033. 護送依頼
夜が更け、月が高く昇っている空の下で、一人座り込んでじっとしている少年がいた。その少年の背後から、隠すつもりのない足音を立てながら近づいてくる存在がいる。
「シノン、眠れないのか?」
「いつものことだよ」
少年——シノンの背後から足音を立てて近づいてきたのは、見張り番を担当していたアルファだった。ルミナ達が眠っているテントは視界に映る位置にあるため、テントから抜け出してこの場所に座るシノンを見かけていたアルファは彼に声をかけたのだった。
現在は護送依頼の実行より二日前。
その前に別の一般依頼を完了したが、完了報告のためにギルドへ戻るには日が暮れてしまい危険であると判断した彼らは、野宿をして夜を明かし、朝になってからギルドへ戻ることになった。
「あまり無理はしないでくれよ」
「うん、わかってる」
元より口数の少ないシノンは、アルファが話しかけても返す言葉はいつも素っ気ないものばかりだった。しかし、アルファは知っている。シノンは決して、冷たい人間ではないことを。
少しの間無言が続いても、最初の時ほど気まずくはない。それに、以前と比べると口数も増え、口調や声音も随分明るくなったようにも感じる。
「シノン、ひとつ気になることがあるんだけど、聞いても?」
「ん?」
数秒間の沈黙を経て、アルファがシノンに対して控えめに質問を投げかけた。それに対してシノンは、アルファの方へ視線を向けながら相槌を返した。
「シノンっていつも、顔が見えないくらい深くフードをかぶっているよな。なにか、事情があるのかなと思って」
「あー、うん、まあ」
「俺たちはもう大切なパーティメンバーだろ。仲間の顔を知らないのは、少し寂しいなって思ってさ。あ、でも、無理に顔を見せてほしいとかそういう話じゃないんだ。ただ、どうしてなんだろうって気になってて」
アルファは遠慮がちに、頬を掻き、視線を落としながら話す。シノンのセンシティブな部分に触れていないか、傷つけたり嫌な思いをさせたりしないか、気にしているのだろう。
「見られたくないと言えば見られたくない…というか…」
シノンはどう返したら良いかわからず、言葉を選びながら話す。
「ちょっと、事情があって」
「そうなのか? えっと、顔に、大きな傷痕がある…とか…?」
「傷痕というわけではないけれど…」
シノンは未だ、アルファとアリュスフィアに自らの素顔を晒すことを躊躇っていた。彼らは信頼できるし、別に顔を見せたくない理由もない。
シノンは背を丸め、膝を抱えながらどう言葉にすれば良いか考えていた。兄妹のことは嫌いではないし、パーティの仲間として信頼もしている。
アルファとアリュスフィアならありのままの自分を受け入れて、これまで通り何事もなかったように接してくれることだろう。しかしシノンが髪と顔を隠すことは、簡単には外すことのできないバリアとなってしまった。
彼自身にも理由はよくわからない。ただ、他人に自分の素顔を見られることに対し、言葉にできないが強い抵抗を感じる。
言葉に詰まっているシノンの様子を見たアルファは、シノンを困らせてしまったかもと感じ、そっと笑みを浮かべながら口を開いた。
「…いや、無理に話してくれなくてもいい。困らせたかったわけではないんだ。でも、もしいつか、俺やフィアに心を開いてくれる日が来たなら、その時は君の素顔を見せてくれるか?」
「…うん、いつか」
シノンのその言葉を聞いたアルファは、嬉しそうに笑みを浮かべながらシノンに拳を差し出す。シノンはそれを見て一瞬固まるが、すぐに意味を理解し、アルファが差し出している拳に自らの拳を軽く当てた。
「ふふ、シノンと二人きりでこうして話すなんて、以前の俺なら想像もできなかっただろうな」
「そうかも」
「それにしても、シノンがAランクになってしまうなんてな。Aランクと言えば、猪突猛進のガイアとか、花の魔法使いプリネ…それと、槍の王のロウ辺りが有名な冒険者だよな」
アルファがAランクの冒険者の中でも有名な人物の名を口にしていき、ロウの名前が出た時、シノンの肩が僅かに反応した。
