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水の聖者  作者: 森川 悠梨
第三章 護送依頼
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038. 治療

 青年と女性との連戦で負傷し消耗したシノンは、去り際の二人の会話の内容から、ルミナたちが危険な目に遭っているのではないかという不安に駆られながら、全速力で走っていた。

 狼と同等の嗅覚を活かして仲間の匂いの痕跡を辿り、優れた聴覚でアルファとルミナが外で活動しているのを確認してホッとしていると、やがて街道の脇に存在する洞穴へとたどり着く。全員の匂いがここに集中しているのを考えると、現在はここで休んでいるものと考えられる。

 ルミナたちが怪我を負っていないとしても、女性の言葉からハマナの生命が危険な状態にある可能性があった。道中血の臭いもしていたし、シノンは切羽詰まった様子で、中にいるであろうユウキに声をかけるのだった。


「ユウキ! ハマナの容態は?」


 ハマナの治療にあたっていたユウキは治癒魔法の手を止めることなく振り向き、ホッとしたかのような表情でシノンの名を呼ぶ。


「…! シノンさん…!!」


 シノンの方を振り向いたユウキは嬉しそうな表情をしていたが、シノンが傷を負っていることがわかって一瞬でそれは崩れる。


「し、シノンさんそれ、ケガを…!」

「俺のことはいい。手伝うから、傷口がどこか教えてくれ」

「っ…えっと、心臓を綺麗に貫通です。ボクの魔力膜で何とか傷口を塞ぎながら治そうとしているんですが、修復がとても追いつかなくて…」


 地面に膝を着き、ハマナの容態を確認するシノン。

 シノンの傷もかなり重症のように見えるため手伝いを断って、自分の傷の手当てをしてほしかったものの、実際のところ自分の力だけではハマナを助けることができないことを自覚していたユウキは、シノンに促されて現在の状況を共有した。


「そのまま塞いでいてくれ。俺が修復するから」

「わかりました!」


 アリュスフィアも隣で二人のやり取りを聞きながら道具を整理し、沸かしたお湯で薬草を煮込んでいた。聞き覚えのある声に見覚えのない美しい人間が突然入ってきた際は非常に驚いたものの、現在は緊急事態であるため、アリュスフィアはシノンがフードを外している件には一切触れることはなかった。

 シノンは黙ってハマナの心臓にできた傷を修復しながら、ハマナの心臓の動きを音で感じ取っていた。ユウキが傷口を塞いでいたおかげで、出血は比較的少なく、治癒魔法のお陰で微かにだが呼吸は出来ていたらしい。


「傷の修復が終わったら、すぐに心肺蘇生術を施す。このままでは心肺停止状態になるから、最後まで気を抜くな」

「はい!」


 ユウキがそう返事を返すと、薪と水を取りに外へ繰り出していたアルファとルミナが戻ってきた。アルファはユウキの隣にいる見覚えのない人物に一瞬固まるが、ルミナは即座にその人物の名を隣で呼んでいた。


「シノン!!」


 薪を地面に置くと、右腕から大量の血が流れているのを見て慌てて隣に膝を着く。


「し、シノン? シノンなのか!?」

「ストップ! お兄ちゃん、話は後! 薬作ってるから手伝って!!」

「お、おぅ…そ、そうだな」


 アルファとアリュスフィアは、森に自生する薬草の知識を持っていた。独学で学んだ薬の知識もあるようで、傷を負った際の痛み止めや消毒薬を作ることもできる。しかし自生する薬草を使って調合するため、どうしても青臭さなどは抜けないので、あくまで応急処置に使える程度のものではあるが。

 魔力も魔法も卓越したシノンが治癒魔法を施しており、ハマナの傷も左胸の傷のみであるため、アリュスフィアが現在調合している傷薬や痛み止めは必要なくなった。しかしシノンがかなり傷を負っているようで、アリュスフィアはそちらの手当てに使える薬を追加で調合し始めるのだった。


「シノン、右腕、傷が…!!」

「ルミナ、落ち着け。今はハマナの治療が優先だから」

「でもシノンだって大怪我してるのに…!!」


 ルミナはかなり動揺した様子でシノンに話しかけていた。シノンはハマナの治療を最優先にと判断して、自らの傷の手当てを後回しにしていた。生命の危険があるかどうかで言えば、シノンは急所を避けて傷を受けていたため、急所を狙われまともに回避もできなかったハマナの方が自然と高くなる。

