035. ヘルガ皇国までの道のり
「さあ、皆。忘れ物はないな? 準備はいいか?」
「大丈夫! ちゃんと全部持ったよ」
「あたしも準備できてるわ。ハマナの分も確認できてる」
「ボクも準備万端です」
現在はチグアム皇国の皇都を発つ日。全員が十分な休息を取り、万全な状態での出発である。
全員がアルファの言葉に返事を返し、シノンがアルファにただ頷きだけを返すと、皓月千里はハマナを連れて皇都を発った。
「チグアム皇国と隣国ヘルガ皇国の皇都は、互いの皇都が攻められた時すぐに助けに入れるよう、そして常に交流を図れるよう、国境付近に建設された。だから、次の目標地点は国境を越えた先にあるヘルガ皇国の皇都ってことになるわね」
地図に書かれている案内を見ながら、アリュスフィアが呟く。
「そうだな。チグアム皇国でゆっくりした後だが、ヘルガ皇国の皇都で一泊してから出発するのもありだな」
「そうね。皆もそれでいいかしら?」
「いいよ、私は二人に合わせる」
「ボクは賛成です。皇都ともなると、せっかく寄っていけるなら少しでも休んだ方がいいかなと思います」
「俺も賛成」
「わかった。えっと、到着の目安は長くても五日くらいかな」
五日ほど徒歩で移動し、国境を越えた先にあるヘルガ皇国皇都・ナビールにて一泊、その後二週間から三週間ほどかけてミナー半島にある港から船に乗る。
ミナー半島の港は、西大陸の窓口という異名を持つ。東大陸への大陸便も、北の島国への便も、そして中央大陸に存在するリリーズ王国への便も存在する。このミナー半島からであれば、世界中のどこへでも行けると言っても過言ではない。
そんな港街を目指して旅をする一行は、まず街道に沿って経由地であるナビールを目指すことになる。
「ねえ、ハマナは本当に異世界から来たの?」
「え、ああ…はい、たぶん、そうなんだと思います」
「随分曖昧な返事ね」
野営中、アリュスフィアがハマナに対してふと質問を投げかけた。ハマナはそんな質問をされるとは思っておらず、一瞬だけ戸惑う姿勢を見せるもすぐに答える。
冬は終わり春に差し掛かる季節だが、夜はまだ冷える。皆が上着を着込んだり、温かい飲物を飲みながら過ごしていた。
「…まだ実感がなくて。ついこのあいだまでは、学校に行って友達と遊んだり、勉強したり、お父さんとお母さんと一緒にお出かけしたり…してたんですけど…」
暖かい飲物を持つ手に力が入っているハマナは、視線を落としながらそう答えた。
「…そう、寂しいわよね」
「……」
無言になってしまったハマナを励ますように、アリュスフィアはハマナの背を優しく撫でる。
「もし良かったら、ハマナの世界の話を聞かせてくれない?」
少しでも明るい話題をと考えたルミナ。ハマナは最初人見知りしていたが、今では随分と慣れて、よく話してくれるようになった。
皆が気になってはいたが、なかなか訊く機会もなくそれまで話題に出なかった、ハマナが住んでいたという異世界の話を聞こうと、ルミナが声をかけた。
「いいですね。ボクも気になっていたんです」
「あたしも。ハマナ、あなたが住んでいた世界はどんな世界なの?」
「え、っと、うーん…」
ハマナは少し考えた。彼はまだ幼く、言葉にする能力も拙い。故に、全員が急かすことなく、ハマナが話し始めるまでじっと待っていた。
「この世界では、十五歳で大人…なんだっけ…?」
「そうよ。大人になる…つまりお酒を飲んでいいのは、一般的に十五歳前後の場合が多いわ」
「僕の住んでた国では、二十歳でお酒を飲んでいいし、タバコも吸っていいって言われます。あと…クルマとかデンシャとか、ヒコウキっていう乗り物があって…遠くに一日で行けます」
「そういえばあなた、最初に会った時に言ってたわね。そんなにすごい乗り物があるのね」
「遠くの地へ安全に、速く移動できる手段があるのなら、魔物を見たことがないのも納得だね」
