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水の聖者  作者: 森川 悠梨
第二章 冒険者の国
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023. 献身と矛盾

 シノンが盗賊の命を容赦なく奪ってから約三週間、五人のパーティは組まれたまま時は過ぎた。シノンは至っていつも通りだったが、アルファはシノンに対して何かと突っかかるような態度を見せるようになった。

 なんの予告もなく目の前で血しぶきを上げて人が死んだ光景を見て、アリュスフィアが体調を崩してしまったことも原因の一つだった。

 そのことに関して、シノンはアリュスフィアに対して謝罪はしたが、アルファに対しては一切謝罪しなかった。自分が間違ったことを言っているとは思っていないし、分かり合うことができないのならそれまでの関係だっただけのことと割り切っているからだ。

 何よりも、自分の方がアルファより実力も経験も圧倒的に上だということがわかっているというのもある。この世界では強者こそが正しく、強者がそうだと言えばそうだし、違うと言えば違う。だからこそ、弱者側であるアルファの意見などシノンが聞くわけもなかった。

 ルミナとユウキはと言うと、精神面の体調が優れなかったアリュスフィアを気分転換に連れ出したり、言い争いになるアルファとシノンの仲を取り持ったりなどしたものの、二人の溝は深まるばかりだった。

 挙句の果てにはあまりにも諍いが絶えないせいで、周囲からは「世界一不仲なパーティ」とまで称されてしまっていた。


「ルミナ、少し下がれ! ユウキ、ルミナに治癒魔法を! シノンはルミナに代わって前線を頼む!」


 いつも通りの声掛けをしながら森狼の群れと戦うアルファ。

 不仲ではあったものの、シノンもアルファも私情を仕事や戦闘に持ち込むことはせず、相変わらず連携が取れ、安定した戦闘を行うことができている。


「ちょっと、こっちは後衛だっていうのに、やたら数が多くない!? カバーしきれないわ!」


 後方護衛担当のアリュスフィアは、不満そうにそう漏らす。アリュスフィア一人の力では、襲い来る森狼達の猛攻に耐えることはできないだろう。


「あっ、しまった!! ルミナ、ユウキ危ないわ!」

「ふっ!」

「ギャンッ!」


 ルミナはユウキによって治療されている右腕ではなく、利き手と反対の左手に剣を持ち替えて迎え撃つ。

 しかしあくまで後衛を護衛する役割しか担っていないアリュスフィアでは、取りこぼした敵の数が一体に留まるとは限らない。

 案の定、ルミナの背後に回り込んだ森狼は大きな口を開けルミナに迫っており、それを間近で見ていたユウキは防御魔法を展開しようにも、既に間に合わない距離にまで迫っていた。

 しかしルミナが怪我を負うことはなかった。何故なら、アルファの指示で後方の援護に飛び出してきていたシノンが、ルミナを庇って森狼の首を切っていたからだ。


「……!! シノン!」


 ルミナは振り向いてシノンの名を呼ぶが、よく見ると彼の左腕からは血が滴っていた。


「えっシノン、その腕…!」

「問題はない。それよりも、治療の進捗は?」

「も、もうすぐで終わります…!」


 シノンはそう話しながら、顔色ひとつ変えることなく器用に袖を剣で切ると、森狼の牙が深く食い込んだ左腕をキツく巻いた。


「問題大アリだ! ユウキ、ルミナの治療が終わってからでいいから、シノンの傷も頼む!! ルミナは終わったらそっちを援護してやってくれ!」

「俺のはいい。ルミナ、終わったらアルファの言う通り、後方を支援してやって」

「えぇっ、ちょっと、もう」


 シノンはルミナの返事を待つことなく、再び前線へ飛び出して行ってしまった。


「っ!? おい、シノン手当を…!」

「……」


 アルファはシノンが傷の手当を受けていないことに気づくと、動揺したように声を上げる。しかし、シノンは全く構うことなく魔物の相手をしていた。

 アルファは苛立ちを覚えながらも、今はこの戦闘を終わらせなければならないと判断し、再び戦いに集中する。

 森狼は非常に大きな群れで動く習性があり、その大半が気の強いメスだ。そんなメスたちの猛攻に集中しなければ、最悪命を落とす。シノンは前線で戦う人間が減るリスクを心配しているのかもしれないし、とにかく早めに戦闘を完了するに越したことはない。

 それからあまり時間をかけることもなく、五人は無事戦闘を終了した。森狼は勝ちが見込めない戦いに怯え、生き残った者は森の奥へと去って行った。


「…シノン、早く手当てを…」

「気にしなくていい」

「気にするに決まってるだろ! それで明日からの仕事にまで支障が出たら……!」


 アルファは本気でシノンを心配していた。狼に噛まれるということは、森狼が持っていたかもしれない雑菌や病原菌までも身体に取り込んでしまう可能性があるからだ。

 それに、シノンの左腕に噛み付いた森狼は、大柄なオスの個体だった。彼の細く華奢な腕なら、下手をすれば簡単に噛みちぎられてしまうほどのものだっただろう。


「もう次からはこういうことはやめてくれ。自分の身を犠牲にしても、得られるものは何もないんだから」

「…善処するよ」


 怪我人は出たものの、無事大きくなりすぎた森狼の群れの討伐を完了した五人。

 森狼はEランク程度の低級の魔物だが、繁殖力が高く群れを成して動く習性がある。あまりに群れの規模が大きい場合、仲間たちの腹を満たすために付近の生体バランスが壊れる恐れがあり、近隣の人間にまで被害が及ぶ可能性があるため、定期的に冒険者達が討伐している。