 とはいえ、ルミナが動揺し焦燥の感情を露わにすることも自然な流れだ。ルミナにとってシノンは最も尊敬する師であり、誰にも負けない剣士であり魔法使いだからだ。

 これまでシノンが傷を負った場面があるとすれば、鈍くさい自分や、後衛であるユウキを、身を挺して庇った時くらいだった。それが、嫌な予感が的中し、あの大鎌の青年と戦って全身に傷を負って戻ってきたのだから、過剰に恐れてしまうのも仕方のないことではあるのだろう。


「ルミナ。落ち着いて。命に関わる傷じゃない」


 シノンはハマナの治療を進めながらも、ルミナの目をまっすぐに見てそう言った。焦りの色を見せていたルミナも、シノンの目を見て多少落ち着きを取り戻したのか、深呼吸をして空気を肺に取り込み、ゆっくりと吐き出す。


「…ごめん、取り乱した。シノン、私にできることはある?」

「しいて言うなら、右腕を支えてほしい。力が上手く入らないから」

「わかった。こうでいいかな?」

「うん」


 ルミナの手はまだ微かに震えていたが、ハマナの治療をするシノン達の邪魔にならないよう、必死に焦りの感情を抑えていた。

 やがて心臓の傷を修復し終わったシノンが、ハマナの胸に両手を当て、心肺蘇生術を施そうとしていた。しかしそれを、アルファが止める。


「待て、シノン。それは俺がやる。他にやり残したことは?」

「ない。あとは心肺が動いてくれれば…」

「それなら俺にもできる。シノン、君は傷の手当てを受けてこい」

「…わかった。頼むよ」


 右腕に力が入らない自分がやるよりも、一切怪我など負っていないアルファに任せることにしたシノン。アルファの言う通り、満身創痍に近い自分が全てやるより、残りは仲間に任せてしまった方が良いからだ。


「シノン、以前薬を使っていて副作用が出た経験はある?」

「…薬が少し効きやすいくらいで、特にはなかった」


 治療の準備をしていたアリュスフィアが、シノンにそう質問を投げかける。しかしシノンは首を横に振りながら、返事を返した。


「わかったわ。少し水で薄めるくらいでいいかしら…」


 アリュスフィアは調合した薬を水で薄め、コップに注いでシノンに差し出した。


「飲んで。内側から傷口を消毒する作用のある薬草よ。魔力があまりないから、外側からも消毒しなければならないけど。あと、痛み止めも入っているわ」

「うん」


 深い緑色の、いかにも苦そうな薬液だったが、シノンは顔色一つ変えずにそれをすべて飲み切った。

 苦いだけでなく、自生する薬草特有の青臭さがそのまま液体になったかのような味と、口内に張り付く粘り気が人によってはトラウマになるレベルで気持ちの悪い口当たりだ。しかし、シノンはまるで慣れ切っているかのように、表情一つ変えず、飲み込むまでに一切の躊躇いも見られなかった。


「…この傷、何針か縫わないといけないんじゃない?」


 抉られた、といった表現の方が似合うほどの深い切り傷に、アリュスフィアは顔面が青ざめていた。下手をすれば骨が見えるほどの深さであり、よくこの状態で数時間もハマナの治療をできたものだと、ドン引きすらしていた。


「フィア、私も手伝うよ」

「わかったわ。シノンの右腕をこれで強く巻いて。肩に近い辺りが良いかしら」


 手伝いを申し出たルミナに、アリュスフィアは頑丈な紐を渡した。

 ルミナはアリュスフィアに頷くと、シノンの表情を窺いながら、できるだけシノンの肩に近い場所をきつく縛った。かなり痛むはずだが、シノンはそれでも一切表情を変えない。


「ボクにも何かできることはありませんか?」

「ハマナの方は終わったの?」

「はい。無事呼吸も安定しました。今はアルファさんがハマナさんの様子を見てくれています」

「お疲れ様。ユウキはずっと魔力を使っていたでしょうから休んでいて。ここはあたしとルミナで平気よ」


 アリュスフィアは手伝いを申し出たユウキの言葉に、手元で作業を行いながらいつもよりも早口気味に答える。その手元には傷口を縫うための針と糸が握られており、針の穴に糸を通していた。