ハマナの住んでいた世界は、どうやらこの世界よりも技術の発展した場所らしい。
シノン達が暮らす世界で速く移動できる手段と言えば、早馬や竜騎士といった、専門知識や技術などといったものが必要なものになるものが思い浮かぶだろう。しかし平民や冒険者が毎日そのような移動手段を使えるはずもなく、必然的に徒歩か馬車での移動となる。
町から町までの移動も、国を渡る際も徒歩や馬車が主流である以上、ハマナの言う乗り物がいかにすごいものかは、彼らには想像もつかない。
「僕の住んでたところには、魔物はいません。絵本とか、ゲームとかにはいましたけど…」
「え? 魔物がいない?」
「はい。僕はあまりゲームをやらなかったので、詳しくは知らないんですけど…」
「ゲームって?」
「えっと、なんて言ったらいいかな。機械のおもちゃ? とにかく、遊ぶためのどうぐです…」
ハマナは説明に困っていたが、シノンはなんとなく察していた。ハマナの世界では実在する魔物はなく、あくまでも架空の存在だったと。それを皆に簡潔に共有すると、全員が納得の表情を浮かべていた。
「なるほどね。ハマナの世界は平和だったのね」
「はい。剣も魔法もなくて、代わりに、いろんな便利なものがあります」
ハマナにとって、この世界のものすべてが架空の存在らしい。剣は実在しているが実用性はなく、魔法に関してはおとぎ話のようなもので、実在していないという。
生活するうえで魔法に依存しきっているこの世界では、あまりに考えられないことだ。しかしハマナが言うには、魔道具のような存在が各所にあるという。話を聞く限り、どうやら魔道具よりも精密で、優秀なものばかりのようだ。
「すごいわね。ハマナは随分礼儀正しいと思っていたのだけど、それだけ技術が発展した世界で生まれ育ったのなら、そうなるのもある意味当然なのかしら」
「うーん、たぶん? 学校にはみんな行ってるし、僕も学校でみんなとお勉強してたので…」
「学校にみんな行ってる? えっと、ハマナは貴族の生まれなの?」
「きぞく…? は、わからないですけど、僕の国では、子供はみんな学校に行ってます。僕の家は全然、普通です…」
ハマナが語る異世界の常識は、どうやらこの世界の常識とはかなりかけ離れているようだ。この世界では、学校とは、貴族や金持ちの商人の子供などが通うのが当たり前だからだ。平民が通える場所ではない。しかしハマナが言うには、彼の暮らしていた国の子供は皆学校に通っているという。
「そんなにすごい国だなんて…ちょっと見てみたいわね」
「そうだね。平和で、きっと美しい世界なんだろうね」
ハマナの話を聞いていたアリュスフィアとルミナが、それぞれ感想を口にした。実感は湧かず想像はできないけれど、異世界は本当にあるのだと、新鮮な話を聞けたと感じていた。
「…聞いてくれて、ありがとうございます」
ハマナはぺこりと頭を下げる。皆、こちらこそ面白い話だったとハマナに感謝を告げると、そろそろ遅い時間になるため、ハマナは一足先にテントで眠りに就くことになった。
「さて、見張り番の順番を話し合おうか」
「あ、私最初やるよ」
「ボクも最初で…」
「ユウキは深夜に起きるの苦手だものね。あたしは後でいいわよ」
アルファが全員に声をかけると、ルミナとユウキが一番目の見張りを申し出る。
その後の話し合いで、シノンが一人で二番目、最後にアリュスフィアとアルファが朝までの担当となった。
「じゃ、俺たちは先に寝かせてもらうよ。何かあったら呼んでくれ」
「二人ともおやすみ」
「おやすみなさい!」
「うん、おやすみ」
挨拶を交わし、アルファとアリュスフィアはそれぞれテントに入って睡眠を取った。シノンはテントに入ることなく、焚火の光の陰に入るように、岩の裏へ入って行った。
「シノン?」
そんな様子を見ていたルミナが、シノンを覗き込むようにして声をかける。