「特に槍の王は、定住せずに世界中を旅してる冒険者で、傭兵なんだよな。槍の腕と護送の仕事に関して、右に出る者がいないとか。かっこいいよな」
「…うん」
アルファは槍の王とまで呼ばれる冒険者、ロウに対して憧憬の念を抱いた言葉を口にしたが、シノンがそれに対して共感の意を示した。まさかあのシノンがそんなにも素直に共感してくれるなどとは一切思っておらず、思わず驚いてしまうアルファ。
「でもシノンも、そんな人と同じランクになったってことだよな? すごいよ、本当にびっくりしたんだからな」
「俺だって、Aランクの試験を受けさせられるなんて思ってなかった…」
Aランクとは、冒険者の中でも実質トップに君臨するランクだ。さらに上のSランクに関しては、現役で活動している人間がこの世界にたった六人しか存在していないからだ。冒険者の楽園であるレラン王国にはSランク冒険者が三人おり、いずれもギルド・ソルマーニに所属する冒険者だ。
レラン王国で活動しているAランク冒険者は現在三十人前後。数万人もいる冒険者の中でも一部、頂点の存在である。
特にレラン王国で活動している冒険者は他国の冒険者よりも格が数段上と言われており、レラン王国で活動するAランク冒険者の中でも精鋭の数人は、Sランクの実力にさえ届くと言われている者たちだ。そんな冒険者たちと肩を並べるのが、最年少Aランク冒険者となったシノンだ。
「でも、シノンは変わらず、俺たちの仲間だ。これからも一緒に冒険が出来たら嬉しいな」
「…うん」
アルファは満天に広がる星空を見上げ、呟いた。シノンは膝を抱えたままだったが、アルファのその言葉に少し嬉しそうな色を含んだ返事を返した。
*
「よ、よろしくお願いします…!」
護送依頼の出発当日早朝、まだ夜も明けきらない時間帯。ギルドに用意された良い素材の旅装を纏ったハマナは、皓月千里の面々に対して行儀よく頭を下げた。初めてのことばかりでかなり緊張しているようだが、アルファは彼の緊張をほぐすように、目線を合わせて話しかける。
「改めて、俺はアルファ。今回君を護衛する、皓月千里のパーティリーダーだ。こっちのフードを被ってる人はシノン、このパーティで一番強い人だよ。白髪の剣士の人はルミナ、俺にそっくりな女の子は俺の妹で、アリュスフィア。そして、金髪の魔法使いはユウキだ。よろしくね」
「は、はい…! えと、ハマナ、です」
「うんうん、偉いな。長旅になると思うけど、もし疲れたり、体調が悪くなったらいつでも言ってくれていい。それと、魔物が現れた時は逃げたりせず、ユウキとアリュスフィアの傍から離れないこと。それを約束してくれるかい?」
「わ、わかりました」
目線を合わせて話してくれるアルファに信頼を寄せるように、ハマナは自分の服の裾をぎゅっと握りしめながらもしっかりと相槌を打っていた。
「準備はいいかい? もうここには戻ってこないから、忘れ物をしないようにね」
仕事の合間を縫って見送りに来ていたリアナも、ハマナにそう声をかける。
「はい…! 大丈夫、です。あの、お世話に、なりました」
ハマナはリアナを振り返って返事をすると、彼女にも頭を下げて別れを告げる。彼はかなり臆病で気が弱く見えるが、この世界の平民より随分と礼儀正しいように見える。人によっては礼儀というよりも、ずっと頭を下げて腰を低くし過ぎていると感じるかもしれない。
「それじゃあ、ギルドマスター。行ってきます」
「うん。気を付けてくれたまえ。現地に着いたら、しっかりとギルド総本部に報告することを忘れないでおくれよ?」
「はい、わかりました。それでは」
小さく手を振って見送るリアナを背に、皓月千里は王都を発った。
地図を携えたアルファとアリュスフィアを先頭に、ユウキとルミナがハマナを挟んで二番目に、後ろを、魔物を警戒しながらシノンが歩く陣形である。
「あっ、待って、ハマナ…!」
「っ…!!」
