034. チグアム皇国
別名を、食の国。
チグアム皇国は隣国のヘルガ皇国と姉妹国家であり、両国の天皇の先祖は兄弟であったと伝えられている。
光の神を信仰するチグアム皇国は、料理の腕が良いほど好かれるという独特な国である。一般家庭料理のすべてがその家系ごとに異なる独自のレシピを持っているという特徴があり、この国で最も人気の職種は料理人。
この国の国民は皆舌が肥えていて、常に美味と珍味を求めているという。
「かなり道が複雑だな。先に宿を探そう。皆、もう少しだから、頑張って」
「…少し暑いね、レラン王国が涼しかっただけなのかな」
非常に計画的に建設された皇都は非常に複雑な地形、そして複雑な迷路のような構造となっていた。これは遥か昔のチグアム皇国で、敵に攻められにくい構造として有名になったものであり、現代では観光客の目玉となっている。
そしてこの構造は風が通り抜けにくいため、熱が溜まりやすい構造でもある。
「この街の構造自体、冬でも熱が籠るようになっているそうです」
「むしろ、レラン王国よりも北にあるからこそ、寒さを凌ぐことに重きを置いているのね。でも夏は暑くて、それこそ死んじゃうんじゃないかしら…」
ルミナとユウキは砂漠越えの際に使っていた遮光布で作られた外套を羽織っているため、あまり暑さを感じることはない。しかしフードを外して頭は外に出しているため、外の気温を感じることができていた。
「あった、ここかな」
複雑な迷路のような道を歩き、ようやく宿に辿り着いたシノン達。中へ入って三人部屋を二部屋取り、男女で二組に分かれ荷物を部屋に置いた。
指名依頼で長距離を移動し長期間拘束されるため、依頼を完遂するまで、六人分の宿代・食費に加えて交通費まで別途支給されている。ギルドの経費で宿泊できる宿なら、警備がしっかりしていて盗難に遭いにくく、補償がつく宿を選ぶのが良いと、シノンは勧めた。その方がしっかりと休息が取れるし、街にいる間は重い荷物をすべて持ち歩かなくて済むからだ。
宿には夕食もついており、シノン達は一緒に食事をした。さすがは食の国と言われるだけあって、彩り豊かで量の多い料理が出され、皆が満足する食事だったらしい。
旅の疲れを癒すため皇都には数日滞在するスケジュールで、最終日には食糧を買い込んでから出発する。
「ルミナ、ユウキ、美味しそうなスイーツのお店を見つけてきたわ。一緒に行かない?」
「え、行きたい!」
「ぜひ…!」
アリュスフィアは新しい土地に行く度にマップを作って、どこにどんな物があるのか、料理の美味しい店、景色の良い場所、休憩に丁度良い場所などを記録する。皇都は広く、観光のために滞在しているわけではないため、一日で回りきれる範囲のみ探索してから、近場のスイーツ店を見つけて来たのだった。
「ハマナは甘いものは好き?」
「はい…」
「良かったら食べに行きましょう? あたしが奢るから」
「い、いいんですか?」
アリュスフィアは上機嫌でハマナに声をかけた。ハマナは嬉しそうにしつつも遠慮がちにそう問うが、アリュスフィアは満面の笑みで答える。
「もちろんよ! 旅をしてたら甘いものなんてめったに食べれないんだから。お兄ちゃんとシノンはどうする?」
「俺はいいよ。皆で行っておいで」
「俺もいい」
シノンは椅子に座り、足を組みながら本を読んでいる状態のまま答えた。アルファは基本的に甘いものが得意ではないこともあり、四人分の茶菓子代だけアリュスフィアに渡していた。
「え? お金なんて別にいいのに」
「これくらいは俺が出すよ。楽しんでおいで」
アリュスフィアは一度遠慮するも、アルファは受け取ってほしいといった動作をしたため、アリュスフィアは仕方がないとばかりに息を吐きながらお金を受け取った。
「ありがと。じゃ、皆行きましょ」
「アルファさん、ありがとうございます」
「ありがとう、アルファ。二人にも何かお土産買ってくるね」
「気にしなくていいからな」