「ん?」
「寝ないの?」
「寝るよ」
「…やっぱり、アルファたちに顔を見られるかもしれないから?」
ルミナは、シノンがテントの中で横になって眠れないのではないかと心配していた。シノンは野営中、ほとんどテントの中に入らず、寄りかかれる場所を見つけては座った姿勢のまま眠ることが多い。
宿に泊まっていてもベッドを使うことなく、外套を纏ったまま壁に寄りかかって眠っていたと、ルミナはアルファから聞いていた。だからこそそう質問したのだが、シノンは特に表情を変えることなく平然と返す。
「…? いや、今夜は、満月が見えるから」
「あ、そういえばそっか」
ルミナは夜空を見上げた。シノンが言う通り、明るく大きな満月が自分たちの上空に浮かんでいる。柔らかく暖かな月光が自分たちを包み込み、優しく見守っていた。
「綺麗だね。シノンは月が好きだよね」
「好き…なのかはわからないけど、懐かしい気持ちになるから」
「そっか。そういえば、シノンは過去について、何か思い出したことはないの?」
「ないよ。そもそも、物心がつく前の記憶だし、思い出せることはほとんどないよ」
「…確かに。ロウさんに拾われたのは、六歳の頃だったっけ?」
「うん」
ルミナは、シノンが背を預ける岩に寄りかかる。もちろん、見張り番として周囲の気配には十分気を配りながら。
「そうだね…言われてみれば、私も六歳の頃の記憶はほとんどないかも。記憶喪失じゃなくてもこれじゃあ、確かにシノンが思い出せる過去の記憶は、ほとんどないのかな…」
ルミナは声を落としてそう話した。その声音は悲しげであり、かなり落ち込んでいるような雰囲気を纏っている。
「でも、シノンのことを覚えている人がいるかもしれない。シノンはその人たちを探すべきだと思うし、過去を取り戻すべきだよ」
「…いや、俺は別に…」
「私も手伝うよ! 今は何も役に立てないけど…絶対に、シノンの故郷や、家族や友人もきっと見つけてみせるよ!」
ルミナは膝を着いて、シノンにそう言った。その目はまっすぐにシノンを見つめており、決して揺らぎはしない意志と覚悟が宿っていた。
「…お前が背負う必要のないことまで、俺のために背負わなくてもいい」
シノンはそんなルミナの目を見ていたが、やがて息を吐いてそう言った。
シノンは何気なく、深く被っていたフードを外した。少女のような美しい容姿が、青い月の下に照らされた。青い月光の下では、シノンの持つ深海のような青い瞳は際立ち、自ら光を発しているようにさえ見える銀糸のような髪は、誰もが惹き込まれる光を放つ。
「私、感謝してるの。シノンには二度も命を救われて、戦う力のなかった私に剣を教えてくれて、臆病な私が旅立つきっかけをくれた人なの。だから、絶対にこの恩はシノンに返したい。今はできないけれど、私にできることを増やして、絶対にシノンのためになることをしたいの」
「……」
シノンが自身の過去に対してどのような気持ちを抱いているのか、ルミナは知っていた。しかし、過去を失ったまま生きていることがどれほど虚しいか、ルミナには想像ができない。それでも、本当の故郷や家族と再会を果たせないまま未来を生きることがどれほど辛いかは、知っていた。
「シノン、過去を手放さないで。シノンには本当の家族も、故郷もあるはずだよ。選ぶのはシノンだけど、選ぶっていうのは、選択肢が存在してこそ。選択肢が消えてしまったなら、取り返さなきゃ」
ルミナはシノンの手に自らの手を添えながらそう語った。シノンは答えなかったが、ルミナはシノンに優しく微笑み、立ち上がった。
「見張り番もあるんだし、ちゃんと休んでね。私もちゃんと見張り番をしなくちゃ」
ルミナはシノンに軽く手を振りながら、ユウキのいる焚火の方へ去って行った。ルミナが去った後、シノンは膝を抱えながら、何か考え事をするようにじっとしていた。




