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水の聖者  作者: 森川 悠梨
第一章 迷走
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迷走の旅路

 記憶を失くし、世界中を旅することで自身の過去を探し求めるシノンと、豊富な経験を活かしシノンを導くロウ。

 ロウはシノンを自身の息子のように感じており、シノンに対して武器の扱い方や、魔物や盗賊団の蔓延る外の世界での生き残り方を教えた。

 シノンは過去も家族も故郷も、自分の名前すら忘れてしまっても、自分の年齢が六歳であることだけはハッキリと覚えていた。これくらいの年齢から自分一人で生き残る手段を持つことは平民にとって得難い機会であり、過去を取り戻したシノンの未来のためにもなるだろうと、ロウは考えていた。

 きっとすぐに見つかる。旅は長くなるだろうが、シノンとの付き合いもほんの数年のものになるだろうと、ロウはそう思っていた。だからこそ、あまり思い入れができないよう、別れの時に名残り惜しくならないよう、あまり関心を寄せないよう努めていたつもりだった。


「…手慣れているな。その歳で、随分と戦闘経験を積んでいるようだ」


 普段は驚きの表情など表に出さないロウが、目を見開いてそう呟く。

 白目を剥いてぐったりとしている犬型の魔物、黒妖犬(ヘルハウンド)の耳を掴んで佇んでいるシノンに向けて、ロウは驚きと感嘆の感情が混ざり合った声をしていた。

 ロウのそんな困惑を隠せない感情も仕方のないことだ。黒妖犬(ヘルハウンド)とは別名を地獄の犬と恐れられる魔物であり、死を迎え息絶えるその瞬間まで全身を燃え盛る火に覆われる魔物だ。冒険者ギルドが定める魔物のランクはA-に分類される。

 A-というのは、Bランクパーティが複数いて倒せる魔物の基準であり、六歳という幼い少年が一人で、それも無傷で、偶然だとしても倒せるような相手ではない。


「普通じゃないの?」


 シノンは黒妖犬の首を切り落としながら、平然とした声でそう問いかける。

 シノンのこの言葉に嫌味は一切なく、本気でそう思っているかのような、純粋な疑問。それがわかったからこそ、ロウは一切の遠慮なくその疑問に答えた。


「ああ、普通じゃない。普通の子供は魔物や血を見ただけで泣き叫ぶものだ。お前の立ち振る舞いはまるで、熟練の冒険者のように落ち着き払っている」

「ふうん…」


 シノンはロウのその言葉を聞いて、それ以降は興味を失ったかのように何も話さなくなった。

 シノンは不思議な子供だ。本来ならば子供は周囲の様々なものに興味を示し、よく笑い、よく動き回って、よく話す。しかしシノンはまるでその正反対と言える。全く感情を表に出さないし、ロウの隣を離れず、微動だにしないまま数時間も留守番をすることができ、ほとんど言葉を発さなかった。そして、周囲の物事に一切無関心だった。

 そんなシノンだが、自身に危害を加える者がいてもなお無関心のままじっとしている性格ではなかった。

 以前、冒険者ギルドにて、ロウがシノンに留守番をさせながら受付嬢と指名依頼について話し合っていたことがあった。そのタイミングで、ギルドの酒場で酒盛りをしていた荒くれ者の冒険者に目を付けられてしまい、シノンがその冒険者に顔面を殴られたことで、壁まで吹き飛ばされてしまったことがある。

 シノンの頬には痛々しい痣が出来てしまったが、それでも一切悲鳴を上げなかった。

 子供を容赦なく虐める冒険者という悲惨な光景であるにも関わらず、その場にいた酒に酔う冒険者たちが盛り上がりを見せたため、その冒険者は面白がって、シノンに追い打ちをかけようとする。しかし、足の骨を砕かんと踏みつけられた足はギルドの床に食い込むだけとなった。

 複数の冒険者が見守る中、シノンは本職も見抜けないほどの速度で、自身に絡んできた冒険者の背後に立っていたのだ。

 周囲の怒号によっていつの間にか背後に立っていたシノンを振り返った冒険者は、楽しみを妨害されたかのような怒りに苛まれ、怒鳴り声を上げながら再びシノンに殴りかかる。しかしシノンは、二度も同じ攻撃をわざと喰らうような愚かな人間ではなかった。

 冒険者が繰り出してきた拳を最低限の動きで躱しつつ、冒険者という戦闘職の大男がこちらへ攻撃を仕掛けてきている勢いを利用し、最低限の筋力で最大限の勢いを生み出し、自分の何倍もの体格を持つ大男を床に叩きつけた。男は一瞬の出来事で理解が追いつかなかったため、受け身を取ることができないまま背に大きな衝撃を受けた。

