026. 今後
劫火の如く燃え盛る家々。人々が逃げ惑う悲鳴。断末魔の叫び。血や人の肉が焦げる強烈な臭い。
世界のすべてだったはずの故郷が燃え、どうしようもなく無力で細い手足では、故郷を守るために戦う力もない。
シノンはふと目を覚ます。目の前にあるのは見慣れた宿の部屋の光景であり、人々の叫び声も、焦げた臭いもない、平穏で静かな屋内。
そっと息を吐いて身体を起こしたシノンは、洗面台で顔を洗い、コップ一杯の水を飲み干す。外はまだ薄暗く夜明け前だが、いつもの起床時間のためシノンは身支度をし始める。
服を着て外套を羽織ると、武器と備品の点検を行う。それらを済ませた後はストレッチをして体をほぐし、顔が隠れるほど深くフードを被り、準備運動をするため外へ出る。
夜明け前の早朝とはいえ、周囲は少しずつ明るくなってきており、ぽつぽつと人が歩いているのが見られる。新聞や牛乳の配達員、手紙を運ぶ郵便配達員、店に商品を卸す商人、出勤途中の衛兵など。
シノンはその人々とすれ違いながら、明るくなる前の王都を走る。軽く一周してから宿に戻った頃には、ルミナとユウキも身支度を終えて朝食を食べるため席に着いているので、シノンもそれに混ざって三人で朝食をとった。
朝食を食べ終えた後は冒険者ギルドに向かい、アルファとアリュスフィアに合流し、依頼板を見て今日の仕事を決める。それが、シノンたちのここ一か月の日課だった。しかしそれも、残り数日で終わってしまうことだろう。
「…あの、アルファさん、フィア、いますか?」
今日も今日とて、五人は依頼を無事完遂しギルドへの報告を済ませて解散したはずだった。彼らは何かあった時のためにと互いの宿の場所をあらかじめ教えていたので、ユウキは教えられていた兄妹の宿を訪ね、アルファとアリュスフィアが宿泊している部屋の戸を叩きながら声をかける。
幸い夕食を食べて帰ってきた頃だった二人は、聞き覚えのある声に反応して扉を開ける。
「ユウキ? どうかしたのか?」
「少しお話があって来ました。出過ぎたことかもしれませんが、シノンさんとルミナさんについて、知っておいてあげて欲しいことがありまして…」
「…シノンについて?」
「はい…お時間、ありますか?」
ユウキは自身の魔法杖を抱えるように握りしめながら、遠慮がちにそう告げた。アルファはユウキを立たせたままにさせるのは申し訳なかったため、彼女を部屋の中へ招き入れる。中にはアリュスフィアもいて、珍しそうな顔をしながらもユウキを歓迎した。
「…俺は構わないが、あいつのことを理解しろという話なら、話すだけ無駄になってしまうよ」
アルファはユウキに席を勧め、ユウキはペコリと頭を下げてから椅子に座った。アリュスフィアもユウキの隣に座ると、アルファは壁に背を預けながら言葉を発していた。
「大丈夫です。無理にシノンさんを理解しようとしなくてもいいと思います。あの人の頭の中には常にいろんな可能性が浮かんでいて、ボクたちには到底思いつかないような考えも、きっとあると思います」
アルファもアリュスフィアも、わざわざ自分たちを訪ねて来てくれたユウキの話を聞くつもりでいた。
仕事は順調だったが、シノンとアルファの関係改善はできないままだった。残りの数日、つまり仮パーティの期限を過ぎると、ギルドは仮パーティに対し、そのまま正式にパーティを組むのか、解散し再び別の冒険者と仮パーティを組むのかを尋ねる。
ほとんどのメンバーの関係が良好であろうと、リーダー格であるシノンとアルファが不仲では、ほぼ解散となる可能性が高い。しかしどうしても、アルファがシノンのことを誤解しているように見えてならないユウキは、せめてシノンが悪い人ではないということだけでも伝えたかったらしい。
「お二人の口から話すのは憚られるようなお話なので、許可を頂いて、第三者であるボクの口から話をさせていただこうと思ったんです」
「どんな話かはしらないけど、シノンがそれを許可したのか…?」
「いえ、ルミナさんから。ルミナさんは「シノンなら勝手にしてもいいって言うと思う」と仰っていました。それと、シノンさんにも、ルミナさんからお話をしてくれるそうです。…ボクたちの、パーティのこれからについてです」
アルファもアリュスフィアも、黙ってユウキの話を聞いていた。確かに話し合いは必要だと、そう思ったからだ。まずはユウキが話したがっている話を聞こうと、二人ともが彼女の話を聞く姿勢を見せる。
「ボクがシノンさんとルミナさんと出会ったのは、ほんの数か月前です。ボクはあのお二人について、あまり詳しくは知りません。けれどお二人とも、心に大きな傷、あるいはその他の何かを抱えていることは間違いないと感じています」
兄妹から話を聞く姿勢を感じ取ったユウキは、ぽつりぽつりと、話をし始めた。
「まだ付き合いの浅いボクのことも、シノンさんはとても気遣ってくれているんです。ルミナさんのことは、もっと大事にしていらっしゃるように思います。それこそ、あの左腕の傷は、何よりもその証明だと思います」
「ま、確かにね。自分を犠牲にしているのはともかくとして」
「あはは…」
アリュスフィアは肩をすくめながらそう反応した。ユウキはそれに対して苦笑いを浮かべながら、更に言葉を続ける。
「ルミナさんは、とても珍しい髪色と目の色をしているでしょう? そして何より、あの人の容姿は誰が見てもとても美しくて、あの日の盗賊たちのように、目の色を変えてルミナさんを狙う人は多いんです」
ルミナの白銀の髪は、シノンと同じくレイヴァの証。それは数百年、あるいは数千年前に滅んでしまったとされている最強の戦闘民族の末裔である証。
