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水の聖者  作者: 森川 悠梨
第一章 迷走
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出立

 旅の準備は大変だ。

 食糧や装備だけではない。大半を徒歩が占める旅において、体力づくりは基本である。外で過ごすためのサバイバル知識の習得、怪我をしたときの応急処置と手当ての仕方の習得、旅先での金銭の獲得手段の確保など。

 旅をするに連れて必要な経験と知識はシノンが持っているし、旅先で魔物や盗賊団などに遭遇した時の対処も十分にでき、荷物の運搬はシノンが習得している空間魔法に収納可能。であれば、残るはルミナとユウキの旅装と装備を揃えなければならない。


「ルミナ、ユウキ。二人とも、こちらへ来なさい」


 旅の準備に忙しなく準備を進めるある日の午後、ルミナとユウキに対してそう声をかけてきたのはエジルであった。

 ルミナとユウキの二人は一瞬だけ顔を見合わせてから、隣のマガネスの部屋へと向かう。

 マガネスの部屋には部屋の主であるマガネスと、隣には二人を呼んだエジルが立っている。


「旅の準備は順調かい?」

「うん。シノンが色々と手伝ってくれてて、もうすぐ旅ができるって言ってたよ」

「そうかい。あんたたちは、旅で使える装備はもう揃ったのかい?」

「服は二人とも揃ったよ。武器は、私はこれで良くて、ユウキの杖がまだかな。街に寄ったときに、ちょうどいいものを探すかどうかでシノンと悩んでて…」


 ルミナは自身の腰に下げている剣に触れながらそう話す。その剣は初めて自分の手で選んだ愛剣であり、シノンとの剣術修行でもずっと握っている一振だった。

 ユウキはというと、マガネスやライザがかつて使っていた古い杖を練習用として使わせてもらっていたため、まだユウキのものと言える杖はなかった。これには理由があり、剣士にとっての剣、商人にとっての財産や信用と同じく、杖とは魔法使いにとっての命綱である。

 杖とは、魔力との親和性が高く、より正確に、より早く使い手の魔法を事象化させる性質を持つ素材で作られている。魔力を栄養素として育つ魔性植物や、高密度の魔力によって鉱物化した魔石などのことだ。

 魔法使いの杖はどう選ばれるのかというと、使い手の魔法使いが持つ固有の魔力と杖との親和性、適性がより高いものを最適とする。

 マガネスがこれまでユウキに杖を作らせていなかった理由は、ユウキの持つ魔力は他と違い特殊であり、複雑で最適解を得ることが難しかったからだ。


「ユウキ。あんたは水、炎、風の適性を持つ魔法使いだからね。相反する魔法属性を持つ者の杖は、その辺に売っている杖じゃ本領を発揮できない。だから…これをやろう」


 そうしてマガネスがユウキに差し出したのは、白樺のような白い素材に、青緑色の大きな魔石がはめ込まれた杖。その魔石の大きさは拳大ほどであり、一般的に杖にはめ込まれる魔石の数倍はあった。

 一般的に魔石とは、粒のサイズが大きいほど高価になる。照明やコンロなど、一般家庭で使われる魔道具にも魔石が使われているが、銅貨で購入できる小指の爪ほどのサイズでも半年は使える。しかしマガネスが差し出してきたその魔石は、一般家庭で使われる魔道具を半永久的に稼働させるような魔力を秘めている、非常に貴重で高価なものだ。


「えっ…これ、魔石、ですよね?」

「ああ。あんたほどの魔法使いになら、これを渡してもいいだろうと思ってね」


 マガネスはユウキにその杖を握らせる。魔法使いの師匠は、自分の下を去る弟子に対し杖を贈る習慣がある。これはお守りであると同時に、その魔法使いが師匠を持つことの証にもなる。

 マガネスはあまり口数が多い方ではなく、魔法を教えるときも多くは語らず、自分の力で学ぶように促した。ユウキはこれまでマガネスが自身に対し、熱心に魔法を教えてくれていたことをわかっていた。奴隷の身であった自分を拾い、魔法使いとして育ててくれ、弟子として認めてくれたのだ。

 ユウキは込み上げてくる涙を堪え、杖を握りしめて頭を下げる。

 マガネスはただ、ユウキの肩に手を添えて答えるのみだった。


「ルミナ、お前にも土産がある。これを持っていきなさい」

「え? これは?」


 一歩踏み出したエジルがルミナに渡したのは、一本の長剣。

 ルミナがこれまで使っていた剣は両刃で、彼らが暮らすコペル王国では一般的な形式の物だった。しかしルミナがエジルに渡されたそれは、片刃の剣だった。


「シノン君の剣術を見て思ったことがあるんだ。あれは東洋の剣術に似ている。今のお前が扱う剣術は、きっとその剣の方が合っていると俺は思う。それに、今のその剣は初心者用だろう。これからは実践続きだから、お前の父として、無事を願うためのお守りとして、これを贈らせてほしい」

「エジル…うん。ありがとう」


 今回の旅に、エジルはついて来れない。しばしの別れとはいえ、これまで育ててくれた父の下を離れるには、ルミナはまだ若かった。

 それでも旅立つと決めたのはルミナ自身だ。この機会を逃せば、強くなるための道を二度と取り戻せないとも感じていた。

 ルミナは笑みを浮かべていた。親元を旅立つ覚悟と決意を、父に伝えるかのように。

 聖歴724年4月、しばらく世話になったマガネスの家を離れる時が、近づいてきていた。



「ルミナ、引き返すなら今だぞ」

「どうして?」

「…寂しいんだろ?」


 マガネス、エジル、ライザに見送られながら出立した三人。シノンは、先行するルミナがいつもよりも口数が少ないことを心配して声をかけた。先頭に立つルミナは、後ろをついてくる二人に表情が見られないよう振り向かずに会話していた。