アルファに礼を告げながら部屋から出て行った四人を見送ると、アルファはシノンの向かい側にある椅子に腰かけた。
シノンは相変わらず本に視線を落としており、何の本を読んでいるのか気になったアルファは、シノンの邪魔にならないよう少しだけ覗いてみることにした。
本のタイトルは『シエロとステラの冒険譚』。とある冒険者の旅の記録であり、実在していた冒険者の著書。
「…シノンも、そういうの読むんだな」
「意外?」
「ちょっと意外かも」
この世界では、本はとても貴重なものだ。そもそも紙一枚一枚が高価であり、その束ともなればかなり値が張る。それだけでなく、本に書かれている内容は全て人間の手作業であることが多く、その分の値段も加算されて一冊の本の値段は時に金貨が必要になる場合もある。
冒険者ギルドや図書館などといった本を貸し出している場所はあるが、紛失もしくは損壊などが発生した場合、弁償額はその本の原価の二倍も支払わなくてはならない。
シノンの場合は個人所有だが、今でも十分に強い冒険者である彼が、冒険譚のような物語にも近い内容が書かれている本を読むのは、アルファにとって少し意外だったようだ。
「よくわからないのだけど、この本は…何故か、目が惹かれたんだ」
「へえ。その感じだと、何度も読んでいるんだな」
「うん。内容も全部暗記してしまったけど、ずっと読んでる」
シノンはその本を随分大切に扱っているが、時間による磨り減りは免れられない。ボロボロとまではいかないものの、シノンがその本を何度も読み返している証ともいえる汚れなどが複数見られた。
「タイトルだけは聞いたことがある。ギルドにも確か、同じものがあったような?」
「うん、あった」
「どんなことが書かれているんだ?」
アルファは、シノンがそんなにも夢中になっている本の内容が気になり、シノンに尋ねる。
シノンは本を閉じ、静かにあらすじを語った。
「…双子のシエロとステラという青年が、生き別れた両親を探す旅。あることがきっかけで人間不信に陥ってしまった二人は、やがて実の父親と無事に再会するんだ。でも、父親は再び姿を眩ませてしまう。双子は必死に父親の姿を探すけれど、結局再会は果たされなかった」
シノンは手に持つ分厚い冒険譚をそっと撫でながら、視線を落としている。アルファにはそんなシノンが、どこか悲しげで、寂しげで、何か物憂げな雰囲気を纏っているように見えた。
「それは…確かに、悲しい物語だな。でも、実際にあった話なんだよな?」
「そう言われてる」
『シエロとステラの冒険譚』は、実話を元に描かれている冒険譚だと言われている。彼らは冒険者として名を上げながら、両親との再会を求めて旅した話。
よく考えてみれば、自らの過去を求めて世界を旅していたシノンと、この本の主人公であるシエロとステラの境遇は、少し似ているようにも思える。シノンがこの本に惹かれる理由の一つは、もしかするとそれが関係している…のかもしれない。
「…シノン?」
「ん?」
「何か、考え事でもしてたか?」
「…少しだけ。でも、大丈夫」
何か考え事をしている様子だったシノンに声をかけたアルファだったが、大丈夫と首を横に振るシノンを信じてそれ以上は何も言わなかった。
この本が刊行されたのはかなり昔のことのようで、原本はもう残っていないとされる。この双子の冒険譚は長く古い物語ではあったが、続きが刊行されることはなかった。彼らは生きている間に、実の両親と再び再会することは叶ったのだろうか。
「…これはただの悲しい物語じゃない。冒険者として名を上げたのも、この本を自腹で出版したのも、心の底から両親に会いたいと、ただそれだけを願っていたのかもしれない。両親の方から自分たちを探せるよう、少しでも両親の手がかりを得られるよう、考え尽くした結果なのかもしれない」
アルファは特に何も返さず、シノンの話をただ聞いていた。あまり自分のことを話さないシノンの話を、じっくり聞きたいと思ったからだ。