 盛り上がりを見せていた酒場は一瞬で静まり返った。大男とまだ十代にも満たない子供、この構図を見れば誰もが、大男が子供を圧倒するだろうと断言する。しかし彼らが目にしたのは、子供によって投げ飛ばされ、白目を剥いて床で伸びている大男という現実。

 シノンは無言のまま右足を上げると、気絶している冒険者の右腕を踏みつけ骨を折る。人の骨が折れる生々しい音が、静まり返った酒場に響いた。そしてさらに追い打ちをかけようと振り上げた拳を止めた人物がいた。それは、騒ぎを聞いて駆け付けたロウだった。

 シノンは自分の仕返しを止めた人物に攻撃を仕掛けようと振り向くが、その正体がロウだとわかってぴたりと動きを止めたのだった。

 シノンは目の前のこの冒険者を殺す気だったと、ロウは一瞬で理解してしまった。収縮した瞳孔に、周囲が声を漏らすことさえ許されないほどの威圧感に満ちた殺気、一切の躊躇も容赦もなく利き手を封じた冷酷さ…シノンは小さな体で、自分よりも圧倒的に大きな体を持つ者を相手にどう戦えば良いのかをよくわかっていた。

 ロウが止めていなければ、シノンはこの冒険者を間違いなく殺していたであろうことは明白だった。

 ロウはシノンに対して、首を横に振ることしかできなかった。熟練の冒険者として現役で活躍するロウでも、シノンが発する殺気に委縮してしまったからだ。


 …これは、シノンとロウが共に旅をし始めた頃の夢。

 東大陸へ向かう船の客室内で昼寝をしていたシノンは、窓の外から吹き込んでくる潮の香りによって現実に引き戻される。

 ロウとシノンは様々な国を旅した。

 騎士の王国スフィンや冒険者の国レラン、砂漠の国スリシタン王国、商業の国コペル王国、歴史と文化の島国秀亀、極寒の北方諸国に至るまで。これだけの国を渡り歩いてもなお、シノンの過去に関する情報は一切得られず、ただ時間だけが過ぎて行った。

 予言の魔女とまで呼ばれるマガネスの占いによって、シノンの過去には夢見の里と強い関連性があることが判明したものの、門前払いのような形で断念せざるを得ない状況だった。

 夢見の民はシノンたちの訪れを予見していた上で、あのような出迎えを行っていたのだろうか。ユウキの両親は、何故同郷の人間によって殺されてしまったのだろうか。両親がユウキを里から追い出した理由もわからず、不完全燃焼のまま三人は砂漠の国を発つことになってしまうのだった。


「あ、シノン、おはよう」

「おはようございます」

「おはよう」


 昼食を運んできたルミナは、昼寝から目を覚ましていたシノンにそう声をかけた。

 ここ最近は野営続きで、シノンはルミナとユウキを少しでも休ませるために寝ずの番を担当していたことで寝不足だったこともあって、船上ではできるだけ睡眠を取るようにしていた。

 以前と比べると少し元気がないように見えるが、寝込みがちだった数日前と比べて少しずつ元通りになりつつあるユウキも、シノンに対し笑みを浮かべながら挨拶をしていた。


「ご飯、シノンの分も持ってきたよ。食べる?」

「うん。ありがとう」


 剣を抱えるようにして、椅子に腰かけながら眠っていた姿勢を元に戻し、机に向かって食事をする準備を整える。


「ユウキ、船酔いの調子はどう?」

「シノンさんが治癒魔法をかけてくれたので、だいぶ調子がいいです」

「それはよかった。また体調が悪くなったら、ちゃんと言ってね」

「はい、ありがとうございます」


 船の揺れに慣れていないユウキの船酔いを心配したルミナだったが、体調が悪くなさそうなユウキの様子を見て嬉しそうに笑みを浮かべる。

 不規則に揺れる船の上では、汁物は一切出されない。最近コペル王国で流行しているハンバーガーやポテト、ホットドッグなどといった、こぼれにくく、ナイフやフォークを必要としない食事が多くなっている。

 ハンバーガーはサンドイッチの一種で、一般的に丸いバンズの間に牛肉のパティや野菜などの具材を挟んだ料理のことだ。調理も手軽で好みに合わせて具材の組み合わせを変えられる上に、ナイフやフォークが基本的に必要なく、短時間で必要な食事を済ませられるメリットがある。