「まあ、そりゃあ、ね。でも、決めたのは私。今更引き返すかで揺らぐ覚悟でここに来ていないよ」

「…そうか」


 シノンはそれ以上何も言わなかった。


「ルミナさんなら、きっと、きっと…いいえ、絶対に、強くなれますよ」


 先頭のルミナと後方のシノンの間を歩くユウキは、慎重に言葉を選びながら、励ましの言葉をかける。


「うん。ありがとう」


 エジルはルミナに対して最後に、元気で、とだけ告げた。

 シノンから見て当時のエジルは、生まれ育った巣を離れ、独り立ちする雛を見送る親鳥のようだった。


 *


「どうだ、ルミナ。これからどうするかは決めたか?」

「…わからない。正直に言うと、このままここに留まって、これ以上エジルやマガネスおばあちゃんたちに迷惑をかけるのは違うとは思う。私はもう大人だし」


 ツリーハウスのベランダに置かれている椅子に腰かけ肘をつき、年中生い茂っている葉の隙間からわずかに見える星の光を眺めながら、ルミナはそう答えた。


「自分で道を決めて、自分の人生を歩むことだって出来るよ。でもね、本来の私は自由に外を出歩ける立場にはなくて、あの船の上での襲撃や狼の群れに襲われて死にかけたあの夜みたいに、自分や仲間の命が脅かされるような出来事に出くわしたら…私は今度こそ、手と足を動かして、戦えるのか不安なの」

「…怖いのか?」


 ルミナは自身の手を見つめ、わずかに震える手を握りしめる。

 グッと堪えるように目を閉じ、エジルの問いかけに応えるべく口を開いた。


「うん。怖い。どれだけシノンとの模擬戦で上達しても、その時になってから動けなかったらどうしようって」

「っはは、いつも明るいお前が、そんなにも弱音を吐くなんてな」


 エジルはそんなルミナの不安を取り払うように笑いながら、ルミナの頭を撫でる。


「大丈夫だ、ルミナ。お前はもう、自分を守ることくらいできる。武人の俺が保証しよう。大事なのは、今のお前がどうしたいか、だろう?」

「私は…強くなりたい。自分だけじゃなくて、今度は私がシノンやユウキを守りたい」


 まだ不安を覚えながらも、自分のやりたいことがわかっている娘を温かい眼差しで見ていたエジル。成人を迎えたばかりの娘が自分の下を去ろうとも、自分の意思を持たず受け身だった昔と比べて、胸を張って自分の意思を伝えられるまで成長した娘を誇らしくも思っていた。


「それなら、やることは一つだな」

「うん。ありがとう、エジル。私、シノンについて行ってもいいか、お願いしてくる!」


 *


「シノン、まずは街に行って食糧の買い出しと、冒険者ギルドに行って冒険者登録で合ってるよね?」

「うん」


 先行するルミナの質問に対し、シノンは短く返した。

 冒険者登録をするメリットはいくつかある。まず、旅で移動を行うシノンたち一行は、旅先で路銀を稼ぐ手段を持たなければならないが、冒険者ギルドは世界中の町や村に存在しているため、戦闘能力を持つ、あるいは専門知識と経験を持つ者は冒険者登録をすることで、旅先で依頼をこなし、日払いで路銀を稼ぐ手段となる。

 依頼をこなす以外に、魔物や魔石を冒険者ギルドに持ち込むことで安定した金額で売り払うことも可能であり、冒険者登録の際に発行されるカードは世界中で通じる身分証となるため、町や村への出入りにかかる銀は無料となるメリットもある。街や村への出入りを繰り返す旅人にとって、冒険者カードは路銀の節約に有効な手段である。

 定期的に依頼をこなせる、もしくは素材をギルドに売却できるのであれば、冒険者登録をしない理由はない。


「今日は王都まで目指そうと思う。ルミナ、王都への道はわかるな?」

「うん、何回も行ってるからね。先頭は変わらず任せてくれていいよ」


 最寄りの町に辿り着き、ルミナとユウキの冒険者登録を済ませた一行は、地図を確認しながらこれからのルートを決めていた時、シノンが今日の目標を提示する。現在いるこの場所から王都へは半日から一日ほどかければ、徒歩でも辿り着くことができることを知っているからだ。


「コペル王国の王都は行ったことがないです。どんなところなんですか?」

「王都は世界でも有名な、商業の街だよ。世界中から商人が集まる場所なんだ。コペル王国は商人の国だからね、世界中の商人にとって、コペル王国の王都に店を持つことはとても誇れることなんだよ。だから、いろんなものがあって、いろんな人がいて、賑やかな場所なの」


 何度も王都に通っているルミナからのその言葉を聞き、ユウキは目を輝かせていた。

 夢見の里という閉ざされた故郷で育ち、奴隷として窮屈な生活を強いられていたユウキにとって、街という言葉を聞いても想像するしかできない。自由な身で街という場所を訪れることができる機会に、ユウキは心躍っていた。


「…王都に着いたら、少し自由時間が取れるようにしよう。でも、あまり羽目を外さないように」

「そうだね。路銀には限りがあるし…」

「…とりあえず、乗合の馬車がないか探してみようか」


 地図を仕舞い、乗合馬車の時間表を見るべく歩き始めるシノン。

 ルミナとユウキもそれに続いて歩き始め、王都へ向かう乗合馬車が約一時間後にあることを確認すると、早めの昼食を買って馬車の到着を待つのだった。

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