 シノンたちが受注した森狼の討伐は、討伐対象となる規模より一・五倍にまで膨れ上がってしまったものだったため、Dランクの中でも安定して依頼をこなせている彼らにギルドから依頼されたものだった。


「シノンさん、お医者さんに診てもらいましょう」

「そうだよ。アルファ、フィア、申し訳ないんだけど、ギルドへの報告は任せてもいいかな…?」

「もちろん。気をつけて」


 後処理もスムーズに済み、王都へ戻って来た面々。

 ユウキはルミナの怪我の治療で魔力をほとんど使ってしまっており、体調が崩れないギリギリのラインしか残っていなかった。

 シノンはなんともない顔をしているが、思い切り噛みつかれているのをルミナとユウキの二人は間近で見ていたため、適切な処置をしなければならないことを理解していた。

 ギルドへの報告を兄妹に任せ、二人はシノンを半ば無理矢理病院へと連れて行った。


 *


 人でも魔物でも、自分や仲間に害をなす者に対しては一切の容赦も躊躇いもなく命を切り捨てるシノン。残酷なように見えるが、仲間をいたわる気持ちや他者の体調のちょっとした変化に気づき、相手を誰よりも気遣うなどといった一面も見せていた。

 休憩中のシノンの周りには、小鳥や兎、狐などの小動物が集まってくることが多く、何度かそんな動物たちに餌をやっているシノンをアルファは見かけていた。

 アルファには、シノンがよくわからなかった。

 他人の意見を聞き入れることはないのかと思いきや、実は誰よりも人の話をよく聞いていて、作戦会議の際には誰も気付けなかった細かい粗によく気がつく。

 人の命をなんとも思っていない冷酷な人間なのかと思えば、誰よりも仲間の体調や怪我の具合を気にかけたり、誰も気が付かないような、他人の細かい違いを誰よりもよく見ているし気づける。命を軽んじている者には決してできないような、誰かが命を犠牲にすることがないよう完璧な作戦を立ててみせる。

 非常事態が起こった際には、シノン自身が飛び出し庇う姿勢をとった。自分が傷を負おうが、なんでもないことのようにやってのける。だからと言って、別に自分のことを蔑ろにしているようにも見えない。

 シノンはアルファの目から見ても、圧倒的なほど経験が豊富で賢い人間だ。何より実力もかなりあるだろう。それこそ、Cなどというランクには収まらない程には。


「お兄ちゃん?」

「あっ、ごめん、フィア。どうした?」


 考え事に耽ってしまっていた自覚のあったアルファは、妹に呼びかけられて我に返った。


「大丈夫? 考え事?」

「うん。少し、な…」

「シノンのこと?」


 アルファは愛想笑いで誤魔化そうとしたが、どうやら妹の目は誤魔化せないらしい。アルファは観念したように項垂れると、素直に頷く。


「あいつが分からなくなってきた」

「…というと?」

「矛盾しているようで、矛盾してない…言葉にするのは難しいけど、人を平気で殺すヤツなのに、どうしても憎むことができない」


 アルファにとって、例え相手が悪人だろうと犯罪者だろうと、人間が人間の命を奪うことに決して賛同はできない。

 どんな人間でも、生まれた時から悪の生命など存在しないと信じているからだ。

 生きて罪を償う機会を与えさえすれば、きっと更生して真面目に生きる道もある。どんなに悪い人間でも、世界のどこかにはその人間を愛している人がいる。だからこそ、相手の更生の機会を問答無用で奪い、未来を消し去る行為がどうしても許せなかったのだ。


「あたしは別に、シノンのこと悪い人とは思わないわよ。ちゃんと誠心誠意、謝れる人だもの」

「…それは…」


 他者に謝罪をするということは、自分の非を認め相手の許しを乞うこと。人間は利己的な生き物で、自分の非を素直に認めることがなかなか難しい生き物なのだ。

 アリュスフィアは目の前で盗賊の首が刎ねられた時、確かに驚いて悲鳴を上げてしまった。そのことに関してシノンは、アリュスフィアに頭を下げて謝罪したのだった。シノンは一切、頭を下げることを躊躇わなかった。大人になっても、なかなかできることではない。

 実力も経験も兄のアルファよりずっと上で、アルファの主張などほとんど聞き入れない姿勢を取っているように見えるけれど、シノンからアルファに突っかかるような態度を見せたことは一度もない。

 冷たく接しているように見えるけれど、 私情を仕事にまで持ち込むことは一切ないし、嫌な態度をとることもない。


「でも、あいつはきっと俺のことを嫌っているさ…フィアはルミナとユウキとも仲が良いから、とても申し訳ないんだけど…」

「うーん、そうかしら? シノンの方からお兄ちゃんに話しかけることがないのは元からでしょ?」

「わからないけど、最初から俺のことを内心で見下してたんじゃないか。三週間も一緒に冒険しているのに、あいつは未だに俺たちに顔さえみせてくれないじゃないか」


 アルファとアリュスフィアは、シノンの素顔を知らない。

 ルミナとユウキはシノンの素顔を知っているのだろうか。いずれにせよ、素顔を隠すという行為は、相手を信用していない証でもある。そんなの、誰だって気持ち良いわけがない。


「うーん。何か事情があるのかも…」

「顔全体を見せられないような事情が? 想像もできないよ」


 アリュスフィアも、それを言われると反論しにくくなったのか、それ以上は何も言わなかった。

「森狼」 知名度 ★★★★☆

森林で巨大な群れを成して暮らす狼型の魔物。単体であればE±指定、群れであればD+指定となる。

繁殖能力が高く、群れの大半が気の強いメスであり、縄張りと我が子を守るため非常に激しい猛攻を繰り返す。

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