「あ、しいて言うならお兄ちゃんと一緒にお茶でも作っておいてくれないかしら? ゆっくりでいいから」

「わかりました。任せてください」


 ハマナの命は何とか救えて、シノンの傷も命に別状はないといった安心感からか、ユウキはホッと息を吐き、笑みさえ浮かべながらそう返事をした。


「心肺蘇生術で、肋骨が骨折したと思う。それは治したか?」

「はい。今は呼吸も安定して、一切傷は残っていません」


 折れた骨を治せる治癒魔法使いは、そういない。ユウキが多くの魔力を持っている人間だからこそ成せた技だった。

 魔力のみではなく、多くの知識や経験、技術といったものも必要となっては来るのだが、ユウキの師匠は生ける伝説とも呼べるあの魔女マガネスだ。彼女から教わった魔法の技術をユウキは決して忘れてはいないし、以前よりも精度が向上している。

 シノンがそんなユウキの言葉に満足そうに頷くと、ユウキはぺこりと頭を下げて去って行った。そしてアルファと共に、飲み物や夕食の準備を始めるのだった。


「シノン、これを噛んでてちょうだい」

「わかった」


 シノンはアリュスフィアに渡された布を口に入れた。これは傷を縫う際に生じる痛みにより、誤って舌を嚙まないようにするための処置だ。いくらシノンが痛みに顔を歪めないからと言って、怠ってはならない工程でもある。


「ルミナ、シノンの右腕を押さえていて。あ、この石の高さ、丁度いいわね。ここに腕を載せて、しっかり押さえていてね。傷口が広がらないように、内側に寄せておいてくれるかしら?」

「わ、わかった」


 アリュスフィアはルミナにそう指示を出す。話している途中で丁度良い高さの石を見つけたため、そこにシノンに右腕を載せ、ルミナは両手でシノンの右腕を押さえた。

 やがてアリュスフィアは合図を出し、熱した針でシノンの傷口を縫い始める。彼女は手先が器用で、本職の医者ほどではないが、かなり効率よくシノンの傷口を縫っていった。

 その間、相変わらずシノンは表情をほとんど動かさない。ルミナが時々シノンの表情を窺っていたが、普段と同じく涼しい顔であった。


「…よし、一旦これでいいかしら。明日、どこかの町にでも寄って、本職の医者に診せた方がいいわね」


 汗を拭いながら、アリュスフィアはそう言う。ルミナもかなり緊張していたようで、力を抜いて深く息を吐いていた。


「あとはガーゼを貼って、包帯を巻いて…ルミナ、シノンの肩の紐を解いてくれる?」

「あ、うん。わかった」


 ルミナはアリュスフィアの指示通りに、シノンの肩の辺りできつく結んだ紐を解く。シノンも口に咥えていた布を自分で取り出して、疲れたように息を吐いていた。


「…シノン、痛くないの?」

「痛いよ」


 傷の手当てを受ける間、ほとんど表情の変化がなかったシノンに対して心配そうに声をかけたルミナだったが、あまりにも想定外の返事に思わず手を止めて目を見開いて固まってしまった。


「えっ…だって、全然痛そうにしてなかったのに…」

「痛そうにしてたら、ルミナたちが治療の手を止めるかも知れないだろ」

「あら。優しいのね、シノンは」


 アリュスフィアは平然としているようにしながらシノンの腕に包帯を巻いていたが、彼女も内心かなり驚いていた。これだけの深い傷を負ってもなお、痛くないわけがないからだ。それでも表情をしっかりと管理し、黙って痛みに耐えることは、そう簡単にできることではない。しかし、治療を施している相手が痛みにもがく姿を見ながら治療するのも、かなり精神を擦り減らす作業となってしまう。

 シノンは、アリュスフィアやルミナにそのような負担をかけまいとするためだけに、激痛をじっと耐えていた。傷を受け、一番辛いのはシノン自身のはずなのに、手当てをしてくれている人間にまで気を遣っていたのだと考えると、アリュスフィアも少し申し訳なくなった。


「…ルミナが、終始心配そうに俺の顔を見てたから」

「えっあっごめん」


 ルミナは恥ずかしそうに、申し訳なさそうに、そう言った。しかしシノンは、安心させるようにルミナの頭に左手をそっと置いた。


「えっ」

「…ごめん、落ち着かせようと思って…」


 シノンに慰められたルミナは、先ほどより頬が赤くなっているような気さえしながら、慌てて立ち上がって、普段は被らないフードを頭に被って顔を隠してしまった。

 目を見開いて二人の様子を見守っていたアリュスフィアは、やがてニヤリと笑みを浮かべ、そんな表情のままシノンの腕に包帯を巻く作業を再開していた。

 シノンは行き場のなくなった左手を宙に泳がせてから、そっと元の位置に戻すのだった。

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