 時間に厳しい商人の国コペル王国では現在このハンバーガーやポテトなどを筆頭に、調理から食事までが手軽な食品が大流行していることもあり、これらの食品は世界中で度々見かけるようになった。

 シノンたち三人はそんなハンバーガー、ポテト、サラダなどの食事を済ませた後、今後の行先についての話し合いを行うことにした。


「これからどうしようか?」

「…二人は何がしたい?」

「え?」


 若干声のトーンを抑え気味に放ったルミナの言葉に対し、シノンは逆に訊き返した。

 シノン自身は特にやりたいことなどはなく、ユウキを故郷に帰し、ルミナの剣術修行を手伝うことが今回の旅の目標だった。ユウキを故郷に帰すことに失敗してしまった以上、ユウキの今後にも責任を持ち、一人になっても生きて行けるよう手助けをするつもりでいた。


「選択肢はいくつかある。マガネスさんの家に帰るか、このまま旅を続けるか、冒険者として仕事をするか…」


 目標のない旅ほど、意味のないものはない。

 シノンが旅をしていたのは、シノンの過去を取り戻そうとするロウについて行っていただけのこと。シノンにとって最も大事なのは、ロウという存在だった。しかしマガネスはシノンに対し、ロウの帰りを待つのではなく、旅に出ろと言った。この言葉の意味は大きく、シノンが旅に出てもなお、ロウはあのツリーハウスには戻らないという解釈もできる。

 ロウがいないなら、シノンは旅の目標を失ったも同然だった。だからこそ、これからについては、ルミナとユウキがどうしたいかに合わせて動こうと、そう考えての言葉だった。


「…ボクは、まだ故郷に帰りたいと願っています。どうしてみんながあんなに怒っていたのか、両親がなぜ…あんな、姿になっていたのか、とか、色々気になるのと…やっぱり、お墓参りには行きたいです。自分の故郷が、どんな場所なのかも、ちゃんと知らないし…」

「ユウキ…」


 ユウキの、杖を握る手に力が入っていた。緊張のせいか、少し震えているようにも見える。


「…でも、今のままでは、ボクはあの場所に帰ることを許されていません。もっと、強くなりたいです。強くなって、自力で帰れるようになって、故郷のみんなと話ができたら…いいなって」


 ユウキは願望のようにその言葉を発していたが、目には決意と覚悟が宿っていた。シノンとルミナにこれ以上迷惑をかけないよう、言葉を慎重に選びながら話していた。


「ユウキ、その時は私も一緒に行くよ。きっとユウキを故郷に帰す。約束だよ」

「ルミナさん…はい、ありがとうございます…」


 力が入って強張ったユウキの手を、そっと包み込むように握るルミナ。ユウキの目に宿っていた決意を感じ取ったシノンも、目を閉じて軽く息を吐いて黙っていた。


「シノン、私ね、強くなりたくてこの旅についてきたの。昔はみんなに守られてばかりで、今もまだ未熟。シノンやユウキを守るにはまだ足りないの。だから、マガネスおばあちゃんの家に、何の収穫もないまま帰るわけにはいかないの」


 過酷な砂漠を越える最中、ルミナは経験不足によって何度も怪我を負った。

 シノンとユウキによる治癒魔法を受けたことで後遺症もなく無事だったが、それがなければ命を落としていたほどに。守られてばかりのお姫様では大切なものをいつか失ってしまうと、ルミナは思っていたのだ。


「…あのツリーハウスで暮らしていれば、死の恐怖に苛まれることもないんだぞ」


 シノンはルミナに対して優しく声をかけた。

 あの場所はマガネスという大魔法使いに守られる場所。魔物からの脅威も、人間による侵略も心配いらない。外にさえ出なければ、きっと穏やかに暮らして行けるだろう。それでもルミナは、そんな穏やかで人間らしい生活を自ら手放す選択をしている。


「ううん、私は強くなることから逃げてはいけない立場にいるの。守らなければいけない人がいるから」


 ルミナはこの旅を始めた直後、寂しいからと言ってマガネスの家に帰るかどうかで揺らぐほどの覚悟でここには来ていないと言った。その覚悟は、今でも一切変わっていないようだった。

 ルミナがなぜここまで「強くなる」ことに執着しているのかシノンにはわからなかったが、ルミナがそう言うのであれば、シノンはそれを拒む理由などなかった。


「…わかった。それなら次の目的地は、冒険者の国、レラン王国だ」


 強くなりたいという二人の願いを聞き届けたシノンは、次の目的地を冒険者の楽園・レラン王国と定めた。

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