「この本の続きが出ることは、その後両親と再会出来ていようと出来てなかろうと、出版されることはなかったと思う。これは世に向けた物語ではなく、自分たちはここにいるという、両親へのメッセージだったから」
「…そっか」
シノンはいつもよりよく言葉を発した後、テーブルに置いてあるお茶を飲む。
(…そういえば、俺たちはシノン達について知らないことばかりだ)
アルファはふと思い出した。シノンはあまり多くを語らないし、自分の話も滅多にしない。
これまでどこで、どうして過ごしていたのか、故郷や家族のこと、三人の…特にシノンとルミナ二人の出会いや関係など。
(…でも、俺たちもシノン達に、ほとんど何も話してない。当然か…)
アルファもコーヒーを一口飲みながら、内心でそう呟いていた。
「あ、天皇の一行だ」
「え?」
数分間の沈黙が広がった後、窓の外を眺めていたシノンが唐突にそう声を上げる。
アルファも窓の外を見、太鼓と鈴の音を鳴らしながらゆっくりと道を進行する一行を眺める。道行く人々は道の端に避け、地に額を擦り付けていた。
豪華絢爛な装飾の施された輿に、天皇と思われる人物の肩から下の部分が見える。
「この国では、ひと月に一日だけ、天皇がこうして皇都を回る行事がある」
「へえ…」
「あまり身を乗り出しすぎるなよ。この国では、平民が天皇の顔を直視することを禁じられてるから」
「わかった」
天皇の顔は薄いカーテンによって隠されてはいるものの、万が一覗き込もうとしているようにも捉えられる動きを誰かに見られた場合、大変なことになるとシノンはアルファに忠告した。
天皇は神の子孫であり、神の血を受け継ぐ神聖な存在だ。平民がその神の子孫を直視することは、死に値する無礼でもある。
「…すごかったな」
「確かに、珍しい光景ではある」
天皇の一行が宿の前を去った後、シノンは栞を挟んでいたところから読書を再開し、アルファの言葉を肯定した。皇都に暮らす人間であればそこまで珍しい光景ではないが、観光客や旅人が月に一度の行事に遭遇する確率はそう高くないだろう。
「あ、フィア達が帰ってきた」
「うん」
「ふふ、楽しそうだな」
「遠くからかすかに声が聞こえてた」
「そうなのか。シノンは耳がいいんだな」
しばらく窓の外の景色を眺めていたアルファが、妹たちが談笑しながら宿に戻ってくる光景を目にして呟くと、シノンも短く反応した。
「ただいま! はいこれ二人にお土産」
部屋の扉を開けてすかさず声をかけたのはアリュスフィア。アリュスフィアは手に持っていた紙袋をアルファに差し出し、部屋に設置されているソファに座るなりテーブルにあるビスケットを口に運んでいた。
「おかえり。これは?」
「今日行ったお店のオリジナルブレンドコーヒーだそうです。シノンさんとアルファさんにって、皆で選んできたんです」
「私たちの中に珈琲が飲める人がいなかったから、美味しいかどうかはわからないけど、お店では人気商品だったみたいだよ」
「へえ」
ハマナと共に遅れて入ってきたユウキとルミナがそう補足する。アルファは嬉しそうに笑みを浮かべながらそう返事をし、土産を持ってきてくれた四人に感謝の言葉を贈るのだった。
「シノン、これ、さっそく今夜の食後に頂こうか?」
「うん」
せっかくの土産なので、さっそく今夜の夕食後にでも、とアルファがシノンに提案する。
食文化が非常に有名な国の店で人気の珈琲ともなれば、一定以上の期待が持てることだろう。アルファは、舌の肥える国民を満足させ続ける珈琲の味が、アフタヌーンティータイム後の今から楽しみになるのだった。
「チグアム皇国」 知名度 ★★★☆☆
別名:食の国。隣国ヘルガ皇国と、昔領地を分け合った姉妹国と言われている。
光の神を信仰している。料理の腕が良いほど好かれる独特な風習があり、一般家庭料理の全てが代々その家庭に受け継がれるレシピ。




