人でリビングの入り口から顔だけを覗かせる。母が対応する玄関先に立っていたのは、向かいに住む成瀬の父親だった。

 非常に落ち着かない様子で、しかし子供たちを驚かせることがないよう、できるだけ平静を装いながら母に問う。


「こんな遅い時間にすいません。うちの娘は、お宅に来ていないでしょうか?」

「成瀬ちゃんですか? いえ…ウチには来ていませんよ」

「そうですか…冬星くんのお宅には嫁が行ってるんですけど…」


 成瀬の父親は動揺したように視線をあちこちに向けていた。しかしすぐに母に向き直り、頭を下げた。


「いや、こんな時間に訪ねてすいません。それじゃ…」

「待ってください。成瀬ちゃん、もしかしていなくなったんです?」

「…っ、はい…学校の宿題をする言うて自分の部屋にいたはずなんですが、妙に静かだと思って覗いた時には、すでに…」

「そんな…! 冬星くんのお家にも行きましょう。私も一緒に行きますから」

「すいません、本当に…」


 成瀬の父親は、何度も申し訳なさそうに頭を下げていた。健壱と浜納は互いに顔を見合わせた。浜納は非常に不安そうな顔をしていて、健壱はそんな浜納の頭をそっと撫でる。


「大丈夫。兄ちゃん、ママと一緒に行ってくる。成瀬はちょっと散歩に出ただけかもしれん、すぐ帰ってくる」

「う、うん…兄ちゃんも気を付けてね」

「浜納は家から出んといてな。知らん人が来ても絶対に出んなよ」

「うん…」


 時刻は、すでに九時を回っている。辺りも暗くなり、人通りは極端に減る。街灯もほとんどなく、明かりがなければ周囲を見渡すことさえままならない。


「健壱、父ちゃん呼んできて」

「はいよ」


 健壱は母にそう指示され、二階で仕事をしている父を呼びに階段を上がって行った。そして父親と共に戻ってきた健壱は、浜納の目を見ながら言う。


「浜納、もう遅いから寝とけ」

「兄ちゃん帰ってくるまで待ってる」

「ダメ。明日も学校あるっしょ」

「うぅ…」


 大好きな兄にそう言われては、浜納も意地を張ることなく引き下がるしかなかった。両親と兄がしっかりと家に施錠していくのを見守った浜納は、一人静かな家に取り残されたことで、強烈な不安に襲われてしまう。

 元々夜に一人で過ごすことが苦手な浜納は、自室に戻ったは良いものの、電気を消して寝るといったことができず、布団に潜って蹲り、いなくなった成瀬が無事見つかって、皆が戻ってくることを祈るしかできなかった。


 *


「冬星!」

「健壱…」

「成瀬、そっちにも行ってないのか?」

「来てないよ。そもそも、あの子の性格上、両親に何も言わずに外に出るなんてありえないでしょ」


 両親と共に、隣に住む冬星の家へ向かった健壱。辺りは暗く、人通りも少ないこの時間帯に、成瀬が一人で外に出かけるとは皆思っていない。あるとしても、両親と喧嘩した時、近所に暮らす幼馴染みの家に遊びに行くくらいだろう。しかしどの家にも来ていない状況となると、成瀬は家の中にいながら誰かに誘拐されたということになる。


「すぐにでも警察に連絡しましょう。大丈夫、あたしたちも一緒に探しますから」

「家の中も、まずはくまなく探した方がいいですよ。成瀬ちゃん、隠れているだけかもしれませんし」

「母さん、僕と健壱は外を探してくるよ。成瀬が行きそうな場所、いくつか回ってみる」

「わかったわ。二人も気を付けてね」


 冬星と健壱は、冬星の母親の言葉に頷く。そして自転車に乗り込み、ライトで道を照らしながら、近くの公園、ひみつの場所、町が一望できる丘の上など、思い当たる場所は全て回った。


「…いないね。人の気配さえない」

「不審者がいたのか?」

「そんな話、教師たちは何も言ってなかったけど」

「そう、だよな…」


 不審者の情報があれば、小学校でも中学校でも、必ず生徒たちにも保護者達にも知らされる。ここは平和で長閑な田舎の町、住民同士の結託も固く、犯罪でも犯そうものなら家族でも追放される場所。不審者が現れれば、住民全員が子供たちを守れる町だ。

 そんな町で突然起こった、小学生女児の神隠しのような失踪事件に、冬星も健壱も、そして大人たちも、不気味さを感じざるを得なかった。


「帰ろう。そろそろ警察も来てるはず」

「おう」


 自転車に乗り、自宅へ戻る二人。パトカーが止まっており、大人たちは皆真剣な表情で話し合いをしていた。


「ああ、健壱、冬星くん、おかえり。成瀬ちゃんはいた?」

「いえ、どこにも…」

「もう少し探してこようか?」

「いや、あとは大人に任せて帰ってなさい。あんたらも明日は学校があるだろ」

「…わかりました。健壱、僕らは帰ろう」

「…そう、だな」


 幼い頃から一緒に育ってきた近所の女の子がいなくなったという時に、まだ子供の自分たちができることは少ない。浜納のことも一人で待たせている健壱は捜索を諦め、冬星と別れて自宅へ戻る。

 玄関の鍵を開けて中へ入った健壱。いくら浜納一人しか留守番していないとはいえあまりに異様な静けさに、健壱は一気に全身の毛が逆立つかのような嫌な予感を覚えた。


「…いや、家の玄関も窓も、全部施錠してた。それに、浜納は言いつけを破る人間じゃない…」


 健壱は自身に言い聞かせるようにそう呟くが、嫌な予感は一層増すばかり。階段を駆け上がり、浜納の自室へ向かった。

 きっとベッドで静かに眠っているだけだと自分に言い聞かせながら、浜納が眠っているはずの部屋の扉を開ける。健壱の視線の先には、部屋の電気がつけっぱなしで、毛布がめくられた状態のまま空っぽになっていたベッド、そして誰もいない部屋の空間だった。

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