道中で魔物に遭遇すると、臆病な性格をしているハマナは無意識のうちに走り出してしまうことが多かった。アリュスフィアが慌てて呼び止めてもハマナは止まらず、皓月千里の五人よりも魔物の方が彼との距離が近く、非常に危険な状況になったこともあった。
ハマナの動きを見て走り出していたシノンが魔物の脅威からハマナを護っているからこそ、結果的に怪我をせずに済んではいるものの、かなりやりにくい状況であったことに変わりはない。
「うう…ごめんなさい…」
「魔物を見たことがないって言っていたからな。逃げ出したくなる気持ちもわかるよ。少しずつでいいから、慣れて行こう」
「…はい…」
「シノン、それまではできる限りハマナのカバーを頼んでもいいか?」
「わかった」
そんな会話を交わしながら、一行は旅を続ける。
ハマナは徐々にだが、魔物が出ても足が地面から離れることがなくなっていった。これは彼が旅の中で魔物の存在に慣れ、皓月千里を信頼してきている証拠でもあった。
「ハマナも護衛対象としての動き方に慣れてきたわね。そうそう、それでいいのよ」
「今日も逃げずに我慢できましたからね。いいことだと思いますよ」
「ありがとうございます」
アリュスフィアとユウキに褒められたハマナは照れくさそうに小さく笑みを浮かべた。これまでずっと緊張しっぱなしだったからか、皓月千里の五人がハマナの笑顔を見たのはこれが初めてだった。
レラン王国から二ヵ月ほどかけて、全王王国リリーズの王都へ。別の大陸へ移動する必要があるため、途中で海を渡るルートを取ることになる。レラン王国の北側にあるチグアム皇国を経由してその東側のヘルガ皇国へ、そしてヘルガ皇国にある港から船に乗ってリリーズ王国へ渡る。
街道はいくつにも分かれ、どの道を選ぶかで距離も時間も、危険度も変わってくる。
皓月千里は街で最新の魔物の出没情報を買ってから出発しており、シノンとアリュスフィアの知識と知恵を共有しながら、一行は安全に、そして順調に進んで行った。
途中で昼食を摂ったり、少し休憩をしたりはしたが、三週間ほどかけて北の国境付近まで順調にたどり着くことができた。
「シノン、毎回すまない」
「ん?」
出立から約三週間後の野営中、夕食を食べ終え皆で食休みをしている時、丁度良い座り心地で大きめの岩を見つけて休んでいたシノンに、アルファが声をかける。シノンは返事をしながらその岩から降りて、地図を手にシノンへと相談を持ち掛けようとしているリーダーへ歩み寄っていく。
「このまま進んでいくと、明日にはラノの平原付近のキャンプ場に着くと思うんだが、この時期あの場所はBランクの魔物がうろついているし、付近で一晩を過ごすには向いてない。だから、この交差点から東へ向かってしまおうかと思っている。シノンの意見が聞きたい」
「いいんじゃないかな」
「え、本当に?」
「うん」
シノンから何かしらアドバイスや意見が当然あるものと思っていたアルファは、ただ肯定の意を示したシノンに思わず聞き返してしまう。しかし、シノンとて別にアルファの意見をすべて否定するわけではないし、相談がないようなら明日のルートに関して、まさにアルファが相談してきたことと全く同じことを言おうとしていたところだったため、特に何も言わなかった。
「何か、指摘するところはないのか?」
「ないよ」
「そ、そうか? じゃあ、明日はこういうルートで行くようにしようか。皆にも共有してくるよ」
「うん」
アルファは地図に書き込みながら声に出してルートをシノンに伝え、他の仲間にもそれを共有するため、シノンに礼を言ってから離れて行った。
アルファは呑み込みが早いタイプらしい。初めはリーダーの仕事も慣れないことばかりで、シノンから口を出したり、またアルファからアドバイスを求められたりなどは、ほとんど毎日の出来事だった。
今でもアルファはシノンへ常に相談を持ち掛けはするが、最近では大抵のことは一人でもこなせるようになっていった。
「…また、焦げた臭い…」
アルファの背中を見送った後、シノンは誰にも聞こえない小声でそう呟いていた。