この世界では戦闘力のある奴隷ほど価値が高く、顔立ちが整っているほど貴族が好んで購入する。種族特有の整った顔立ちを持つレイヴァは、戦闘力と美貌といったあらゆる需要を満たす種族であるため、目立つうえに様々な目で見られる。興味や欲望、お近づきになりたいと言った感情などだ。
シノンが普段顔を隠している理由も、目立つことと面倒なトラブルを避けるためであり、余計な視線を避けるためだ。
「ここに来るまでの旅の間、ルミナさんは多くの男性からのアプローチを受けていました。女性の詐欺師に騙されかけて、危険な目に遭ったこともあります。ルミナさんに留守番をしてもらって少し別行動をしていただけで、危うく別の冒険者の方に狭い路地の方へ連れて行かれそうになったこともあるんです」
旅は長くなく、数か月という短期間の旅だった。
普通ならばこの短期間で、ここまでのトラブルに遭うことはないだろう。しかしルミナは珍しい髪色をしている上に、優秀な魔力を保有する証である空色の瞳を持つ。そして誰が見ても目を惹く美少女であることから、どこに行っても目立ってしまうのは仕方がない。
「ルミナさんは人を殺めた経験がないので、躊躇っているうちに攫われてしまいそうになったこともありますし、男性との接触によってパニックを起こしてしまったりしました…それ以来、シノンさんは必ずルミナさんやボクと一緒に行動するようになりました」
ユウキは顔を上げ、アルファとアリュスフィアの目をまっすぐに見ながら、更に言葉を続ける。
「人を殺めることも自分の仕事だと、ボクやルミナさんには、人の命を奪う仕事は絶対にやらせないようにしているのを、ボクは知っています。それは、他人にとって同族の命を奪う行為がどれだけ難しいことなのかを、理解しているからだと思っています」
ユウキは知っていた。シノンがどれだけ自分やルミナを気遣って旅をしているか。
砂漠から帰ってきたあの時、ユウキがショックで寝込んでしまっていた時間は決して短くはなかった。治安の悪い砂漠の国で野宿をする時、シノンはずっと見張り番をしていた。寝不足で自分の方が体調を崩しかねない状況で、シノンはずっとユウキの体調を気遣ってくれていた。
そして、自分たちを襲った砂漠の人間たちをやむを得ず殺めてしまった際も、弔いの儀式を欠かさず葬っていたのを、ユウキは見ていた。
「シノンさんは、命の重みを知らない人なんかじゃないんです。きっと、誰よりもよく知っているからこそ、汚れ仕事を積極的に自分で背負ってしまう人なんです」
ユウキは知っていた。シノンが誰よりも優しく、温かい人であるか。
口は悪いし、表情もあまり変わらないから何を考えているのか読めないけれど、誰よりも人のことをよく見ていて、他者の細かい違いによく気が付く人が冷酷な人間なはずもない。
「もし、それでもシノンさんの行為を受け入れられないのであれば、このまま無理にパーティを組んでいなくとも構わない、とのことです。ボクも、アルファさんとフィアには無理をしてほしくないです」
それまでじっと黙ってユウキの話を聞いていたアルファとアリュスフィアは、互いに顔を見合わせた。
アリュスフィアは兄とシノンの関係さえどうにかできれば、このパーティは全く問題なく組んでいられると思っている。しかしそれは、兄本人が納得できるかどうかが肝だ。
「あたしはお兄ちゃんに合わせるわよ。あたし自身は、お兄ちゃんたちの関係さえ改善したら、このパーティは上手くやっていけると思っているもの」
アリュスフィアのその発言を聞いたユウキは、アルファの方へと静かに視線を向けた。実際、アルファとシノンはこのパーティのリーダー格だ。その二人の関係が冷え切ったままではパーティは継続できないし、アルファとシノンが互いの考えの違いを受け入れて丁度良い塩梅を図れるなら、パーティはこの先も成績を伸ばして行けるだろう。
「…たくさんの失言があったことは自覚しているけど、まだあいつのやり方を認めることができるとは思えない…けれど、あいつの実力は確かだし、俺にも足りないところがきっとたくさんあるが故に、考えが足りていないことも自覚している…」
それまで黙っていたアルファは、二人に視線を向けられ、静かに自らの考えを口にした。
ここ数日、どうしても晴れなかった心の靄の正体がようやくわかったような気がした。実力も経験もアルファよりずっと上で、一切自分の意見を受け入れないシノン。それは悔しいが、どうしても、彼を「悪」という一括りにはできないでいる自分がいるのだ。
「…やっぱり納得はできない。それなのに、悔しいけど、どうしてもあいつを悪だと思えないのも事実なんだ」
普通なら警戒して近寄って来ないどころか逃げてしまう野生動物が、シノンにだけは心を許し、その手から食べ物を与えられることを良しとしている様子、誰よりも他人の細かいところにすぐ気づく観察眼…そして、シノンとの関係がよくないにも関わらず変わらず接してくれるルミナとユウキが、彼にかなり信頼を寄せているように見える関係も。
あの日、容赦なく人の命を奪った冷酷な人間の姿とは、どうしても思えなかった。
「…もう一度、ちゃんと話をすることはできるだろうか?」
「…! できると思いますよ! あ、そういえば、シノンさんはアルファさんのことを嫌っているわけじゃないと思うって伝えてほしいと、ルミナさんが言っていました」
『え?』
ユウキが最後に発した意外なその言葉に、アルファとアリュスフィアの素っ頓狂な声が部屋に響いた。




